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心理と心霊の関係について
心理学を勉強しています。またニューエイジなどのスピチュアルなことには全般的に興味を持ってます。 ところでずーっと考えてきたことですが、例えば精神疾患の様々な症状が呪いや霊障などの心霊現象が原因ということもあるのでしょうか?逆に人間が精神的に調子悪くなることや運が悪い、不幸であるというようなゆがみは全て霊障などで説明ができるのでしょうか? この答えに仮説があるにしても信憑性があるのでしょうか? またその区別をするには、たとえば心理療法をしても治らなかったものがお払いをしたことで治癒した、など事実に頼るしかないのか? ユングは心霊現象について研究していましたが、現在この相互関係については問われていません。なぜでしょうか?
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再登場。 >では心霊体験をする人はすべて神経症ということでしょうか? 『ビミョ~』です。 実際、精神の異常というのは我々が考えるよりもずっと多くの人に、極めて頻繁に出ているものです。 昔はちょっとでもおかしい人は全て「神経症」の一言で片付けられてきましたが、現代では「もしかしてそうじゃないんじゃない?」という考え方が主流になってきました。 心身的には健康なのに、おかしな物を見たりする人がいるのは、人間の精神的な(致命的でない)不具合は、一般に我々が感じているよりも、ずっと、ずーーーっと身近な物だと思われるからです。 それらを全て「神経症」で片付けてしまう現在の臨床心理学では、すでに矛盾をきたしているのが現状です。 >心がすべての活動の源であり ま、これに関しては、「お互い自分の考えを大事にしましょう」というのが俺の気持ちです。 「魂には重量がある」と結論づけた研究論文があることは、俺も3つほど噂で聞いていますが、どの論文でもその重量に大きく差異があり(1つは0.35グラム、1つは0.1グラムだったかな? 最近映画のタイトルにも利用されたもっとも有名な論文では30グラムだそうです)、研究結果そのものがちょっと疑問であるとは思います。 ですが、そんなこと言っても始まりませんしね。 魂に重量があるかどうかの結論は、個人の判断で出せるものでは到底なく、これを解決する力を持っているのは「時間」だけです。
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こんにちわ、 #1さんの回答と基本的に同じです。 あなたが『…心理学を勉強しています。またニューエイジなどのスピチュアルなことには全般的に興味を持ってます。』と ご質問の前に書かれておられます。 で、参考(研究)の一助になるのでは?と感じましたので シェアしますね。 著者の知名度などで 判断なさらずに 下記URLを観られて感じて下さいまし。(心理研究が深まると確信してます) それと、ご質問の根本的な 疑問解消にもなると感じました。
お礼
うわー難しい・・・。でもどれも興味深いテーマです。が、読み終えるのに何年かかるのでしょうか・・・。いずれ一読してみるつもりです。ご紹介ありがとうございました!
- shima-2
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#2です。 訂正…。 今教授 → 名前じゃないです。「今」って打ち間違いです。すみません。
- shima-2
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私は文化心理学を研究していました。 (文化心理学は正式な学問ではありません。私自身が研究していたテーマが日本文化という視点から逸脱していた為、今教授(:元江戸東京博物館館長)がそう指定しました。) 私は、妖怪についての研究から入り、妖怪は人間の「畏怖心」「限りある物(自然)に対する尊敬心」から生まれたものであると論づけました。 その後、なぜ現代人は妖怪を信じなくなったか、そしてなぜ、今尚幽霊は信じるのか、という研究に行きつき、結論として、人間は「物は限りなくある=尊敬しない」というところで妖怪は無くなり、「自己の魂は永遠に続くのではという人間の思い込み」が幽霊だけを信じる方向に持っていったとつけました。(えらい短縮しましたが…) >精神疾患の様々な症状が呪いや霊障などの心霊現象が原因ということもあるのでしょうか? 文化心理学的にいうとありえません。 ただ、私はその反面幼い頃から心霊現象というものをいくつも経験しています。 それを人に説明しても誰も信じてはもらえません。 個人に起こる霊現象というのはそのレベルのものになります。あと、言えるのは「マイナス思考」の時に限って心霊現象は多発していました。 >逆に人間が精神的に調子悪くなることや運が悪い、不幸であるというようなゆがみは全て霊障などで説明ができるのでしょうか? 専門分野ではないので、個人的見解でいうと、すべて霊障のせいであれば、生物の遺伝子は様々な生命体を犠牲にして、更新されています。全ての人間が霊障を受け、運が悪いのであれば、運のいい人は世の中存在しません。運のいい人がいなければ、運の悪い人は存在しません。ですので、説明できないと思います。 >この答えに仮説があるにしても信憑性があるのでしょうか? 学問によって仮説はあるでしょうし、それを論じた人は信憑性を各自でうたうでしょう。私もその一人です。その反面、昔から心霊現象を体験しています。 なんとも矛盾だらけです。 >またその区別をするには、たとえば心理療法をしても治らなかったものがお払いをしたことで治癒した、など事実に頼るしかないのか? 心理療法より、お払いを信じたという論じ方もあると思います。この論じ方であれば、宗教心理という分野で論ずることができるのでは?そうすれば、区別する必要もなく、心理学で研究できますよね。 >ユングは心霊現象について研究していましたが、現在この相互関係については問われていません。なぜでしょうか? 「心理的」なものか「霊的」なものかの相互関係について問われている角度が違うかもしれませんが、私がやっていた「文化心理学」はそのひとつだと思います。矛盾だらけですけど。専門学部もありませんけど。
補足
文化心理学的な見解、とても興味深いです。確かに人間って勝手な生き物で、恐れや不安を外の世界に投影せざるをえませんよね。そうしなければ「やってゆけない」生き物なのではないでしょうか? 遺伝子のお話もなるほど、です。霊の存在については哲学的な否定論だと思います。 宗教心理という学問で論じられるとしてもそれはひとつのカテゴリであって、他の分野の意見も積極的に融合されているのでしょうか?本当に矛盾だらけですよね。ひとつ答えが出てもそれがまた覆される、真実かどうかはわからない・・・それが現実なのでしょうか。
心霊現象が心に影響を与えるのではなく、心が心霊現象を作り出すのです。 つまり、「心霊現象は、神経症の症状の1つ」なんです。 『心霊現象』という名の物理現象は、実際のところ存在しません。 幽霊という存在は、人間は魂という名の『心を司る物質』を持っている、という前提で確立された存在です。 しかし実際には、心とは脳内での情報の動きにすぎず、『心という物質(つまりスピチュアルという物質)』が存在するわけではありません。(この考え方に恐怖心を抱く人の気持ちも分かりますけどね) ゆえに、『幽霊は物理的な存在ではありえない』わけです。 つまり、神経症の人の治療をする上で、その人の心の状態を知る手段として、どんな心霊現象が起こっているかを個人単位で把握することは大事なことです。 しかしそれらは万人に共通した現象ではありえませんから、本格的な研究などやりようがないし、やっても意味がないのです。 心霊現象が、万人に共通したパターンの実験結果を提供してくれることは絶対にないんですからね。 なので、文中の質問に上から順に答えると、 >精神疾患が心霊現象が原因ということもあるのでしょうか? 全く逆です。 精神疾患や、心の不安が心霊現象を引き起こすのであって、逆は絶対にありえません。 >霊障などで説明ができるのでしょうか? できません。 霊障は、現に生きている人の心が作り出すものです。 >仮説があるにしても信憑性があるのでしょうか? 仮説はあるにはありますが、信憑性のある仮説など立てようがありません。 >心理療法をしても治らなかったものがお払いをしたことで治癒した、など事実に頼るしかないのか? はい。 その通りです。 >現在この相互関係については問われていません。なぜでしょうか? そんなことはありません。 「人はなぜ心霊現象を認識してしまうのか」を研究している人はいないこともないはずです。 しかしそれは、あまり表立ったものではないでしょう。
補足
>心霊現象は、神経症の症状の1つ では心霊体験をする人はすべて神経症ということでしょうか?(軽度の)逆に神経症であれば一度は霊体験をするということでしょうか?でも精神的に健康な人が霊体験をするし、不安定な人でも霊をまったく見ない人もいます。 >心とは脳内での情報の動きにすぎず これについて私の意見ですが、私は逆だと思います。心がすべての活動の源であり、脳内の情報は心からの伝達、その情報が身体活動のための指令となると思っています。心身相関などがその例でしょう。 deagleさんはいわゆる霊の存在を信じない方と思いました。私はどちらかというと信じる方です。 だから霊が存在することを前提にして考えます。 仮に霊を見ることが心の主観性からだとしても、魂には重量があるという科学的な結論が出ていますし、このことから物理的に霊魂が存在していることになり、科学的な客観性もあるのではないでしょうか?精神と魂の存在性を客観的に対峙させたとき、その境界線(=霊と心理)の境界線はどこにあるのかなあという疑問になってしまいます。
お礼
長い時間をかけてひとつのテーマを追求する・・・。 共有された時間をもってそれぞれの探求者が追求する。追求の合流地点でひとつの結論が出る、その事実も真実ではない、それが探求者の永遠のテーマとなって受け継がれてゆくのでしょう。 貴重なご見解ありがとうございました。