- ベストアンサー
言語論の前提とは?
- 言葉の限界と純個別的な事柄への伝達は不可能?
- 言語論の前提に疑問を抱いた経験から再質問
- 冷蔵庫の製造番号の例で言葉の限界に反論
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんばんは。 こういった分野と言いますか そのような議論について知らないのですが おっしゃっていることは それとしてそのまま おかしくないと思います。 こういうことでしょうか? たとえば 遺失物の係りのところで 失くしたものは どれですか? と問われて そこに保管されている傘なら傘の中から この世にたったひとつある自分の傘を特定して伝えるには どう表現するのか? 言葉のほかに指で指して示さないなら 無理ではないか? と。 そういうわけでもないと考えられます。 つまり 一番前の列の左から二番目の黒い傘ですと言えば 特定できる。指さしはしなくてもよい。 ・・・何だか問題がよく分からないのですが。
その他の回答 (8)
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
普通名詞や固有名詞などを含む言語も象徴の一種だとも言えますね。そしてそれは記号であるともいえるかもしれませんね。 ご質問の製造番号って正に記号というカテゴリにはいるのでしょうね。 これを話や文での言語というかどうかは難しくないですか? つまり何かを指示することにはなっているけれども、何かの観念や概念を内容的意味に含有してないのでしょうね。 そういうふうに言語を概念や観念を含有するものとして限定的に解釈すると、その含有する概念や観念は同じ言語であっても、そして指示言語で指示しても、対象について抱懐する(描く)観念とか概念は多様でしょうね。 解答の方言っているけれども、大きな夜空をさしてあの星とかなんとかいっても、例えばですよ、それは対象も確定できないでしょうね。 つまり、ことばは共通的な意味、概念を間主観的にやりとりするものなんでしょうね。 人は千差万別。まったく同じの観念や概念とはいかない。 感じることも違いますし、經驗などで育んできた知覚や紡ぎの枠組みも用具も違いましてね。 以心伝心。って古いですね。 大石内蔵助が、どこかの関で僭称してきた本人に出会った時の状況とか。 まぁそういうことをたよりに人間同士なんとかともにいきているんでしょうね。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
「言葉では純個別的な事柄を正確に伝えることは不可能である、つまり、言葉には限界がある。」 言葉は感性を通して認識するから、 個々の感性が全く同じという前提が無いと無理ですよね。 全てがまったく同じ感性の人には会ったことがないので、同じ認識で言葉を理解すると言うのが 土台無理な話しですよね。 それが「純個別的な事柄を正確に伝えることは不可能である」原点で そこから「つまり、言葉には限界がある」に至るのではないでしょうか。 文章を生業とする人は、自分の思いがそのまま伝わる訳では無いのを知っている。 相手側が好きなように受け止めるのも知っている。 感性を通したものはイメージや印象や思いなどが介入し、まったく同じに捉えられない。 冷蔵庫を個別指定できたとしても、なぜその冷蔵庫であるのかという純個別的な事柄が抜けている。 その必要性や意味や思いも純個別的な事柄に属するからだ。 例えば、あるものに思いがある人の話しを聴いても、まったく無い人は理解できないか 理解しても同じ思いが自分の中に湧くわけではない。 趣味とか好みとか、別の情報が入ってくるから。 言葉で表そうとする側にも、自分の思いや印象や様々なものが乗っかったり削ったり 受け取る柄にも、同じように自分でも気づいてない人は気がつかないうちに自己操作 つまりは自分フィルターが入ってしまう。 と言う事で、さらに純個別的な事柄を正確に伝えるのは無理となります。 言葉の弱点でもあると言えるでしょうが、人間の多様性でもあると言えると思います。
- stmim
- ベストアンサー率24% (57/236)
名前のないものを言語の世界に取り込もうとすると、「指で指す」など言語以外のことが必要になるということを言いたいのではないでしょうか? 製造番号があるということは名前がつけられているのと同じです。既に名前がついているものを言語で指示できるのは当然です。 「言葉では純個別的な事柄を正確に伝えることは不可能である、つまり、言葉には限界がある」というのは当然の気がしますけど。例えばもし私が「あなたの人相を言葉で正確に教えてください」とお願いしたらあなたは途方に暮れませんか? あるいはもし私が「私はコカコーラの味を知りません。コーラの味を言葉で正確に教えてください」とお願いしたら? ポイントは「正確に」ということだと思います。まったく示せないという意味ではないでしょう。
- Y Y(@yy8yy8az)
- ベストアンサー率17% (89/501)
“日本(にほん)”或いは“日本(にっぽん)”には「日本人」が誇る「富士山」という山がある。
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
その冷蔵庫の「製造番号」は誰かが「名付けた」ものであって、その存在そのものの「所有する名前」ではないです。 あくまで一表現であって、仮に別の番号形式を割り振ってていても、共通認識として通用しさえすればいいですよね。 ネーミングと言う言葉があるとおり、名は付ける物で“後から”付けられても問題無い様に、名と共に生まれる訳ではないです。 貴方は「mikaze007」と言う呼称を用いていますが、他に本名などもあるでしょう。 しかし貴方が貴方である事を「真に」証明する手段とは何でしょう。 仮に戸籍が書き換えられていた場合、貴方一人で主張しても貴方は貴方を「保障」出来ないでしょう。 証拠として別の書類や、場合によっては家族に友人に仕事の同僚に証明をしてもらわなければならない。 しかしそれはその証明をしてくれる人間が、「信用出来る」というお約束の前提で行われているだけなのです。 結局、言語は共有している人間同士の中でしか通用せず、「約束事として」使用されているものなので、前提が崩れた場合は通用しなくなります。 ですので言語では本質を伝える事は不可能です。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
物を持って来て示すのであれば、言葉は要らない。 製造番号を示して持って来るというのは、そう いう事だ(最終的に目で見て理解している)。 「言葉で表す」というのは、言葉だけによって、 イメージさせる事だ。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
mikaze007様、こんにちは。 「製造番号~の冷蔵庫」ですね。 売り切れかもしれませんよ? ・・・もし、まだ有った(約定成立!)としても、不良品だったら悪しからず。 (そこまで指定しての注文なら、「返品」も出来ないでしょう)
- kamobedanjoh
- ベストアンサー率27% (1021/3686)
お説の通りの場合もあります。 指さしても分からない場合もあります。満天の星空を見上げながら、あれが昴だよと教えても、正確に何処を指しているか分からない人も居ます。沢山の湯飲みの中から自分の愛用のものを指さしても、俄には分からないでしょう。特徴的な目印でもあれば、言葉で指示できますが。 一つしかないものなら、指さしの必要は皆無です。太陽も月も、一つしかありませんから。 言語論の前提というのが、今一つピンと来ないのですが?