• ベストアンサー

大日本帝国の戦争対策

こんにちは。 年配世代は大日本帝国の戦争対策をご存知のことと思います。 若い世代はヘタすれば全く知らないのです。師団道路とか、防空壕ですら。 大日本帝国はどのような戦争対策を取っていたのでしょうか? よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mm058114
  • ベストアンサー率30% (102/337)
回答No.4

戦争対策と一言で言っても難しいですね。 わかりやすい戦術的な事で言うと、 海軍の場合、 軍艦のバルジ内に詰める、鉄管の両側を塞いだ様な鉄管を軍艦分準備していました。 これは、被害でもしもの時に、浮力を増す為の物です。 普段は、整備の際、障害になるので、軍港の倉庫にしまわれていました。 これが、第一時出師計画、第二時出師計画で、初めて装備されました。 もう一つ、海軍の場合、特設艦船(民間船を改造して補助艦艇にする物)の設計図はできていたし、改造に際しての武器、エレベータ、クレーン等は、予め作られ、これまた軍港の倉庫にしまわれていました。 陸軍の場合 動員(戦時編成にする事)また、予備部隊の増設に関して、毎年年度毎に、人員ひとりひとりの配置計画が作られ、兵士ひとりひとりの特業(得意分野)も把握されて、更には健康状態まで調査され、配置計画がされていました。 ですから、陸軍の場合、特に師団の戦時編成化が遅かった、北海道の旭川師団、金沢師団では、臨時編成部隊ばかりが、先に編成され、2回、3回と召集された人が多い反面、第一級の師団要員は、いつまでも召集されず、不公平感が広がっていました。 また、戦時の海軍の艦隊司令官、陸軍の軍司令官要員は、軍事参議官としてストックされていました。 これらは、ひとつの戦争対策の内のひとつです。

その他の回答 (4)

noname#229784
noname#229784
回答No.5

硬貨貨幣をレアメタル(戦争継続に必要な)で製造。戦時には硬貨を紙幣と置き換えていくことにより、レアメタルを回収。 優秀船舶建造助成施設 高性能民間船舶建造に補助金を出す。有事の際に徴用して戦闘艦に改装。飛鷹(空母)など。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.3

「富国強兵」 そもそも選択肢があるなら、開国はしなかった。

回答No.2

国民総動員体制と何でも供出促進、それに節約と工夫の押しつけでした。 二度目、三度目の召集令状もありましたし、何かに付けての勤労動員(無償奉仕)が、女学校生にまで半ば強要され、従わなければ『非国民』呼ばわりされました。動員先は戦需産業、食糧増産、密集地の住宅破壊による防火帯の設定、バケツリレーによる消火訓練、竹槍での防空演習、等々、男性は重労働や危険労働。女性は工場や病院での看護実習や繊維産業、銃砲弾生産工場、大久野島での毒ガス生産現場なども有ったとか。 資源が足りない事から、金属類の供出運動も、半ば強制されました。お寺の釣り鐘、家庭の鍋釜鉄瓶、折れ釘拾いなども。食料品は米ばかりか麦、大豆などの豆類、薩摩芋始め馬鈴薯から里芋も。竹の皮(弁当など包装用等)、朝麻という雑草性小木の皮(繊維増産)、松の木の根(松根油採取)等、有りとあらゆる物が供出対象。それらの採集、搬出も小学生まで動員しての半強制。 供出とともに配給体制の確立。主食の米は勿論、塩や砂糖は家族数割り、煙草も大人の男性一人につき○本宛て有料支給でした。 夜な夜な続く灯火管制。新聞は裏表2ページ立ての縮小版。教科書の資質も悪化の一途。 『足りぬ足りぬは工夫が足りぬ』と、物不足を工夫で乗り切れと。女性達は『足りぬ足りぬは夫(おっと)が足りぬ』と、招集徴兵に陰ながら反発し、厭戦気分も広がりました。 戦争を知らぬ世代が政府与党の中心に座り、戦争する国造りに励んでいます。自民幹事長が我が県出身で空襲経験の無い片田舎の出、とはお恥ずかしい。この人達、B52の爆音を頭上に聞いたら腰抜かすだろうな。 子供の頃大阪育ちでした。ドカンドカンと爆弾の破裂音。焼夷弾で赤々と燃える工場地帯。 成人してからも、フラッシュバックするように悪夢を見ました。 空襲警報のサイレンの音、「空襲警報発令」とメガホンで叫ぶ男の声、電灯消さないとその男が怒鳴り込んできました。敵機の爆音が遠くに消えてから、申し訳のように探照灯が煌めき、赤とんぼ(海軍練習機)が飛び、高射砲の音が聞こえて、子供でも不思議に感じました。 安倍や石破はどんな戦争がしたいのか?

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.1

戦争対策って、どういう定義づけですか。「敵国が攻めてきたときのための対策」なら、質問者さんが指摘する防空壕なんかは本土爆撃が始まってから慌てて作り出したものです。 「どこかの国と戦争にならないとき(平和なとき)でも戦争が起きた時のための事前の対策」というのであれば、日本海軍の整備がそれです。日本は周囲を海に囲まれていますので、日本海軍が健在である限りは日本本土に上陸することはできません。 ただ日本は朝鮮、中国東北部(当時の言葉でいうと満州)に権益を持っていたので、そのための陸軍力も必要だったので陸軍も持っていました。 実はね、日本という国では軍隊というのは主に国内戦争のためのものだったんですよ。いわゆる平安時代と呼ばれた約800年間、日本の軍事力はほぼゼロでした。また平安時代に次ぐ平和と安定の時代だった江戸時代も、軍事力はほぼゼロです。武士は体面としては軍人ですが、実際は官僚であり、警察官程度の武装です。島原の乱が終わってから幕末になるまで、主要武器は槍と火縄銃から進化しませんでしたからね。 そして平安時代にせよ、江戸時代にせよ、朝鮮、中国王朝は日本にこれといった武装がないことを知ってても攻めてこようとはまったく思わなかったのです。わざわざ莫大な遠征費をかけてまで征服するメリットがなかったからでしょうね。