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三内丸山遺跡の6本の巨大柱は、どちらの方向を指して
三内丸山遺跡について教えて下さい。 6本の巨大柱が立っていた、と想定されるそうですね。3本が向きあって並んでいたとか。 この6本は、どちらの方向を指して並んででいたのですか? (冬至の日の入りとか、夏至の日の出とか聞いていますが)
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三内丸山遺跡の巨大列柱と太陽の方向については下記のレポートがあります。 三内丸山遺跡の六本柱と太陽 ursa.phys.kyushu-u.ac.jp/jsession/2009haru/01_sandai.pdf 上記のレポートには以下のように書かれています。(図と写真もあります) 柱の方向と日の出・日の入りの方向に2.0°のずれがあるが,私 たちは,柱の使用目的として次の仮説を立てた。 柱を建てるときは,遠くに見える地形を目印として建てた。 この六本柱の左側3本が並ぶ延長線上に,もう一本の柱または 目印となるものを作り,そこから日の出の様子を見る。普段は柱 の間から太陽が昇るのは見えないが,夏至のあたりの何日間かの み,柱6付近から昇ってくるように見える(図4)。それを夏至と いう季節の境目を理解する目安としたのではないか。(反対側から 見ると冬至がわかる) 目印になる点に,例えば7本目の柱が見つかれば,この仮説の 可能性は高まる。柱群や付近の柱跡を調べて仮説を検討したい。 青森県立青森南高等学校自然科学部
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- oska
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>この6本は、どちらの方向を指して並んででいたのですか? 地元の案内担当者に訊いたところ・・・。 1.「六本柱」は、北東を向いている。 1.冬至には、3本の柱の列の間を夕陽が沈んで行く。 1.夏至には、3本の柱の列の間から朝日が昇って来る。 余談ですが・・・。 小林達雄国学院大学教授の説では「祭殿、神殿のような高床建物や、物見櫓ではない」との事。 「諏訪大社の御柱のような、信仰の対象」だそうです。 この説に、一票。^^;
お礼
回答ありがちうございました。 この質問は、小林達雄さんの「縄文の思考」を読んでいて、疑問に陥った、のが契機でした。 その疑問とは、 <3本向かい合って並ぶ方位は、なんと夏至の日のでおよび冬至の日の入りとあやまたず一致しているのである> という記述でした。3本の柱の列の間を、冬至に、夕陽が沈んで行き、夏至には、朝日が昇って来る、ということなのでしょうが、私のコチコチに硬い頭ではまだ分かりません。申訳ありません。、 1.
お礼
早急な回答ありがとうございました。 引用して頂いた資料を読ませて頂きました。 <夏至のあたりの何日間かの み,柱6付近から昇ってくるように見える> ということですね。縄文時代の方たちは、今とは違って、夏至・冬至に深い関心を抱いていたのですね。