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第二の死とは?
第一の死は経験的な通常の死のことでしょう。この通常の第一の死からは誰しも逃れようがないことは明らかです。では、それに続く、第二の死とはなんでしょうか? 第二の死の意味がわからなければ逃れようがないのか、あるのかもわかりません。 第二の死とはどういうことあるいは意味でしょうか? 回答お待ちしています。
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No.12です 他の方々の回答を読んでみて 特殊死として、生活史全健忘(記憶喪失)がありそうですね。 経験の積み重ねで出来た今の自分が失われ、思考のパターンや知識 性格も失ったら、それは前の自分とは違う 今思考している私とは別物のような気がするので。 これはどうやったら逃れられるのか判りませんね。 宗教的?な考えでは 魂(意識?)が虚無に還ってもう二度と同じ構成で出来なくなった時 とも思ってます。 あ、記憶喪失と矛盾してる。でも宗教的な考えだからいいのか? これは逃れられるものなんでしょうか?無理な気が・・・ 他にも、別パターンで 魂が人である必要が無くなった時も宗教的には第二の死かも。 ただ与えるだけの愛情になったなら、人という枷は要らず 人格も必要ない ただそれだけのエネルギーになるんだから。 いや、どっちかというと世界に溶けたか、高位の存在になったと捉えるのかな? あ、逆に人格が無い悪意や執着 絶望の塊になっても人でいる必要が無い状態か、これなら第二の死でしょうね。 逃れるのには・・・生き方ですね・・・
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例えば、死んだオリンピック・メダリストの記録が 塗り替えられた時、とか。
お礼
回答ありがとう。 <死んだオリンピック・メダリストの記録が塗り替えられた時> とっても面白い回答ですね。 更新を死と捉えるわけですね。
- beest002
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存在を忘れられること
お礼
回答ありがとう。 <存在を忘れられること> 同じような回答がありますが、そうかもしれませんね。
- yama891
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”死”に関して、物理的な死(体力的・定義)と精神的な死なのが、あるのかです。 第一とか、第二とか・・・と言う表現は不可思議ですが。 いわゆる、”植物的人間”とは、どういう意味合いかを、考えますが。
お礼
回答ありがとう。 第二の死という表現はヨハネの黙示録20章に出てきますね。変わった表現ですし日本的な表現ではありませんね。第二の死が、”植物的人間”だとすれば、生花のようにしても良いということかな。 切ったり貼ったり自由であれば、臓器の取り出しも自由、つまり、脳死も第二の死にあたるのかな。
- a_hona
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また、別の角度からの回答になりますが、輪廻転生を前提とした場合の話です。もし、輪廻転生というものがある場合、転生する主体というものがあります。この主体がなくなって、もう二度と転生しなくなった、という表現があるときに、つまり解脱のことですが、それがあるときに、死という表現はふさわしくないですが、そこには、離れ遠ざかること、があると言えます。
お礼
回答ありがとう。 解脱はある意味の死ということですね。解脱しても転生はあるんですよ。解脱は自由になることですから、自由意思で生まれることはできるんですね。ただ、洗濯機のように機械的にぐるぐる回る輪転の転生はないということなんですね。ちょっと解脱と死は関係ないような。
- a_hona
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第二の死とは、生きている間に死ぬことだと思います。生きているのに、死んでいるようだということです。生ける屍とも言いますが、虚しく人生を過ごしてしまったなら、その人は生前から既に死んでいたと表現していいのかもしれません。
お礼
回答ありがとう。 <第二の死とは、生きている間に死ぬことだと思います。生きているのに、死んでいるようだということです。生ける屍とも言いますが、虚しく人生を過ごしてし・・> 虚しく人生を過ごさない方法を知れば第二の死から逃れられるということですね。 そうであれば、「どうすれば虚しく人生を過ごさないですむか?」という別の設問になりますね。
- dropyork
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愚かさから脱却したのなら、一つの愚かさから脱却したのなら。 愚かさに入ったのなら。一つの愚かさ入ったのなら。 賢くなったのなら、一つ賢くなったのなら。 病気になったら、回復したら。 絶望したのなら。結婚したのなら。大人になったのなら。さなぎから蝶になったのなら。 何でも言えばよろしいという言葉です。
お礼
回答ありがとう。 なるほど言葉のあやですか。
3次元の自己意識を吸収した4次元の自己意識への移行 (第1の死) 4次元の自己意識を吸収した5次元の自己意識への移行 (第2の死) てな感じかと、、
お礼
回答ありがとう。 <三次元から4次元、(第1の死)、4次元から5次元、(第2の死)> ということですね。 次元が上がることが死であれば、5次元以上もあるとすれば、(第3の死)・・、(第Nの死) もありそうですね。死というより覚醒ですね。表現の違いだけでしょうか。
- Nakay702
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>第二の死とはどういうことあるいは意味でしょうか? ⇒以下のとおりお答えします。 「生きながら死んでいる」という表現があります。人間としての心の働きを失って生きている、すなわち、動物的に「息だけしている」状況を言うのでしょう。これぞまさしく「第二の死」ではないでしょうか。いや、むしろ逆に、これが「第一の死」で、肉体の死のほうが「第二の死」かも知れません。 そして、この息だけをしながら生きている(いや、死んでいる)状況から逃れようともがくことこそ、「生きていることの証し」でありましょう。さらに、これが、肉体の死のあとに得られる(かも知れない)「第二の生」、すなわち、「精神の復活」を願う者にとって最低限の条件ではないか、とこのように考えます。 しかし、こう考えると、本当に「人間を生きる」ことはそうたやすいことではないように思われてきます。「無関心は最悪の罪だ」とノーベル平和賞受賞者のエリ・ヴィーゼルは語りましたが、私は日々その罪を犯しているような気もします。ふだん、他人の不幸、世界の友好、人類の幸福などに対していかに無頓着に過ごしているか…。「生きながら死んでいる」、あるいは、「死にながら生きている」。そんなところかも知れません。(脂汗) おっと、ご回答のつもりが、自戒の弁になってしまいました。このご質問に感謝します。
お礼
回答ありがとう。 <人間としての心の働きを失って生きている、すなわち、動物的に「息だけしている」状況を言うのでしょう。これぞまさしく「第二の死」ではないでしょうか。いや、むしろ逆に、これが「第一の死」で、肉体の死のほうが「第二の死」かも知れません。> 第二の死とは人間としての心が死んでいるということですね。現代では人間も動物もさほどかわりがないように見えますが、人間と動物を分ける心とは何ぞやという別の設問なってしまいますね。 余談ですが、「永遠のゼロ」の主人公は生きようともがくも、自身を助けた者の代わりに特攻機で空母に体当たりしましたが、この主人公には第二の死はないということですね。私も彼らがそのようであったと思いたいですね。
- 雪中庵(@psytex)
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人は、肉体的な死のみを、死だと考える。 しかし、本来自我成立のための必要として、自我仮説 (記憶=過去=時間軸)と時空仮説(予測=未来=空間軸) の相補分化として派生する世界を、本質的に認識せず、 神や金といった外的権威に依存して低認識のまま満足し、 他律的に生かされる時、意識としての世界は希薄化し、 精神的に死にゆく。 もう1つの死だと言えるだろう。
お礼
回答ありがとう。 <意識としての世界は希薄化し、精神的に死にゆく。> 自我意識の死が第二の死ということですね。 自我意識は死後も存在しそうなので、そうであれば第二の死の心配はいらないのかもしれませんね。
- guess_manager
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人の記憶から忘れ去られた時でしょう。 50回忌を行うともう法要されなくなることがありますが、偉人は別として、50年前に死んだ人のことを思い出すことはほとんどありません。 このようなときを迎えることを、第2の死と称するのはちょうど良いように思います。 しかし、聖書では全く違う意味とされています。生が2つ、死が2つあり、第一の死(肉体の死)の後、神を信じないものは地獄(ゲヘナ)に投げ込まれ、本当の死つまり魂の死を迎えます。しかし、神を信じるものにとってはこの炎は権威がなく、永遠の命を得るとされています。 http://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E8%81%96%E6%9B%B8/nwt/%E5%90%84%E6%9B%B8/%E5%95%93%E7%A4%BA/20/#v-14 ただ、これを普通に口にする人はエ●バの証人が多いので注意が必要です。
お礼
回答ありがとう。 <人の記憶から忘れ去られた時でしょう。> そうかもしれませんね。 本人にしてみれば忘れられないようにしたいのかなあ? 忘れてもらったほうがいいですけどね。 <聖書では全く違う意味とされています。> そうですね。黙示録20章に「第二の死」がありますが、これも意味がさほど明確ではないですね。
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お礼
再度の回答ありがとう。 <いや、どっちかというと世界に溶けたか、高位の存在になったと捉えるのかな? あ、逆に人格が無い悪意や執着 絶望の塊になっても人でいる必要が無い状態か、これなら第二の死でしょうね。> そうなんです。この設問の皆様の回答の全てに一片の真理が含まれていると信じて考えると、 精神性が向上した状態(アッセションの状態)あるいは精神性が後退した状態(リッセションの状態)のどちらかを第二の死と言っているように思えます。これは見方が相対的だけのことですからどちらでもいいことですね。つまり、「第二の死」とは単に「精神性の状態」を表す言葉(標語)として使用されているだけであるように捉えるものかなと。そうであれば「死」に意味はなくなりますね。 黙示録のヨハネはかなりネクラの人物のようですからあえて言葉として、「第二の死」を使っただけではないかと思うに至りました。 日本では、「善人は死後、天国に行く、あるいは天国に生まれる。」「悪人は死後、地獄に行く、あるいは地獄に落ちる。」といいますね。このうち。「地獄に落ちる。」の標語が「第二の死」となっているだけなら納得はできますね。死後のことですから、「天国に生まれる。」「地獄に生まれる。」そのどちらでもない「彷徨える」状態がありますね。まあ、なんにもなくなる状態があってもいいですね。 そうであれば、当然「善人としての生き方が逃れる方法ですね。」 これは、中国の鳥か禅師が白楽天の質問に答えた天国に生まれる方法と同じ答えになりますね。