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★西南戦争について★
西郷隆盛はなぜ、時の政府に反抗したのですか? その主原因は?・・・
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西郷は薩長同盟で桂小五郎(木戸孝允)と握手して同盟成立に関わった なのに自分は明治新政府の役職に就けなかったからです(ちなみに桂小五郎は内務大臣になりました) 新政府は薩摩を危険因子とみなして薩摩の志士を新政府の役職に就けることを拒んだとも言われます 西郷の決起はそのためです
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- ninoue
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次のサイトが詳しいので参照下さい。 http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/ http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/syougai.htm 西郷隆盛の生涯 西郷の遣韓論 西郷の下野から西南戦争勃発まで 西郷は朝鮮との関係を武力ではなく平和的な交渉で解決しようとした事、(征韓論) 下級官吏ではなく自分が渡航して平和裏に解決する自信があるとした事、(遣韓論) 一度は他の閣僚もその考えにより解決するのが良いのではと同意した事、 (しかしその後西洋から帰国した岩倉等の考えで情勢は変ったとの事です) (西郷の帰国と私学校設立) >>岩倉の腹黒い術策で遣韓論を潰された西郷は、明治6(1873)年10月23日、辞表を提出し、鹿児島へと帰郷しました。 中央政府の密偵が鹿児島に潜入し、情勢を探ったり、西郷の暗殺を企んでいるのではないかと疑われた事、 私学校の一部の生徒が密偵の動き等に反抗して騒動を起こした事、 田舎で田畑を耕したりして静かに暮らしていた西郷は、私学校の生徒の心情も分り反乱分子として差し出す等は出来ず、 理不尽な明治政府に反対する動きに巻き込まれて行動を共に起こす形になった。 明治政府の一部の勝手な動きを正常な状態に戻したいとの考えはあったにせよ、自分から反抗したりした訳ではない。 等の事が書かれています。 本当は西郷隆盛のような人が明治政府の中心に関与されていたら、明治維新はもっと平和裏に進んでいたのではと考えられます。
補足
もし、西郷さんが生きていたら、その後の日清,日露戦争も、第一次世界大戦も、第二次世界大戦の悲惨さも、避けられていたのかもしれませんね?・・・・・・・・・・・・・・・