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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「です・ます体」と「である体」の説明に誤りが…)

「です・ます体」と「である体」の誤解について

このQ&Aのポイント
  • 「です・ます体」と「である体」の説明に誤りがあるという疑問が浮かびました。
  • 「いますぐ本を書こう!」(ハイブロー武蔵・著)には疑問を感じる記述がありました。
  • 「です・ます体」では名文エッセイを書くことができるとされる一方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマに書く場合は「である体」が無難とされています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.32

#31です。 >正 解 (←「エッセイを書きたいあなたに」) ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。 : ありがとうございます。 なるほどですね。 興味深く拝見いたしました。 結局、木村氏は、 エッセイを書く際の手法として、「である体」が無難であることの直接的な理由を述べたかったのではなく、「です・ます体」を使うことによる危険性のほうを強調したかったのでしょうね。 >「ただでさえ」という文章においては、その後に続く言い回しは限定されます。 「ただでさえ・・・である(肯定)」とくれば、その後は「・・・である(肯定)」と続きます。 「ただでさえ・・・でない(否定)」とくれば、その後は「・・・でない(否定)」と続きます。 : この点に関しては異論があります。 たとえば、 『他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかという。 なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが増幅されることがないからだ』 であれば、特に違和感は生じないでしょう。 または、前回も述べましたが、(「です・ます体」によって)のように()を付けるだけで十分自然な文になると思います。 仮に木村氏が、「である体」が無難であることの理由を直接的に述べたかったとすれば、このような文になったことでしょう。 いずれにせよ、一段落を迎えたようで喜ばしいことです。 muimusakuさんの粘りが功を奏したのでしょう。 こちらは却って勉強させていただきました。 ありがとうございます。        

muimusaku
質問者

お礼

hakobulu さんには全回答数36のうち、15件の回答を頂きました。 お手数をおかけして申し訳ありませんでした。 おかげさまで何とか解決しました。 ありがとうございました。

muimusaku
質問者

補足

>ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが増幅されることがないからだ 違和感を感じるのですが、どうしてでしょうか。 A. 「ただでさえ…になりがち」である ⇒「です・ます体」を用いればさらにそれが強調される(増幅される) と言いたいのであれば、 >ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」により増幅される(されかねない)からだ。(例文A) となるかと思います。また、 B. 「ただでさえ…になりがち」である ⇒「である体」を用いればそれは抑制される(増幅されない) と言いたいのであれば、 >ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「である体」により増幅されないからだ。 となるかと思います。(例文B) しかし、「ただでさえ」を用いた文章としては例文Aの方が私にはしっくりきます。 かつて、「まったく」とか「全然」とかの言葉は、その後に否定形を伴うと言われていました。しかし、現在はそういう約束事はないようです。これと同じように、「ただでさえ」についても決まった用法はないということなのかもしれません。 >いずれにせよ、一段落を迎えたようで喜ばしいことです。 確かに、大きな関門は突破できたかと思います。皆さんのご協力のおかげです。

その他の回答 (35)

回答No.15

単に誤植しているだけな気がしますが・・・。 出版社からの回答はどうだったのでしょうか?

muimusaku
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 著者のハイブロー武蔵氏には、別の著書についてもその誤記を指摘しました。指摘して10日経つのですが、まだ回答はありません。私は、時間が経っても回答はあると思うのですが、さて…。 別の著者についても私はその著書の表記の間違いを指摘しました。そうしたところ、その著者からはすぐに(その日に!!)回答がありました。それは、「文章がヘタですみません。こんなわけがわからんことを書いていてはいけませんね」という回答でした。

muimusaku
質問者

補足

>単に誤植しているだけな気がしますが・・・。 確かにそうだと思います。しかし、誤植はプロの編集者として恥ずべきことです。そういう認識が薄れているのではないかと、私は危惧します。注意して読むとおかしな記述の本は少なくありません。 訳のわからない本は、読者の貴重な時間を奪います。「これでわかるだろう」という安易な気持ちで書いているからこそ訳のわからない本が溢れることになってしまいます。 >出版社からの回答はどうだったのでしょうか? 今日、メールで回答がありました。「から」の重複は確かに好ましくないと言っていました。「増幅されない」の件は、著者に指摘があったことを申し伝えると言っていました。著者から直接の回答があれば著者を再評価できるのですが、さて……。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.14

#12です。 >最大の問題点は、「である体」が無難であることを説明するうえで、その根拠を、女性特有の「感傷的に自分本位になりがちなトーン」が【「です・ます体」によって増幅されない】としている点です。 : なるほど、ここが一番の疑問点でしたか。 >【「です・ます体」によって増幅されない】とは、「です・ます体」を使えば、女性特有の「感傷的に自分本位になりがちなトーン」が強調されないという解釈になります。 : 全くおっしゃるとおりです。 >強調されないのならば、「です・ます体」を使って何ら支障はないはずです。 : ある面では、これもおっしゃるとおりでしょう。 先ごろ回答したことのある質問から連想して例文を作ってみますと、 『警官が職務質問するときには、「です・ます体」が無難ではないかと彼は主張する。 【なぜなら、ただでさえ威圧感を持たれがちな警官のイメージが「である体」によって増幅されないから、】という理由によってだ。』となります。(読みやすくするため、後半の「から」は「よって」に置き換えています) この文は、 『ただでさえ威圧感を持たれがちな警官のイメージが「である体」によって増幅されないから、という理由によって、警官が職務質問するときには、「です・ます体」が無難ではないかと彼は主張する。』と同じ意味であることがおわかりいただけると思います。 同様に、 『女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかと(木村氏は)言う。 【なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから】という理由によってだ。』は、 『【ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから】、という理由によって、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないかと(木村氏は)言う。』と同じ意味になるでしょう。 【「です・ます体」を使った場合のように増幅されることはない】⇒だから【女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないか】と木村氏は言っているわけです。 『「です・ます体」を使う場合のように強調されないから、「である体」を使うのが無難』という意味です。 >「です・ます体」では支障がある(増幅される)から(増幅されない)「である体」を使うべきと、木村治美氏は言いたいのではないのでしょうか。 そうであるのなら、 (誤) 「です・ます体」によって増幅されないから (正) 「です・ます体」によって増幅されるから もしくは、 (誤) 「です・ます体」によって増幅されないから (正) 「である体」によって増幅されないから ではないでしょうか。 : なるほど。 これ一理ありますね。 「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、すべらないから」 「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、すべるから」 がどちらも正しいのと似ていると思います。 ただ、前者は、 「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、【スパイク付きの靴は】すべらないから」 「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、【冬道は】すべるから」 という意味になるでしょう。 着目している視点が異なっています。 原文の場合は、 『女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないか。 なぜなら、【「である体」は、】ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから、という理由からだ』 という意図になります。 質問者さんの説の場合、 『女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないか。 なぜなら、【女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、】ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されるから、という理由からだ』 という意図になるでしょう。 理屈としては、どちらも間違ってはいないと思います。 ただ、冬道の例のように、着目している視点が異なっています。 前者は「である体」に着目していることになりますし、後者は「女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くとき」に着目しています。 「である体」が無難である理由について述べている文である点では同じですが、どちらに着目するほうが自然か、という問題になりそうです。 ここで、前の文を確認してみると、 『「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は、評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないかと述べておられる。』という内容ですから、この筆者は、「女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くとき」についてではなく、「である体」と「です・ます体」を比較する意図があったことがわかります。 ということで、 『「です・ます体」によって増幅されるから』 ではなく、 『「です・ます体」によって増幅されないから』という原文のほうが適切、ということになると思います。 つまり、質問者さんが、『「です・ます体」では支障がある(増幅される)から(増幅されない)「である体」を使うべき』とおっしゃるのは、全くそのとおりなのですが、その意図を表現するためには、「です・ます体」によって増幅されるから』という表現は使わないほうが適切だろう、ということになります。 『「である体」によって増幅されないから』という説の場合については、 『「である体」が無難である理由として、「である体」によって増幅されないから』という構文になるため、不自然な印象になってしまうでしょう。 案外、奥の深い問題でした。    

muimusaku
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 以下、補足します。 >つまり、質問者さんが、『「です・ます体」では支障がある(増幅される)から(増幅されない)「である体」を使うべき』とおっしゃるのは、全くそのとおりなのですが、その意図を表現するためには、「です・ます体」によって増幅されるから』という表現は使わないほうが適切だろう、ということになります。 よくわかりません。私の解釈を認めているのに、別の解釈をしていることに違和感を抱きます。そこに論理的な整合性を見出すことができません。

muimusaku
質問者

補足

>「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、【スパイク付きの靴は】すべらないから」 >「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、【冬道は】すべるから」 この例の場合、【スパイク付きの靴は】とか【冬道は】という表記があるために理解するのに何らの支障もありません。理解できないのは、必要な説明がないからです。言葉足らずだからです。 書き手はわかっていても、読み手はわからないことは山ほどあります。「わかるだろう」という思い込みがあるために必要な説明を省略してしまいます。書き手と読み手の情報が一致しなければ理解するのは無理というものです。専門家にとっては常識であるからといって、専門用語を駆使した説明で素人が理解できるはずはありません。 私たちは、相手が知らないというケースがあることを考えて説明する必要があります。どこまで詳しく説明すればいいかという問題はありますが。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.13

#12です。 >最大の問題点は、「である体」が無難であることを説明するうえで、その根拠を、女性特有の「感傷的に自分本位になりがちなトーン」が【「です・ます体」によって増幅されない】としている点です。 : なるほど、ここが一番の疑問点でしたか。 >【「です・ます体」によって増幅されない】とは、「です・ます体」を使えば、女性特有の「感傷的に自分本位になりがちなトーン」が強調されないという解釈になります。 : 全くおっしゃるとおりです。 >強調されないのならば、「です・ます体」を使って何ら支障はないはずです。 : ある面では、これもおっしゃるとおりでしょう。 先ごろ回答したことのある質問から連想して例文を作ってみますと、 『警官が職務質問するときには、「です・ます体」が無難ではないかと彼は主張する。 【なぜなら、ただでさえ威圧感を持たれがちな警官のイメージが「である体」によって増幅されないから、】という理由によってだ。』となります。(読みやすくするため、後半の「から」は「よって」に置き換えています) この文は、 『ただでさえ威圧感を持たれがちな警官のイメージが「である体」によって増幅されないから、という理由によって、警官が職務質問するときには、「です・ます体」が無難ではないかと彼は主張する。』と同じ意味であることがおわかりいただけると思います。 同様に、 『女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかと(木村氏は)言う。 【なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから】という理由によってだ。』は、 『【ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから】、という理由によって、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないかと(木村氏は)言う。』と同じ意味になるでしょう。 【「です・ます体」を使った場合のように増幅されることはない】⇒だから【女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないか】と木村氏は言っているわけです。 『「です・ます体」を使う場合のように強調されないから、「である体」を使うのが無難』という意味です。 >「です・ます体」では支障がある(増幅される)から(増幅されない)「である体」を使うべきと、木村治美氏は言いたいのではないのでしょうか。 そうであるのなら、 (誤) 「です・ます体」によって増幅されないから (正) 「です・ます体」によって増幅されるから もしくは、 (誤) 「です・ます体」によって増幅されないから (正) 「である体」によって増幅されないから ではないでしょうか。 : なるほど。 これ一理ありますね。 「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、すべらないから」 「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、すべるから」 がどちらも正しいのと似ていると思います。 ただ、前者は、 「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、【スパイク付きの靴は】すべらないから」 「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、【冬道は】すべるから」 という意味になるでしょう。 着目している視点が異なっています。 原文の場合は、 『女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないか。 なぜなら、【「である体」は、】ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから、という理由からだ』 という意図になります。 質問者さんの説の場合、 『女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないか。 なぜなら、【女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、】ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されるから、という理由からだ』 という意図になるでしょう。 理屈としては、どちらも間違ってはいないと思います。 ただ、冬道の例のように、着目している視点が異なっています。 前者は「である体」に着目していることになりますし、後者は「女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くとき」に着目しています。 「である体」が無難である理由について述べている文である点では同じですが、どちらに着目するほうが自然か、という問題になりそうです。 ここで、前の文を確認してみると、 『「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は、評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないかと述べておられる。』という内容ですから、この筆者は、「女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くとき」についてではなく、「である体」と「です・ます体」を比較する意図があったことがわかります。 ということで、 『「です・ます体」によって増幅されるから』 ではなく、 『「です・ます体」によって増幅されないから』という原文のほうが適切、ということになると思います。 つまり、質問者さんが、『「です・ます体」では支障がある(増幅される)から(増幅されない)「である体」を使うべき』とおっしゃるのは、全くそのとおりなのですが、その意図を表現するためには、「です・ます体」によって増幅されるから』という表現は使わないほうが適切だろう、ということになります。 『「である体」によって増幅されないから』という説の場合については、 『「である体」が無難である理由として、「である体」によって増幅されないから』という構文になるため、不自然な印象になってしまうでしょう。 案外、奥の深い問題でした。    

muimusaku
質問者

お礼

補足に間違いがありました。 >(誤) 「です・ます体」では支障がある(増幅される) >(正) 「です・ます体」では増幅されない。 >すなわち、エッセイを書くのには喜怒哀楽の感情を増幅できる「である体」が適していると、著者は言いたいのだと思います。 「です・ます体」では増幅される、と言うべきでした。増幅されないのは「である体」でした。だからこそ、「ただでさえ」云々という言い方が成立する訳です。私はその解釈が不十分でした。 なにはともあれ、解釈を巡って混乱したのは著者(ハイブロー武蔵氏)の記述にミスがあったためでした。著者の釈明を求めたいと思います。 回答ありがとうございました。

muimusaku
質問者

補足

>『「です・ます体」では支障がある(増幅される)から(増幅されない)「である体」を使うべき』とおっしゃるのは、全くそのとおりなのですが、 とんでもない勘違いをしていました。 (誤) 「です・ます体」では支障がある(増幅される) (正) 「です・ます体」では増幅されない。 すなわち、エッセイを書くのには喜怒哀楽の感情を増幅できる「である体」が適していると、著者は言いたいのだと思います。 なぜ、こういう勘違いをしてしまったかというと、著者の文章がどうにでも解釈できるものだったからです。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.12

#6です。 補足を拝見しましたので、再度おじゃまいたします。 前にある、 『「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は~~と述べておられる』 『他方、~~という』 という二つの文と合わせてお考えになるとわかりやすいと思います。 「~と述べておられる」 「~という」 という表現は全て、木村治美氏の言ったことを引用、または要約していることを示しています。この部分が木村氏の言葉でないのと同じで、 「~という理由からだ」も木村氏本人の言葉ではありません。 もし、そうなら、「~という理由からだ、と述べておられる(という)」のように表現する必要があるでしょう。 ですから、調べるまでもなく、 『なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから』の部分だけが木村氏の言葉なのです。 木村氏は、 【評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないか。 他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないか。なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから】 と言っているわけです。(むろん、本当にそう言っているのかどうかを調べても良いでしょうが、それは今回のご質問とは別の問題になるでしょう) その内容を紹介する文としては、ご質問文にあるような表現になる、ということです。 繰り返しで恐縮ですが、「理由からだ」は「理由によって」と読み替えるほうが解釈しやすくなるでしょう。 「~という理由からだ」は、 『~という理由から(~という理由によって)、【評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないか。】また、【他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないか】と木村氏は述べておられるの だ』 という文を略したものなのです。 「から」の重複が好ましくないのは言えてますが、間違いではありません。   

muimusaku
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございました。 (補足)  よくよく考えてみたところ、私はとんでもない勘違いをしていました。著者が言おうとしていることは、以下のとおりではないでしょうか。 女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難 (その理由) ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから  ↓ 「です・ます体」では増幅されない  ↓ 「である体」では増幅される  ↓ 増幅されたほうがいいので、「である体」が無難 しかし、このように解釈しても、疑問は残ります。それは、「ただでさえ・・・」の箇所です。私は「おかしい(表現が不適切、もしくは言葉足らず)」と思います。

muimusaku
質問者

補足

「から」の重複はたいした問題ではありません。重複しても意味は通じます。 最大の問題点は、「である体」が無難であることを説明するうえで、その根拠を、女性特有の「感傷的に自分本位になりがちなトーン」が【「です・ます体」によって増幅されない】としている点です。 【「です・ます体」によって増幅されない】とは、「です・ます体」を使えば、女性特有の「感傷的に自分本位になりがちなトーン」が強調されないという解釈になります。 強調されないのならば、「です・ます体」を使って何ら支障はないはずです。「です・ます体」では支障がある(増幅される)から(増幅されない)「である体」を使うべきと、木村治美氏は言いたいのではないのでしょうか。 そうであるのなら、 (誤) 「です・ます体」によって増幅されないから (正) 「です・ます体」によって増幅されるから もしくは、 (誤) 「です・ます体」によって増幅されないから (正) 「である体」によって増幅されないから ではないでしょうか。

  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.11

 最近よくやる「見落とし」がありました。 >なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。  なぜなら「である体」ではそれ以上強められることはないという理由です。 とするか、  なぜなら「です・ます体」による増幅作用のごときものがないという理由です。  「から」の問題より、こちらの方が、誤解を招きそうな問題でした。  

muimusaku
質問者

お礼

>なぜなら「である体」ではそれ以上強められることはないという理由です。 著者(ハイブロー武蔵氏)が言いたいことはそういうことだと思います。 しかし、著者は、木村治美氏の文章を引用するのに間違った引用をしています。さらには、「から」という言葉を重複して使っています。これも極めて不適切です。 (誤)ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 (正)ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。

  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.10

全く、質問者のおっしゃるとおりです。  「です・ます」体で文芸批評を書いた、中村光夫氏を思い出しました。 この 『なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。』 は木村治美氏ではなく、その人を紹介した ハイブロー武蔵氏の言葉でしょう。  最初の「から」は理由を表す用法でしょうが、続いて「という理由からだ」というのは完全に余分ですね。前の「から」は小林氏の「から」、後ろの「から」は武蔵氏の「から」という使い分けでもなさそうです。自分の判断の理由は「ここ<から>来ている」とでも言いたかったのでしょうか。  それから、女性には「です・ます」体がふさわしく無いと言うことにも賛成ではありません。

muimusaku
質問者

お礼

ご理解ある回答ありがとうございます。 >木村治美氏ではなく、その人を紹介した ハイブロー武蔵氏の言葉でしょう。 まさしくそうだと思います。木村治美氏の本にどう書いてあるか検証したいと思います。

  • CC_T
  • ベストアンサー率47% (1038/2202)
回答No.9

no.2です。 『ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから』という理由から(、「である体」が無難)だ。 という文章です。 目くじら立てるほどのこっちゃない。

muimusaku
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 著者(ハイブロー武蔵氏)は、木村治美氏の文章を引用するのに間違った引用をしていました。さらには、「から」という言葉を重複して使っています。これも極めて不適切です。 (誤)ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 (正)ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。

muimusaku
質問者

補足

>目くじら立てるほどのこっちゃない。 いや、問題のある文章だと思います。 >「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 確かにこれは、「である体」が無難であることを説明しています。 この文章に問題があるのは、「です・ます体」によって増幅されないということが、「である体」を用いる理由になっていないからです。論理展開に無理があるからです。 「である体」が無難であると言いたいのなら、ここは次のように言うべきです。 >「です・ます体」によって増幅されるからという理由からだ。 すなわち、「増幅される」と書くべきところを、「増幅されない」と書いているために訳のわからない文章になっています。極めておろかなミスと言わざるを得ません。

  • caf-caf
  • ベストアンサー率64% (1414/2208)
回答No.8

5、訂正ですね。 このエッセイストは、評論や論説には「です・ます体」が良いが、エッセイは増幅されないほうが良いから、「である体」のほうが無難だと述べています。 ↑増幅しちゃったほうが良いから、「です・ます体」ではダメ、「である体」のほうが無難ということでした。 ややこしくなってきてしまいました。すみません。訂正いたします。

muimusaku
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

muimusaku
質問者

補足

訂正ありがとうございました。 本当にわかりにくい文章だと思います。

  • caf-caf
  • ベストアンサー率64% (1414/2208)
回答No.7

5です。追記です。話し言葉に換えてみました。一部、不適切な言い回し(じゃんね、等)は、ご理解ご了承ください。 >「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は、評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないかと述べておられる。 木村さんは、評論や論説は「である体」だからカチンとくるのよ、「です・ます体」にすれば良いのにね、と言っていた。 >他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかという。 その一方で、エッセイは、「である体」のほうが良いよね、と言っている。 >なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 なぜなら、ただでさえ甘いトーンが、「です・ます体」では増幅されないもんね。だから、「である体」で増幅しちゃったほうが良いじゃんね。 評論や論説は「である体」だから、トーンが増幅されていてカチンときちゃう。だから「です・ます体」にすれば良いのにね。 エッセイは、「である体」にして、増幅しちゃえば良いのよ。そのほうが、無難でしょ。

muimusaku
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 木村治美氏の本を読んでみた結果、ハイブロー武蔵氏が間違って引用していることが判明しました。

muimusaku
質問者

補足

>なぜなら、ただでさえ甘いトーンが、「です・ます体」では増幅されないもんね。だから、「である体」で増幅しちゃったほうが良いじゃんね。。 これは正しくありません。女性の高揚した感情は、「です・ます体」では余計に増幅されます。ですので、それを抑制するために、「である体」にした方がいいと、著者は言いたいのです。 著者(ハイブロー武蔵氏)は、木村治美氏の文章を引用するのに間違いを犯しました。「から」という言葉の重複も不適切です。 (誤)ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 (正)ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.6

たしかに、一見すると間違いやすいですね。 わたしも若干迷いました。 要点は二つあります。 まず、「から」の二つの用法が使われていることに留意されるとよろしいかと思います。 「増幅されないから」の「から」は理由・原因を表わす接続助詞ですが、「理由からだ」の「から」は、「~によって」という意味の格助詞です。 『なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由によってだ』 という意味なので誤りではありません。 次に、この文は、木村治美氏の主張を紹介している文であって、著者本人の主張ではない、という点にも留意すると、さらにわかりやすくなります。 『【なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから】という理由からだ』という構文です。 【】内は木村治美氏の見解で、「という理由からだ」が著者の言葉になります。

muimusaku
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 hakobulu さんから11件の回答を頂きました。 「引用に間違いがあるかもしれません」と補足に書きましたが、その通りの結果になってしまいました。 おかげさまで問題は解決しました。 ありがとうございました。

muimusaku
質問者

補足

木村治美氏の本を読んでみたいと思います。 もしかしたら、引用に間違いがあるかもしれません。

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