>死んだら無という価値観が支配的になったのはそれぞれいつごろでしょうか
なぜ支配的になっているとお考えになられましたか?
もし、支配的であれば、臓器移植に関する法の制定に当たって紛糾することはありませんでした。
質問者さんが、日常的にそのように感じておられるのであれば、人の死が身近なものでなくなった昭和50年代以降の日本の社会現象の結果でしょう。
このころから、核家族化が進むと同時に、人は自宅ではなく病院で死を迎えるようになりました。
現在の若者の大半は、死体を目にしたことも、触れたこともないのではないのでしょうか。
まして、肉親の臨終に立ち会うなどという経験はほぼ皆無かと思います。
現在の若者達が知らされるのは、医療関係者が処置した後です。
御質問者ご自身は如何でしょうか。
世界的には、人々にとって親族の死は極めて身近なできごとです。
死=無とは受け取りません。
これで済むのであれば、宗教による補助を必要としなくなります。
>無の解釈、空間や入れ物自体が存在しないという概念の登場時期はいつでしょうか
「無」という言葉をこのように解釈した例は寡聞にして知りません。
「存在」とはなんぞや、という議論は存在論と呼ばれギリシャ時代から今日まで続いています。
「存在」と「無」という言葉を同時に使った例としては、1943年1にサルトルが発表した「存在と無 - 現象学的存在論の試み - 」という書籍があります。
仏教哲学で使われる「無」という言葉の意味は、ご質問のような内容ではありません。
参考までに、下記の書籍に目を通されることをお薦めします。
死生観を問い直す 広井良典 ちくま新書
般若心経を読む 水上勉 PHP文庫
お礼
本の具体的な名前をありがとうございます。