※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:欲望を断ち切るということは 死ぬということですか?)
欲望を断ち切るということは死ぬということですか?
このQ&Aのポイント
欲望を断ち切るということは、死と向き合うことですが、何かをしたいという欲望に支配されているということです。
死ぬことについて、それを罪とするのではなく肯定する意見があり、その死ぬことが罪ではないという概念を学びたいです。
自分が末期で1年も寿命がないと考えると心が軽くなり、その1年で何をするか考えることができます。
欲望を断ち切るということは 死ぬということですか?
今、世界で唯一わたしを気にかけてくれている存在
無償の愛情をあたえてくれる存在である 猫が激痩せしてきて もうすぐ死ぬかもしれません
猫が死んですぐ私もしねば、一緒にこの世を離れることができて
死ぬことへの怖さも薄れますしという考えおあり、この猫がしんだら、
私も死のうとおもっていたのですが、
いざこれからしぬことを考えると
たとえば、連載している漫画の続きなどが、少しきになったり、
貯金も60万円ほどあり、全部使ってからというような未練というものといえばいいのでしょうか
そうした、いやらしい欲望のようなものを感じ、
私も一緒に行こうと(死のう)いう気持に葛藤というものが生じています
そのほか、打算的なことや恐怖感など 様々なことをグルグルかんがえています
こうした質問で、
その猫の分まで生きなさいなど、キレイ事のような回答がありますが
結局、生きるということは、何かをしたいという欲望に支配されているということですよね?
私は今のところそうした解釈があるので
死ぬことについて、それを罪とするのではなく肯定する意見がある人に
その死ぬことが罪ではないというような概念を教えて欲しいのです
できれば、「さっさと死ね」など この質問で生まれた苛立ちをぶつけるような回答は避けてもらい
あなたの、この質問に対しての価値観を、死にたいしてのご意見をいただけたらありがたいです
また、最近、がん患者さんの回答などをみて、自分が末期で1年も寿命がないことを考えたら
非常に心が軽くなったことを覚えております
(スイスで外国人安楽死の受け入れがあるため痛みなどにも恐怖せず
また 神様が定めたという 自殺ではない解放されたという感覚を抱いたためです)
その1年で自分は何をするかなど 少し想像したりしていましたが、
もし、皆さんでしたら その残された1年で何をしますか?
この回答に関しては、「いつもと変わらない日々を過ごす」というよくある意見については
必要ありません
じぶんが1年後に死ぬという 死と向き合って
残された時間で コレがしたい という渇望が、何か未練がある方だけご回答よろしくお願いします
お礼
自分の頭の中にない、不意を突かれるようなご意見でした 頭の中で炭酸がシュワシュワっとしたような 質問して良かったです 回答ありがとうございました