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永遠の0と若い世代について
- 映画『永遠の0』についての感想と若い世代への伝えたいメッセージ
- 若い人たちに戦争の真実を伝える永遠の0の意義と違和感
- 戦争について知らない若い世代への問いかけと謝罪
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは、午後の講義まで少しばかり時間がありますので、お話ししてもよろしいでしょうか? 今回の『永遠の0』に何か僕はいや~な感じもしています。これは僕自身の印象ですので誰にも非難される筋合いもありません。 こうしたことからお解りのように、貴方も他の同年代の女子学生達の感想を批判する権利などもありません。一つの作品をどの様に読み解かねばならないなどとの杓子定規的な基準が何処にもないのですから当然の話です。 こうした前提を踏まえて一つ気になることは「知覧に行った」ものの、その対極に位置する「無言館」には脚を運ばれたことかあるでしょうか、或いは劇団四季による『昭和の三部作』『聞け わだつみの声』のような作品に接したり、沖縄にある「平和の礎(へいわのいしじ)」を訪ねたことはあるでしょうか。そうした作品や施設からも戦火に散った様々な人々の声を聴くことができます。 そうした意味からすれば、僕は貴方の意見も一方的なものではないかな?とも感じます。僕はむしろ高木敏子さんの『ガラスのうさぎ』や『ベアテの贈り物』のような作品を観ていただきたいと存じます。 『ミュージカル李香蘭』の二幕目に登場する青年兵士達のモノローグのシーンを観る度に、僕はいつも涙します。それは知覧のようなものではなく、本当ならば日本の将来を背負って立つべきかけがえのない財産を無意味に戦火に散らせてしまったことへの悔悟と同時にそうした過去に対して日本人自らが未だに正面から向き合おうともしない無責任さに対する心底からの怒りを感じるからでもある。 貴方が「軽い気持ち」と同世代に対する違和感を持つことと同様、僕も貴方に対し「これ以外は認めたくない」との何か固執しようとする偏狭さに危うさを感じてもしまいます。 先ずは「あの戦争をどう評価するか」との問いを自ら立てた上で、それに関する膨大な史料を集めそれを自らで読み整理することからお始めになることをお勧めします。『永遠の0』も『ミュージカル李香蘭』も一人の作家や脚本家による評価が入った作品ですから、事実そのものとは異なりもします。事実はどうなのか、そうした調べものをするための取り掛かり口とはなりますが、それが「全て」ではありません。
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- chiha2525
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素晴らしい感性を持っておられると思います。 戦前までは、自分が正しいと思うことを言うだけで殺されていた時代が続いてきたのです。なので、例えそれがどんな意見であったとしても、それを言う自由を与えよう、ということになり、平和ボケした者が「朝鮮人を殺せ、中国人を殺せ」と言っても、それだけでは捕まらなくなりました。 愛の反対は憎しみではなく無視・無関心である、とは良く言われます。平和を語りたいと思ったときには、まず平和に関心を持ってもらわなければ、他の人には届かないものです。そういう目で見れば、この映画は決してウソを広める悪いものではないはずです♪ 見てもないし見ることもない者の意見ですが、参考まで。
- eroero1919
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戦後を知る私の父は、昨今のこの永遠の0ブームを見て、「今の人は知らないけど、戦後すぐは『特攻くずれ』といって元特攻隊なんてロクなもんじゃなかった」といってますよ。 実際に当時「特攻くずれ」という言葉があって、彼らのうちの一部が「愚連隊」となって、まあ今でいうところの「半グレ」って連中だったんですよ。 特攻隊員だった人たちは「もう俺たちは死んだようなものだ」という気持ちでいたんですね。死刑囚みたいなものです。それが戦争が終わって死ななくて済んだら、「一度はなくなったような命だ。これからは頑張ろう」・・・とはならなかった。もちろんそういう人もいたでしょうけど、むしろそうならなかった人の方が大多数だったんですね。 どうなったのかというと、「もう俺の命はなくなったようなものだ。ならばもう死んだも同じだから明日はないものと思って好きに生きよう」だったのです。それで、同じ元特攻隊員の仲間同士でつるんで享楽的に生きたのです。 ちなみに、作詞家で作家のなかにし礼さんのお兄さんていうのがこれがとんでもない悪人で、なかにしさんは絶句するほどの迷惑をこうむったのですが、このお兄さんも特攻隊あがりの人でした。なかにしさんも「兄は軍隊に行くまで普通の人だったが、特攻隊員になっておかしくなってしまった」といってますね。 あくまで私個人の感想ですが、永遠の0は本来当時の価値観で判断するべきものを、主人公を意図的に現代人の価値観にさせて美化しすぎている気がします。「生きて帰ってこい」だなんて、当時の人は冗談でも口にできない時代です。私が生まれる前だけど、昭和の戦後に「オリンピックで死んでもメダルをとってこい」と日本中からプレッシャーをかけられて自殺した円谷幸吉という選手がいたんですよ。
お礼
ご回答ありがとうございました。 時が経つにつれ 映画を作る人、本を書く人も 戦争を体験してない人になってしまい もしかしたら実際の歴史とは 異なる部分があるかもしれません。 元特攻隊員の人々のその後には、人それぞれの人生が有り、その中で悩み苦しむことがあったと思います。 多くの資料を読み、知ることで 正しい歴史を理解していけるように なっていきたいと思います。
世の中には、いろんな出来事を自分の身に置き換えて考えることができな人もいっぱいいます。 一般的には、それを<想像力の欠如または欠落>と言います。 それは、習って覚えるものではなく日頃の自分の問題意識の積み重ねなので、意識しない人にわかれと言って も無理な話です。 あなたは、その意識がおありのようですから、疑問に思ったことはグーグル検索なり、本なりでどんどん調べ てみましょう。 それがあなたの実になり知識になり人格になっていきます。 わからない人は放っておいて、自分を磨きましょう。 本当に伝えなければいけないことは、少なくともあなたには伝わっていますね。
お礼
ご回答ありがとうございました。 私はもちろん人の感想などを 批判するつもりはありません。 しかし、そもそも自分と他人の 感想や感情などは比べるべきでないものですね。 沖縄へは中学高校と2度訪れる機会があり、ガマや平和の礎やひめゆりの塔などにも行きましたが、まだ自分の知っている歴史はとても浅いです。 まだ、戦争のほんの一部しか知らない私がすべき事は 今は自分自身で多くのことを知ることですね。 特攻隊という側面だけでなく 戦争には知っておく必要のある事が 沢山存在してると思います。 私は偶然観たテレビから知覧へ行くことを決めました。 この事は私の人生にとって とても大きなことになったと思います。 これを機により多くを学び、大人になっていきたいです。 また、劇団などの発想は私には無くとても参考になりました。