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先の大戦での特攻隊員の遺書を本当に本人の自由意志で書かれたと思っている
先の大戦での特攻隊員の遺書を本当に本人の自由意志で書かれたと思っている人がいるのですか。
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「きけ わだつみのこえ」なんか、ちょくちょく好きで読みますが。 >本当に本人の自由意志で書かれたと 検閲など普通にあったでしょう。 「書いてはならない言葉」の意識も当人たちにあったでしょう。 現在では考えられない有形無形の規制があったのは想像ができます。 (その内容の想像は難しいですが) でも、それらに抵触しない「限られた言葉」で綴られた彼らの遺書。 「当たり障りない言葉」のみで綴られた遺書。 それでも伝えてくる彼らの思いは「本物」です。 「国のため、天皇陛下のため」と書かれているものも、 その思いの真実にこそ、価値がある、と私は受け取っています。 自由意志で書かれたか、書かれなかったか?は、遺書の価値や伝える力に影響しない、と思えます。 >自由意志で書かれたと思っている人 も、遺書を読まれるくらいです。 すぐに当時の規制の事実に気づかれる筈です。 そう思っていても良いのではないでしょうか。。。
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- sirousagi1
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自由意思とは遺書の内容を指すのか、書くことを指すのかはわかりませんが、 自身の安否を心配してくれていた家族に、精一杯の心情を残したものと私は思っています。 誰も心底喜んで特攻に散っていたとは思いませんが、当然、国や戦争批判は出来るものではないことであったろうし、死の宣告をされたも同然の状態でそんな内容の遺書を書く人はいなかったでしょう。 靖国神社の遊就館に展示されているものから推察するに、家族に宛てた遺書には心情的に精一杯の虚勢であったであろうと読み取れます。
お礼
私の伯父は二人は海軍航空隊で太平洋戦争中に戦史、一番下の叔父も志願で予科練から特攻隊へ、出撃前に終戦で生き残って昭和60年に58歳で病死しました。家は末弟の父が継ぎ私に至りますが、右巻の人も左巻きの人も言っている事が、私が生き残った伯父から聞いていた話と微妙に違うのですけど。 何か彼等がプロパガンダに利用されているようで可哀想です。
知覧に行ったことありますが、遺書は、自由意志で書いたものです。
お礼
私の伯父は二人は海軍航空隊で太平洋戦争中に戦史、一番下の叔父も志願で予科練から特攻隊へ、出撃前に終戦で生き残って昭和60年に58歳で病死しました。家は末弟の父が継ぎ私に至りますが、右巻の人も左巻きの人も言っている事が、私が生き残った伯父から聞いていた話と微妙に違うのですけど。 何か彼等がプロパガンダに利用されているようで可哀想です。
- 風車の 弥七(@t87300)
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何を言いたいのか分りませんが、遺書を書かなかった特攻隊員も結構いますよ。
お礼
私の伯父は二人は海軍航空隊で太平洋戦争中に戦史、一番下の叔父も志願で予科練から特攻隊へ、出撃前に終戦で生き残って昭和60年に58歳で病死しました。家は末弟の父が継ぎ私に至りますが、右巻の人も左巻きの人も言っている事が、私が生き残った伯父から聞いていた話と微妙に違うのですけど。 何か彼等がプロパガンダに利用されているようで可哀想です。
>思っている人がいるのですか と、言うことは、書かされたという確信があるわけですか?
お礼
私の伯父は二人は海軍航空隊で太平洋戦争中に戦史、一番下の叔父も志願で予科練から特攻隊へ、出撃前に終戦で生き残って昭和60年に58歳で病死しました。家は末弟の父が継ぎ私に至りますが、右巻の人も左巻きの人も言っている事が、私が生き残った伯父から聞いていた話と微妙に違うのですけど。 何か彼等がプロパガンダに利用されているようで可哀想です。
補足
「言うことは、書かされたという確信があるわけですか?」 遺書は出撃前に書かされました。温情としてですが検閲が無かった訳ではありません。
お礼
私の伯父は二人は海軍航空隊で太平洋戦争中に戦史、一番下の叔父も志願で予科練から特攻隊へ、出撃前に終戦で生き残って昭和60年に58歳で病死しました。家は末弟の父が継ぎ私に至りますが、右巻の人も左巻きの人も言っている事が、私が生き残った伯父から聞いていた話と微妙に違うのですけど。 何か彼等がプロパガンダに利用されているようで可哀想です。