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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:戦争のこと)

戦争の悲惨な実態と戦争への関心

このQ&Aのポイント
  • 私は1970生まれの37歳男性です。戦争の悲惨な実態について教育を受け、戦争映画や戦争体験者の話に涙を流します。
  • 戦争の資料館を訪れることがあり、特に知覧の体験が強烈でした。若い子供たちが命を捧げた様子に心を打たれます。
  • 最近、若い人たちの戦争への関心が薄くなっているような気がして心配しています。私は広島や長崎、知覧を訪れることを心に誓っています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • j_nishiz
  • ベストアンサー率26% (183/697)
回答No.1

同世代です。同感です。広島、長崎、知覧は行くべきだと思います。 先の戦争について、いろんな見方があって然るべきと思いますし、その点について語ることが公然と行われるようになったことは返って喜ばしいこととは思いますが、現実起ったことは知るべきです。 広島、長崎については、気になる点があります。 私も原爆資料館で衝撃を受けました。 人類の一員として、悲しくなりましたし、これを繰り返してはならないと感じました。が、原爆を落としたアメリカを非難する気分にはなりませんでした。 そんな単純な気分では無かったのです。 この手の展示をアメリカでする、しないの議論になるときに、アメリカ憎し、という論が出てくることが違和感を覚えるのです。 これは私だけなのでしょうか。

その他の回答 (12)

  • rin00003
  • ベストアンサー率13% (55/394)
回答No.13

特攻隊を持つ親の気持ちを歌にしています。 映画[連合艦隊]主題歌[群青]歌 谷村新司 老いた足どりで 思いをめぐらせ 海に向かいて 一人佇めば 我より先に行く 不幸は許せど 残りて悲しみを 抱く身のつらさよ 君を背負い歩いた日の 温もり背中に消えかけて 泣けとごとく群青の海に降る雪 砂に腹這いて 海の声を聞く 待っていておくれ もうすぐ帰るよ

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.12

「戦争を嫌う」という事と「戦いを嫌う」という事は別だと考えています。それは単純に言ってしまえば侵略に遭い、戦いによって国を護った人々と、侵略して敗れた人の違いだと考えています。 国という中にある以上、自衛権は国民にあります。スイスでさえ自国が侵略されれば国民が護るのです。そして武力衝突を避ける為に外交があります。 しかし、今の日本は隣国との外交も満足に出来ず、一方で遠く離れた国に自衛隊を送るなど本末転倒の行動しか出来ていません。 今の若い人というより、既にその親の世代で死との関わりが失われてしまっている。既に意味のない人殺しは中高年に増えつつあります。 その様な世代が、次第に好戦的な思想を持ってしまうのではないでしょうか。 これは、或いは平和すぎる社会にとって自然の流れかもしれません。本来はそこから学ぶべきものを異常行動としか見れず、学ぼうとしない教育者の、そして全国民の責任でもあると思います。 私達は、実際に戦争を行なっている地域の悲惨な状況を見る事は出来ません。私達の豊かな生活が、そういった戦争地域の犠牲の上に立っている事も実感していません。 だから少なくとも時間をかけて、世界の実情を論議する事が大切だと思います。

回答No.11

世の中いろんな考えがあるのですね。 今は民主主義ですから、多数決で物事が決まります。 特攻隊などに興味を持っている人は少数派なのかもしれません。 戦争を肯定するわけではないですが、 真珠湾の攻撃によって、火ぶたが切られた先の大戦は日本人300万人が亡くなったと言われますが それによって大改革が行われました。 民主憲法が米軍によって押し付けられました。それで、 天皇主権から国民主権に、 軍国主義から経済主導に 男女平等、 植民地拡大からODAなどによる援助に 歴史に”もし”はありませんが、 戦争を始めなかったら負けることもなく。 米軍の占領もなく。 新憲法の押し付けもありません。 その結果 帝国憲法が生き 天皇主権で、天皇の赤子として きっと貴方は徴兵されていたでしょう。 日本は軍人が威張り、貧乏な国になっていたでしょう。 戦争にもプラス面、マイナス面があります 正しい、間違っているという考えは戦争のもとだと思います。

  • rin00003
  • ベストアンサー率13% (55/394)
回答No.10

小林よしのり著[戦争論]1~3巻 コミックで読みやすく、戦争についてよくわかります。

  • Ama430
  • ベストアンサー率38% (586/1527)
回答No.9

教える側から書き込みます。 平和教育を望まない人たちは昔からいました。 アメリカの世界戦略の一翼を担うことで日本が「強い国」ということを示したい人たちです。 そういう人たちが政治の中心にたくさんいます。 そこで、「教育行政は教育内容に介入してはならない」という戦争の反省を形骸化して、「左翼偏向」などと攻撃することで平和教育を弱体化させてきました。 その流れの中で、知っておくべき戦争の真実を知らされず、被害者として戦争犯罪を知らされているアジア諸国を「反日教育」などとメディアによって教え込まれる若い世代が増えてきたことは事実と思います。 ニートやフリーターが増えているのは、米国に追随する政治家が大企業優先で人件費カットを応援している政治家でもあるためです。 にもかかわらず、そうした構造が見えていないので、「平和な世の中でみじめに生きるより戦争で一発逆転のチャンスを」という論理に落ち込んでいる人たちがいるようです。 質問者さんと同じような感情を持っている人は決して少数派ではないと思います。 むしろ、ていねいに授業を行うことで、いかに戦争が非人間的なものであるかをほとんどの生徒が理解してくれます。 しかし、様々な圧力の結果、そうした戦争の事実を語り継ぐ授業が全体として少なくなってきていることも否定できないと思います。 どうか、平和を大切にする気持ちに自信をもっていただき、知らされていない事実を広めるチャンスを生かしていただきたいと思います。

  • xsiro
  • ベストアンサー率53% (22/41)
回答No.8

あなたの戦争に対する気持は間違っていません。ですがあなたがそう思えるようになったのはある程度年齢が経ってからではないでしょうか?あなたが若かった時に今と同じような気持になれたでしょうか。 今の若者を相手に、今のあなたと同じような気持を求めるのは酷なのではないでしょうか。 また学校教育では戦争体験だけを重点的に教える場ではありません。学校は広く浅く教えるものなのです。もっと詳しく知りたければ大学に良くなり個人で調べるなり本人が勉強するしかありません。あるものを詳しく知るということはそういうことではないでしょうか。 もう一言付け加えますと、南京は資料的に過去に付け加えられたり誇張したりした点も多く見られますし、特攻についてはあのヒトラーでさえ非人道的な作戦と言って却下した戦争史上最低の作戦です。人の命が散るのは儚く虚しいことですがそれに感動できるような作戦ではないと言う事も忘れないで下さい。あなたが日本人だから感動できるだけで元米兵に言わせたら最低の死に方だと言われるでしょう。

tenpOP
質問者

補足

早速のご回答有難うございます。 まず、誤解が数点あるのでお伝えします。まず私は間違いなく小学生の時点で、戦争に対する深い悲しみの気持ちがありました。(自分だったらどうなんだろうかとか、自分に重ね合わせてどうしても考えてしまうのです)今はやってないですが、デパートの催し会場で戦争展など良く行きましたし、大日本帝国という映画が今も心に残っております。 それと今の若い人を責めているのではありません。ただ今の日本の平穏な暮らしはこの人たちの犠牲の下で成り立っていることを心の片隅において欲しかっただけです。偉そうな事を言って申し訳有りません。 戦争したいとの書き込みを見て恐怖を覚えたからです。 それと、私は感動なんかしてません。特攻隊は、はっきり言って無駄死に等しいです。沖縄戦はもう誰が見ても結果は出ていました。 記念館に行けば分りますが、特攻隊員はその事を分っていて出撃しています。 断ることも出来ず、本音と建前は違います。ある者は出撃前に怯え泣きじゃくる者、また覚悟を決め無言で特攻機に乗り込む者。親が自分の子供を特攻機に乗せる気持ちを考えるとかわいそうでなりません。 ただそれだけです・・・

  • kaputun
  • ベストアンサー率14% (127/864)
回答No.7

公立でも進学率で学校が選別されてしまう時代になってきているので、 今後ますます学校としては、出題頻度の低い戦争被害などのような部分は 授業の重点を置きにくくなっていくことと思います。 しかし、授業という形では触れる機会が少ないからと言って、 子供たちの意識が低くなっているというわけではないと思います。 私も質問者さんの世代に近い者ですが、 道徳でも日本史でも戦争の悲惨さを感じることのできる授業は、 小・中学校を通じて数回あったかないか程度でした。 (地域によって取り組み方が違うのでしょうかね・・・?) 修学旅行も神社仏閣を訪ねる京都・奈良で、戦争とは無縁でした! また、親も戦争を知らない世代ですから、家庭で 生々しい体験談が聞けたわけでもありません。 しかし、戦争が如何に悲惨であるかは理解しているつもりです。 当時の悲惨な体験記は、何冊読んだかしれませんので。 では、なぜ当時子供だった私は、そういう知識を求めたのでしょうか? そして、なぜ今の子供たちは、興味がなかったり戦争肯定をし始めているのでしょうか? その違いは、社会環境だと思います。 平和に過ぎていた私の子供時代と違い、現在は、 某隣国の問題で国の自衛意識は高まるざるを得ず、 また、国際貢献という名で某国への武力介入に国として加担もしています。 是非は別として、そういう戦争を肯定するような空気の中で、 戦争につきまとう犠牲というものを直視するだけの勇気がない大人と同様、 子供たちも素直にその風潮に飲まれているだけなのだと思います。

noname#40120
noname#40120
回答No.6

私も30代です。特に今年の8月は原爆や終戦記念日に、さした特集番組がなかったことが驚きでした。戦後62年で2年前に戦後60年とし各局で大々的(?)な番組を組んだ直後だからというのもあるのかもしれませんが、とにかく残念に思いました。戦後62年と言えば「もうずいぶん時間が経ったものだ」と思っていましたが、私達30代・戦争を知らない世代が生まれたころから数えれば、まだたったの30年前の出来事だったわけです。終戦と現在のちょうど真ん中が私達の生まれた年なのですよね。そんな事実にちょっとしたショックを覚えました。 今年は原爆についてもっとよく自分の心に刻み込まなければと思い、地元図書館で開かれていた「原爆と人間展」、映画「ヒロシマナガサキ」、書籍「広島第二県女二年西組」「傷む八月」等、少しずつですが見たり読んだりしています。そして修学旅行以来の広島訪問も9月に考えています。(私については原爆限定ですみません。)特に広島第二県女については、今までの“原爆でお亡くなりになった方たち”というひとくくりの考え方が根底から覆されるものでした。当然のことながら一人一人にその人生があり、あの日たった一つの爆弾で人間であることすら奪われてしまった哀しさ。彼女達の生きた証を知った1冊でした。 私が子供だった頃は学校や地域で原爆の記録映画などを見せられることが多かったように記憶しています。実際、原爆写真展を初めて見たのは小学校に上がる前でした。ですが、今の子供たちは「怖いから」「気持ち悪いから」といって戦争から目をそむけていますし、親も見せたがらないのではないでしょうか。戦後60年以上たって、戦争は昔のこと、よその国のこと、という意識もあるのかもしれません。この夏はテレビで「はだしのゲン」がドラマ化されたのが唯一の救いだったような気がします。小学校2年生の甥(夏休みで実家に遊びに来ていた)と一緒に観ました。とても真剣に観ていて、なぜサイレンがなったら逃げるのか、なぜ戦争反対と言うと非国民と言われるのか、などたくさん質問してきました。今の子供達はそういったことを全く知らないのですよね。だからこそ戦争が人々から全てを奪っていったことを、今生きているものとして知ってほしいと私は思います。子供だから、怖いからでは決して済まないことです。いきなり悲惨な写真を見る必要はないですが、少しずつ、年齢に応じて受け止められる分ずつ、子供達にも知ってもらいたいです。 ですが、原爆について読み漁ったりしている自分がおかしいのではないかと思うときもあるのです。広島に縁もゆかりもないのに何に駆られてここまで調べたりするのだろうって。母も私が突然原爆について興味を示していることに驚いているようですが、それでも私は私自身が知らなければと何かを強く発している以上、納得するまで心に刻みたいと思っています。長くなってしまい、申し訳ありませんでした。

  • eienn
  • ベストアンサー率16% (77/462)
回答No.5

上の文章を見て、泣けてきますが・・ 戦争を経験しないものが、戦争の悲惨さが分かるわけ有りません。 人間は滅びればいいと思っています。 生きている価値ありません。 なので、戦争が起ころうとどうでもいいのです。 哀しいということと、望まないということは、違うのです。

  • kantansi
  • ベストアンサー率26% (658/2438)
回答No.4

質問者さんは非常に健全な考え方をされていると思います。 戦争の悲惨さは未来永劫語り継がれなければなりません。 平和教育と言うと、とかく左翼思想と重ねがちですが、戦争が普遍的な悪であることは真理です。 戦争を始め、指令する為政者は、負けて相手に裁かれなければほぼ無傷ですが、戦争に駆り出される一般の人間には、勝った方も負けた方も常に悲劇が付きまといます。 戦争は外交上の紛争解決の手段として国際法で認められているような世の中はやはりおかしいと思います。 是非今のお気持ちをお子さん、お孫さんに伝え続けてください。

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