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親子の確執に助言下さい
- 私は49歳の会社員です。既婚で息子2人の父親です。自分の両親と準二世帯住宅で同居しています。両親は息子にとってはよい祖父母です。また、嫁姑の人間関係には問題はありません。問題は、私との実の親子関係の確執です。
- 私は1歳半の時に顔面神経マヒにかかり、小3~中3までひどい級友の悪口に苦しみ対人恐怖症的になりました。この後49歳時に判明したADHDの症状と分からずに、小3~小6まで、ひどい忘れ物、宿題をしない、授業中に集中せず、ひどい母親の叱責、過干渉と心ない教師の人格否定発言に苦しみました。
- 私は中学校からはじめて成績が上がり、進学高校にトップクラスで進学しましたが、ADHDの二次障害のうつが発症しました。母親は私の精神状態を理解せず、うつがひどくなりました。私は大学進学後もうつに苦しみ、仕事でも苦労してきました。最近、主治医からADHDの宣告を受けましたが、両親は理解を示さず、私は絶望しました。
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同年代の親父です。貴方の過ごされた時間を読ませていただいて、「ご苦労様でした」としか言えません。そして、「よくぞ頑張ったね」と。 このWebに縁有って参加し始めて永い月日が経ちますが、貴方の様に辛い幼少期を過ごされて、それが自分の家庭を持たれても尚、悩ます事例が寄せられています。本当に悲しい事です。 『自分が人にされたら嫌な事をしてはいけない』 僕の祖母がよく言っていました。人付き合いの基本だと思います。 そして、『子どもは授かりもの。一時的に天から授かった別の人格』です。我が子と言えども、自分の所有物では有りません。彼らが無事に世に羽ばたくまで大切に守らねばなりません。 どうして、ご両親はそんな事になったのか?ここに問題解決の糸口がある様に思います。幼い時に顔面神経麻痺が発症と有ります。多分、当時は原因やその治療法などが解明されて居なかったのではないでしょうか?そんな中でご両親もそれなりに対処方法を模索されたんだと思うのです。 その結果が、貴方に対する態度なのだと考えると、彼らの精一杯がそれなのです。貴方が思うご両親像とは随分かけ離れているかもしれませんが、それが完成系です。 我が家には80歳を越えた養母が居ります。一緒に仕事をして居ります。良い人です。でも、仕事のやり方が効率的で無く、時間が掛かるので改めて欲しい時も有るので、「こうした方がいい」と一応言います。しかし、あまり改善はされません。しょうがないです。だって、彼女は彼女なりに頑張って居るんですから。 貴方が49歳にになって判ったご自身の症例をご両親にも理解して欲しいのは当然だと思います。しかし、ご両親にしてみれば生まれてからずっと貴方を観てきたと言う自負もおありなのでしょう。あまり期待をしてはいけないと思うのです。 貴方は障害を抱えながらもご自分の家庭を持たれた。それで良しとしませんか? 最後に。貴方の質問文を読ませて頂いて真っ先に浮かんだのが、「潤い」とか「余白」って言葉と、花のイメージです。ガーデニングとか興味が有りませんか?家庭菜園でも良いと思います。きっと、貴方の疲れた心を癒してくれると思うのですが。
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大変に苦しまれてきた経緯は私の想像も及ばないことと思います。 それでも賢明に努力され家庭も持たれたこと、尊敬致します。 うつ病で友人を亡くしていますので、それがどんなに大変なことかお察し致します。 49歳と言えば現在は70代には達しておられるご両親だと思います。 残念ながらその年代の方にADHDのことを正しく理解してもらうのは難しいかも知れません。 病気のせいという理由の通らない社会常識の中で生きてこられた年代です。 病気であるならそれゆえ、言いにくいですがご両親にとってあなたは出来の悪い息子だったのでしょう。 しかし出来の悪い子ほど可愛いという言葉もあります。 愛情深いご両親であれば理解しようとする心は持ち合わせているものと思います。 でもそんな親ばかりではないのはどうしようもない現実だと思います。 それでも産んで育てて大学まで行かせてもらった事には変わりない。 どんな親でもいないよりはマシという話です。 親のない子は親を憎むことすらできません。 だからと言って親の老後の面倒などみる気になれないと言う気持ちもわかります。 じゃあ見捨てられますか? 同居しておられるのですから責任というもの生じます。 気持ちはどうあれできる事はして行かないと世間が認めてくれないでしょう。 思うにADHDの傾向はお父様かお母様にもあると言うことはないでしょうか? 遺伝的要素がないとは言えない障害だと思います。 コミュニケーションが円滑に行かないのはそのせいかも知れません。 いずれにしてもこれ以上ご両親を怨み続けてもあなたにとってマイナスばかりです。 子供は親を選べません。恨んでも憎んでもどうしようもない事です。 私の父も、今になって思えば一種の障害であったとしか思えないような父でした。 私の成人後、母と離婚しておりもう20年会ってません。 寂しいという気持ちはこれっぽっちもなく父がいなくなってくれた時は幸福感でいっぱいでした。 もう完全に血がつながっているだけの他人です。 あなたもそう思ってはいかがでしょう。他人でも隣人ですから最低限の世話はする。 ただそれだけのこと。
お礼
ありがとうございます。 確かに、73歳と72歳にはADHDは理解は無理でしょうね。どこかで折り合いをつけて生きていきます。
- 2080219
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こんにちは。 確執というより、依存ではないかと存じます。 私は父との確執から家を出て、既に離婚していた母と暮らしました。 あなたは、憎んでいるのではなく、必死に認めてもらいたがっています。 私も同様ですから、ご質問の一文からも、それが読み取れます。 同居為さっているのも、認めてもらえる日がやってくるとの思いからでしょうね。 ☆ 私も、幼いころに大病し、それが原因で学校ではイジメられ続けました。 教師たちも、厄介者はいじめる側ではなく虐められている私という認識だったのでしょう。 若手の音楽教師から、ポロッと「問題児」と言われ、酷く傷つきました。 アレルギー性の病気でしたので、親からの遺伝の要素が強いですから、 親を恨んでも良かったのですが、当時は原因もわからず、 世間様なりの支えはあったものの、自力で全てを乗り越えてきました。 ☆ あなたも、そろそろ親離れ為さって下さい。 血が繋がっていても、相容れないのが人間という生き物です。 あなたはラッキーですよ。 病気を抱えながらも成功し、妻子ももうけられた。 そして、そんな人生を手に出来たのは、ご自身のひたむきな努力の賜物だと知って下さい。 もう、あなたは大人です。 パトロンも必要ありません。 ご両親に、今日の朝一番にこう伝えて下さい。 それで、吹っ切れるはずですので。 「あなた方から得られたものは何もなかった。老後の世話をする義理はない」 明確に発言することで、引き下がれなくなります。 それがポイントです。 独り立ちしてくださいね!
お礼
ありがとうございます。 ただ、私が育った田舎の環境から、両親を全く斬って捨てるわけにもいかないので。 「あんた達の事で他人様に迷惑を掛ける訳にはいかないが、あまり期待されても困るから」と伝えようと思います。
お礼
私の気持ちをくんでいただき、またよい助言をありがとうございます。 確かに、自分の両親が変わる事をもう期待してはいけないなと思います。 それと、まだ小学生の息子2人を愛情を注いで育ててきた自負はありますし、今のところ、2人が私を尊敬してついて来てくれている事をうれしく思います。私が病に苦しみながらも働き報酬を家に持って帰ってきた事を、特に10歳の長男はよく見ていてくれ、やさしい人間に成長しています。子どもが宝だから、それでよいですね。 まだ、本調子には遠い体調ですが、家族のために頑張ります。