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イタリア語で「住む」
イタリア語に英語のliveに当たる動詞に abitareとvivereがどう違うんでしょうか? 例えば “Vivo in Tokio.” と “Abito in Tokio.” では どういうニュアンスの差がありますか?
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"Vivo a Tokio."と"Abito a Tokio."では同じ意味ですが(都市に係る前置詞はaです) 「住む」の意味での"vivere"と"abitare"では、時としてニュアンスが異なります。 例えば、 "Vivi a Roma?"(これは、Abiti a Roma? と同じですが…) 「ローマにvivereしているの?」 "Sì ci vivo, ma in realtà non ci abito." 「うん、そこにvivereしているんだけど、実際はabitareしていないんだ」 このように、vivereには「仕事をしている」「暮らしている」の意味合いが強く、abitareには「(所有の)家に住んでいる」の意味合いが強いのです。 ですから、"Lui abita al cimitero."のように死んだ後もabitareできるのです。 vivereでは、こうはできません。 また、「家」ではないところに「住んでいる」場合はvivereを使い、abitareは使いません。 例えばホテル住まいでは、"Lui vive in un albergo."と言います。
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- SPS700
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もう優れた回答があるので、これは寝言です。一口に言えば vivo は「生きる」、abito は「住む」でしょう。vivo は「仕事を得て生き甲斐をもつ」、abito は「住む場所に居る」。 1。 vivo 僕が覚えているのは、歌劇『ラボエーム』の第一幕、鍵を探す若い男女の手が触れ、まず男の方、ロドルフォからの自己紹介(下記の20:00あたりから始まります)で、自分は詩人だ、どうして生きてるって?生きてるんだ、この自問自答が Come vivo? Vivo (22:40)です。それに続く「我が名はミミ」。涙が出ますね。 http://www.youtube.com/watch?v=ySnx0CVyQNY 2。abito 私は○○と言う場所に居住する、という地理的な場所があることを指します。
abitareは「住む」とか「居る」で、vivereは「生活する」というイメージですね。
- bakansky
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語源が異なるだけで、どちらも意味は同じだと思います。日本語でも 「住む」 「在住する」 「居住する」 など、どれを使っても同じ意味を表すようなものでしょう。 ネットで Collins の伊英辞典を見ると abitare in campagna/a Roma/all'estero abito a Firenze などとあり、また vivere の項を見ると mi piacerebbe vivere in Scozia vivo in campagna とありますから、「住む」 という意味においてはどちらも同じように使われることが分かります。 abitare in campagna と vivo in campagna は、文例までそっくりです。
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みなさん、ありがとうございました。