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耳で”聴き”脳で”聞き”取る?それとも耳で”聞き”
ある補聴器の新聞広告で、次のような文章にぶつかりました。 <私たちは、音を耳で聴き、脳で聞き取ります。> “聴く”と“聞く”とを使い分けるのであれば、両者の区別は次のようだ、と思います。 聞くは、音が向こうからやって来る・受動的、他方、聴くは、こちらから選択する・能動的、のように使い分けていると思っています。 耳は音を単にきくのであり、脳は必要によって選択してきく、と思います。 したがって、“耳で聞き、脳で聴き取ります”が適切な説明文と思いますが、いかがでしょうか?
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普通に考えれば、「耳で聞き、脳で聴く」ですが。。。 これは、もしかしたら、 「考えるな!感じろ。」の仲間ではないかな。 「聴く」が「聞く」より深い意味のある言葉なので、 補聴器のCMだけに、 「脳より耳のほうが聞き取りに対して深い意味がある。」と言いたいのかも。
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- Microstar
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No.5の者です。 音声を理解する仕組みがわからないということで説明します。 人間が他人の話す音声を理解できるようになっているのは、耳に入ってきた音声を脳の中で蓄積されている音声、日本語、イントネーションの辞書みたいなものから引用して処理言葉を認識できるようになっているのです。 それができていないと、音声は聞こえても何を言っているのかわからない状態になるのです。 つまり、脳が働いて聞くようにしている意味です。 無意識に耳で聞くという錯覚に陥ってしまっているので、そういう風に使われているのではないでしょうか? 視覚の場合も文字をパターン認識しながら、文字、単語、文章を理解できるようになっているのと同じなんです。 だから、補聴器メーカーの広告は、見事に言いえていると考えていいです。 もし違うというなら、別の専門家から批判が出るはずです。ず
お礼
再度の回答ありがとうございました。 音声を理解する仕組みついて、了解(了解したつもり)しました。(了解したつもり ”聞く”は、音を言葉として認識する、という意味に使われているのですね。 一方、”聴く”は、音として(言葉まではゆかずに)処理する、という意味で、使われているのですね。
- Microstar
- ベストアンサー率21% (289/1367)
一般的には、耳で聞く、脳で聴くという感覚ですが、補聴器メーカーの広告は、耳で入っていた音声を聴き、脳で音声を理解する意味で聞いているよと訴えているのです。なるほどだなと思いましたよ。 補聴器メーカーの方が音声を理解する仕組みをよく知っているので、あの広告は間違いはないです。
お礼
回答ありがとうございました。 私は <音声を理解する仕組み> が分かりません。ごく単純に考えると、耳は単に音を通し(聞く)、複雑なことは脳が処理する(聴く)と区別していました。この考え方が、誤りなのですね?
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
昼の休憩を利用しての投稿ですので推敲の至らない部分がありましたらご寛恕の程をお願い申し上げます。 中々におもしろい問題と回答も寄せられているようですが、これはあくまでも僕個人の印象です。 「きく」と言えば、僕は「耳をそばだてる」や「傾聴する」との言葉を想起します。これらに共通するのは「意識して聴く」とのニュアンスです。 こうした点では「能動的」や「受動的」という行動よりも、意識的な部分が大きく影響しているのではなかろうかと考える次第です。 英語でも"hear"は「(自然に)聞こえてくる」"listen"は「聴く」との使い分けもあります。「補聴器」は聴覚に難のある方が補助的にお使いになる医療器具です。 その方々には「何とかして、聞こえを良くしたい」との切実な願いもあります。人の言葉の内容をキチンと聞き取りそして相手の意思を知りたいとするならば意識して聴くとのニュアンスもあって、そうした点では「耳で聞く」よりも「耳で聴く」も可と考えます。 ここで一つ問題になるのは「信号としての『音』」をどう扱うかとの問題です。信号としての音つまり情報をキャッチするのは間違いなく器官としての「耳」の存在です。人間は目や鼻では音を聴くことができない生き物です。 もし手段と目的を両方同時に示すことを可能とするならば「きく」の方がよいかな?と僕は考えます。何れが正しいかなどの問題よりも「感じ方の問題」といえるでしょうね。
お礼
早急な回答ありがとうございました。 示唆に富んだ説明を頂きました。以下、私が勝手に曲解している点がありますが、御容赦を願います。 1、きくに関して、意識があるなしが係っていますね。 2、音をきくのと、人の声をきくのには、差がありますね。 なお、聞くや聴くが単独に使用されている場合は、各は多義の意味を持っていますね.しかし、対比されて使われている場合には、各の意味は意図的に区別されている、のが普通だと思い、質問した次第です。
- CC_T
- ベストアンサー率47% (1038/2202)
「耳で聞き、脳で聴く」 に賛成ですね。 門に耳をぴったりくっつけて「聞」き、耳で聞いたことに十人の目と心を合わせて判断するのが「聴く」ということでしょう。 「聞き流がす」などとは言いますが、「聴き流す」とは言いませんしねー。 ただ、「聴き取る」と言うと事情聴取みたいですね(^^; 補聴器の広告ですから、耳は「聴く」にしとかないと補聴器ではなく補聞器になっちゃうからかな?(笑) まぁ一般に「難聴」など、人のアイデンティティにかかわる分野では「聴こえ」こそが問題なので、「聴」の漢字を使う事が多いですね。
お礼
早急な回答ありがとうございました。 <「聞き流がす」などとは言いますが、「聴き流す」とは言いませんしねー。> この秀悦な文章だけで、納得しました。 聞くや聴くが単独に使用されている場合は、各は多義の意味を持っていますね.しかし、対比されて使われている場合には、各の意味は意図的に区別されている、のが普通だと思い、質問した次第です。
耳が音を聞き取る能力を『聴覚』あるいは『聴力』といいますね。 そこには、聞こえてきた音の意味を判断するなどの二次的な能力は含まれていません。 そうすると >耳は音を単にきくのであり は『聴』ではありませんか。 >脳は必要によって選択してきく 強いていえば、音楽は聴くもの、人の言葉は聞くもの、と思います。 補聴器は音を選別してくれませんし。
お礼
早急な回答ありがとうございました。 聞くや聴くを単独に使用している場合は、各は多義の意味を持っています.しかし、対比して使われている場合には、各の意味は意図的に区別される、のが普通だと思います。 <強いていえば、音楽は聴くもの、人の言葉は聞くもの、> が考えられるのですね。
お礼
回答ありがとうございました。 普通の表現ではなく、あえて逆の使い方をしているのは、コピーライターの深淵な思惑があるのかもしれませんね。 <「脳より耳のほうが聞き取りに対して深い意味がある。」と言いたいのかも。> かもしれませんね。