• ベストアンサー

人間にとって価値の根拠となるものは何か?

価値観の多様化と言われて久しいですが 確かに格差とかも付き 年代によっても価値観は違うようです しかし人間にとって究極の価値 真の価値と言うものがないものでしょうか? 色々な価値の根っ子になってるもの 此れだけはどうしても譲れない と言う価値の根本 それは一体なんでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#188791
noname#188791
回答No.15

「愛」だと思います。

yuniko99
質問者

お礼

愛がなければ人間は滅びますねえ 男女の愛 親子の愛 兄弟姉妹の愛 友情 人類愛 敵をも愛して乗り越える事が出来れば 現在の問題の多くも解決するかもしれません。 それ程の愛を持ち また受けてみたいものです 素晴らしい投稿 どうも大変ありがとうございます☆

yuniko99
質問者

補足

aaaaaaaaaaaaaaazさん 愛だと言う答えは素晴らしいのですが その言葉にどの様な意味が込められているのか 私にはよく分りません 愛 と言う言葉は素晴らしい言葉ですねえ。

その他の回答 (17)

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.18

この世は全て、五感を通して認識されている。 その五感は自身が担っている。 つまり自身。

yuniko99
質問者

お礼

成る程 この世の事を知るのは五感 価値を判断するのは・・・? 自身の評価? どうもありがとうございます。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.17

自身の評価

yuniko99
質問者

お礼

自分の評価が価値の根拠だと 言い切れればいいですねえ でも実際には沿うかもしれませんね どうもありがとうございます。

回答No.16

>SEXの為に生きるんですか?^^  質問は、根本なのではありませんか。  何の為に生きるかは自由にしたらいい。  しかし、私はSEXによって生まれているので、その価値やら、何の為にいきるやら、色々な価値の根本を記載したまで。   自分がSEXすることによりその輪が完成するという根本を忘れてはならない。  人間は、生まれて死で完成するのではなくて、SEXで完成するのである。

yuniko99
質問者

お礼

SEXの力は大きいですねえ 愛のうちでも非常に強い 子孫、種族を残して 自分を未来に活かす行為です 成る程ありがとうございます。

noname#194996
noname#194996
回答No.14

>人間にとって究極の価値 真の価値と言うものがないものでしょうか? 色々な価値の根っ子になってるもの  此れだけはどうしても譲れない と言う価値の根本 要は金でもない、自分の生命ですらもない、誰もが一番気にするものといえば、やっぱりプライドじゃあないでしょうかね。 これなど人間だけの価値観だと思いますが、あるいは犬だって猿だって思っているかもしれないもの、それこそ根本のものではないでしょうか。 私は小豆島で若い女性がそこの猿にせがまれて手渡したものが、チュウインガムの噛みかすだったこととで、そのサルがひどく怒って女性に襲いかかったのを見ました。猿にしてみれば、それこそ女性に馬鹿にされたと思ってプライドを傷つけられたことの我慢がならなかったのだと思います。 どんなものでしょう? 名誉挽回のために自殺すらしてしまう人間、その価値の根本は誇り、尊厳の維持だと思います。私見ですが。

yuniko99
質問者

お礼

人間のプライド、誇り、尊厳が人間の価値の根本 妙に頷けますねえ しかしそれもかなぐり捨てて守るものも在るかもしれません しかしそれだけの誇りを持ってみたいものですねえ。 どうも大変ありがとうございます。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.13

yuniko99様、こんにちは。 >「自らの価値観を相対化すると 価値観が広がり安定するのでしょうか? 私もやったことがないので分かりませんが 良い言葉を頂きました どうも大変ありがとうございます。」 私も、やったことのないこと、ばかりです。

yuniko99
質問者

お礼

価値観を相対化するというのは 相対的な価値に対応できる価値観をもつということでしょうか? 僕もあまり器用な人間ではないので 出来るのかどうかも分かりません。 どうもありがとうございます。

回答No.12

#8の者です。 >結局のところ何かといえば 何々×何々×何々×何々×・・・ >と色んな要素があって どれが根本にあるのか 「何でもあり=エントロピー増大=淘汰」に抗するものと しての「反エントロピー」ですね。 最初の書き込みにあった「生きる意志(淘汰への反力= 反エントロピー)」という話で。 「認識の深まり」と「生産性の向上」の両立の、共通の 計量としての反エントロピー。 ただ、難しい内容を簡単に「反エントロピー」といっても、 分りにくいので、結局、長々と記述すると、それも分り にくい、ていうジレンマ。

yuniko99
質問者

お礼

いや分かりにくいのは先生が悪いのではなくて  私の頭が悪いのでしょう(^^ゞ 反エントロピーだけでも私にはよく分ります。 大変貴重な意見を重ね重ねありがとうございます。

  • akiko1er
  • ベストアンサー率47% (8/17)
回答No.11

ANo.9です。壊れた壺の価値・幼く事故死した子供の価値を例えばお考えなのですね。それらの失われた価値を留めて置きたいとのお考えですが、留めることが出来るものか・ただ失われ消えていくに任せたものか吟味してみましょう。人間の歴史の過去数千年だけでも失われた宝物・失われた幼い命、これらの価値は現在どこにありますか?何か痕跡だけでも残っているものはごくごくわずかでしょうね。私たちの歴史も生活も尊いものを生み・育て・失ってゆく過程なのでしょう。どうしても留めて置きたい価値を申し合わせることよりも、留めて置くことは出来ないものとして、しばしの間だけでもその価値を尊び、愛することが出来ることを喜びましょう。

yuniko99
質問者

お礼

お考えは分かるつもりです 幾ら留めて置いても何時かは風化して失うものです ただ貴重な道具や人の命が壊されるのが当たり前になったら 例えば戦争 世界大戦などで片っ端から壊されたら 人類はどうなるでしょう その人の価値は何処に行くでしょうか 殺されたらその人にとっての価値は無くなってしまうのではないでしょうか。 だから有用な物を大切に 人の命を人権として守っていかなければならないのではないでしょうか? 失われたものも その影響だけは数十億年前から在ります。 どうも日本的な意見を大変ありがとうございます。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.10

yuniko99様、こんにちは。 平等なのか、自由なのか、 あるいは、合理性なのか、 「此れだけはどうしても譲れない」と言ったら、 それは人それぞれになっても仕方がないかと思います。 経験なのか、理想なのか 「将来予測」とか >「価値観の多様化」 自らの価値観を相対化出来るまでには、まだまだではないか?と思ってしまいます。

yuniko99
質問者

お礼

自らの価値観を相対化すると 価値観が広がり安定するのでしょうか? 私もやったことがないので分かりませんが 良い言葉を頂きました どうも大変ありがとうございます。

  • akiko1er
  • ベストアンサー率47% (8/17)
回答No.9

<<人間にとって>> 究極の価値・真の価値と言うものをお考えのご様子です。価値とはそのもの自身が持つものでなく周囲が評価するものです。 <<周囲の人間にとって>>の私の価値とは次のようなものでしょう。「私が周囲に与える利得と損失のうちで利得が上回る」との周囲の評価でしょう。究極の価値は誰にも定義できないものと考えます。私自身の真の価値評価を私が周囲に対して要求する根拠は私にはないものと考えます。 私自身の"願い"が私の日常生活に対して要求することはありそうです。その場合には、私の"願い"が私の日常生活にそれなりに実現されている・実現に向かっているとの実感の度合いを以て"自己評価”とするようです。私が勝手に行うもので究極の価値とも真の価値ともする根拠はありません。

yuniko99
質問者

お礼

価値とは周囲が評価するもので 自己評価でも実感の度合いを表したものだ との意見でしょうか では此処に国宝級の壺が置いて在って 誰かがそれを割ってしまった。 その場合価値はどうなると思われますか? 或いは此処に子共がいて遊んでいるのを トラックの運転手が轢いてしまって 子供は死んでしまった この場合は価値はどうなるとお考えになりますか? それでも周囲が決めるもの 実感の度合いと言って居られるでしょうか? 我々は豊かさに慣れていますから価値なんて確かじゃない 見方によって変わる と思いますが 食べ物が何もなくて飲み物も何もなくて飢え死にしそうな時 一杯のご飯 一杯の水に価値がないとすれば 自殺するしかないです。 実際自殺する人もいますが それを喜ぶ人は少ないでしょう。 僕はまだ死にたくないし 飢えたくない こういう価値観も在ると思いませんか? 貴重な意見をどうもありがとうございます。

回答No.8

#1の者です。 >僕は真の生きる目的は、存在する事、未来に >存在を実現する事と考えていますが 先の書き込みにもあるように、どのような意志も 可能です。 他の人の書き込みように、目的は自由で多様であって 良いと言えますが、そうした“本質的に志向性はない” がゆえに、二次的に生じる目的があり得るのです。 「何でもあり」という事は、ランダムな変化を許容す るという事であり、エントロピー増大=淘汰として、 進化を導く(生きる意志を高める)のです。 個体レベルでそれに反対する事は可能ですが、「生きる 意志」から乖離した志向性は、生存競争の中で淘汰 され、結果的・長期的には進化=生存機能の強化= 生きる意志に収斂せざるを得ないのです。 一方、どのような行動も本質的には任意=意志の達成 =充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つ の意志として、精神的充足の追及という方向性から 逃れることはできません。 「意に添わない嫌々ながらの行動」といっても、環境 条件において、ダイレクトに衝動を発露する事による 非充足な結果とのバランスした上での最大化なのです。 結果的に、生きる事の本質的目的は、人生を通算した 充足量の最大化(認識の深まりによる精神的豊かさ× 認識的社会性の発達による物質的豊かさ=欲求の強さ× そのベクトルを描く認識の深さ×達成度×その感受性× 時間的延長において最大に保つ認識力)に収斂するのです

yuniko99
質問者

お礼

なんか良いことが書いてあるようですが 結局のところ何かといえば 何々×何々×何々×何々×・・・ と色んな要素があって どれが根本にあるのか どれも並列なのか よく分からないですねえ 第一に文章が難しく 漢字も難しく 中には読めないのも在って参ります。 つまり本質的には志向性がないと 他者の意見を見て決めるのでしょうか? 何となく分かりますが また今度読んでみます どうも大変ありがとうございます。

関連するQ&A