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大日如来様とはどんなお方なのですか?
私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。 もしよければ教えてください。
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我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一目見た中国真言宗の最高僧が、「遅し!我、汝を待つこと久し!」と叫んだという逸話があります。 勉学に励んだ空海は真言宗のすぐに最高位に就き、奥義や仏典などを全部日本に持って帰ったために、以後、中国では真言宗は廃れました。数年前、中国に空海像が里帰りしたような記事を見た記憶があります。 密教では当然、大日如来は宇宙(宇宙を描く曼荼羅)の中心であり、諸仏(如来その他)も大日如来から産まれるものとされています。それ故、諸仏の王とされて王冠を被って描かれたり、彫られたりします。場合によっては装身具も身につけます。 大本の思想は、帝釈天と戦った阿修羅系の神だそうです。ゾロアスター教のアフラ・マズダ(全生命の根源)・・・ そのものではないようですが、思想的には同系だとのこと。 一神教は、他宗教信徒に対して「受け入れ」を求めるだけ(拒否すれば死)ですが、仏教のように平和的な宗教では、相手の言い分を認めて受け入れなければなりません。 有名なところでは、阿修羅は帝釈天と何度となく戦った後、仏教に帰依したことになっています。これなどは、阿修羅を信じる者に、「阿修羅でさえ帰依したんだから、おまえたちも」と言うための方便だったものと思います。 そう説得するためには、まず阿修羅の存在を認め、次に仏教の中に受け入れなければなりません。 つまり、平和宗教というのは、いろんな宗教からの影響を受けざるを得ないのです。で、その一つが、大日如来。 大日如来は、万物の根源であり宇宙そのものですので、かくかくしかじかの容姿であった、こう考えた、というようなことはおそらく伝わっていないものと思います。 その代わり、というわけではないのでしょうが、金剛界や胎蔵界のそれぞれで、さまざまな仏や菩薩、明王などに変身して人々を教え導くとされています。例えば、不動明王も大日如来の変身姿の一つ(教令輪身)です。 従って、大日如来そのものを直接知るのではなく、それぞれの仏などの教えや特徴を知って積み上げていくしかないのではないかと思います。
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- kurinal
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「信教の自由」でしょうね。
お礼
はい。自由です。
- mmky
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>私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。 ○お釈迦様の二面性のことですね。お釈迦様は生涯を通じて「上求菩提・下化衆生」を説かれました。 「上求菩提」とは限りなく仏に向かって智慧を得るということ。「下化衆生」とは無数の衆生の魂を救っていくということ。この二面性をあらわしたのが、大日如来と阿弥陀如来ですね。お釈迦様が衆生を救う姿が阿弥陀如来のお姿、般若経のように弟子の舎利弗に霊界や魂の神秘を教える姿が大日如来ということですね。これは他の回答にもあるように盧舎那仏とも呼びます。 お釈迦様の意図は、救済仏の側面から信仰・仏道に入っても良いし、魂の神秘を知る仏の側面から仏道に入っても良いということですね。仏道に入ったものは「上求菩提・下化衆生」のように勉学と救済の両面を実践するようにということですね。 霊界のお釈迦様の本体は巨大な光の玉ですから、客観的表現としては「無量寿光」が正しい表現ですね。名前は「無量寿光」の光を教育仏としてとらえたのが大日如来、救済仏としてとらえたのが阿弥陀如来ということで、統合的な名前が釈迦大如来ですね。 役割の違いで名前を変えているということです。これは手という本体の一部の指を親指とか小指などと呼ぶようなものですね。機能の違いだけのことです。だから仏教の宗派がどうであれどちらの如来が出てきてもよいのです。
お礼
回答ありがとうございます。 大無量寿経のことでしょうか? 祖母に聞いてみます。 私は兄を亡くして、仏法に興味がわきました。 それまでご説教は馬の耳に念仏でしたが、祖母が信仰心が強く、地獄に落ちたと嘆いていて悲しみました。 極楽浄土も半信半疑ですが、兄が辛い苦しい思いをしていないか心配です。 また何かありましたら基礎からですが教えていただきたいと思います。 回答していただいた方に感謝いたします。ありがとうございます。
- NemurinekoNya
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奈良の大仏をご存知でしょう。 あの仏さまが大日如来です。 大日如来の本当の名前は、マハー・ヴァイローチャナ(mahA-vairocana)です。 奈良の大仏、廬舎那仏(るしゃなぶつ)の名前は、ヴァイロチャナ(vairocana)。 大日如来と廬舎那仏の差は、尊称として「偉大な」という意味をあらわす「マハー」という字がついているかどうかの差です。 真言の人の中には、「大日如来の方が、《大》が付いているから、廬舎那仏よりも偉いんだ」とか言ったりする人もいたりしますけれども、同じ仏さまです。 マハー・ヴァイローチャナは、偉大なる毘廬舎那(びるしゃな)という意味なので。 それで、「ヴァイローチャナ」ですが、「ヴァイ」は「本当に」とか「遠くまで」くらいの意味で、「ローチャナ」は「光を放つ者」、「光り輝く者」くらいの意味です。 そして、 阿弥陀さんは、《無量光仏》ともいうので、光つながりということで、どこか、《大日如来》と似ているでしょう。事実、日本では、阿弥陀さんと大日さんを同一と考える思想が生まれたりもしました。 あまり《仏身論》に踏み込みたくないのですが、この質問に答えるためには、これを避けるわけにはいかないので、簡単に《仏身論》について説明します。 一応、仏様の身体には、三つあるといわれています。 究極の仏身と呼ばれる《法身(ほっしん)》、願行の報いとして仏となり得られる身体《報身(ほうじん)》、お釈迦様のような物質的な肉体を持った《応身(おうじん)》ですね。《応身》は《色身(しきしん)》ともいわれます。 阿弥陀さんは仏となる前、法蔵菩薩で、弥陀の四十八願を立て、修行をした《報い》として仏さんになったわけなので、《報身》となります。 対して、大日如来は、究極の仏の身体(?)である《法身》の仏さまとなります。 こう書くと、法身仏である大日如来の方が、報身仏である阿弥陀仏よりも、仏さまの位、尊格が上というような感じを持たれるかもしれませんが、そういうものでもないんですよ。 タトエていうと、 大日如来は《りんご》で抽象、阿弥陀如来はりんごの一つの種類である《ふじ》で具象。 りんごの《ふじ》も《りんご》でしょう。 また、抽象は具象を離れて存在しません。 阿弥陀さんと大日さんは、まったく同じではないけれど、違うものでもない。 大日如来と阿弥陀如来の関係は、こんな感じです。 報身にも二つの姿・形があるのですが、煩瑣で面倒なだけなので、この点については触れません。 そして、 真言宗では、阿弥陀如来は、法身仏である大日如来のハタラキの一つと考えます。仏さんの智慧のハタラキと言った方が適切なのかもしれませんが。阿弥陀如来は、五智如来の一つとして、とても重要な仏さまです。 真言宗のお葬式の際には、 真言宗のお坊さんは、阿弥陀さまの真言・阿弥陀如来根本陀羅尼(だらに)、略称、十甘露呪(じゅうかんろしゅ)を唱え、故人の菩提を弔います。 ☆☆☆☆☆☆ ☆ 大本の思想は、帝釈天と戦った阿修羅系の神だそうです。ゾロアスター教のアフラ・マズダ(全生命の根源)・・・ そのものではないようですが、思想的には同系だとのこと。 ◇ゾロアスターの研究者は、そのようなことを言いますね~(笑い)。 「大乗仏教は、ゾロアスター教の影響を受けて成立したんだ~。ゾロアスター教の方が偉いんだ~、すごいんだ~」と言いたいんでしょう(笑い)。 むしろ、大日如来(vai-rocana)との近親性でいうのならば、バラモン教などで阿修羅の王とされる《ヴィローチャナ》(vi-rocana)をあげた方がいいですかね。 名前、そっくりでしょう。ローマ字表記ですと、「v」と「i」の間に「a」が入っているか、いないかの差だけです。 ───────── ヴィローチャナ(Virocana)は、インド神話や仏教説話で古くから、アスラ(阿修羅)族の王、あるいは単に太陽神とされる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%8A ───────── 阿修羅(アスラ神族)というと、悪魔や悪神のように思われるかもしれませんが、 神格としては、むしろ、阿修羅の方が、帝釈天に代表されるデーヴァ神族よりも上なんですよ。 でも、アスラ神族は、バラモンによって買収されない(お供え物で願いを叶えてくれない)神様なので、時代が降るにつれて、その地位が下落してしまった。 ヴェーダの最古層で最高神にあたる《ヴァルナ》神は、アスラ神族です。 のちにその地位をバラモンの神さま、梵天(バラフマン・ブラフマー)に乗っ取られちゃいましたけれど。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%8A_%28%E7%A5%9E%29 《ヴィローチャナ》の意味は、《光》、《太陽》で、これを神格化したもの。日本でいうと、天照大神にあたりますかね~。とっても古い神さまです。 ゾロアスター教のアフラ・マズダーよりもその起源はずっとずっと古い神さまです。 ヴァルナ神も、アフラー・マズダーと関係がありません。 ヴァルナ神と関係があるのは、古代ペルシア神話のミトラ神の方です。 でも、昔は、 「《ヴィローチャナ》が大日如来(マハー・ヴァイローチャナ)の祖先だ」 いう研究者もいましたけれども、 最近は、そんなことを言いませんわね~。 はっきり言って、他人の空似です。 サンスクリット語の名詞の作り方、造語法に基づくものです。 ☆☆☆☆☆☆ それで~、 大日如来というのは、『大日経』というお経に出てくる中国語に訳した名前。 そして、 「『大日経』は、宇宙の原理、構造を説いたお経」と一般にされています。 こうした宇宙観が、《胎蔵界(たいぞうかい)》と呼ばれます。 《胎蔵》はお母さんが赤ちゃんを育む母胎の意味です。 お母さんは優しいから、胎蔵界の大日如来は、《慈悲》を象徴します。 対して、 《金剛界》は、『金剛頂経』と呼ばれるお経に基づく宇宙観。 心の世界と言った方がいいのかも知れませんね~。 そして、《金剛界》の大日如来は、仏さんの《智慧》を象徴しているとされています。 胎蔵界の大日如来は、お母さんですから、 金剛界の大日如来は、お父さんになります。 胎蔵界と金剛界に大日如来が別々に存在するのではなく、 この違いは、ものの見方、観点の相違に過ぎません。 金剛界と胎蔵界は、二つでワンセットです。
お礼
回答ありがとうございます。 お礼が遅くなってすみません。 仏像のことはちょっと解りませんが、仏法に最近興味を持ち始めました。 解りやすい回答でしたので今後も読み返してみたいと思います。
すべてを遍く照らして、限りない慈悲の光を注いでくださる仏様です。 読んで字のごとし・・でしょう。 理の解説は山ほどあると思いますが・・。 付け足しの話ですが・・ 私の菩提寺は浄土宗です。 施餓鬼会に参列して思ったことがあります。 僧侶の人達が、阿弥陀様に向かって唱えるのは 南無阿弥陀仏やら、お経やら、仏様を讃える言葉やら・・です。 しかし こちらを向いて、檀信徒に語りかける言葉は真言です。 私は、始めは何で真言なんだろうと不思議に思いました。 でも、だんだんその意味が分かってきたように思います。 仏様から衆生への言葉だっていう事なんですね。 だから真言を用いるのでしょう。 何も真言じゃなくたっていい・・と思うんですが やはり意味があると思います。 仏様から声をかけられているんだよ・・という 仏様から優しい心をかけられているんだよ・・という 自覚を促す意味があるんだと思います。 宗派によって本尊は違いますが 仏様から慈悲心をいただいている、という事にまったく変わりはないのだと思います。 阿弥陀様も大日如来も、その慈悲心においてはまったく変わりがない 縁によって信じる仏様を決めればいいだけのように思います。 法然、親鸞は他力を説きましたけれども どの仏様を信じても、その慈悲心に身を委ねることができればいいのではないのか・・ といった感じがします。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほどです。参考になりました。
- 177019
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「大日如来様」「阿弥陀如来」これらはすべて仏典上の登場人物です。従ってこれらを本尊とし拝む事は漫画の登場人物を拝んでいるのと同じで、この世に出現されたものではありません。
お礼
回答ありがとうございました。
- Lenova2012
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宗教にはご本尊が有ります、大日如来をご本尊としているのは真言宗(空海が伝えた仏教)です。空海は仏様の世界を分かりやすく説くべく十界曼荼羅を立体曼荼羅として京都の東寺講堂に表現しました。浄土真宗のご本尊である阿弥陀仏様も仏様なのですがその中心は大日如来となっています。浄土真宗は古来の仏教だけでは貧しい人々は救われないと親鸞が説いた新しい仏教なのです。特徴的なのは亡くなった人は仏様にはならず、浄土で阿弥陀様に救われて生きているのです、従って戒名もお墓も位牌も無いのです。どうしてもお墓の欲しい方は、南無阿弥陀仏と彫った記念碑を建立しているようです。浄土真宗が良いとか悪いとかは言えませんが、念仏によって他人を巻き込んでいくやり方は日蓮宗(創価学会)と似ています。いずれにしても浄土真宗とか日蓮宗は新興宗教と思っています、失礼な表現と思われるならお許しください。
お礼
回答ありがとうございます。 全然失礼ではないです、勉強になりました。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね、仏様の教えを地道に聴聞していこうと思います。 参考になりました。