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国語学についてです
tepuからtyoo(蝶)への変化の過程を語形だけでなく、変化の理由もそえて教えていただきたいです! よろしくお願いいたします!
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- TANUHACHI
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こんばんは夜分に失礼します。せっかくの補足をいただきながら、回答に相当の時間を費やしてしまったことを先ずはお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。 さて本題に入ります。 【上代特殊路仮名遣い】 今日の私達は歴史的仮名遣いで文を書くことは先ずありません。しかし今から百年ばかり以前の明治から昭和の一桁の時代の頃に小学校に学んだ方々は「川→カハ」「乾く→カワク」の様に書き分けのあることを教えられていました。これは、「同じ発音」ではあるものの意味に異なりがあることを示すための「約束事」として学習させられたことを物語っています。 これを平安中期まで遡ってみますと、「ワ・ハ」は語頭語中を問わずにwa・fa、「ヲ・オ・ホ」は同じくo・wo・fo、「ジ・ヂ」はzi・diとの区別があったばかりでなく。ア行の「衣・依(e)」とヤ行の「要・延(je)」も別々の音であったとも知られています。つまり先年も遡れば、仮名表記の違いは発音の違いに伴うものであったことも解ります。 ここで「それ以前」の状況を考えてみます。奈良時代の『万葉集』『記紀』『風土記』を覧てみますと、eとjeとが違うばかりでなく、キ・ヒ・ミ・ケ・ヘ・メ・コ・ソ・ト・ノ・ヨ・ロ+濁音の19の音にもそれぞれ二種類の発音があり、その違いを反映する仮名の書き分けがなされていたことも解り、これを「上代特殊仮名遣い」と呼びます。 つまり「万葉仮名の時代(奈良時代)」では現在の「ハヒフヘホ」に相当する音が別の音で発生されていたとの話になり、改めて「どの様に発音されていたのか」との問題が生じます。それを探る手掛かりは辞書にあります。辞書といっても現代の辞書ではなく、中国宋代の『広韻』を紐解く作業になります。これに依れば、現在の「ハヒフヘホ」が半濁音「パピプペポ(pa・pi・pu・pe・po)」と発音されていたことも解ります。 【ハ行転呼音】 ここまででも少しお話ししましたが、日本語には元々「書き記す」ための文字はありませんでした。なにがしかの形で音声はありました。それをどの様に具体的に記すかとの過程で「万葉仮名」が用いられ、その特質は「一つの音に対して、一文字で記す『一文字一音』」との点にあり、具体的には『万葉集』をご覧になれば一目瞭然です。 「籠もよ み籠もち ふくしもよ」との雄略天皇の御製は「籠毛与 美籠母乳 布久思毛与」と表記されています。 そして質問者様が挙げられている「てふ」が「ちゃう」へと変化する事例は、百人一首にある壬生忠見の作「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」かと存じますが、この「てふ」は「ちゃう(読みとしては“ちょう”)」は「蝶」ではなく、「といふ」の縮まった形です。もしこの「てふ」を「蝶」としてしまうと、この和歌の意味がおかしなものになってしまいます。 この程度のお話ししかできませんので参考にすらならないと存じます。けれども質問者様が今後の研究をなされるに際して、手掛かりとなるキーワードを幾つか挙げさせていただきますと、「定家仮名遣い」「契沖仮名遣い」そして「万葉仮名」「上代特殊仮名遣い」といった部分を日本語史の観点や音韻学、階層による日本語の位相的変化、方言などといった側面からアプローチすれば面白い研究ができるかと存じます。
- TANUHACHI
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こんばんは夜分に失礼します。「てふ」は漢語の「蝶」であり、これに相当する和語を文献上で確認してみますと、 先ず『新撰字鏡』には「加波比良古 カハヒラコ」、次いで『名義抄』では「蛾 ヒヒル」、『和名抄』には「蛾 比々流 ヒヒル。蚕ノ飛虫ト作レル也」そして『日葡辞書』には「Fijru ヒイル(蛾)。蚕から出た蝶」として和語での「てふ」に関する記述が見えます。ここまでの経緯を整理してみますと「てふ」を「ちょう」と記する記述はないとの話になり、日本語とその表記法をどう規定するかによっても、この質問に対する回答は変化もします。 もし質問者様が所謂「ハ行転呼」の問題に関して知りたいとのことであれば別途お話ししますので、補足されることをお願い致します。
補足
上代特殊仮名遣いとハ行転呼について勉強しているので、 それらを含んでの変化の理由など教えていただけるの幸いです!