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源氏物語 六条の御息所の生き方

六条の御息所の生き方‥‥届かない思い、気の毒におもうのは自分だけでしょうか。 光の君に出会うまでは、自分らしく静かに生きていらしたのに、光の君に半ば無理矢理恋の相手にされ、結果として自分のほうが思いが強くなり、余生を源氏への届かぬ恋心に悩まされながら送るという‥‥。 光の君と最後に会ったとき、「私の娘には手を出すな」というようなことを言い残して亡くなったのですが、これは女性としての残された娘への嫉妬心からの言葉と解釈される方が多いように感じますが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。 カテゴリー違いで一度アンケートに投稿させて頂いております、どうぞよろしくおねがい致します。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#196757
noname#196757
回答No.2

こんにちは。 カテを変えられたのですね・・・・ 私も先日、「カテ違いのようにも思います」 そう言った手前もありますから少しまたお話させていただきます。 ただ、先日も言いましたが私も随分昔の記憶です・・・ 思い違いもあるやも知れません。 どうぞ、それを含んでいただければと思います。 「夕顔」の死を六条御息所の死霊の成せる業と言います・・・ はて?果たしてそうでしょうか? 私は源氏の無意識下での六条への罪悪感なのでは? そう思っています・・・。 あまり長くなってもいけません・・・。 先日の質問で最後の回答者の方がこう言っておられました。 六条の並外れた自我と自尊心、 そうでしょうね・・・私もそう思います。 元とは言え「東宮妃」であれば、家柄、教養、見識ともに、 人に優れたもののはずです・・・。 最後の「私の娘には手をだすな」 先日私は六条の源氏への最後の愛情表現にも思える・・・ そう言いました。 同時に嫉妬心もある、そうも言いました。 賢い六条が性根を見極めているはずの源氏と言う男に、 それでも尚、可愛いわが子を託するしかなかった・・・。 六条の哀しい親心、想うべきものがありますね。 もう少しお話もしたいのですが、 あまり長い回答も嫌われます、この辺にしておきましょう。 最後にkinect4さんは古典がお好きのようです。 「堤中納言物語」に虫めずる姫君と言う話があります。 六条御息所もそうなのですが、 いくら筆になるとは言え、当時の時代に自我を持った女性、 そのような女性に私は驚いてしまいます。

noname#190872
質問者

お礼

カテゴリー違いについてのアドバイスを頂きありがとうございました。引っ越しはできないようでしたので、このような形を取らせていただきました。 平安のフィクションとはいえモデルもいたのでしょうか‥男性を頼って生きるしかない世では女性には何の選択の余地もなかったのでしょうか。 高貴で教養もある方であっても、感情のコントロールは難しいという、人間らしさをも見たような気が致しました。 古典についてはまったくの初心者ですが、古典が人間本来の心理を直接的に表しているようで心惹かれております。丁寧にご回答頂きましたこと、新たな書籍のご紹介を頂きましてありがとうございます。

その他の回答 (2)

  • Nebusoku3
  • ベストアンサー率38% (1465/3824)
回答No.3

>「私の娘には手を出すな」というようなことを言い残して亡くなった。 六条の御息所は知的で思慮深い方だったと記憶しております。 光源氏との出会いでその自分らしさが無残にこわされ、のぞまない生霊(後に死霊でしたか)に成り下がった自分を非常に惨めに思い、その思いは非常に悲しいものがありました。 私の考えは 勿論、娘への嫉妬心も少しは有ったでしょうが、それよりももっと強い 娘への愛情 が有り、娘に自分と同じ思いをさせたくは無い為の言葉と思います。 賢い、六条御息所から見た光源氏と言う人は同じ所に落ち着ける方ではなく、必ず、自分の娘が自分と同じ経験をする事を察知していたと思います。 「私の娘には手を出すな」。。は、その事を踏まえた言葉と思います。

noname#190872
質問者

お礼

そうですね、嫉妬心よりは娘を思う気持ちが強かったと思いたいです。 最後の2人の交わす会話は限られ、六条様の発した源氏に対する言葉には沢山の様々な思いが詰まっているようで深く考えてしまいました。 現代よりも人と人とが直接的に関わることが多いかわりに、すぐに連絡が取れる状態にはない時代。とても興味か湧きます。ご回答ありがとうございます。

  • spring135
  • ベストアンサー率44% (1487/3332)
回答No.1

げんじものがたりは「もののあわれ」を描いたといわれますが、いろんな女を通じて平安時代の闇を描いたと思います。六条御息所が生霊となって夕顔を呪い殺すところは源氏物語の白眉の一つでしょう。夕顔も紫も明石もおぼろ月夜も六条御息所も物語の中でしかるべき位置にしっかりと位置づけられることによって平安時代をダイナミックに映し出しています。六条御息所がげんじのなかでとうじょうしなかったら、物語は確実にその分、広がりを失ったでしょう。

noname#190872
質問者

お礼

そうですね、確かに1人1人の登場人物の個性の重さで深みも面白みもありますね。だからこそ現代でも共感できるのでしょうか。ご回答頂きありがとうございます。

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