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源氏物語の夕顔の巻について

夕顔の巻のなかに出てくる 「咲く花に うつるて名は つつめども 折らで過ぎうき 今朝の朝顔」 という源氏の歌についてなのですが、文法的にどのような解釈の仕方が正しいのでしょうか? 今朝の朝顔、という部分を踏まえて、 源氏の心がうつるのは 御息所から中将へなのか それとも御息所から夕顔へなのか・・・・ 文法的にだといまいちわかりません。 どなたかお分かりの方、 こうじゃないかなーと言う意見でも結構です。 お願いします。

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回答No.2

>「今朝の朝顔」と言う点を踏まえながら、御息所から中将に心がうつる、 >という解釈になることの、文法的理由付けを知りたいのです。  御息所→中将、の心のうごきは、歌そのものから読みとることは不可能です。歌からはっきりわかるのは「Bさんに《も》心が動かされるなあ」という内容だけで、その背後に「Aさんがいる」ということも「移るてふ名」から推測されるだけです。それをこの歌の詠まれたときの事情と結びつけて考えると、物語のなかでの「Aさん」「Bさん」そして「移るてふ名」をほしいままにする人がだれであるか、これも推測できるわけです。和歌そのものの解釈としては、ここには一切固有名詞はありません。「朝顔」も暗喩です。「心がうつる、という解釈になることの、文法的理由付け」をあえてあげれば(御息所から中将へ、ではなく、AさんからBさんへという一般名詞での「心がうつる」ですが)、それは「移るてふ名」でしょう。「移る」は一方から一方へと移動すること。名はただの名ではなく色恋の浮名です。前後の状況から、「一方」が御息所、「一方」が中将であることはほぼ間違いありませんが、それは推測にすぎません。和歌というのは抽象的なもので、その場その場において具体的な意味づけを得ていくものですので、和歌だけで「だれとだれが恋仲」ということはなかなか言えない。せいぜいそれは「わたしとあなた」くらいの人称代名詞でしかないのです。  ちなみに正確に言うと、これは心うつりではありません。御息所のような高貴な人のもとに通うには、手引きをしてくれる女房をつくっておくのが便利です。そこで御息所に使える女房の一人と情をかわして、色仕掛けで主人のところへ案内させているわけです(たくさん男がかよう女の人だと、「わたしはAの君のかかり、あなたはB中将のかかり」とこういう女房がいっぱいいる)。中将もおそらく源氏の君とそういう関係であるか、あるいはそういう関係になろうとして源氏の君が口説いているわけです。しかし中将のような女房と源氏の君のような男では身分違いですから、もともと手引きをする女房のほうにも、男のほうにも、相手と真剣に恋をするつもりはありません。男は女房の主人に通うための方便、色仕掛けの袖の下のつもりであり、女房のほうは「役得」という考えかたで、割りきって関係を結ぶわけです。だから心がわりもなにも、もともとそんな真剣な関係ではない。  この場面でいうと、中将と源氏の君に以前から関係があるという仮定で見れば、女房に案内されて女主人と相逢うて朝帰りする男が、「ごめんごめん、ご主人ばっかりじゃなくて君にもサービスしてあげなきゃならないんだけど、今日は遅くなっちゃったし(暗に御息所の愛情がはげしすぎることを言っている)、また今度ね。君がかわいくないからってわけじゃないんだよ。ほら、寝起きの顔がこんなに魅力的な君に手もふれずに帰るなんて……、ぼくだって悔しいんだよ」と冗談交じりに挨拶しているわけです。もし以前からの関係はないとすれば「ご主人さまだけじゃなくて、君とも仲良くなりたいけど、今日は遅くなっちゃったし……」ということ。むろん、愛情としては、御息所に対するそれと、中将へのそれはまったく別のものです。後者はほんの挨拶代りの、あるいは御息所に通うための「必要経費」のようなもので、おそらく源氏の君にとってはまじめな愛情ですらありません。しかし源氏の君のような高貴な男から、冗談交じりにでもこういうふうに機嫌をとってもらえるというのは、当時の女房にとっては最高の栄誉であるわけですから、「ほんの挨拶代り」でも彼女たちは充分満足なのです(まじめな愛情の対象としては、たとえば源氏の君のお供なんかと仲良くなって結婚するわけです)。しかもそのことを自分でよく知っているから、源氏の君はわざわざこういう冗談を言って中将を喜ばせるわけでしょう。ここで源氏の君が「うつるてふ名」などとまじめくさっているのは、ひとつには和歌の表現上そうしないとしまらないから、ひとつにはそれが女の人に対する挨拶としての礼儀だから(いくら実際は「挨拶代り」でも面と向かって言われると腹が立つ)です。  ちなみに「源氏の焦点をはずして主人の侍女としての挨拶をしたのである」という中将のあしらい方は、源氏の君に口説かれて有頂天になったりしない、分をわきまえた中将の性格のよさをさりげなく描写したものでもあります。式部のすぐれた観察でしょう。

jyice01
質問者

お礼

詳細な説明、ありがとうございます。 とても助かりました。

その他の回答 (1)

回答No.1

 朝顔の花のようにうつろいやすい浮気な心と人に言われまいとして慎んでいるが、しかしそうかといって手折らずに過ぎ去ってしまうのも惜しいことだ。朝顔の花のように美しいあなたの寝起きの顔を見てしまってはことに。  ということだと思います。「折らで」は恋愛のごく優雅な婉曲語法。  詠歌の事情は以下の通り(与謝野訳です)。六条御息所のもとから帰るときに中将という女房にからかっている歌です。「君に手も出さずに帰るのは残念だ」という、色好みの君らしい挨拶と見るべきでしょう。  霧の濃くおりた朝、帰りをそそのかされて、ねむそうなふうで嘆息をしながら源氏が出て行くのを、貴女の女房の中将が格子を一間だけあげて、女主人に見送らせるために几帳を横へ引いてしまった。それで貴女は頭をあげて外をながめていた。いろいろに咲いた植込みの花に心がひかれるようで、立ちどまりがちに源氏は歩いて行く。ひじょうに美しい。廊の方へ行くのに中将が供をして行った。この時節にふさわしい淡紫の薄物の裳をきれいに結びつけた中将の腰つきが艶であった。源氏はふりかえって曲がり角の高欄のところへしばらく中将を引きすえた。なお、主従の礼をくずさない態度も、額髪のかかりぎわのあざやかさもすぐれて優美な中将だった。 「咲く花に移るてふ名はつつめども    折らで過ぎうき今朝の朝顔  どうすればいい」  こういって源氏は女の手をとった。もの慣れたふうで、すぐに、   朝霧の晴れ間も待たぬけしきにて     花に心をとめぬとぞ見る という。源氏の焦点をはずして主人の侍女としての挨拶をしたのである。

jyice01
質問者

お礼

ありがとうございます。 うーん、私の説明がちょっと足りなかったかもしれません。ごめんなさい。 解釈というよりかは、注釈ですね。すみません。 「今朝の朝顔」と言う点を踏まえながら、御息所から中将に心がうつる、という解釈になることの、文法的理由付けを知りたいのです。 説明不足でした。申し訳ありません。

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