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「苦悩」について。
「苦悩」について思うことを教えてください。 私は 目標達成への道を大きく疎外された時に感じる負の感情だが 目標を達成した時には喜びを増大させるものだと思っています。
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もう、二十年ほど前のことでしょうか。ピュリッツアー賞を取った”アメリカン・プロメテウス、J.ロバート・オッペンハイマーの勝利と悲劇”と言うドキュメンタリーを見たことがあります。 ご存知でしょうが、ロバート・オッペンハイマーはマンハッタン計画のリーダーで、原爆開発を成功させ、その悲劇的な破壊力を目の当たりにした人です。以下、日本版ウィキペディアです。アメリカ版を翻訳したもののようですが、随分と短縮されています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC ここには載っていませんが、ドキュメンタリーでは、原爆投下後の苦悶としか呼びようのない表情のオッペンハイマーさんの写真が大写しにされ、その気持ちは察するに余りあると同情申し上げたことがあります。一度に老人になってしまったように見えました。 私たち凡人と違って、優秀な人たちは優秀であるがために、恐ろしい選択を迫られることがあり、その選択をした後、自分の手から離れてしまったもの、政治家の手に渡ってしまったものの使われようを見て、悔やんでも悔やみきれなかったことでしょう。 しかし、さすがに物理学会では権威のあるお方だったので、気を取り直して、日本人物理学者の養育に尽力されたそうです。湯川秀樹・友永振一郎の両ノーベル賞受賞者が、物理学者であったのは偶然ではなかったようです。 苦悩、とは、真に優れた人が、恐ろしい偶然に出会って(運命、ともいう)、悩み苦しむことであって、私たち一般人にはあまりご縁がないのではないか、と思います。それこそがギリシア悲劇のテーマであり、一般人の取り越し苦労は”喜劇”として描かれています。
- からあげ ミームン(@marc2bolanti)
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はぁ~困った、苦悩がない。それが苦しい、、アホかも。 苦悩や絶望が無い事こそが最たる<絶望>なのだ!と言ってたのが キルケゴールでしたね。私はそこまで突き詰められないわ。 苦痛や苦労は一杯あります、だらけです。でも痛みは悩んでも仕方無いので対処するだけです。 《悩まない》は田中小実さん、《もっと困れる》は横井庄一さん。両方名著です。 アノレクシー拒食嘔吐やリストカットの人等は苦悩でしょうけど、その行為は精神の苦悩をやり過ごす為のミクロポリティックス身体内の政治=やり繰り、と言われる。むしろ周囲が苦悩します。 本当の苦悩は、Wバインド状態―あれかこれか-に捕われた時では? 拉致被害者の横田さんは確かクリスチャン。娘さんの奪回の為には、 経済制裁もやむ無しと仰る、でも北の子供達が飢えるのは忍びない。 その選択はWバインドでしょうけど、決断すれば苦悩してる暇はない、行動するのみ。しかし長年酷い心身症に悩まされてましたね。行方不明者が身近にあるとそうなります、私も経験あります。 殺人事件の被害者遺族で、当初死刑を望みながら、次第に死刑には賛成もし難くなる人も居て、苦悩してらっしゃいます。でもやはり答えを見付けるべく、精神の闘争するようになり、すると徒に悩んでる暇はなくなるようですよ。 助けられたかも知れないのに助けようとできなかった。>これには悩んでらっしゃる方いました。まさしく苦悩だと思う。折り合いつけ諦念に至るには年月、支援が必要。少なくとも7年位でしょうか。私は些細ですが、飼い猫を助けられなかった事です。少しだけ私に責任ありました。そんな事でも長年思い出します、スマンと今でも言ってます(謝。 本当のに比較すると、一部の文学者の苦悩はどうかと思う。太宰は名作も有るけど、悩んだフリ、あるいは苦悩が商売、という気がする。商売なら仕方ないかも、。 漱石の苦悩は明治精神の要請だから真面目なものですが、今となっては「こころ」の先生等は、そんなに苦悩する事なのか?とも思います。しかしキルケゴールのように突き詰めようとはしてたと取れます。 ノベルM春樹は素晴らしい文才認められますし、社会問題取り上げる意気も良しですが、登場人物の悩みは私は白けます、掘り下げが無い。全共闘が終った後の祭りのインチキ虚無感のよう。 そうした文学の苦悩は‘贅沢品’ですね。それには起源が有って、 『ロマンティック・アゴニー』 Agony苦悩)1930年プラーツの主著 『ロマン主義文学における肉体と死と悪魔』(イタリアでの初版名)~ここに<ファム・ファタール運命女>とか初出して凄い影響力を持った名著として受け入れられたそうで、、世紀末好きには堪えられない本でしょう。 その苦悩は、シェストフ(だっけ?)的不安とかと同様、流行り病でしょう。贅沢品。 太宰は確信犯でしょうが、川端や三島は真面目にデカダンをデカダンによって乗り越えようとした、とかの評価もありますね。ロマンティッシュ・イロニーと言うようです。 ・・本当の苦悩を強いられる人には、闘争の果てに(途中からも)、 《病者の光学》のような、、悲劇の中にも輝く光が訪れるはずで、それが希望でしょうか。 もっと苦悩して欲しいと私が思うのは、原爆投下の命令者と政府ですね。それに向き合うのは本当の苦悩だと思う。 マンハッタンの科学者や投下の当事者の兵士の中には苦悩した人も居たと伝えられてます。大統領も非公式では悩んだらしい。 でもほんとに向き合っては来なかった。 向き合うと気が狂う、と予感したからだと考えられる。 マッチョといっても、米軍にもそこまでの勇者は居なかったのでした。考えるのも嫌なのね。 一部報道ではボックスカー、長崎に落とした方の関係者に真摯な人が居て、自殺も仄めかされてましたが、んhkアーカイブに問い合わせても、氏名は確認できませんでした。 後はオリバーストーンの検証作業に期待するしかないです。そこは日本の加害もそうだけど、ちゃんと苦悩しないと戦後は終わりませんね。歴史とは、検証が終らないと絶対に確定しません。 苦悩なので真面目にやりました。 では
お礼
そうですか。 あなたには苦悩はありませんか。 私もそうです(笑) まぁ、子育てに失敗したのが一番応えましたけど 悩んでも仕方無いですもんね。 失敗しても反省するのみですよね。 実際、子供とも和解出来ましたし。 ダブル・バインドは辛いでしょうね。 究極のあれかこれかですもんね。 昔、ビアフラかどこかの内戦で 赤十字の人にメディアが 「あなた達が子供を助けると戦争が長引きますが」と問い掛けたら 赤十字の人が「私は助けたいんです」と言い切ってたのが 清々しかったです。 そらそうと、例に挙げた作家の 川端、三島、太宰、村上春樹、見事に嫌いな人ばっかりです。 いちいち例は挙げませんが全員ウジウジしてるんですよね。 漱石すら、あんまり好きじゃないです。 三角関係とか、もう勘弁してくれって感じです(笑) 後、誰が言ったのか忘れましたが 「アウシュビッツ以降に詩を書くのは野蛮である」なんて言ってた人がいましたが 「芸術作品ごときに、残虐に殺された人やその遺族を慰める力なんて所詮無いっつ~の」と言いたいです。 芸術作品に出来る事は、この不条理と不正に満ちた世界で 何とか正気を保って生きる人間に一時の慰めを与えることだけだと思います。 原爆に関しては 「あれは戦争終結の為に必要だった」と本当に思えればそれで良いのでしょうが ちょっとでも、そこを疑うと気が狂うでしょうね。 後、日本に関しては 「あの戦争が本当にアジアの欧米列強からの解放戦争だけだったのか」 「侵略戦争の側面があったのか」が核心でしょうね。 実際、中国や韓国の親日派はともかく 侵略戦争だったと思っている中国人や韓国人が多数現在もいる以上 そこに食い違いがある以上、永遠に友好は無理でしょうね。 もし、侵略戦争の側面もあったのなら 閣僚が靖国に参拝するのは 例えば、ヒットラーを祭っている教会へドイツの閣僚が参拝するようなものですからね。 ただ、これに関しても、私は苦悩している訳ではないです。 でも、最近の偏狭なナショナリスト達の発言を聞いて あの愚かで悲惨な戦争に何故突入してしまったのかが 長年の謎だったんですが、納得出来たように思います。
- 31192525
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alterd1953さん、こんにちは。 『苦悩することは文明人として生きている証拠である』(私 笑) な~んも考えん人は苦悩せんでしょうも。 では、お得意の引用を。苦悩煩悶といえばドストエフスキー。 「神と悪魔が戦っている。その戦場こそは人間の心なのだ」(「カラマーゾフの兄弟」) 「人生は苦痛であり、人生は恐怖である。だから人間は不幸なのだ。だが人間は今では人生を愛している。それは苦痛と恐怖を愛するからだ」(「悪霊」・・・だったと思います 汗)
お礼
どうもです(笑) なるほど。 願望があるから苦しみがある訳ですが 低次元の願望が疎外されても単に不快なだけで、苦悩まで行かないでしょうね。 高度に進化した事による両刃の刃なんでしょう。 「失われた時を求めて」が、まだ途中なんですけど 「カラマーゾフの兄弟」も読み始めました。 アリョーシャの未来が興味津々です。 「悪霊」まで手が回るかどうか分かりません(笑) ではまた(笑)
- suzumenokox
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「苦悩」とは、自分と「その他」とのギャップを調整する必要が生じたときの心の葛藤だと思います。「その他」とは、社会の現実であったり他人であったり外国との文化的なギャップであったり、いろいろあるものだと思います。いかにバランスをとってそうしたギャップを調整しながら成長できるかなんでしょうねぇ、人生というものは・・・。
お礼
仰る通りですね。 人間は、往々にして世界を自分の思うような姿であって欲しいと強く願うようですが そうは問屋が卸しませんからね。 そこを上手く調整出来る人が真の賢者なんでしょうね。 ご回答ありがとうございました。
おはようございます。 哲学カテでの質問は承知しておりましたが、 盛況なものですね・・・。 「哲学とは一部の人が大衆を馬鹿にする言葉の遊びである」 誰の言葉かは忘れましたが、言い得て妙のような気もします。 サンデル博士が「白熱教室」でこうも言います。 「哲学とは面白い言葉の玩具である」 一面真実かなとも思いますが当然反論もあるでしょう。 質問と回答ですから、「苦悩」についてです。 NO2の方が「生きているからです」と仰る、私も同感です。 ただ、あなたの質問の意図とは少し違うのかも知れませんね。 苦しみ悩むのは生活そのものでしょう。 とりたてて苦悩などと私は考えたこともありません。 まあ考える暇もなかったのでしょう。 誤解しないで欲しいのですが私はalterdさんの質問を 批判しているわけではないのです。 考えることは良いことです。 ただ、最近頭ばかり大きい人が目立ってたまにイラッとします。 結論を言いますと、 「苦悩」とは我々が人生を終えるまで背負い続けるものでしょうね。 苦労と言ったほうが分かり易いのでしょうか。 この話だけしたくてお邪魔したわけでもないのです。 昨夜はどうも支離滅裂なお礼文で失礼しました。 私、最近は殆どアルコールは口にしないのですが、 家内が地酒を買ってきましてね、 「味見!味見!」とか言われて呑んでいるうちに、 すっかり調子良くなって、もう何を書いているのか分からない状態で、 先ほど起きるまで意識不明でした・・・ aterdさんは気ずかれたかな?と思いましたので、 お詫びしておきます。
お礼
どうもです(笑) >「哲学とは一部の人が大衆を馬鹿にする言葉の遊びである」 確かに小難しい理屈をこねくり回して読者を煙に巻く哲学者の本等は そういう感じもしないではありませんが プラトンの「国家」やアリストテレスの「形而上学」なんて 大真面目そのものですよ。 真面目過ぎて読むのはしんどいですけどね(笑) >「哲学とは面白い言葉の玩具である」 これはかなり近いように思います。 私は一種の「言語ゲーム」だと思っています。 但し、その人の人生を背負っていますし 国で言う所の「憲法」みたいなものではないかと思っています。 別の言い方をすれば 「思索と科学的知見を総合して人生に役立つ知恵を生み出すもの」でしょうか。 >ただ、最近頭ばかり大きい人が目立ってたまにイラッとします。 これは私も同感です。 ただ、若者は昔からそうではないでしょうか。 人間、やる前にあれこれ考えるものですからね。 本当は人間、やるしかないんですけどね。 でも、時々、立ち止まって考えることも貴重だと思います。 >「苦悩」とは我々が人生を終えるまで背負い続けるものでしょうね。 これも全くその通りですね。 逆に生きている証かも知れませんね。 >昨夜はどうも支離滅裂なお礼文で失礼しました。 いえいえ。 とんでもないです。 馬生の枕、最高でしたよ(笑) ではまた(笑)
- tumaritou1
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『苦悩』は目標ではなくて、自分が引き受ける目の前の『現実』と思います、或いは『受容』という意味も同じです。 死の問題に置き換えると分りやすいです。自分の死を『現実の問題』に置き換えると実感が沸くと思います。 深刻な苦悩は死と生の対立や、有限と永遠の対立から成り立っていると思います。 分りやすい話が、『人生で学ぶ事は死を学ぶ事』によって、苦悩から解き放たれるという意味があります。
お礼
私も『死』は究極の救いだと思っています。 『人生で学ぶ事は死を学ぶ事』と言うのも正しくそうでしょうね。 『良く生きることは良く死ぬこと』とも言えるでしょうか。 『苦悩』出来る内が花なんでしょうね。 『これで良し』と言って死にたいものです(笑) ご回答ありがとうございました。
- adele24
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こんにちわ。 私にとっての「苦悩」は、自分の無力さを感じるときです。 弱者、例えば子供や老人、病人、犬猫など、が苦しんでいるのを見るとき、 自分の責任を感じて自分を責めるとき、が一番苦しいです。 責任というのは、自分の判断ミスだったり、怠慢だったりです。 とても個人的ですみません。 今の私にとっては、入院中の飼い犬、そして、保健所の犬猫たちです。
お礼
どうもです(笑) 確かに自分のせいで他者を苦しめるはめになると 物凄く辛いですよね。 私も仕事で人に迷惑を掛けてしまうと物凄くヘコみましたし 子育てに失敗した事は人生最大の失敗でした。 ただ、仕事は勿論なんですが その後、反省して修正するしかないんですよね。 実際、子供に厳しくし過ぎた反省から 新入社員を辛抱強く教えて成長させることが出来ましたし 長い年月は掛りましたが、子供にも謝罪して幸い仲直り出来ました。 どうか、退院したワンちゃんを大事にしてあげて下さい。 ではまた(笑)
「苦悩」はその原因を取り除けば消滅する。 時には目標をなかったことにして。
お礼
なるほど。 無理な目標設定が苦悩を生むことも多々ありますね。 ご回答ありがとうございました。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
お礼、ありがとうございました。 苦悩のときには、苦しみを伴っていますが その苦しみの中に多くの理由が詰まっています。 伸び悩みでも、適切な学びの上に苦しみからその内容を読み取れたら不安や恐怖は持ちません。 自分の苦しみ、苦悩を見つめることができたら理由は理解できるようになります。 学びがあれば、解決方法も打ち出せます。 苦悩の「苦」には、多くの理由としての情報満載です。 苦には、そんな素晴らしい点も含まれています。 ご参考までに。 生きるすべては、必然だとふっとよぎる毎日です(笑)
お礼
どうもです(笑) >苦悩の「苦」には、多くの理由としての情報満載です。 素晴らしい発想ですね。 人間、どうでも良いことに苦しまないと言うことでしょうか。 >生きるすべては、必然だとふっとよぎる毎日です(笑) コンピュータと完全に一緒では無いかも知れませんが 人間の行動がプログラムの結果なら全ては必然でしょうね。 終末医療に携わっているお医者さんが 「人間は生きて来たように死んでゆく」と仰ってましたが 正にそうだと思います。 要は、自分を肯定出来るかどうかでしょうね。 ではまた(笑)
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
まずは、苦しさ=負だと考えていません。 苦しさは成長する時のものと、どうにも出来ないものと二つあります。 分かりやすい例えとして、スポーツをするとします。 心肺機能を上げるためには、練習を積むときに苦悩があります。 しかし積み重ねることで、向上していきます。 もう一つは、練習を積み重ねないで伸びないと悩む苦悩があります。 やって自分を成長させるものと、やらないで堂々巡りをしているかあきらめる。 苦悩は別の形で、どちらにもあると思います。 苦悩は勿論達成した喜びも与えてくれますが、途中だとしても自分は頑張っているという 実感も与えてくれます。 この実感が無かったら、私は逆に挑戦しなくなるように思います。 喜びを得られる苦悩か、何も得られず苦しみ続ける苦悩か。 選ぶのは本人ですが、目先の楽さに気を取られてもがき続けるのをとってしまうのが人間ですね(笑) 苦しみや苦悩も、経験することで理解できるし乗り越えていく目安にもなるので すべては必要があるものだと感じています。 分かりやすさでスポーツにしましたが、外面的なものも内面的なものも同じですね。 成長する苦悩はそれなりに楽しめますが、どつぼにはまっている苦悩は楽しめない。 そこは違いがあるように思います。
お礼
そうですね。 実際、楽に出来ることなど、やれても全然嬉しくないですしね。 苦しさに中にすでに手応えがありますね。 ただ、伸び悩んでいる時の苦しさは いつ終わるか分からない所にあるのでしょうが 何もやらない苦悩よりはマシな気がします。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
そうですね。 大勢の人々の生死を左右する判断を迫られることは 正に「苦悩」の名にふさわしいでしょうね。 アインシュタインも「マンハッタン計画」に協力したことを 後に、ある日本人に非難された時 強い口調で 「自分の家族に害が及ぶ時には戦争も辞さない」と言ったそうですが 結局、原爆が日本に使われたことには、さぞや苦悩したでしょうね。 また、「キューバ危機」の時に 頭を抱えていた、ケネディの姿も、正に苦悩そのものでした。 そして、考えることが出来る人にとっては 「この世は喜劇」 感じることが出来る人にとっては 「この世は悲劇」であり。 感じることが出来る人より、考える人の方が常に多いので 「この世は喜劇である」と聞いたことがありますが そうかも知れないと思います。
補足
そろそろ締め切らせて頂きます。 お陰様で「苦悩」の前向きな捉え方も知ったように思います。 皆様、ご回答ありがとうございました。