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なぜ楽をしようとするのか?

なぜ人は楽をしようとするのだろうか? 練習をする、勉強をする、仕事をする。 常に最高を心がけ、徹底すれば、望む成果が得られる可能性が高いとわかっているなのに、なぜ楽なほうへ流されて後悔することになるのか? 確実に成果が出るように、苦労をいとわないというプログラムがなぜされていないのか? 色々とご意見求む。

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回答No.15

 再考です。  人間以下、の動物は本能のままに生きればよいように仕組まれているようですが、人間の行動は個々の“想い”に任されています。善かろうが悪かろうが、過ぎようが過ぎまいが、個々の“想い”に任されていて、そこのところをコントロールしているのが“理性”の働きですよね。  人間は理性と云う能力を備えたのだから、感情を制御する意志力を理性の判断を仰いで働かせよ!・・・と、何者かに言われているようです。  “何者か”は人間に三つの能力を与えたのだから、それを活用して思うように生きなさい、とでも云ったんでしょうか。  たぶん、試しているんでしょう。今の我々は「試作品」なんだと思います。  完成品ならば質問で問いかけているような、「確実に成果が出るように、苦労をいとわないプログラム」がなされていると思います。  でもやはり、それでは自然の秩序を乱しそうで・・・・・「完成品」はそうした意味では不完全ではないかと思います。  ☆ 試作品の方が完全?    

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 試されている、というのは面白いです。

その他の回答 (14)

  • akiko1er
  • ベストアンサー率47% (8/17)
回答No.14

ANo.1です。コメントをありがとうございます。 <<常に最高を心がけ、徹底すれば>> この努力を貴方ご自身が最低一年間でも「実行」なされば答がきっと体得できるでしょう。素晴らしい成果を皆に見せて下さることで、皆を説得なさって下さい。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど。 できていないという前提の質問だと解釈しているわけですね。 できている側から、できていない側に対しての疑問だとは見えなかったんですね。 勉強になります。

回答No.13

 再再考、です。  考えながらの投稿となります。  楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。という言葉がありますが、これに関する疑問、質問と受け止めて考えて見ます。  大人になれば大抵の人は、この事を実感していると思います。  でも、分かってはいるけれど・・・・・、ですね。  人間以外の動物は“そのまんま”で“過ぎる”という事がありません。  それは天命、と云えます。  引き換え、人間には天命として高度な精神を与え、その個々の精神に“生き方”を任せた、と云えるのではないでしょうか。  坂道は肉体的に下るのは楽、上るのは苦。  精神にも、これが当てはまります。  もし、質問に有るような苦を苦とも思わないようなプログラムがなされていたら、それはロボットのような、或いは未来の人間、のように思います。  ホモサピエンスは猿から人へとの進化の第一歩、と受け止めれば一旦この現代人が地球上から絶滅した後に、誕生した生命体から進化して現われた“人間”は、苦を苦とも思わない完璧な“プログラム”を身に着けていると思います。  でも、完璧すぎて地球上の生態系としてのバランスが取れなくなるのではないでしょうか。  答えは、地球上の生命体の秩序を乱さないために、・・・・・となりましたが?  ☆「完璧」とは?なんて事にもこだわりたくなります。      

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 完璧なのにバランスが取れないということはあるのでしょうか?

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.12

こんばんは。 「必要」以上に、「練習をする、勉強をする、仕事をする」人が、居るでしょうか? (居るなら、なぜ???) >「常に最高を心がけ、徹底すれば、望む成果が得られる可能性が高いとわかっているなのに、なぜ楽なほうへ流されて後悔することになるのか? 確実に成果が出るように、苦労をいとわないというプログラムがなぜされていないのか?」 「金メダルじゃないと評価されなかった」というのと同じ議論に思います。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 人からの評価ではなく、自分での評価の中でも同じことが起こります。 また、「必要」以上にではなく、「必要」最低限もやらないということに対しての問いです。

回答No.11

たとえばマラソンを趣味としている人は、楽をするために 走っているのでしょうか? 私は人生の半分をボランティア(青年海外協力隊)や国際 協力(海外コンサル)として過ごしましたが、それは楽を するためではなく、自分の能力を発揮する喜びのためです。 生命にとって生きる事が目的であり、社会生命である人類 にとって、それは働く事であるはずです。 ところが社会性(分業化・組織化)の発達において、そう した自己の生命性の拡張(助け合い)を把握できる認識の 深まりを怠り、自己チューな意識のままお金や出世といった “馬車馬の目の前のニンジン”によって、他律的に社会性の コースを走らせる方法論をとったのです。 あなたの身の回りの物は衣食住全て、世界中の人々の営為に よっており、実態として助け合っているのです。 ところが、生命として生きる事そのもの=喜びであるはずの 労働を、お金をもらうためにイヤイヤ働くものにしてしまっ たために、お金をもうけて自分は働かなくて済むようになる ために働くという、矛盾と苦痛に満ちたものになったのです。 その結果、助け合い喜びに充ちたはずの社会は、競い合い 奪い合う弱肉強食のジャングルにしてしまったのです。 生きる目的が物質的繁栄ならば、どちらでも大差ないが、 精神的充足量の最大化であるならば、そうした他律的生= 苦痛から逃げる事による結果的生のマイナスだけでなく、 その充足感が結実する環境認識の希薄化においてもWの マイナスとなるのです。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 好きなことをして稼げなければ、物乞いすれば良いじゃん。 誰かが助けてくれるさ、ということですか?

noname#194996
noname#194996
回答No.10

NO・9 です。 前回はざっくり書きましたが、改めて考えてみると面白いテーマですね。 本来なら「人間はどうして苦しいことをしてまで向上しようとするのか?」という質問になるのでしょう。 貴方は人間が努力する姿の方が自然に見えますか? 日常をまともに倫理的に働く民族は少数派でしょう。ざっくり言って日本人は、幸い、その少数派に属しているようです。質問者様はその典型的な日本人の資質でこの質問を発想されたのでしょうね。 基本的に、人間は前回のべたような、怠惰ないきものです。ただ、生れ落ちた瞬間から苦痛を知り、生きる努力をしなければ死ぬ、それは今強いられている生への間断ない努力よりも辛く苦しいことだということをを本能から知り、その方向へと延々と努力をつづけるようになります。食べ物を探し、より安全な寝場所を探し、自分を食おうと襲ってくる大小無数の危険と戦い、欲望に目覚めてそのほうへも精を出す。 基本的にいきものとはそういうものなのでしょう。 もちろん、そういった最低の努力もしないで済めばそれに越したことはない。なので、目の前のそういった地道な努力でなく、未来を見据えた飛躍的な努力(それが当面更にくるしいことであれ)をしてそれが叶った後の快楽をゲットするために今の時間を他人よりも辛い努力へ自分を振り向ける。しかしそれができるのはやはり人間という知力に優れた生き物で、それを上手に効率よくせっせとやれるのは、世界的に観ればやはり少数派だと思いますよ。先進社会に多くいる種族です。というより、それができたから先進社会が実現したということでしょうか。 >なぜ人は楽をしようとするのだろうか? それが生き物の物性的な本性だからでしょうね。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 生存欲求という観点ですね。 向上するということが自然に反するという結論でしょうか?

noname#194996
noname#194996
回答No.9

>なぜ楽をしようとするのか? これは簡単ですね。慣性の法則です。 何かしら前向きのことをしようと思うと余計なエネルギーが必要です。世界の仕組みはそういうことをやらない方向へ向かうようになっています。エントロピーの法則です。ものは上から自然な力に引かれて下へ動いていきます。生物は一見それに反する動きをするように見えるのですが、それも巧妙なメカニズムの結果で、自然の偶然から築かれたプログラムにしたがっているのです。 人間が苦労をして高みに上っていくように見えるのも、そういった自然が築いた様々なプログラムのひとつにしたがっているといえます。それらは一部が人間の知性で乱されていますので、混乱が起っています。あなたが「なぜひとは苦労をいとうのか?」と単純に考えるのもその一例です。人間を含む基本的な生物の動きは、楽をしてより長く生きたいという単純なものでしょうね。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 なぜ、本来望むものと反対の方向に法則が働くのでしょうか?

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.8

資質的なプログラムは、苦労をいとわないプログラムになっている。 たとえると、マシン語みたいなもの。 しかし、私たちはややもすると苦労をいとうというプログラムを自分で組んでしまう。 すると出来るのにやらない。 やりたくないを組み上げているので「やらない」を選択しやすくなる。 それを組んでない人、あるいはやる理由をしっかりと構築した人は「やる」を選択する。 「めんどくせぇ」を口にし続けると「やらない」が構築され、めんどくさがりになる。 そんな単純な所から人間は創られる。 自分でやったことが、自分を創っていくだけである。 口にしなくても、内部でやってたら構築されますが。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど。 ではなぜ苦労をいとうプログラムを組む人がいるのでしょう? なんのために?

回答No.7

質問で使うところのプログラムとは、向上心のことではないでしょうか。 向上心が強ければ、苦労もいとわなくなります。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 向上心というカンフル剤が必要ということですね。

回答No.6

自分を遡登るという発揮に楽しさを経験できないということもあるでしょうね。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 ちょっと意味が分かりません。

noname#215306
noname#215306
回答No.5

苦労を嫌うプログラムがなされているとも思えませんけ ど? 複雑でストレスの大きい社会で、苦労に向き合っていな い人なんて多数といえますかね? 放置・手付かず・未整備なども含め、人の許容範囲を超 えているという事では?

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 能動的な意味合いで聞いていました。 受動的な苦労については前提として考えていませんでした。 勉強になります。