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ラクがしたいというのが否定される理由は?

「ラク」がしたい、と言えばなぜ批判が飛んでくるの? ラクな仕事がしたい、ラクに生きたい、ラクな相手と結婚したい、子育てでラクがしたい、ラクに死にたい。 こういうことを書くとすぐに否定してくる人いますよね?ラクを毛嫌いする人はそんなに苦しいのが好きなんですか? ラクすること=手抜きをすること、みたいに思っているからですか? 手を抜いてもミスする心配がないから「ラク」なのであって、失敗しないのなら手を抜いてもいいんじゃないの? そもそも「ラクなこと」って全力をほとんど出さず、手を抜いても標準以上の結果が出せることを指すと思うし。 常に全力投球じゃないと許さない完璧主義者が多いのかな

質問者が選んだベストアンサー

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  • weavaest
  • ベストアンサー率15% (157/1020)
回答No.1

「ラク」の捉え方の違いじゃないでしょうか。 自分だけラクをしたいって言われると、なんでお前だけラクしようとするんだってなると思います。 皆でラクしたいって言えば、歓迎されるのではないでしょうか。 単に「ラクしたい」って言われると、なんとなく前者のイメージになるのではないでしょうか。

その他の回答 (6)

noname#231796
noname#231796
回答No.7

「ラクする」にはやはり「手を抜く」というイメージがつくからでしょう。 最小限の労力できちんと成果を出すのは、ラク、というより 手際が良い、効率が良い、という言い方をされるからだと思います。

  • pupupu
  • ベストアンサー率22% (111/495)
回答No.6

こんにちは。 昔の人は便利なものがあまりなかったので、今の便利な世の中について行けないだけですよ^^ あと“若いうちの苦労は買ってでもしろ”と言うことわざが有るぐらい、昔の人は苦労好きです。 ある意味、地震などの災害が起きた際は便利なものなど無くなるわけなので・・・ 普段から苦労をしていれば、いざという時困らなくて済むという事も考えられるので、一概にらくなのが良いとは言えない事も有りますね。 でも、要領が良いというのは天性の才能なので、それを持っていない不器用な人も確かにいます。 なので、批判してくる人の前では苦労しているふりだけすれば良いと思います。

  • HeyXey
  • ベストアンサー率26% (134/497)
回答No.5

100人いれば、100人が違う回答をします。 最大公約数が判ったとして、それがどうなの? 君は、まだ起こっていない将来に対して“言い訳”してるのです。 『頑張ったところでオレの頭じゃダメだろう』と思っています。 「みんな」という人はいません。自分以外の人を一括りにして「みんな」と呼んでいる限り、何も見えてきません。誰かにとっての正しさ、誰かにとっての価値、誰かにとっての好き、なのです。職場に有名大学出身の人がいたとして、同僚にとっては「目の上のコブ」かもです。学歴が無くても、誰かにとっては「頼りになる味方」かもです。このような考え方を“構造主義”と言います。キリスト教に見るような、絶対的な真実や価値というものはそもそもないのであって、相対的にそれぞれの関係性において真実や価値があるのみである、という世界観です。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.4

考え方ではないでしょうか? ラクと書くと、手抜きとおもう。 でも、要領よくというなら、効率がよいわけで。 パチンコだって、楽してもうけたいからする、これも努力、必死でしょう、そして本人的には 楽しく、努力です。 英語を勉強するのが楽しい人だっている、これが仕事につながる人もいる。 確率的に役立つことを楽しくする人が、’次もラク’できる人です。 たとえて言うなら、 掛け算を知ってる人、出来る人なら、簡単に何倍がいくつかという答えが出る。 でも、足し算しか出来ない人なら、何倍・・・という作業を何倍分足し算をする、それしか方法がない。 それって、何倍?という、問題・解法に気がつくかということももちろんある。 愚直にあるものを加算する、続ける、これだけが目の前にあることだから。 つまりは、問題解決の手法をどれだけ持っているか、出来るかに過ぎない。 その結果として、’ラク’という時間ができる。 そしてね、ラク=楽しいというのがもともとの意味だと思う。 誰だって、苦しいより、楽しいほうがいい。 ラクは実際’楽’という漢字を使うのです。 え? これってそういうこと?!って、優れた解法に気がつくと楽しいでしょう? 【常に全力投球じゃないと許さない完璧主義者が多いのかな 】 これはまた、見方?が違うと思う。 手法をアイデアをたくさん持っている人は、それ以前に、それだけの能力、蓄積に努力をしているからこぞ ’楽・ラク’として最終的に’武器・道具・手法’が出せるだけのこと。 なので、タダの作業の順番を換えることで、作業能率が簡単にupするようなことは多いですが、 一種の発達障害の人などは、どうしても、自分で決めた’順番’を換えることが出来ない。 最初にどうしてそうと決めたかはわかりませんが、考え直すことがない。 これは極端な例ですが。 期待される家事能力やら、調理することなどは、多分にその順番や、工夫に差が出ます。 最終的に、時間がないといういい訳につながる。 でも、努力してない、一生懸命ではない・・・ということもないのです。 ひたすらに、足し算をする・・みたいな手法です、掛け算を知らない、足し算だけでも 順番を換えるとやりやすいことだってある、自身のわずかな能力をうまくつかって・・・もまた、 その、もてる能力の範囲です。 そして、楽している人に対して、ひがむ、あるいは、嫌悪するというのは、 自身の能力の使い方をまた、効率悪くする原因です。 それしかないなら、それはそれとして、どうやって、自身の武器能力をより発揮するかというのは、 たとえ、足し算だけでも効率よく、順番でも入れ換えてとか、それが、本当の’能力’。 所詮、ラクをする(時間を作り出す)ためには自身のもてるものの、あわせ技に過ぎない。 そして、人生のどこかの部分で’ための努力’をしていなければ、ラクは出来ない。 日々、駅の階段を上るひとは、その体力がつく。 たったそれだけでも、その体力は役に立つ。 ラインに時間をつぶす人は、それでくくられた人としかその時間つながってはいない。 それ以外のことにその時間を使う人は、違った世界があるわけです。 それぞれが、どこかでそれなりに努力はしているでしょう、ただ、何が役立ち ラクにつながる’楽しいこと’になるかは、考えりゃわかるけどねぇ。

  • Key_A
  • ベストアンサー率9% (55/603)
回答No.3

原因があって結果があるだけ。今という結果も次の原因になる。 その因果関係を明確にして生きていくしかありません。 成功と失敗は次のプロセスに至るまで、極端なことを言えば 死ぬまで分からない。「ラク」という生き方のための全力投球と 説得すればいいんじゃないかな? 日本はとかく成果ではなく課程にこだわるところがあります。 成果に対しての全力投球か、課程に対しての全力投球か。まあ、その違いやね。

raiponta
質問者

お礼

ほう

  • Sakura2568
  • ベストアンサー率42% (2135/5050)
回答No.2

嫉妬。 自分が苦しいのに他人が楽なのは悔しいですもの。 自分が楽な時は人にも楽しなよって言えます。 楽=まだ頑張れると思もうな。 楽に10が出来る人はきっと頑張れば15出来るかも。30出来るかもしれない。 自分には精いっぱい頑張っても10が限界だけど15に30になっている人を見てみたい。そしてそのコツや秘訣やそこから見える世界を教えてほしいと言う気持ちもあると思います。 だから楽してまだ余力があるならもっと先へ行ってもっと素晴らしい世界を見せてほしいってね。 嫉妬もあるけど期待もあるのですよ。 貴方に期待しているよ 貴方なら出来ると思う 貴女にこそそこへたどり着いてほしい そういう応援にも似た気持ちがあると思います。 でもやっぱり批判する場合は 嫉妬のほうが多いかな。

raiponta
質問者

お礼

ちゃう

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