- ベストアンサー
戦後世代の心理と教育
- 戦後世代は戦前の価値観から急速に変化し、物欲主義となった。
- 戦後団塊世代は自己満足のために詰め込み教育を行い、無気力・無感動・無関心の三ナシ主義を生み出した。
- 戦後世代の方針の変化が、現在の日本のメンタルな問題につながっている。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
違うというか違わないというか、いろいろなお考えが断片的につながっていて、あいだが抜けてしまっているのだろうと思います。 反論される方はこの抜けた部分を持ち出して反論されるでしょうから、何時までたっても平行線になります。 例えば >そんな恥知らずな上世代の体たらくを見て、下の世代はシラケた。団塊世代の学生運動が学生時代だけのお遊びに過ぎなかった失望感もある。 とありますが、この点はお書きになられている先生が仰られたことでしょうか、御人身もこうだろうとお考えになられておられるのでしょうか。 他のスレで流行歌についてお書きになられおられるようですが、you tubeで「いちご白書をもう一度」というのを聞いてみて下さい。Minoru Takadaという方が投稿された画面に当時の学生運動の風景が載っています。 学生運動が過激化する直前に新宿西口のフォーク集会というのがあったのを御存知ですか。 同じ時期に高倉健や藤純子が主演した任侠映画や勝新太郎の座頭市などが絶大な人気をはくしていたことを御存知でしょうか。学生運動に参加していた連中もフォークソングを口ずさむ一方で任侠映画も見ていました。 >戦後団塊世代は資本主義社会の競争原理を、自らの子供たちに課した とありますが、「20歳代にマルクスにかぶれないヤツはバカだ、30歳を超えてまだかぶれている奴は救いようのない大バカだ」と言われていたことは御存知ありませんか。マルクス主義の概要はある意味で常識でした。 一口に団塊世代と仰られておられますが、中学校を卒業しただけで集団就職列車に乗せらて上京して営々と働き続けた人達をも含んだ上でのお話でしょうか? 「下町の太陽」「キューポラのある街」などで唄われた主人公達についてはどうのようにお考えでしょうか。 (これもyoutubeに当時の風景の動画とともに掲載されています。) 高度成長に入る前には。三池争議、国鉄争議など多くの労働運動が拡げられていました。 >だとしたら、今日本に蔓延する様々なメンタルな問題は、元を正せばすべて戦後世代の方針に責任があることになりませんか。 まぁ~あると言えばある、ないと言えばないでしょう。 この論法ですと、そういう教育をするような親を育てた祖父の世代の責任だということになり、永遠に遡ってしまいます。 お気持ちは良くわかりますので、今一度、戦後の世の中の移り変わりを見直してみて下さい。
その他の回答 (4)
- koiprin
- ベストアンサー率23% (72/306)
日本人は『水に流す』ことのできる民族です。 >戦後世代はやはり、戦前「天皇陛下を敬い、日本のために特攻しに行くのだ。だから、自分の命をも棄てるのだ」と教育しときながら、戦後になると急に「世界平和だ。これからは国を平和的に豊かにしていくのだ、だから資本主義的競争意識を持って、物欲に対して貪欲にならなければならない」と、言うことを変えたのですか? これはその通りです。負けたのだから、今までのことは水に流して、勝てる方法でやっていこうよ、というのが日本人の感覚です。 で、これは戦後だけではありません。 昔からの日本人の特性です。 顕著な例は明治維新です。文明開化をした時代に何が起こったでしょうか。 300年以上続いた髪型、衣服、食など、すべて欧米化しました。また、それまで千年以上続いていた神仏習合の考えを変えたとたん、廃仏毀釈として神道に国全体で宗旨替えをして、いままで拝んでいた仏像を全国で簡単に壊すという現象が起こりました。 なので、どの世代であろうと簡単に手のひらを返せる(いいとこ取りをする)のが日本人でしょうね。 言霊の力や穢れを忌避する考えは、万葉の時代から変わっていませんが、うわべを変えるということは簡単に行われています。 ちなみに >あくまで上世代の理想を押し付けられ、「こうなれ」という上世代の自己満足の犠牲になった。それで風紀が乱れに乱れて、若者は自由のはけ口を求めた。それが「変な格好をしてみる」とか、「わざと悪いことをしてみる」とかいう非行を生んだ。 というのは、いつの時代でも起こることですよね。奈良・平安のころは、支配体制から逸脱したものを『悪党』と呼び、室町の頃は『傾き者』と呼ばれたりしていましたよね。 いま日本に蔓延するメンタルな問題が何を指しているのかはわかりませんが、日本人自体は、ここ千年は特に変わっていないと思います。 ま、責任は自分で取りましょうよ、ということですかね。
お礼
責任は自分で取りましょうよ、全ての世代が、ということだと思います。 >日本人自体は、ここ千年は特に変わっていないと思います どうも胡散臭いですね。現に団塊世代と現代っ子ではその精神性が全然違うと思うのですが。「心の豊かさ」ってなんでしょうか。私の世代からは「人間には打算しか存在しない」という意識しか生まれません。それは上世代が私の世代を利己主義になるように仕向けたからです。つまり、競争原理の枠に私を無理やり押し込めた。自分たちは心豊かだった懐古に酔いしれているというのに。そんな訳で「千年変わっていない」というのは視点がまるで合っていないように感じます。 ありがとうございました。
戦前昭和幻想主義に辟易している者です。 >「世界平和だ。これからは国を平和的に豊かにしていくのだ、だから資本主義的競争意識を持って・・・ これって、戦前でも同じことを当時の大人たちは叫んでいましたよ。 誰も「中国、アジアに侵略するぞ!戦争ばっかりしてやるぞ!」なんて言っていない。 「アジアの平和のために戦う」というのがスローガンだった。 資本主義的競争意識も、戦後に生まれた意識じゃない。明治期からその意識はありましたよ。 >物欲に対して貪欲にならなければならない 戦後にこんなこと、誰も強制していない。誰も主張していない。企業が広告とかで奨励していただけですよ。 そもそも物欲や貪欲さは、戦前もあった。だから南方の石油や資源を求めたのでしょう?アメリカの経済封鎖に怒ったのでしょう? 物欲肯定思想は、バブル期に一瞬出ただけ。その中心に今の40~50代もしっかり乗っかっていたし。 別にね、戦後世代(今の60歳より上の世代)を無実だとか、責任ないとかは言いませんよ。 現在のメンタルな諸問題の原因は、やっぱり彼らにもある。 でも、外的要因や戦前の諸問題を無視して、彼らを糾弾するのは酷というか、的外れというか・・・。 つまらない例話。 あなたは、まだ子供の時、父親の仕事の都合で、都会の狭い借家から引っ越すことになった。 親は、「空気の良い町で、子供たちをのびのび育てたい」と郊外の一戸建てを買った。 だが、あなたはそれまでの友人たちと縁が切れ、新しい学校ではクラスの空気になじめず、ぱっとしない少年期をおくった。 そのせいで、成績も悪く、3流大学、中小企業へと進み、今はリストラに怯える日々。 親が残した家も最近の土地下落で二束三文・・・。 こんな状態になった責任を「親の責任だ!」ということにしますか? >今日本に蔓延する様々なメンタルな問題は、元を正せばすべて戦後世代の方針に責任があることになりませんか。 という思考は、それに近いですよ。 なんか、揚げ足を取られそうな話ばかりしたってしょうがないから、このへんにしておきますが そもそも、戦前も、その前も、その前の前も、戦後すぐも、60~70年代も80年代も、矛盾だらけで、先行き不透明で、色んな問題が蔓延していたんですよ。 治安だって、若者の無軌道さだって昭和以前の方がひどかった。 汚職や拝金主義は、明治維新直後からの社会問題だったし、戦時中物資の横流しや、軍隊内部にいじめも今の比じゃない。 オリンピックが終わった20年後(今から約30年後)に、「20世紀の終わりにせっかく世界有数の経済大国になったのにその直後の世代が全てを食い尽くした。上の世代の責任だとか言いながら」って言われますよ。 1980年前後以降の世代は「責任転嫁世代」「あまちゃん世代」とか名前をつけられてね。 ま、それがいつの時代でも常なんですが。
お礼
戦前の富国強兵はアジアの平和のためだったのですかね。前述の後期高齢者の人によると、「一般民は何も考えてなかった、そういうことは偉い人が考えることで、一般民は今日の道楽を求めるばかりだった」とのことですが。私の回答は民衆の集団心理というか、マジョリティがどうだったかということを問題にしていたのです。封建社会において「資本主義的競争意識」が一般民にあったのですか。どこか胡散臭さを感じます。 「物欲に対して貪欲」とは、ようは詰め込み教育につながっている「あの価値観」の画一化で、私たちはありのままの自分が自分であることを許されなかった、ぶっちゃけて言えば、どこかの偉い大学を出て、偉い企業に入社して…という決められたレールにハメられた、その原目的のことです。 「彼らにもある」というより私たちは彼らが育てたのです。今仮に、私の子供世代に問題があるとすると、私は自分たちの責任であると思います。それをあなたは「私たちのせいでもあるがそれより前の世代のせいもあるんだよ」と、どこか言い訳めいた女々しさがあります。「問題は自分の世代で断ち切る」という意識が必要なんじゃないでしょうか。 >こんな状態になった責任を「親の責任だ!」ということにしますか? YES。 全ての世代には謙虚さが必要だと思います。下の世代の結果は自分の世代の責任だと思うし、私達の結果は親世代の責任だと思います。「いまどきの若い者は…」と言う資格がどうして親世代にあるでしょうか。親世代の結果が私達であるのに。 >今の比じゃない あなたにどうして「今」を看破出来るのですか。下世代の人間関係があなたにどうして分かるのですか。日本の自殺率はどうして高いのですか。あなたからは胡散臭さしか感じません。 >1980年前後以降の世代は「責任転嫁世代」「あまちゃん世代」とか名前をつけられてね 全てが逆なんじゃないでしょうか。 ありがとうございました。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
戦前「天皇陛下を敬い、日本のために特攻しに行くのだ。だから、自分の命をも棄てるのだ」と教育しときながら、戦後になると急に「世界平和だ。これからは国を平和的に豊かにしていくのだ、だから資本主義的競争意識を持って、物欲に対して貪欲にならなければならない」と、言うことを変えた ↓ 教育したのではなく、教育されたんですよね?戦後世代は。 通常戦後世代といえば http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/29049/1/17_P1-15.pdf P4 第一期 昭和5年から7年生まれ 第二期 昭和8年から10年生まれ 第三期 昭和11年から15年生まれ 最年長でも終戦時15歳ですから、教育する方ではなくされる方でしょう? そしてその教育の方針転換を行った主体ではない。
お礼
そうですね。教育を行った世代ではなく、積極的にその考え方を受け容れた世代と認識した方が正しいのかもしれませんね。 ありがとうございました。
- tit6644
- ベストアンサー率22% (77/340)
概ね私の認識と同じです。 ですが、 >戦後になると急に「世界平和だ。これからは国を平和的に豊かにしていくのだ、だから資本主義的競争意識を持って、物欲に対して貪欲にならなければならない」と、言うことを変えたのですか? これは言うことを変えざるを得なかったのが実情だと思います。 戦後になり、戦前世代が「世界平和だ。これからは国を平和的に豊かにしていくのだ、だから資本主義的競争意識を持って、物欲に対して貪欲にならなければならない」と、言わざるを得なかった。 これが私の認識です。 >だとしたら、今日本に蔓延する様々なメンタルな問題は、元を正せばすべて戦後世代の方針に責任があることになりませんか。 ここが良く分かりません。前の行の 「今日本に蔓延する様々なメンタルな問題」と 「戦後世代の方針」 の間の繋がりが見えません。また、戦後世代の方針ではなく、実際は戦後に戦前世代の提示した方針を最近になって戦後世代が継承しているという認識です。
お礼
私はこの質問で、日本人全体の流れを説明しました。http://okwave.jp/qa/q8256755.html はっきり言って、90年代の楽曲と現在の楽曲など、「違う作曲者の個性差」程度の違いでしか無い、昔から色んなアーティストが居た、ということを言いたかったのです。その観点から見れば90年代と今に違いなどございません。あるとすれば、精神性の変化だ、と言うことが言いたかったのです。 しかし、この近所のスレで、 http://okwave.jp/qa/q8259127.html こういうのが出てきて、自分の思っていた過去の認識からすると、かなり初耳の情報が多く、まさか、自分が間違ったことをのべてしまい、伝えてしまったのではないかと不安に思った、というのがこの質問の動機です。 また、上世代の方に対しては、すこし失礼な表現も加わっている可能性があるので、その辺はご容赦願いたいです。ちょっと聞かなかったことに… ありがあとうございました。
お礼
戦争と言うのは一つの区切りだったと思います。焼け野原のスタート地点だったのではないでしょうか。そのスタート地点に全てを理由づけすることを「酷」と言う人が居るかも知れない、しかし、スタート地点はスタート地点だ、そこは動かない、そう思います。 「いちご白書」 就職する時「もう若くないさ」と言って髪を切った。文明開化の音でもするのですか。「仁義なき戦い」なら拝見しましたね。勝新版「座頭市」も拝見したことがありますよ。とても優れた役者だと感じましたね。ビートたけしより良いんじゃないですか。当時の団塊世代の精神を詳説されても困るのですが… 私は社会主義とか共産主義が資本主義より劣っていることを認めています。私には今の議会制民主主義を否定するまったく別の代案があります(大したもんじゃありませんが)。「マルクス主義」とやらは、どうやらこの辺と関係ありそうですね、というかあるんだろうと思います。私の学生時代にも「革マル派」の人が何か騒いでましたよ。しかし、今それって関係あるんですかね。 「下町の太陽」 ちょっと前「3丁目の夕日」と言うのが流行りましたね、あれと似た感覚を覚えました。団塊世代が悦に入るための映画ないし漫画ですね。私はそれを「そいつは良かったね」と嫌悪感たっぷりで傍観していました。私には懐古すべき時代はありません。 「キューボラのある街」 いつの時代でも現世は地獄でなければなりません。それはこのカテで納まる話ではなく、私の舞台裏の叡智にその根拠があります。いつの時代でも地獄なのは同じだ、しかし、あの頃には有って私の時代には無いものがある、それが「本来の人の心」ひいては「心の豊かさ」というものではないでしょうか。団塊世代の懐古とはその「心の豊かさ」に依っている。しかし、私の青春時代にそれは無かった、だから団塊世代が懐古に酔いしれている時「こいつらは自分さえ心豊かならいいのか」と憎念を飛ばしたのでしょう。 結局私に抜けているのは何ですか? 心の豊かさですか。 それが現代の様々なメンタルな問題を引き起こしているのではないでしょうか。 政府は「心の豊かさ」を履き違えて子供の「休みを増やした」、私は当時その短絡性を憤慨しました。「心の豊かさ」に対する冒涜であると思いました。休みが増えれば良いっていう問題じゃないだろう、と思いました。 問題は物質信仰主義、中身の無いレール主義、詰め込み教育主義にあるのであって、休みが増えれば心が豊かになるのではない、そう思います。 大事なのは人の心の中に自然に存在する、善の感識を大切にすることではないでしょうか。そうすれば戦後団塊世代が押し付けた全ての「型」は関係無くなるのです。それがいつか人情味のある社会を築き上げて行くのではないでしょうか。今、その改善途上にある、そう感じます。 ありがとうございました。