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キリスト復活のその後
キリストが復活した後の話について教えてください。 今も、復活したままで、どこかにいるのか。 復活したキリストは、現代人の罪については救おうとしているのか、いないのか。
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キリストは復活した後、500人近い人々に現れ、ご自分が霊肉ともに復活されたことを示し、多くのみ言葉を約束として、また戒めとして残され天に昇られました。その約束には、「わたしが父のもとから助け主、すなわち父から出る真理の御霊を遣わします」とあります。それが、聖霊なる神です。全知全能の神天のお父様、神のひとり子であり人類の救い主となられた主イエ様、イエスを主と信じる者と共に歩んで下さる助け主聖霊様、これが聖書の教える三位一体の唯一生ける真の神ですね。 話を戻しますとイエスは復活したまま肉体を持って天で全能の神の右に座しておられます。今もなお、人類のためにとりなしの祈りをし、信じるものの罪を赦し、祈る者の祈りを聞き、はたらいておられます。雲に乗り来られる時も2000年前と同じお姿で来られますよ。この雲とは聖霊様のことです。 イエスの十字架は全人類の罪を背負って身代わりとして罰をお受けになったものです。現代に生きる人間であっても自分も罪をおかしたことがある、と自覚し罪を赦していただく必要があると認めイエスを救い主として受け入れるなら、全ての罪は赦されます。これは全人類に平等に与えられた恩赦です。では一体なぜ、救いが必要なのでしょう。それは、人間には死ぬことと死んで後裁かれることが平等に皆に定められています。そして罪のある者は2度目の死を迎えます。これは永遠に神との関係が断たれ、死の苦しみを負い続けるということであって肉体のように消えてなくなって終わりではないのでよく覚えておいて下さい。しかし、イエスを救い主として生きてきた者は、すでに全ての罪が赦されていますから、2度目の死がありません。すなわち永遠に天国で生き続けるのです。そこにはもはや罪も争いも嘘もありません。完全に愛の神が造られイエス様が王となって治められる天の御国です。 かなり深い所までお話しましたが、これでもほんの一部分です。 赦す側は(神)はもう全て赦す準備が完成していて待っておられます。赦してもらう側(人間)は神の愛を信じ、謙遜になって受け入れるだけで救いが得られるのです。あなたも必ず罪の赦しを得てください。 最後になりますが、今日はあなたの質問されたキリストの復活を祝うイースターです。神の祝福が豊かにありますように・・・ 一切の栄光を主イエス様にお返しします。
- 参考URL:
- http://www.bible.or.jp/
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- katyan
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過去の日本にも同じ様な事がありましたね。 私自身は死ぬことが信仰でなく、 今生きること、喜びや苦しみを知り、または助けてくれる方を知っている。 だから喜んで今、生きることが出来る。 一回限りの人生。だから悔いなく喜んで生きて行きたいね。 間違った信仰を持つ方もいるからね。 ユダヤ教も死になさいなんて教えていないと思うけどね? 皆が平和に過ごすときが来ますように もう終わろうね
お礼
ほんとですね。 死んでも復活するのなら, 今を生きる必要なんてどこにもないですよね。 キリストが処刑されるようなことも平気でできたのは, 生きるための覚悟のなさですね。 ただ, 残念なのはキリストの愛の精神も, ときの権力者によって独善・排他の精神に汚染され,異教徒弾圧に傾いてしまいます。 フランク王国の年代記者ラウールは,第一回十字軍遠征の様子をこう伝えています。 「マアッラ(シリア領)で,われらが同士たちは,おとなの異教徒たちを鍋に入れて煮たうえで, 子供たちを串焼きにしてむさぼり食った」 異教徒に対する無知やコンプレックスが, 畏れを生み, やがて優越感に転じる。自分たちだけが正しく, 優秀であると。われらは善であり, 異端は認めない。 われらにはバラ色の未来が保障されており,異端者には灰色の未来が約束されている。
- katyan
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キリストは十字架にかかり、死に三日後によみがえり そしてまた、天にあげられ神の右の座に座れられた と(マルコの福音書) そして救いとは? 見える救いじゃなく、霊的な救いという感じじゃないかな? 私たちは生きている(これも重要ですけど)事より 死んでからのパラダイスを信じているんじゃないかな (個人的な聖書解釈ですけどね) だからこの世のいろいろな事があってもがんばる事ができると思うんだけどね。
お礼
回答ありがと。 自爆テロや宗教戦争も、死後のパラダイスを信じているから、現実を自暴自棄にならずに、刹那的に生きる(死ぬ)ことができるのかな。
- katyan
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間違っているかもしれませんが あくまでも戦争は人の責任。人の殺し合いは自ら人間の意思によって行われるものじゃないかな? 本来の人間の行いじゃないからもう一度、神の愛に戻りましょうと訴えているんじゃないのかな? 救いはイエスを信じる事から始まります。 何も救われていない事を自覚しなくても 救われていると聖書には書いてあるような気がするが (詳しく知りたいなら近くの教会で聞いてください)
お礼
そのとおりだと思います。 しかし、歴史的には、キリストを信じている人が、イスラム教やユダヤ教を差別し、迫害していたのも事実です。 神の名の下に行われる戦争もまた多いと言うことです。 愛は、差別する心から生まれます。 何かをより愛するというこは、その対になるものが必要です。 光と闇があるように、神の愛を求めた反動として暴力が吹き荒れることもある。 なぜ、聖書に世紀末の到来が予見されているのでしょうか。 それは、これからキリスト者がおこなう犯行を予告し、他の宗教に対する警告を伝えるためのものだったのではないでしょうか。 聖書にある救いとは、人類が絶滅することでしか、為し遂げられないものだとしたら、本当の救いは戦争でしか到達しえないのかもしれません。
- katyan
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神様が救うとき 私自身の事を、俺って生きる価値がないって思ったときかな? 神様は心、悔い改めれば許してくれます。 そして新たな人生が送れると信じていますが・・・ 罪はどこから来るのでしょうね?
お礼
なるへそ。 ローマ法王もミレニアム謝罪?の中で、十字軍やら、ユダヤ人迫害について、謝ったから、許してもらえたのかな? 許しは、殺す側の勝手な論理。 そもそも、悪いことをするのが前提で、許しを請うのは、余りにも殺される側に対して無慈悲ではなかろうか? 神は、罪深い男だよ。 戦争と虐殺の中で、天界から笑いながら人間を見下しているのね。 人間が滅ぼしあって、世紀末になるまで、映画を見るように楽しんでおいてから、何を救うと言うの?
ユダヤ人については、キリストを十字架につけろと訴えたときに、「その血の責任は我々と我々の子孫が負う!」と言ってしまったので、その通りになっています。しかし、ユダヤ人すなわちイスラエルは神の子(人類)の代表として選ばれた民であり、旧約聖書の随所に、「イスラエルよ恐れるな、わたしが共にいる」など神は彼らをねたむほどに愛していると書いてあります。彼らに対する記述は私たちにも当てはめてよい場合がほとんどです。また、神のご計画というのはあまりにも深くて人間の理解をはるかに超えています。全てを理解しようとするのは無理な話です。それよりも、幼子のように素直に神を信じて創造主である主に立ち返ることを望まれていると思います。 最後に、聖書の全ては愛です。神は愛そのものです。常に最高の愛で私たちを愛しておられるのです。神がなさることの全てが完全な愛から出ています。一見マイナスに見放されたように見える事柄でも、実に神は最善のことをなさっているのです。人間には後にわかることですが。「わたしは右も左もわきまえない十二万人以上の人間を、惜しまないでいられようか。ヨナ4:11」誰がなんと言おうと、どんな人をも神はこよなく愛しておられ、生きてほしいと思っておられます。生きてほしい理由は、神が「親」だからですよ。
お礼
言われてみればそうですね。 聖書に書いてあることは、その通りになるみたい。 数十億年もすれば、肥大した太陽に飲み込まれてしまう、ちっぽけな存在である地球。 そのとき、全てが蒸発し、原子と分子になって許してくれるのですから。 再び、塵に帰り、星屑となる。 夜空に輝く星は、木っ端微塵になった全人類と生命。 見守るのは神ですね。 虐殺だの何だのと人間が騒いでいるのは、天文学的スケールで見たら他愛もないものかしらん。
人はそう思ってしまうものですよ。どうしてそんなにしてまで生きなくちゃいけないんだ、どうして生まれたんだって。それで、つきつめていくと、もともと人間を造った神が悪い!となり、神よあんたのせいだおまえが死ねーといって、本当に神であるイエスキリストを殺してしまったんですよ。殺した、というよりは、殺されて下さった、んですけどね。そういう怒りも受け止めて下さったんです。イエス様にとってはあなたもどうしても何が何でも自分が死んででも、生きて欲しい理由があるんですよ。じゃなきゃそこまで愛しません。
お礼
少しずつ聖書が何たるかが分かってきたわ。 自暴自棄になって処刑を謀ったのはユダヤ人という真っ赤な嘘。 新約聖書は、イエスの処刑の責任者であるローマ総督ピラトの記述に関しては、完全な史実の捏造をしてるのね。4世紀に、ローマ帝国の国教になったために。 史実では、ローマ人のピラトは残虐非道な総督として君臨していて、ユダヤ人に対してもかなり厳しい扱いをしていた。 しかし、新約聖書では、処刑の責任はユダヤ人に擦り付け、ローマ総督ピラトはキリストを釈放しようとさえしている。 スケープゴートにされたユダヤ人は、迫害をうけ受難の歴史を刻む。 悪意の伝播が、聖書を通じて全世界でユダヤ人排斥運動を生み出した。 聖書が史実を偽るのはよしとしますが、ユダヤ人に対し差別的に書かれているのはいかがなものかしら。 生きて欲しい理由と言うよりも死んで欲しい理由があったのかしら?愛なの?
- netcatme
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いまの主流のキリスト教ではキリストは神自身であるということですので、 >今も、復活したままで、どこかにいるのか。 については#4の回答に賛同します。神様ですから >復活したキリストは、現代人の罪については >救おうとしているのか、いないのか。 信じるものは救われる、ってことですね。神様ですから。
お礼
神様が救うときってどんな時? 救われた人って、どんな人かしら。 キリスト以外の神様を信じている場合、救ってくれないのかな。ちょと、悲しい。 残念だけど、しょうがないのかな。 ちょっと、ショックだけど、回答ありがと。
- katyan
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「天に昇っている。」 昇っているだけではありません。 やさしく私達を天から見守っていますよ~ 詳しくは下を参照してね。
お礼
なんと、見守られていたのですか! 全然、気づかなかったわ。 URL見てみるね。 ありがと。
- welovekobe
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イエス様の復活は、霊的な復活です。 肉体的な復活だったら、今もどこかで 生きていないといけませんし、天に昇ったのなら、 どこかを遊泳していないといけません。 人間は天使とエバとの霊的堕落と、エバとアダムとの 肉体的堕落との2つの堕落を通して、偽りの愛の 血統を受け継いでしまいましたので、救いも、霊的 救いと、肉的救いが必要になりました。 それゆえに、メシアとして来られたイエス様が アダムの出来なかったことを成就するために、 肉体をもって来られたのです。が、 イエス様はイスラエル民族の信仰の責任が まっとうされずに、十字架の道を余儀なくされました。 ゆえに、霊的救いだけでも、成就するがために、 復活されたのですが、あくまでも、霊的な復活で しかありませんでしたので、その後のキリスト教の 歴史も霊的な基台でしかなく、実態的なキリスト王国 =神の国の成就は、、再び、肉体をもって来られる 再臨主にたくされました。 勿論、再臨主は、雲に乗って来られるのではありません。 孫悟空じゃないんですからね。
お礼
難しくて、良く分からないけど、幽霊になってでたのかしら。 私なら幽霊を見たら、腰ぬかしそう。 肉体的復活って言われると、ゾンビぐらいしかイメージできないわ。バタリアンみたいな。 霊的なお話ありがとね。
こんにちは、 市民出版社が発売している本「グレート・チャレンジ」の 第9章 イエスの知られざる生涯、から抜粋します。 『略…彼は 再び カシミールへ やってきて、102歳で死ぬまで そこで暮らした。そしてその町=彼の死んだ正確な場所は 知られている。』 以上、 下記の URLを 見て“ピン!”ときたら…。
お礼
イエスって、長生きね。 ピンとこなかったけど、ババンときました。
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お礼
うーん、難しい。 天に昇ったのは分かるけど、後の話は…恩赦かー。 ようは皆、生まれながらの犯罪者で、生きる価値もないけど、神を信じてれば恩赦もありうるってことかしら。 なんか、生きていくのが嫌になりました。 罪を犯してまで、生きるくらいなら、生まれてこなければよかった。 死にたい。 こんな罪深い人間なんて滅んでしまえばいいのにね。 全部は理解できなかったけどありがとね。