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「音楽」について。

「音楽」について思うことを教えてください。 私は 「音の変化による起承転結と調和によって人間の感情を大きく揺さぶるもの」であると 思っています。

みんなの回答

回答No.10

 こんばんは。スミマセン、 ご紹介頂いた、コルトレーンの‘To be’という曲なんですが、 アマゾンやYouTubeでは出て来ませんでした。どのアルバムに入ってたか、思い出した時で結構ですので機会あったら教えて下さい。代りにCiaop・・様の「宗教画・・」の御質問で、 聖ジョンColtraneのイコン画の御紹介を頂きましたよ、やはり聖人に成ってたんですね!民間のですけど。 この場お借りして御礼申し上げます。  さて<音楽は麻薬、魔的なものでもある>あるいは官能。私もそう思いますが、頭に有ったのは、マーラー;交響曲第5番第4楽章。音楽恋人へのラブレターのつもりで書かれたと言われるのも納得の、限りなく美麗な音楽ですね。問題はこれがヴィスコンティの「ベニスに死す」に使われた事。 この映画のイメージが強すぎてどうしても印象が連合してる方も多いのでは? 無論傑作ですし私が最初にヨーロッパの恐ろしさ凄さに触れた映画です。熟れ切った爛熟の果実の甘さ。後期ロマン派の面目躍如?でも批判も多し。http://www.chibaphil.jp/archive/program-document/138-visconti-and-mahler ロマン主義の極致といえば、ワーグナーのトリスタン和音や半音階和法で曖昧模糊な独逸の森の夜の諧調を表現したパルシファルも有名ですが、これは喧嘩別れしたニーチェと共に最も魔的デーモニッシュな音楽なのでしょう。耽美退廃も憑き物なので注意が必要。でも惹かれもします。 逃げを打つ先はやはりアメリカです。特にジャズのスピード。救いだったでしょう。  ガーシュインが欧州に行ってラベルだかストラビンスキだかに教えを請うたら断られた、だって「もう既に出来てるじゃないか!」でしたか? むしろラベルが新世界のモードスケール音楽を欲したのでしたね。 ところがしかしアメリカ南部の十字路にもディーモンが居たよ! R・Johnson‘Me&the Devil blues’ もう開き直ってサタンを見切って、仲良くするしかない!黒人の境遇なのでした。これは世界・音楽にとってある種‘救いだったでしょう? 元々サタンさんも堕天使なので本来は清浄!丁寧に扱えばそんなに害は及ばさない、野生動物と同じ。音楽も同じ事。 Bluesはゴスペル側からは、デビルズMusicと言われました。Jブラウンやストーンズもそうですね。でも彼らはああ見えて音楽は健康的です、だから長生きできた。比べて早死に用の音楽も有りますね。私はそれは20代で卒業しました。 カントリーBluesでも健康的なやつがこちら、  ★.Blind Blake - Diddie Wa Diddie . http://www.youtube.com/watch?v=l-C-Rj4xruA ギター一人です。 実は私も自分の曲が生きる支えになる時多いです。人の曲は飽きる時期も有るけど、手前のは、聴くのではなく弾きながらなので、。その際、顎を直着けて骨伝道で頭に直接、倍音空間。この効果は悪い考え沈めフレッシュReシャッフルしてくれます。 主様アドリブも同様生きる効果有るでしょう。 でもSound disapear inthe Air・・(E Dolphy)ですから。それを楽曲にして再演する度、新発見新アレンジアイデア刺激有るし、自分の領分まさに鳥達のテリトリーを創って己を守り支えてくれます。 それ無いと生きていけない時期が確かに有りました。 作曲は、浮かんだメロデーに和音かベースを付けるだけですよ、あるいはその逆。あとはリズムアレンジ、は踊りながら、。コード知識ある人にはオススメします。 江戸までは庶民ももっと音楽楽しんでました。自分でやる効能は大です。

alterd1953
質問者

お礼

どうもです(笑) 「To Be」はトレーンの遺作「Expression」に入ってます。 トレーンはドルフィーの形見のフルートをおっかなびっくり吹いてますが ファラオ・サンダースのピッコロがメチャ良いですよ。 ほとんど雅楽の世界ですけどね。 トレーンのスピリチュアル・ミュージック、ここに極まれりって感じです。 正に「静かなる狂気」です。 そういや、トレーン、聖者になってたんですね。 まぁ、ドラッグやってたこともあったみたいだし 浮気もしてたし、タバコは最後まで止められなかったみたいですが トレーン信者としては誠に悦ばしい限りです(笑) あ。そうそう。 ついさっきも「To Be」吹いてて思ったんですが 1,4,5の進行と言えば、モロ、ブルースですよね。 あれは、近親調への転調と考えても良いかもしれませんね。 それはそうと「ベニスの死す」良かったですよね。 やっぱり、貴族にゃ勝てない部分ありますね(笑) 後「マーラー」って映画も良かったですが あんな素晴らしい音楽に賛否両論なんて ホント「アホか」って思います(笑) でも、バッハなんかもそうかもしれないですが 当時としては、アヴァンギャルドだったのかもしれないですね。 ガーシュインが習いに行った話も面白いですね。 U2が、もう十分、世界の扉が開いてたのに 必死でまだ扉を叩いてたのを思い出します(笑) ワーグナーとニーチェの喧嘩別れも面白いですが あの二人なら充分頷けますね。 ヒロイックなとこは似てるんですけどね。 後、あたしゃ「耽美主義」が苦手なんですよね。 三島とか川端とか全然ダメです。 まだ、三島なんか、私とは全然違う方向とは言え 前進したからまだ良いんですが 私、昨日の自分と全く同じ自分に耐えられないぐらい 超前進主義なので、美にただ浸っているなんて到底耐えられないです。 そこは、性格はあまり好きじゃないとはいえ 帝王マイルスが言う「音楽は常に新鮮でなければならない」に 全面的に賛成です。 それはそうと なんかの映画で「ゴスペルは神を歌い ソウルは女を歌う」って言ってましたが 元々、形式は一緒みたいですね。 ただ、ボブ・マーリーもそうでしたが、やっぱり聖書の影響は絶大みたいですね。 でも、プラトンの「国家」のラストにも天国と地獄みたいな描写が出て来ますから 善と悪に対応した死後の世界の起源は相当古いみたいですね。 後、天使と悪魔も、どうも必然的に出て来るみたいですが 仰る通り、ミックはその辺りを巧く手なずけたんでしょうね。 私も何とか切り抜けてはいますが 人類の根深い愚かさを含めて興味深いテーマではあります。 また、ここで私が大好きなドルフィーのMCが出て来て大変嬉しいです。 「音楽が空間に消えた後、二度と捉まえることは出来ない」 我々の「生」もまたですね。 明日も楽器で祈りを捧げます。 ではまた(笑)

alterd1953
質問者

補足

もう少し続けたかったのですが運営さんから注意されましたので そろそろ締め切らせて頂きます。 どちらも大変興味深いご回答でした。 皆様ご回答ありがとうございました。

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回答No.9

はじめまして ハードボイルドでかっこいい画像と自己紹介に惹かれました。 私は音楽に癒しを求めて、クラッシックを聴くことが多いです。 先の女性の方は音楽に官能を感じるとありましたが、千住明さんに言わせると、日本人は音楽に官能を感じ西洋人は哲学を求めると日曜美術館で言ってました。 哲学カテゴリということで、音楽とは?という哲学ですが、私は趣味でクラシックギターをやってますが譜面を見ていると音符は世界共通の言語のように思えます。 不思議だなあと思うのは、「遠き山に日は落ちて」という歌があって中学時代に合宿で歌いましたが、大人になってこれはドボルザークの「新世界」に歌詞をつけたことがわかりました。 その後調べたら、新世界とは当時のアメリカのことで、ドボルザークがアメリカで黒人霊歌を元に作曲したというのがわかりました。 黒人霊歌は奴隷としてつれて来られたアフリカ人が故郷のアフリカを懐かしんで作曲されたものであり、日本人の私が聴いても望郷の感じが感じられるのはなぜだろうと思います。 蛍の光は確かスコットランド民謡ですし。 友人とこのような会話をしていたら、日本の山田耕作の赤とんぼをイスラエルのラジオ曲で流したら、イスラエル人は自分の国の歌と思ったらしいです。 黒人霊歌はその後、ブルースに発達しましたが、私が好きなのはロバート・ジョンソン。 ブルースの単調な音階ですが、ギターをやっている私はどう聴いてもひとりで弾いているとは思えない。 夭折の天才でエリック・クラプトンらに影響を与えただけあります。 ロックで好きなのは、一時期、NTTドコモのCMで流れましたが、有名バンドですが名前がすぐ出てこない。マシンヘッドというアルバムの中のスモーク・イン・ウォーター。 出だしが挑発的。ヘビメタの始まりと言われて、クラシック好きですが、斬新な旋律です。 とにかく凡人の私には「創造」ということが出来る人々に畏敬の念を感じます。 すみません。熱くなり長く過ぎました。

alterd1953
質問者

お礼

どうもです(笑) >ハードボイルドでかっこいい画像と自己紹介に惹かれました。 実際は、かなりズッコケてますがよろしくお願いします(笑) ドボルザークが黒人霊歌に影響を受けてたなんて ブラック・ミュージック好きの私としては、ちょっと嬉しいです。 逆に、天才ジャズ・ミュージシャン、チャーリー・パーカーが バルトークの影響を受けてたらしいですから 既に昔からスクランブルしてるんですよね。 ただ、一般に、長い音には哀愁を感じ、短い音の連続には高揚を感じるという ようなことは人類共通のようですね。 そして、色々種類はあるにしても、五つの音しか使わない いわゆる「ペンタトニック・スケール」には素朴で、心に響く効果があるようです。 ロバート・ジョンソンの世界も正にそうですが あの人の場合、さらに、アフリカのポリリズムが入っているので 魔術的な効果があるのだろうと思っています。 しかし、あの超有名な「ディープ・パープル」の名前が出て来ないとは さすが、クラシック好きの方ですね。 私も若い頃、ジャズ喫茶に入り浸っていて「ユーミン」を知らず 学校の知り合いに驚かれたことがあります(笑) 因みに、私は「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフは ネイティヴ・アメリカンの影響ではないかと密かに思ってます。 征服者の文化が被征服者に影響を与えることは、ごく自然なことですが 逆もありますからね。 ではまたいつか。 ご回答ありがとうございました。

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  • adele24
  • ベストアンサー率13% (47/340)
回答No.8

こんばんわ、「音楽」について、 「音楽」と言うときは、どうしてもクラシック音楽が一番にイメージされるのですが、 私にとっても音楽は、あまりに大きな位置を占めていて、言葉にするのは難しいです。 しかし、3、4のamaguappaさんのご回答で、>官能のひとつ に大きく頷き、 内容は哲学的で難しいのですが、こと音楽に関しては、言葉がすんなり入ってきて、 とても共感いたしました。 私も、音楽はまさに「官能のひとつ」だと思っています。 いつか、 alterd1953さんにお礼でいただいた、グールドの>音楽は恋愛 にも通じますね。 私は、高校生までピアノを習った程度ですが、それはよくわかります。 ピアノの先生からはその道も進められましたが、そこは怠け者の私のこと、 いえ、一番好きなことは趣味にと言い訳しました。(笑) 音楽する人はピアニストもヴァイオリニストも、皆、官能の表情を浮かべていますね。 昨日たまたま、Eテレで、チョン・ミョンフンがマーラーを指揮していましたが、 まさに、官能の表情でした。 音楽は「官能」であり、同時に「神聖」であり、そこが神の領域と思えるくらい。 また、4.のご回答にあるように、祈りでありながら、>神からの受容と根源的な赦しに 身をゆだねているような幸福な体験 既にそうなのですよね。  >一方で、地獄を覗いているような…、身を擦り合わせているような体験でもあります。 音楽(芸術)に身をゆだねる、ということはその両方なのだと思います。 また、「民俗的」でありながら、「普遍的」 アフリカ民族じゃなくても、アラブ人やモンゴル人じゃなくても、その民族音楽に血が騒ぎ(笑) チェコ人じゃなくても「モルダウ」に心揺さぶられ、ロシア人じゃなくても、チャイコフスキーに 涙します。(笑) もの凄く大袈裟ですが(笑)、私にとって音楽はそうなんです。 音楽は、生きる喜びでありながら、と同時に、死んでもいい、って思うくらいです。(笑)

alterd1953
質問者

お礼

どうもです(笑) adele24さん、音楽お好きとは思ってましたが そんなにお好きだったんですね。 なんか、普通の好きを超えてますね(笑) そこまで、好きだと一歩間違うと「官能」を超えて「地獄」に成り得ますね。 「官能」の線で進めますと、割に最近、佐渡裕さんが振っている曲の演奏中に 女性のヴァイオリニストが涙を一筋流しながら演奏していたのが印象的でした。 まぁ、生きてて、あんな風になることは稀だと思います。 その代り、熾烈な練習が必要だったでしょうね。 色んな民族音楽に血が騒ぐのも良く分かります。 私もラテンのリズムを聴くと、無性に血が騒ぎます(笑) 後、「黄昏に燃えて」と言う、ジャック・ニコルソンとメリル・ストリープが ホームレスのカップルを演じた秀作映画がありますが その中で、元ラジオ歌手だったメリル・ストリープが 楽器店でピアノを弾いた後に 「音楽の為なら命もいらないわ」と言いましたが 私も共感を覚えました。 とにかく、人間が作り出すもので、こんなに美しいものはありませんね。 ではまた(笑)

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回答No.7

 歌はどうでしょう? 最初は 鳥達? あの鶯は明らかに音階囀ってますね。 Birdの声はテリトリーTerritoire空間バリアーを創り出します。 音の空間性は驚くべきもの有りますね。 ピアノも置く場所やホールの状態で、音の到達力えらく変化しますね。  鳥と人とどっちが古いのでしょう? 多分人が鳥の真似したんじゃないかしら。  人の声でもサザンSOULのHorceシャウトは特別です。OTISやピケットの歌い方、腹から背中側を昇って頭と体じゅうに響かせる歌い方のようですが、あれやると自然にヨガのクンダリーニが背骨沿って上昇します。熱いモノです。だからSOULスピリチュアルなんだと思います。精神論ではなく唯物的です。 矢沢栄ちゃんもキヨシロ、ヒロミツもそう。Bマーリーもステージでは自然に体が浮く感じ、と言ってましたが、その意味でSOULは特殊な音楽ですね。ジャズでも循環呼吸のSAXだと、そうでしょう?  他所でBlack&Bluesの色と、ルート音&5度音程が根源的と言ったのは、 その強度Intensityが強いからです、in含んでるものtensionが。 夜明けに最初にやって来る色は、紫外線の次に波長の短い紫が、回折して回り込んで来るはずですが人間の眼は、次に来る青’を捉え易く出来てる気がします。 だから、世界にとってではなく人間にとって青が根源的。 又、地球で最も黒い物は、ある種のカーボンナノチューブだそうですが、宇宙ではBlackホール。それが何らかの黒体放射してるそうで、黒はトンデモナイ物を放射してそうです。 それをインデアンの秘術は捉えてたそうですよ。  1度と5度の音程の事は、キースジャレットが自伝で書いてた事。 そうです、自然倍音列。 第4倍音までドとソですね。第5でやっとミ、11倍音が♯ファ。ナチュラルのファは出てきません。ファは別系統のモードの音階という事ですね、私はサブドミナント進行は転調と捉えたりしてます。  クラシックやジャズ理論は、4度上進行(II→V進行)重視してきてその反映で、4度音程多用され易いけど、5度のほうが根源であり、アドリブでも重要な事は1と5のインターバルで起るのよ、と言ってました。 御存知リディアンクロマチックもその考えですね。 歌いにくいですか? そうでしょう。ドミナントモーションに馴れた耳では普通のドレミに解決したがるものね。 私、世界の民族音楽シリーズは殆ど聴いたけど、リデアンModeは(ミャンマー)ブルマの竪琴ぐらいでした。(KingよりVictorが音は良いかも http://www.amazon.co.jp/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD~%E7%AB%AA%E7%90%B4%E3%81%A8%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%B3-%E6%B0%91%E6%97%8F%E9%9F%B3%E6%A5%BD/dp/B0017GSFSU これの3曲目女性ボーカルが判り易いかな。夏にはとても涼やかでお勧めです。あとはギリシャ古楽で有ったかな。  ストーンズのキースもそうです。私はサテスファクションが嫌いでしたが、ライブで聴いたら驚きました、その倍音の豊かさに! あれは単音リフではなくて、下から1度4度1度と重ねてました。トップNoteがリフの主音でルート音です。するとその下とは5度音程ですね。  普通エレキGリフは下から1度5度1度と重ねます、ハードRockもヘビメタも。トップの下は4度で安定的コードです。 この差を聴いて下さい。ギターに顎を付けて骨伝道で!、ピアノでも判ると思います。 すると音の空間性が全然違うの判るはずです。キースのは異郷的というか、エーゲ海的なのか、単なるイメージですが、。 二人のキースは物凄くコードの音響を大切にしてますね。 さらに共通するのはステージで官能的Sensual表情する事!イク~とか死ぬぅーとかのセクシャルな表情です(笑)坂本Rも。ジミヘンとBマーリーも苦しいような表情しますね。これが音楽の病みつき、私も同じタイプよ。そうなると実際の性生活がどうでもよくなりますの(笑)トホホです。主様もでしょう?  そういう音楽の悦楽は、密教で言う「大楽」と繋がるものでそれも同じSpiritual現象ですね。 これらの意味で、動物のSEXと同じく‘死’の領域ともニアミスするのが音楽。危険も付き物なのです。扱いには注意が必要!コードの扱いとか)、マーラーやMボラン等は、かなりその世界にニアミスしてたようです。DragAway引き摺られないようにしないと!  だからスンニ派は原則かつては音楽禁止です。今は黙認だけど。 プラトンはピタゴラス音楽だけで、世俗音楽を認めなかったそうですね。 危険といえば薬物、私は天然なので不必要ですが、。一般に自然なのは肯定します。アンデスのコカの葉とかは伝統文化だし、日本でもシビレタケMagicマッシュ)等、多分芭蕉も食したと思いますよ、蕪村は違うだろうけど。何せ伊賀上野、弟子のソラは忍者ですから(笑)池田藩忍者の指南書には薬扱い細かに出てます)。 私には煙草の伏流煙は猛毒!アルコールが猛毒な人も居ます。ガンジャはオランダと前のスペインでは合法。 人により色々ですね。全て扱い注意必要で、それは音楽も同じなのです、特に作曲に於いて、耽美退廃的?コードの扱いは難しいですよ、長さとか、(笑)。では

alterd1953
質問者

お礼

どうもです(笑) 歌は私も鳥が先だと思います。 だって、アフリカにブルー・ノートで歌う鳥がいるらしいですからね(笑) そして、シャウトは確かに、スピリチュアル直通ですね。 私も、サックス吹いてる時が1番 「ああ。オレは生きてるな」って思いますもん。 以前、タモさんも言ってたように 取り合えず、遊びとしてのセックスは軽視します。 子作りとしては神聖ですけどね。 それはそうと、4度が転調と言うのは、我が意を得たりです。 トレーンの晩年の曲で「To Be」ってのがありますが 4度のメロディが5度に行く時、劇的な変化を感じます。 両方共、完全音程のはずなのに、何故か、マイナーからメジャーに変わる感じがします。 ドラッグに関しては まぁ、10階から飛び降りたり、車を運転したりしなかったら良い話なんですが それを言ったら楽器もそうなんですが 出来るだけ物に頼りたくないのと 何かに到達するのに楽な方法を取りたくないという強い思いがあります。 ではまた(笑)

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noname#202494
noname#202494
回答No.6

No2さんのご回答に触発されて回答します。 音楽は、脳に直接働きかけて、(私の場合は踊りたくなる気持ちを)喚起するもの、です。 (    )の中は、人によってまったく違ってくるんでしょうね。alterdさんがおっしゃる、”音楽は麻薬である”という簡潔な叙述は、脳にかけられている自己防衛機制をカチッとはずす存在であるところがよく表現されています。(私、洗車・ワックスがけ待ちのときに、待合室で、うっかりチャチャを踊ってしまったことがありました。) 作曲家にとっての音楽、演奏家にとっての音楽、そして、聴衆にとっての音楽は、多分、まったく違った代物なのではないか、といつも思っていました。 聴衆は、良いものだけを聴くことによって、その聞き手としての能力を伸ばしてゆけるけれど、そんなふうに前向きである必要はまったくない。。。生まれたままの本能で、好き嫌いでやっていける。食べ物や飲み物と同じ扱いではないでしょうか。 演奏家にとっての音楽は、譜面を読んで、それを忠実に再現するという行動そのもの、練習をつんだ筋肉の運動で、その結果が音になる。 近所の大学がスポンサーになって、室内楽のコンサートを月に一度開催しているのですが、そこで、同じ曲を日本のカルテットと、イスラエルのカルテットが弾いたことがあり、その、あまりの違いに唖然としました。日本のカルテットは”和”の表現なのに対して、イスラエルの若手演奏家たちは、”自己主張の手段”の音楽を、一心に、聴衆に向けて発信していました。どちらも、素晴らしい演奏だったのですが、”音楽”の間口の大きさを目の当たりに見る思いでした。 あとは、指揮者にとっての音楽。。。昔、フィラデルフィア、そのうちに、ミラノのスカラ座、現在、シカゴでタクトを振っているリカルド・ムティは、実は哲学を専攻していたそうです。なかなか端正かつ豪快な指揮ぶりです。でも、私は、指揮者、というと、大工の親方を連想してしまいます。 私には、作曲家にとっての音楽について、語ることはできませんし、語ろうとも思いません。手に余ります。 以上、クラッシック音楽について、思うことを綴りました。 ジャズやポップは、どうなのかなぁ。最近は非常に人工的ですよね。私のバレエの先生は、自分のバンドを持っていて、最近、CDを作りました。カントリーとジャズがミックスされたような、ニューオリンズを思い出すような、お酒の匂いがプンプンするような音楽です。で、私が最初に聞かされたのは、まだ夏の初めでした。最近ようやくファイナル版を拝聴したのですが、荒削りだった音が、随分とマイルドになっていて、編集に三ヶ月かかったわけがわかりました。ちょっと、ズルじゃない? 日本の歌謡曲はどうでしょうか。音楽の範疇に入りますか?

alterd1953
質問者

お礼

どうもです。 これまた味わい深いコメントをありがとうございます。 順番が逆になりますが 私にとって、日本の歌謡曲も勿論音楽に入ります。 そこは全くもって、かのデューク・エリントンが言ったように 「音楽には良いものと良くないものの2種類しかない」のだと思います。 しかし、Ciaopolpoさん、待合で踊りましたか。 私は地下街で思わずサックスの手つきをした所を知り合いに見られました(笑) 後、私は楽器をするようになってから どんなにダサい演奏をしているプロでも凄い事をしていることが分かりました。 それから、良い演奏を聴くと、より有難く感じるようになりましたね(笑) それと、指揮者によっても確かにまるで違いますね。 昔、ズービン・メータが振った「春の祭典」を別の指揮者のと聴き比べたら 衝撃の違いでした。 音の組合せだけとっても、人間にとってはすぐに無限に近くなりますから 他の、強弱、速さ、音質等の要素を含めば完全に無限大なのでしょうね。 正に「汲めども尽きぬ泉」です。 とまぁ、音楽は「生もの」ですから バレェの先生のCDの変調は許してあげてください(笑) ではまた(笑)

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回答No.5

 今晩は。皆さま示唆に富んだ質問ご回答で、 刺激を受けました。 音楽は形の無い現象:現代美術で言われた アンフォルメル。非物体的で、本性からして此の世のモノでは無い?。 あの世に片足の、生誕前と死後の世界の道標か? 宮沢賢治は銀河鉄道でそれ意識してたようですね、作曲もしてたし。  金属、小さい鐘やベルの音は不思議ですね(チベットのドルジェとか) 何処から鳴って来るのか?方向がよく判らない最たる音(ヘッドホーンステレオMixingでもパンが効きにくい音です)幽冥界から? だから宗教で使われるのでしょう。 音楽の起源、自然界の音、金属? ライアルワトソンがアフリカ南部の巨大な石を鳴らしてました、金属音です。大昔から儀式に使われてたとか、。 世界中で鍛冶屋は音楽も司ってたようですね、その神はヘルメスとかで。私が自然界で好んで耳にする楽音は:水滴、特に備前焼等の固い甕だと良く響いて、それは水琴窟になりました。甕叩くとドラムで、インドの楽器にもあります。 他に木のうろ洞ウツホを渡る風切り音、竹の洞、神が宿る処でもあります。 現代だとモーター音;空調設備やミキサー車。雑音中に楽音混じります。 人はそれらを真似したのかも。自然の中の調和音。 天球の音楽。ピタゴラスかケプラーだったか。聴こえないけど数学的な調和を☆星の運行に見出し、法則を導き出した。その意味で星には音律が有るという事でしょう。 Eサティのヴェクサシオンご存知? 1分強の曲を840回繰り返す‘イヤガラセ’と言われてますが、公けの初演はJケージだそうで、その予想外の驚異の効果を発言してます。 http://d.hatena.ne.jp/subterranean/20060325/p1 演奏者も聴衆も、8時間を越えた辺りから疲労困憊で、徐々に聴覚が変容し、フレーズ一回ごとに異なった様々な音が聴こえるようになり、人によっては、変化する音の虹が立ち昇るそうです。 サティは薔薇十字にも所属していて、あそこの秘儀はカバラ由来の{意識の変容}を主眼としてました。これは道教タオ・仏教タントラと原理は同じものです。 幼児は大人より聴覚域も可視光範囲も全然広く鋭敏だそうですね、だからあんなに泣くんだとか。色んなモノを見、聴いてます。 大抵の修道はそれを取り戻す事目指します。何年も掛かるので、サティなら10時間がまんすれば、まあ保障はされないけど(笑)。手っ取り早いのは薬物使用。ボードレール後文学者はまじめにやったのです。禁止するのは政府の役割で、自粛の必要は無いです。でも何れも細心の注意が必要、危ないから。手に負えない諸波動が襲ってきます。だから幼児~子供にかけて、感覚の収縮Reduction還元!が要請され起動します。原初の現象学的還元。そうして収縮整理された聴覚域の範囲で、さらに雑音から純音が、純音列から音階が識別されてきた、それも還元なのね。 ANo3・4様はもしや共感覚の持ち主? 文字や色に音が聴こえる(逆も有)。私も匂い音で多少有ります。有名なのはシベリウス等。 これが強いと大変らしい、楽しみも強いけど、仰るように世界認識の構築に於いて、常人とは違うゲシュタルトになると思われます。皆様自分の方法確立すると安定できるそうです。 ANo1様仰るように、人は感覚器で世界を認識し働きかけもするのでしょう、すると曲作るだけでなく、聴く事も解釈する事も人其々の、創造行為にも成るのだと思います。 <音楽は、無限の大空>とはANo2様、天空の響き、素晴らしい!聞こえない音。道教で‘玄音’と言いますね。原初の音にならない音。そんなのも有ると思います。  色では黒の背後の青・空、仏教修行の最境地:ニルバーナの色は、空性の青:無限の青空。真っ暗闇の中の瞑想で感得できる色。 多分暗黒の宇宙のその背後の暗黒物質、人の悟性はそれを色即是空などと捉えていたのでは?  音楽楽理の事は、又次の機会に。  でじゃ

alterd1953
質問者

お礼

どうもです。 軽い「哲学カフェ」的ノリでやっているつもりですが えらいことになってます。 そこらの新聞や雑誌の記事レベルは軽く超えてますね(笑) まぁ、marc2bolantiさんのコメントも、いつものこととはいえ大概ですが(笑) 宮沢賢治も、あの時代で「セロ弾きのゴーシュ」とかですから 結構進んでましたよね。 鐘の荘厳さも不思議です。 他所の繰り返しになりますが ジョージ・ラッセルが主張したように「自然倍音列」が基礎のあるように思います。 多分、倍音が多いのではないでしょうか。 後、リピートによる「眩暈感覚」は確かに音楽の重要な要素でしょうね。 ただ、ケージは遠慮しておきます。 今では、トレーンの20分のインプロヴィゼイションもしんどいですから(笑) それと、ドラッグの効果は「サイケデリック・ロック」や コクトーの文学に見られますが ビリー・ホリデイも言っていますように 創造に対する永続的な効果としては端的に否定します。 「こんな世界もあるよ」程度で良いのでは無いでしょうか。 ではまた(笑)

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  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.4

音楽をやる方なのですね。通じたようで嬉しいです。 表現が難しいところはうまく言えないのです。 わたしは、物ごころが付く頃には絶対音感があって、 数だとか色だとか形だとかと饗応した音の世界から人生を始めたような感じです。 そのせいか、音楽はわたしにとって認知や言語と同じくらい構築的な事象です。 きっとわたしの構築でもあるし、外の認識の構築でもあるのでしょう。 そうしたとき、音楽は、わたしにとって対話のような和解のような訪れであるわけです。 それは自分の殻の外側からの不可思議な造影の感覚で、 あたかも、聴解とか聴き届けといった神からの受容と根源的な赦しに身をゆだねているような幸福な体験でもあるし、 一方で、地獄を覗いているような凄絶な不可知のしるしと身を擦り合わせているような体験でもあります。 よけいなんだかうまく言えていないですね。。。 まあ、こういうのと違って、スキー場とかテーマパークとかショップとか美容室とか街角の背景に溶かされた音楽もまた、音楽の重要な貌ですよね。 空気になっていて。後退しつづける。ポストモダンなのかもしれません。 支持体というハードコアと別に表面性によって軽やかにに浮遊しているんでしょうね。 それが雰囲気となる。

alterd1953
質問者

お礼

非常に貴重なコメントありがとうございます。 普段はそんなこと無いのですが 何度か読み返しました。 私も音感は良い方だと言われますが 絶対音感には程遠く、精々、フレーズが形として見える程度です。 まぁ、音程が少しでも狂った歌を聞くと吐きそうにはなりますが(笑) それはそうと、お話を読んで、全てが数に見える数学者のことを思い出しました。 特異な能力を持っていると、勿論、良いことばかりでも無いでしょうね。 しかし、人間、それを生かす道を生きるしか無いのだろうと思います。 ポストモダンと言う言葉が出て来た辺りで推測すると ドゥルーズを読まれているのかもしれませんが 私は、浅田彰の本を何冊か読んだ程度でドゥルーズはまだ読み始めです。 今まで、影響を受けた思想家は、フロイト、ニーチェ、ヴィトゲンシュタイン フッサール、ラッセルぐらいですので楽しみにはしています。 ではまた(笑)

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  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.3

> 私は >「音の変化による起承転結と調和によって人間の感情を大きく揺さぶるもの」であると > 思っています。 揺さぶるというより、精鋭に繋がるという感覚を持っています。 何と?  何かとの和解のようでもあるし。 逆に自己遡及的に過ぎる時間に踏みとどまるような戦いでもあるし。 後者はいってみれば現象学的にきつくしんどい感じでもあって、 かつてジャズをやるのがどうにも苦しくて、楽しいんだけど苦しくて、プロにはなりませんでした。 まあ、総括すると、いずれにしても官能のひとつの形なのではないかと。

alterd1953
質問者

お礼

最初の方は少し難しくて良く分かりませんでしたが ジャズをされるのなら、インプロヴィゼイションの一つのフレーズは 正しく解であると思います。 後、心を空っぽにして、インプロヴィゼイションに挑むことは 正しく「現象学的還元」であるように思います。 いくら超絶技巧であろうとも、マネの演奏よりは 後者の方が精神的にきついでしょうね。 そして、全く大賛成なのが「官能のひとつ」です。 私は音楽を麻薬だと考えています。 ご回答ありがとうございました。

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回答No.2

私には、自分自身に作曲の能力がないせいか、作曲という能力世界をまるで神の技なのではと思えてしまうところなのです。 とても何か定義できるような言葉がありません。 凄すぎる世界としか言いようがないのです。 でも、いつも、それをそこまで深く感じ取れているわけではありません。 例えば私は、子供の頃、あることで体を壊し、またそのことから恐怖症のどん底にまで陥り、何度も死の淵をさまよい、何度も気がふれて、心身廃人になりかかったことがありますが、 一方、その孤独と地獄から、海辺の大自然の中の虚弱児施設にて天国のような子供時代も過ごしているのですが、 その虚弱児施設にて、消灯時間になると毎晩のように放送室から流れてきたいくつかのクラシック音楽は、 あまりにも深く深く私の胸の奥の奥にまで触れてきたものです。 音楽って、こんなにも「すごい!」のか。 といったところで、あの感動の深さ、細かい音の流れのすべてが胸の琴線をゆさぶる、それを言葉で表現することは不可能に思えます。 ですが、それは、 確かに、人生のドラマがそこにあって、それによって感じることのできた音楽を聴く体験でもあったはず、 》「音の変化による起承転結~《の  》起承転結《という言葉を,alterd1953さんがどのような意味合いで質問文の中に置かれたのか、音楽理論自体に疎い私には よく解りませんが、 人生ドラマからこそ人の想いの深さが生まれ、その深さから人へ訴える言葉も生まれ、その言葉が洗練される時、 確かにその言葉は「起承転結」の形をとるものと思われます。 《訴えたい事の想いをまず起こして、それを承る例示などの説明を積み重ね、そのすべてをまるめて転がして、結論(想いの表現のまとめ)へと落とし込む》 大雑把ですが、これが起承転結ですよね。 まさに、人生の実ドラマの深さが,文の作品の深さを生み出すわけですよね。 そこをおそらく、作曲においても、その拍子やリズムとメロディーの組み合わせの中に、起承転結を同じような想いから生み出す能力の世界が、その作曲家の方々の脳には宿っているのでしょう。 グリークの作品などは、その典型なのでしょう。 そこにはまさにドラマがあり、そしてその内容と音の変化とその調和の世界は、人の魂を揺さぶります。 でも やはり私には、それは理屈を超えた能力の世界に思えてしまうのです。 私にとって「音楽」とは、神の技でないとするなら、それは大空、それも無限の大空と例えられるでしょうか。 それを「感じる人間の心」によっては、どこまでも、どこまでも新鮮で深くそして広い広い世界であり続ける世界に思えます。 また、 その感じる心は、人生ドラマと重なって深まり、それが音楽をより深く聞き取り、それが作曲能力のある人の脳の技と組み合わさり、すべてはそれらの循環と相乗効果によって生み出される調和であるということなのでしょう。 すみません、踊りが大好きで、音楽を愛しているだけなので、 これは、あくまで個人的感想ですが、 そんな感じで私は音楽を愛してはいる人間のようです。

alterd1953
質問者

お礼

私は趣味でジャズ・フュージョンを演奏をします。 ですので、和音さえピアノかギターが鳴らしてくれたら 大して巧くは無いですがアドリブは出来ます。 しかし、何故か作曲は出来ません。 それが出来る作曲家は勿論、友人も羨ましく思います。 何故、それらに差が出るのかは、正に「神のみぞ知る」でしょうね。 そして、私が「起承転結」と言ったのは正しく「ドラマ」と捉えているからです。 他に「序破急」と言っても良いでしょうか。 クラシックの第1楽章から第4楽章などは「起承転結」の典型でしょうね。 人生もまたそう言えるでしょうし 始まったものはいつか終わるのがこの世の習いなのでしょうから 音楽の物語性は端的にこの世の法則を表わしているのかもしれません。 後、音楽に癒される物語は数限り無くありますが hokekyou333さんのハンディを背負った境遇でのお話には強く打たれました。 ひょっとすると失礼な例かもしれませんが 「シャコンヌ」と言う映画のラストで 人生に打ちひしがれた人々を天才ヴァイオリン奏者の演奏が癒すシーンを思い出しました。 ご回答ありがとうございました。

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noname#215306
noname#215306
回答No.1

素人なのでなんともですが?、光と音(どちらも波・動 きなのでしょうけど)に拠る創造、、その背景に意識が あるようですが、 その映像表現された中に、感情や知性を持った存在が生 まれた場合、自覚のあるなしに関わらない、それは創造 への協力という現象になるのかな?と 現象や物質に働き掛ける方法の基礎には、もしかすると ?音階(実は微妙に上にずれているらしい自然音階?) が関わっているのかな?とも ま?独り言のような回答になってしまいますが・・・

alterd1953
質問者

お礼

あ。なるほど。 光と音は両方波動でしたね。 未だに、光が「粒子」であり同時に「波」であることがピンと来ませんが 「熱」もそうですし「超ヒモ理論」も振動が基礎にあるようですので それにともなう「波」がこの世の基礎かもしれませんね。 それが人間の意識を左右しても何の不思議もありません。 そして、「それは創造への協力という現象になるのかな?」という観点は興味深いです。 私も、常々、人間の究極の目標は何かを創造することではないかと思ってます。 >現象や物質に働き掛ける方法の基礎には、もしかすると ?音階(実は微妙に上にずれているらしい自然音階?) ここも面白いですね。 当然、ピタゴラスの音階に始まって バッハが平均律で音階を無理やり押し込めたとこらから 便利にはなったものの若干ずれが生じてますからね。 その点、アカペラの声楽が美しいこと(笑) もひとつ、言わせて頂きますと ジャズでは「リディアン・クロマティック・コンセプト」という音楽理論がありまして それは、自然倍音列が「リディアン」というギリシャ教会旋法と一致することに 基礎を置いています。 但し、その音階は歌い難いという欠点があるんですが(笑) >ま?独り言のような回答になってしまいますが・・・ 軽い「哲学カフェ」的なノリでやっておりますので 全然、オッケーです(笑) ご回答ありがとうございました。

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