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音楽(サウンド)で気持ちを表現できるのはなぜ?

昔から、なにげにすごく不思議なことがあります。 どうして音楽(またはサウンド)を聴くと、 その光景や人の感情・場面が想像される(思い浮かぶ)のでしょうか? 例えば、音楽で、人の心の怪しい気持ち、ウキウキした気持ち、穏やかな気持ち、 真剣な場に臨む気持ちなど様々な場面が表現できますよね。 気持ちと音は関係ないのに、音で気持ちを表現できてしまうのが、 なぜなのか教えてください。

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  • TAC-TAB
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回答No.1

>気持ちと音は関係ないのに、音で気持ちを表現できてしまうのが、 なぜなのか教えてください。 短い文章では説明しにくいのですが、 それは、太古からのヒトの経験に基づくDNAの結果だと思います。 聴覚は、視覚よりももっと直接的に気持ちを想起させます。 これは、音が 「目に見えない」、 「触れることができない」、 「時間の経過とともになくなってしまう」 という要素をそなえており、「理性」でじっくり判断するヒマを与えないからです。 もちろん昨今では、CDで何度も聞きなおすということはできますが、「音」というのは基本的に上記三要素を備えているものです。 人間というものは、大昔からの経験・体験を多くDNAに乗せて子孫に伝えてきています。 わかりやすい「視覚」を例に取れば、絵画表現の基本として「構図」というものを学びますが、「三角形の構図は安定しています」、「逆三角形の構図は、見る人に不安定な気持ちを持たせます」と学びます。三角形に「安定」を感じるというのは、太古の昔から、山は不動の三角形をしていて、それを数万年にわたって人類が見てきた結果です。一方、逆三角形のものは珍しく、たいていは転んでしまうので残っていません。「逆三角形のものは転ぶ」ということも人類はたくさん見、経験してきたはずです。その証拠の一つとして、逆三角形の岩があると、決まってしめ縄が巻かれ、神の仕業と珍重がられています。 さて、音の方ですが、 太古から人々が「恐ろしい音だ」と知っていたのは 「雷の音」 「強風の音」 「地震の音」 「大火の炎の音」 「噴火などの爆発音」 「大きな岩が転がり落ちて来る音」 「けだものの雄たけび」 「けだものの足音」 これらの音は、決まって不幸な結果を連れてきます。 すると、これらの音は、「恐怖」「不幸」「悲しみ」「痛み」「地獄の熱さ」「死」「破壊」を想起させるものとして人のDNAに伝えられているはずです。「これらの音が聞こえたら逃げよ」と。 一方、心地よい音としては 「小鳥の声」「小川のせせらぎ」「そよ風の音」「こどもの笑い声」 などがあります。これらの音が不幸な結果の前兆になることはありません。 「平和」「穏やか」「やさしさ」などを連想させます。 これらの例のように、「音」は、ただ鳴るだけで、条件反射的に恐怖心を感じたり、心が平和になったりします。旋律(メロディー)というものは、最初はこれらの自然界に存在していた音をモチーフとして、楽器の登場とともに演出を加え完成度を高めていったといえます。 音楽というものは、旋律がすべてではなく、「リズム」「メロディ」「ハーモニー」という三要素からなっています。 「リズム」については、やはり自然界の現象でリズムを伴ったものがひとつの基本となっています。山から大きな岩が転がり落ちて来るときの音のリズム、段々にクレッシェンドされて来る恐怖感など、大きなけものが地ひびきを立てて近づいてくる足音のリズムなど。 また、うれしいときの踊りの飛び跳ねるリズムなどは、喜びの表現のリズムとして万国共通のものです。 「ハーモニー」については、「倍音」というのが基本となっています。 専門的になりますが、音は何かのものが振動して、そこから発生する音波が耳に伝わり「音」として認識されます。何かのものが振動するときには、必ず「倍音」というものが発生しており、それも人間の耳に届いています。 例えば、ピアノで下の方の「ド」を一音弾けば、「ド」だけではなく、「ソ」や「ミ」なども発生して、人間の耳に入っています。普段は一番下の音だけが聞こえているように思いますが、実は、「ド」の音をひとつ鳴らせば「ドミソ」の和音が自然に発生して人間の耳に入っています。太古より、草のつるが風に吹かれて振動していたり、洞窟の入り口に風が吹き付けて音が出たりしていますが、その音もすべて「ドミソ」の和音を含んでいます。 それを数万年も聞き続けてきたので、人間は人為的に発せられた「ドミソ」の和音を聞いた場合でも、「ああ安定している」と感じ、逆に、これから外れる、「ドレファ#」などの和音は、「汚い」「にごっている」「不安定だ」と感じるようになってしまったのです。そして、「安定している」と感じられる和音と、「不安定だ」と感じられる和音をたくみにつなげて、和音の進行だけでストーリーを感じるように仕上げていったのです。 このように、「メロディ」「リズム」「ハーモニー」のすべてに、太古からの人類の永い歴史で刷り込まれた音、「安定している」「平和である」「明るい」などを連想するものと、「不安定だ」「怖い」「暗い」を連想するもの、これらの性質を利用して、歌詞がなくても、感情を表現し、また聞き手にその気分を想起させているのです。 また、個人としての体験とそのときに聞こえていた音・音楽との連想もあります。 とても「怖い」、「悲しい」、「楽しい」ときに流れていた音楽は、その音楽を聴けばその場面が連想されます。 これは、同じ音楽を聞いても、人によって、悲しい思い出であったり、逆だったりを想起すると思われますが、大昔に音楽がなかった時代には「ある音」を聞けば、「ある結果が来る」ということの先祖代々の同じ経験の刷り込みによって、条件反射的にDNAに記録されたということだと思います。

syakari
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 詳しい回答いただき、ちょっと感動しました。 人間の歴史の中で、 本能的に、人間が気持ちと一緒に刻まれた音というのが あるんですね。

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