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希望という名の
あなたを尋ねて 遠い国へと また汽車に乗る・・ どこへ行けばいいんだろう・・?
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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☆☆ むこんきょ ☆ を ★ 完全燃焼・ありったけの自由 ☆ というふうに規定(=したがって それにしたがうなら 限定)することは マチガイです。よ。 ★ 自由を希望に変える ☆ ことをしなければ・そのように考えることをしなければ・そういう考えを持つ持たないから自由になれば 《むこんきょという名の汽車に乗る》ことが出来るのだと見ています。 ★ それはそれで受け取ってお ☆ いてください。
#7です。 まず#11さんは、すごくわかりにくい方です。もう十分に御存じでしょうけど・・・(^^;)。 自分は理系親爺でもあるので、 >自らの自由と向き合うことが無ければ >むこんきょ のままに ということも無い を翻訳してみます。 「無ければ」や「無い」は論理学では否定で、否定記号「~」で表されます。さらに「無ければ」の「ければ」は、論理学の含意で、含意記号「⇒」で表されます。また#11さんの意図からは、この「ければ」(ならば)は、同値「⇔」に同じと推測されます。 そうすると、 ~「自らの自由と向き合っている」 ⇔ ~「むこんきょ のまま」 となります。上記の論理的な対偶を取ります。 対偶とは、「~A ⇔ ~B」と「A ⇔ B」は、同じ事を言っているという論理です。よって、 自らの自由と向き合えば、自分は無根拠だ! となります。もう少し人間の言葉に直して、 自らの自由と向き合った時、自分の存在は無根拠だとわかる. と翻訳しました。 さっきの仮定に従えば逆も真なりですから、自分は無根拠だと、つまり意味も価値もないままに偶然に生まれたと自覚した時に、自らの自由と向き合います。それは絶望的な自由です。 意味も価値もないからこそ、例えば生まれながらに責任を負うべき存在もなく(親もそうでない)、果たすべき役割もなく完璧に自由ですが、自分には何もない事も思い知らされます。 どこかで書きましたが、一生懸命に生きるとは、何もないからこそ、自由にしか生きられない覚悟を持つ事だと書きました。何もないからこそ人は、好きな事しかしないし出来ない、と思えるからです。 こういう観点では、#11さんに賛成です。もちろん見た事はないのですが、「痛ましき腕」はまだ、岡本太郎が根拠をさがしていた時代の作品ではなかろうかと?。さがしても探しても根拠が見つからないので、無根拠にに見えるのでないかと?。 もちろん岡本太郎みたいな人になると、その内面は伺い知れませんけどね(^^;)。 それはそれとして、 >現実と自分との存在のズレがない、といった感覚なんでしょう >希望とは、そうした感覚を取り戻したいという願いかもしれませんね。 は、そう思うんです。 例えどんなに酷い目に会っても、「現実と自分との存在のズレがない」という確信さえあれば、何だって出来るし、現実に何でも出来そうな「希望」が見える。 自分はまだ、走り続けたい・・・。でも現実には酒に逃げちゃったりして・・・(^^;)。
お礼
ありがとう。 ◇ むこんきょ のままに・・ 特定しない あえて特定しない という解釈 自由のもつ可能性を何物によっても特定しない また、一度生じた可能性を、次なる時間の可能性においては根拠としない とらわれのない自由さ、活発なる精神の自在性 そんなふうに思ってみました。 >それは絶望的な自由です。 自由とは対象ではないが、自らの存在は対象になりうる そこから始まってしまうのだと思います。 誰が与えた絶望でもない、自由という解放の中で自らの存在の意味を掴めなくなってしまった時、絶望が訪れる。 いいんじゃないでしょうかね・・ ちょっと無責任ですが そういう絶望はあっていいと思います。 まあ 贅沢な絶望といってもいいんじゃないかと・・ 生きる意味を探すという執行猶予付きの絶望なんでしょうから・・ >自分はまだ、走り続けたい・・・。でも現実には酒に逃げちゃったりして・・・(^^;)。 ちゃったりして ちゃったりして 皆な過ごしてますよ・・。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
★(No.11お礼欄) ~~~~~ ◎自らの自由と向き合うことが無ければ むこんきょ のままに ということも無い ★(同上) ~~~ 自由というものをあえて限定しないという 自由の完全燃焼を目指そうという姿勢です。 ★ ~~~~~~~ 絶対自由と向き合えるか・・ 私には、とうてい出来そうにありません。 ~~~~~~~~~ ☆ このように《限定》することは 《むこんきょという名の汽車に乗る》ことではありません。 ★ 限定しない ☆ というふうにも限定しないのが むこんきょ です。
お礼
ありがとう。 Bさんらしい解釈ですね。 それはそれで受け取っておきます。 空を空じたものが絶対空であるというような表現は理を表しているけれども、感性外であるという断絶を生んでしまう 簡単にいえば、理屈の一人歩きの危険性が潜んでいる論法であるという事です。 まあ Bさんがそう仰るならば、私も勝手な言葉を試しに持ち込んでみましょう。 もし 岡本太郎が生きていたならば、こんな事を言ったかもしれない・・ 無目的な創造以上の創造はない むこんきょ以上の希望はない 君が希望と思うものは自由を束縛する 自由を希望に変えるためには、今すぐに、ありったけの自由を何かにぶつけてみるがいい その時生まれる新しい創造が、君が希望を持ったことの証として残るだろう たぶん、こんな感じでしょうね・・ 激しいですよ・・ 彼は スサノオみたいだ 希望はいつか見つかるだろう・・なんて悠長じゃない 自由を希望に変えて、今すぐに燃焼させようとするバイタリティ そんなふうに思うと 彼は人の何倍も生きたのかもしれない 彼から見れば、私達の生き方は超スローペースに見えたかもしれない まあ、一般人から見れば、彼は 偉大なる自由人だった事は確かだと思います。 彼は回顧録の中で、戦時中の兵隊の一員として過ごした期間だけは、冷凍されていた、と言っています。 反逆児的性格から身の危険を感じた事も度々あったらしい あと一言言ったら抹殺されてしまう、というような状況もあったようです。 そして、終戦後の高度成長期の時代の中において彼の活躍はあったわけなんですが 時代背景というものはあったと思いますが、 それでも時流に乗ったというだけではない存在感は有り余るほどあったと思います。 自由の輝き、っていうんでしょうか 作品にも言葉にも表れていると思います。 「伝統とは創造である」 と言っていますが ただ壊すだけではない 創造しうる自由さを、ありったけ出しきる、という完全燃焼の姿勢こそ 新しい伝統を生む 創造の精神こそが伝統の精神である・・ と言いたかったのかもしれません。 現在は どこを向いてもエコという言葉だらけ 萎縮しちゃってますね・・ 縮小文明という言葉すら聞きます 暗さの中の希望には、確実性が求められる そういう時代に入ったのだと思います。 時代の事は、まあ、いいですか・・ 自由な精神は変わらない 自由な希望もなくならない そんな感じもしますけど・・。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
★(No.6お礼欄) ~~~~ 自らの自由と向き合うことが無ければ むこんきょ のままに ということも無い そうした強い意志を一般の人が持つことができるのかどうか・・ 自らの自由への愛を持つことができるのかどうか といった事でもあるのでしょう 自由なる冒険を あなたはできますか? 今すぐにできますか? そう言われているのと同じですね。 ~~~~~~~~~~~~ ☆ というふうに受け取られたことを踏まえて 《わたしは そうしています。ほかにも歴史的に――神話の話だとしても――そういう人間がいた》と言いました。 これに対して なんで《がんばってください》という答えになるのですか。
お礼
ありがとう。 ◎自らの自由と向き合うことが無ければ むこんきょ のままに ということも無い これはですね 自由というものをあえて限定しないという 自由の完全燃焼を目指そうという姿勢です。 岡本太郎風にいえば、「無目的に生きる」という言葉に表されていると思います。 前衛芸術に生きた人にこそ相応しい姿勢だと思います。 でも、一般的ではないと思います。 自由の完全燃焼を、岡本太郎は「芸術は爆発だ」と言った それは、常に完全燃焼を目指すことでもあったと思います。 一時的な自由ではなく、常に自由を自らに突き付けて新しいものを生みだそうとしていたと思います。 誰もが想像すらできないデザインもそこから生まれたのでしょう。 「太陽の塔」がそのいい例です。 私個人的には、そうした燃焼以前、爆発前と思われる「痛ましき腕」が好きなのですが そこに描かれている暗い自由といったものは、まさに「むこんきょ」の世界だと思います。 シュールのようであってシュールではないと言った感じもします。 絶対自由と向き合えるか・・ 私には、とうてい出来そうにありません。
- kurinal
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・・・そういうことなのかな。 ♪「ああ、世界のどこかに、私を待ってる人が居る」
お礼
ありがとう。 日本のどこかに・・っていう歌もあるけど 出会いを求めての旅は、希望への旅なんだろう この類のいい歌はたくさんあると思う。 希望に対する見方なんだけど 明るい希望を、さらりと言えば・・ 自由という希望 愛という希望 夢という希望 そのへんだと思うのだけど 反対に、暗い希望みたいなものを試しに・・ 夢とはいえない希望 絶望と釣り合って、生きる望みを示すもの 愛されるだけが希望ではない 愛されぬまま生きて、それでも人を愛するという希望 自由という不安と隣り合わせの希望 生きる不安に勝る自由を信じるという希望 明るい希望のほうがいいですね でも、暗さを伴った希望も多いと思います それもこれも含めて、人は常に何らかの希望の中に生きているのかもしれない。 希望の中のさらなる希望 或いは、絶望の中の希望 或いは、何気ない小さな希望 といったもの 希望の本質って何なんでしょうね・・ 前向き、という言葉がありますが この場合は、現実に向かって生きて行くという姿勢であり 明るい希望を持って生きる、という事になるのでしょう でも、希望の無い生活、現実の重さに耐えてゆくといった暗い生き方もあるはずです 生きるだけの希望といいますか・・ 次の時間を目指していくこと 今の時間から次の時間へと・・ 旅に喩えられるのも当然なのかもしれません 希望とはそういったものなんでしょうね・・
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
★ ~~~~ Bさんもヒーローになってみたいですか がんばってください。 ~~~~~~ ☆ 問い求めを 他人事のように言うのなら もうやり取りはしません。
お礼
>☆ スサノヲという人間がはじめにやりました。 そのあと オホクニヌシやオホタタネコだとかあるいは 崇神ミマキイリヒコイニウェらが つづきました。 わたしもこの系譜に入っています。 Bさん・・ これを理解しろって言ったって無理でしょう・・ ああ そうか 頑張ってくれ としか言いようがないじゃないですか 怒りなさんな・・ もしかして 人を唖然とさせてしまうような希望を持っているとでも・・ でもそれなら、私に分かるような形で示してほしいものです 空から槍が降ってきても構わない気持ちは、お有りでしょうけど それは私も同なじだ・・ 理論派のBさんと、感性派のA爺さんの話が物別れに終わるのも自然かもしれないが 感情という槍が降ってきただけで終わるのも、いただけないでしょう 話合いの希望とは、槍が降る中でもできるのが希望じゃないですか・・ ご返事あれ・・
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
★(No.6お礼欄) ~~~ 自らの自由と向き合うことが無ければ むこんきょ のままに ということも無い そうした強い意志を一般の人が持つことができるのかどうか・・ 自らの自由への愛を持つことができるのかどうか といった事でもあるのでしょう ~~~~~~~~~~~ ☆ スサノヲという人間がはじめにやりました。 そのあと オホクニヌシやオホタタネコだとかあるいは 崇神ミマキイリヒコイニウェらが つづきました。 わたしもこの系譜に入っています。
お礼
ありがとう。 スサノヲ・・ 八岐大蛇退治 Bさんもヒーローになってみたいですか がんばってください。
漂泊が希望かどうかはわかりませんが、似た感覚はわかります。 自分も古いので(^^;)、こんなのしか思いつけませんが・・・。 中島みゆきのセカンドアルバム「みんな去ってしまった」(みんな行ってしまった、と読みます)の中に、「遍路」「彼女の人生」というのがあります。 いま聞くと確かに古さを感じますが、聞いた当時はその訳もない疾走感が、心地良くてどうしようもなかったです。 あて(希望?)はないが、訳もない疾走感だけに載って生きて行ける時期は、あると思います。 中島みゆきも40年くらい前は、こんなに可愛らしい歌を歌ってたのか、・・・って思えますよ(^^;)。
お礼
ありがとう。 聴いてみましたよ いいですね 素直な語らい、といった感じでいい 流れてゆく青春の時間なんでしょうね >あて(希望?)はないが、訳もない疾走感だけに載って生きて行ける時期は、あると思います。 健康な感覚なんでしょう 現実と自分との存在のズレがない、といった感覚なんでしょう 希望とは、そうした感覚を取り戻したいという願いかもしれませんね。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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むこんきょ というのは そういう絶対なる根拠です 人間にとっては。 それ以外の根拠や あるいは 希望などなどは 移ろいゆかざるを得ません。
お礼
ありがとう。 たしか 岡本太郎だったか 無目的に生きる と言っていた 朝起きてから寝るまでの間、すべてが冒険である と言っていた 絶対自由というものを自らに突き付けて 常に新しい世界を切り拓こうとしていた この場合 冒険できる事そのものが希望なのでしょう 曖昧さを捨てた自由と向き合うという、 芸術家らしい生き方のようです 偶然の中での新しい発見とは、そうした姿勢の中において予期されているものです 自らの自由と向き合うことが無ければ むこんきょ のままに ということも無い そうした強い意志を一般の人が持つことができるのかどうか・・ 自らの自由への愛を持つことができるのかどうか といった事でもあるのでしょう 自由なる冒険を あなたはできますか? 今すぐにできますか? そう言われているのと同じですね。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
むこんきょ という名の汽車に乗って そのあなたに沿って 停車場で降りたりして あるいてみる。
お礼
ありがとう。 漂泊という希望探しですか・・ あるくのは 確かにいい あるくのか 歩くのか 自由の中に希望はあるという 「あるいてみる」 思うだけではいけない のでしょう。
補足
そろそろ・・ 「希望」 シャンソン歌手であった岸洋子が歌った名曲なんですが・・ 希望を失った時から、希望を探す旅が始まる 希望は必ずどこかにある・・という感じで 上品で力強く歌い上げています。 希望を探す心の旅はつづく・・ 人は常に希望を探しつづける 明るい夢につづく希望 未来につづく希望 きっとどこかにあると信じて・・ 生きてください というメッセージ 励ましなんでしょうね、 素直で優しい励ましが時には必要である そんなふうに聞こえてきます。 どこへ行ってもいいんでしょうね 自由だから 行きたいところへ行きなさい・・ あなたの希望は あなたの行きたいところにある 遠くかもしれないし 近くかもしれない 自分に合った光を見つけなさい・・ 愛という力のある限り 希望は必ずあるという 愛に支えられて 人は希望にたどりつく 希望のあるところとは 愛に守られながら行くところ 愛が示した形が希望 なんでしょうね・・。
お礼
ありがとう。 受け取りました。 ふと Bさんの写真を見て思ったのは 自由とは海 希望とは海の彼方 旅って いつでも どこでも旅 なんでしょうね 希望が待っている と言い聞かせながら 旅をしてゆく 終わりのない旅なんでしょう。 また・・。