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どうすれば、自分を救うことができますか?
- 自分を救う方法とは?その意味とは?
- 自分自身がすべてを知っていること
- 自分自身が救世主であり、自分を信じることが重要
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まず救われている状態の反対を考えることからはじめてみましょう。 救われている状態の反対は、苦境に立たされている、苦しみを受けている状態ですね。 辞書で【救済】という語を調べても、「苦しむ人を救い助けること」とあります。 (【救う】を辞書で調べると、「救うこと。救助。救済。」とありましたが、この定義はイマイチですね…。) 要するに苦しみから開放されることが救いなのでしょう。 何をどの程度苦しいと感じるかは、個々人によって変わってきますから、何が救いとなるのかも人によって違ってきますね。 URLの記事を書いた人にとっては、働くことが苦しみなので、働かないことが救いとなるのでしょう。 けれども、働くことが楽しくて仕方ないという人にとっては、働かないことが救いにはなりえません。 同じようにお金がなくて困っている人にとっては、収入が救いとなるでしょうし、飢えに苦しんでいる人にとっては食事が救いになるでしょう。 逆に、大金持ちにお金をあげても、満腹の人に食べ物を与えても救いにはなりません。 また、キリスト教の場合は人間を罪や悪から解放し、真実の幸福を与えることが救済とされていますが、これは人間が神のいいつけに背いた罰として楽園を追放されたことが苦しみの始まりであるという前提に基いていますね。 これを踏まえて以下回答です。 > ★ どうすれば、自分を救うことができますか? まず、あなたが何に苦しんでいるのかをはっきりさせましょう。 その苦しみから開放してくれるものが救いとなります。 > ★ そして、その場合の「救う」の意味は何でしょうか? いずれの場合においても、「救う」は苦しみから開放することを意味します。
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- mstk2
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>どうすれば、自分を救うことができますか? そして、その場合の「救う」の意味 はい。ずばり 「自分の居場所を見つけること」 です。 これができたら救われたことになるし、できなければ、何百年生きようが地獄の業火の中で苦しむだけです。 >労働すれば、自由は失われてしまうのでしょうか まず違うでしょう。性別にもよりますが、男なら9割9分、仕事に自分の居場所を見つけているので、労働の機会を奪われることは、地獄の苦しみとなります。労働せずに自由な時間とロト6のウン億円を得られたら幸せになれるかというと、まず全然違うでしょう。 働かなくて自由な時間を得ることが救いにつながるケースは、俺はどうしてもこれがやりたいんだ、という 「やりたいこと」 が強くある場合の話です。それがある人にとっては、仕事に貴重な時間を奪われることは地獄の苦しみになる。 が、それがないなら、金と無限の時間だけ与えられ放置されることは、逆に地獄の苦しみとなる。自分の居場所を得る機会を未来永劫奪われるからです。 >自分が神になる 神になりたくて生まれてきたなら別ですが、そうでないなら孤独に苦しむだけでしょう。
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ありがとうございます。 仕事が大事なんですね!男にとっては。 女性にとっては・・・? 家事とか、子育てでしょうか? しかし、日本は少子化ですね。どういうことでしょうかね? 子育ては、面倒くさいとか、お金がかかるのが理由でしょうか。 私は男なので、女性の考えはわかりません。
- 雪中庵(@psytex)
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「自分を救う」という場合、その『自分』とは何かを知る事が、 救う事につながります。 何も考えずに、「自分の思うまま」という時、それは潜在的な 本能や感情を、ダイレクトに発する事につながり、反社会的 な要素を帯びます。 自分の思い通りにならない環境と対立しようとするのは、 無限の難路を行く事になります。 そうした環境を、自己存在の成立のための相補として捉え、 その他我意識(物理的相補性~社会生命的自覚)において、 自律的に社会行動を導く時、その助け合い=生きる事自体 が喜びとして、最大生存における完全充足=最大充足を 可能にするのです。
お礼
ありがとうございます。 なんで、こんな質問投稿してしまったのか!?っと、後悔してます。。 単純なら、自分を救う=働いてお金を貯めて、老後に備えるとかですよねぇ~。
お礼
ありがとうございます。 私が苦しんでいるのは・・・? お金です。 お金がないです。 となると・・・?労働が重要になります。 労働すれば、お金が手に入ります。 それは、救いになるのかもしれません。 しかし、時間が失われます。 1日は24時間しかないし、人生はいつ死ぬか?わかりません。 もしも、大げさに書けば、 9月1日に私が死ぬとします。1か月後です。 そして、その日までに、労働したとします。 そうすると、遊べる時間は、ごく僅かになります。 果たして私は、幸せな人生を送れたのでしょうか?という感じです。 別に、人生が無限に続いて、永遠に生きられるのならば・・・・ それはそれで、労働しながら、遊び、お金も得られて、幸せかもしれません。 しかし、個人的には、ずっと遊んで生活していたい、というのは、あります。 誰にでもある願望だと思います。 しかし、多くの日本人は労働しています。 しかし、労働力は、年々減っていっているはずです。効率化されていってますので。 パソコンが昔は無かったが、今はある。インターネットも、メールもある。 しかし、その分だけ、何故か忙しくなってしまっているようでもある。 労働が、遊びよりも、やりがいがあって、楽しいのならば、価値はあると思う。 労働>遊び、となる。 しかし、遊びが労働の上であるならば、 遊び>労働、となる。 単純に考えれば、その通りとなる。 でも、現状では、労働しなければ、生きていけません。他人に頼らなければならない。 それは、衣食住にお金がかかるから、当然、生活費が必要となる。 やりがいのある、価値のある仕事なんて、正社員位だと思いますが、 正社員は、過去に労働経験、正社員経験があって、しかも、若くなければ雇ってもらえない。 アルバイトや派遣の仕事なんて、誰でもできる。そんな仕事に価値があるか?ないだろう。 だって、自分以外の人間がそれをできるのならば、別に自分がやる必要、価値はない。 別に、自分が明日死んでも、誰も困らないわけです。 つまり、エヴァンゲリオンでもあるように、 「自分の生きる価値はあるのか?」という命題に行き着きます。 それならば、生きて生まれてきたのは、「体験するため」という、オカルト論になります。 体験するための、仕事ならば?・・・まぁ、価値はあるのかもしれない。 やったことのない仕事ならば、価値はあるかもしれない。 遊びだって、知らない遊び、知らないアニメ・マンガ・ゲームの体験ならば、 価値はあるかもしれない。 つまるところ、「他人はいない」という説は、世界でも私と少数の人しか信じていませんが、 それが、本当だとしたら?どうだろう。 その可能性は、50%もあるのだ。 他人がいないのならば、「他人のために労働する必要」はなくなってしまう。 それはつまり、体験するために自分のために仕事をする、ならば、仕事に価値は出てくる。 遊びなんかは、他人のために遊ぶというのは、考えにくいから、 単純に・・・・・遊びは遊び、そういう体験をしている、楽しんでいる、となる。 楽しむとは? 仕事を楽しんで、自分の体験のためにやる、、、のならば、 仕事に価値は出てくる。 他人のために仕事をする、たって、他人がいない、他人に意識がないのならば、 仕事を他人のためにする、なんて、空虚で意味のない行為だ。 それを人生の大半のために行うなんて、人生を溝に捨てるような行為だ。 あくまでも、仕事は自分が楽しみ、仕事を遊ぶことで、体験し・・・楽しむ、そのための仕事だ。 でも、仕事なんて、つまらない。と思う。それは、思い込みもある。 やりがいなんて、あるのだろうか?仕事に。 仕事に、価値はあるのだろうか? 嫌な仕事。 嫌々する仕事。それに、価値はあるのだろうか? 遊びは、違う。 自分がこの世の全てを創造しているとしたら? その可能性は、50%もある。 もしも、そうならば? 自分が、遊び・・・アニメ・マンガ・ゲームを体験することで、 「フィードバック」されていくのだ。 勿論、自分が仕事をすることでも、「フィードバック」されていく。 それが、世界。世界は自分が全て創造しているとしたら?どうだろうか。 まぁ、価値は、あるのかもしれない。 自分が仕事をすることで、仕事が変わっていく・・・。 でも、単純にいけば、 遊び>>>>>>>>>>>>>>>>>>仕事、となる。 明らかに、創造においては、3次元リアルつまらない仕事よりも、 2次元のアニメ・マンガ・ゲームの創造し、改変し、フィードバックしていく作業、体験の方が大事なはずである。 しかも、「3次元の仕事は年々減っていく」のである。 1年後なら?変わらないだろう。 しかし、10年、20年、30年後はどうだろうか? 今よりも、機械化、効率化がさらに加速し、改変されていて、 「仕事自体が無くなっていく」のだ。 さて・・・仕事が無くなった未来の人々は、どうだろうか? 最悪、「暇だから戦争しよう」とか、なるのかもしれない。大げさではあるが。 暇だから、遊ぼう、というのがほとんどになる。 しかも、今、新興国もどんどん発展し、今の日本に世界中の国々が追いついて来ている。 暇な場合、人によるが、アニメ・マンガ・ゲームの効果は大きい。 遊びを体験できる。仮想体験が可能になる。 つまり、自分が遊ぶことで、アニメ・マンガ・ゲームがどんどん、急激に発展していくのだ。 そして、未来における人々も、楽しませることができる。他人に意識があるか?ないか?があるが。 勿論、アニメ・マンガ・ゲームが発展することによって、 自分が将来、未来において、より、楽しむ体験をすることができる。 自分が、アニメ・マンガ・ゲームを発展させていくのだ。 創造してくのだ。 そういう観点からいけば、 仕事よりも、圧倒的に、アニメ・マンガ・ゲームを自分が体験し、楽しみ、遊んでいくことこそが、将来の世界のためにもなり、自分のためにもなるということだ。 しかも、創造が本当か?わからないが、太陽系しか本当は実在しないという説もあるが、 どちらにしても、なんとかして、人類は生きていかなければならないのだ。 人類が単純に、自然破壊し、絶滅するシナリオがあれば、 太陽が膨張し続け、地球に近づき・・・地球が灼熱地獄になって、人類絶滅するシナリオがあれば、 宇宙そのものが消滅し、宇宙自体が無くなってしまうのかもしれない。 どっちにしても、今のこの世、この世界は変化していかなければならない。 創造においては、遊ぶ事の方がウェイトが高いので、 できることならば、仕事をせずに、遊んでいく、創造していくことの方が大事だと思う。 仕事なんて・・・・誰だってできることだし・・・・・・・・。 別に、自分が仕事なんて、しなくても、誰かが代わりにやれるんだから。 自分が仕事する価値なんて、1もない、0でしかない。 せいぜい、自分が仕事を体験する、ってことぐらいでしかない。 ただ、勿論、生活費を稼ぐために、仕事しなければならない、という人達は、 大勢いますが。 個人的には、仕事は、衣食住だけに限定すれば良いだけだと思う。 お金は不要で、お金があるから、余計な仕事が存在する。 その意味で、本当に人類は馬鹿だな、と思う。