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宗教者は、なんで自分の宗教を押し付ける?
ぼく自身、宗教者ですけど。 自分の宗教が正しいとは思っていません。 「自分の宗教だけが正しい」という発想から、宗教戦争は起きました。 なのに、なんで自分の宗教を押し付けるんでしょう? 「他人のしあわせのため」って言うけど、 ほんとうに他人のためだと言い切れますか? 教えられたことを鵜呑みにしてるだけでは? 「自分の考えを認めてほしい」っていうエゴがないと言い切れますか? 賛成、反対お待ちしています。
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1 肌に合った化粧品を友達に勧めるのと同じ感覚 2 自分に自信がないので 「虎の威を借る狐」と同じ状態 3 友達がいないので 宗教を通じて友達が欲しい(無意識) 4 宗教友達は自分を攻撃しない(安らぎの場) 5 教祖さまは優しい人(ホストクラブと趣旨は同じ 癒されたい) 6 楽しい宗教活動を邪魔されたくない(家族にも強制 同じ穴のムジナに入ろう) 7 布教は善だと洗脳された 8 もともと真面目な人たちで 人生に「答え」を求めてる 9 真実が大事なことだと勘違いしてる( 真実は一つだ!と叫ぶ人の多いこと) 10 非現実な空間と時間がほしい (現実逃避) それが正しいことだと思い込みたい 同類増やそう ・・・・ 書けばきりがないのですが、常々 どうしてこうも信者と呼ばれてる人は女性が多いのだろうと感じています。 女性は 人生の岐路に立たされることが多いです。 結婚出産育児で大きく人生が変わります。親の介護でさえ 今でも(社会的にしょうがないのですが) 嫁か娘がやるのが当然のような風潮があります(実際やるやらないは別として) 心の支えとして宗教に入る人は多いと思います。 そのとき 独りではさみしい・・ だから 誰かを、、という感じでしょうか? 私は「宗教は個人の自由」と思っていますので しつこく勧誘する方をみると不愉快になります。 なまじ善意で勧誘されてるのでよけいウンザリします。 家の前で 子ども連れでブザーを押す人 (子どもへの虐待です) 一度 「あなたは神を信じますか」と言われ 子どもの顔を見たとき これは、、はっきり 目を覚まさせないと、と思い ドアを開け ちゃんと話し合いましたが 曰く 「私は未熟もので 意味はわかりませんが ○○さまは本当に立派な方ですので ぜひ教えを受けてください」とのこと 意味わからんなら 勧誘するなーーー!!! と 腰が抜けるような気持ちになりました。 とりあえず「子ども」を巻き込むことだけでも やめさせられないものかと思います。
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- doorakanai
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宗教は商売だと思っています。 >「他人のしあわせのため」 を隠れ蓑に信者を増やせば金も入る、本も売れる そうしない者は異教徒、仏教では外道と呼ぶそうですね。 スケープゴートを作って結束を固めるのは、小学校でもやってる事です。 >「自分の考えを認めてほしい」 ではなく認めない者は異端として排除する。 エゴイズムなんて生易しいものではないから戦争をやる。 集団心理による残虐性をうまく利用しています。 教義は金を集める為のツール 私は宗教は全く受け付けませんね。 中学の頃父親が死に、どこからわいて来たのか 某宗教の人がたくさん来たり、新聞を勝手に送って来たり 人の弱みに付け込むような汚いやり方をよく出来るものだと思うが 商売として考えると、うまいやり方なのですね。
- mofl
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私も以前、某宗教団体に所属していました。 教義はそこそこ信じられる、つまり信仰の対象になるんですが、構成会員としてはいくら個人が信仰を深めてもダメなんですよ。 目に見える結果がないと。 宗教が求めるものは、 お金集め 人集め 権力集め の3つです。 私はいつもノルマが達成できず役員にこき下ろされ、これは違うと気付いて脱退しました。 同じルーツを持っていても、分派すればいがみ合い殺し合うわけです。 信者という限られたパイを奪い合うわけですから。 宗教団体のいさかいこそが、人間の恥部の縮図ではないでしょうか。
お礼
ノルマ? 役員? そんな概念が存在する宗教があるとは・・・。 神も仏もあったもんじゃないですね。
- ZAZAN
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宗教戦争の本質は「自分の宗教だけが正しい」という発想ではありませんよ。 時の権力者が邪魔者を排斥する口実に宗教を利用しただけです。 法の下殺人は罪だと理解している識者であれば殺人は犯しませんが 神様が人を殺してはいけないと言っている、と信じている愚者であれば あの連中を神様が殺せと言っていると言えばたちまち兵士になるでしょう。 海外では何故日本でキリスト教が布教できないのか? という話に 「日本には日本の宗教があるから」などという回答しか見られません。 しかし日本人の実態は何にでも見境なく手を合わせ、「排斥」そのものを嫌います。 (もちろんそうでない人もいる) 私は正月に神社に行き、お盆にはお寺に行き、クリスマスを祝う日本人の 懐の深さは素晴らしいと思うのです。 こうしろ、他の捨てろ、という教えは反発を買います。 他はそのままでいいからこれもしようよ、という教えなら別にいいんじゃないでしょうか。 あと、他人のためにできることなんて存在しませんよ。 電車の中で老人に席を譲ることすら、「ちょっといいことをした」という気分に 自分がなるためにする行為だと思います。 しかしながらそれはとても素敵なことだと思います。 すべての行動原理は自分のためということに帰結します。
お礼
えぇ、ぼくもそう思いますよ。 すべてが自分のためなんです。 でも、別にそれは悪いことではありませんよね。 「オレはエゴイストだ」っていう人、好きですよ。 問題は、自分のエゴを自覚していない人ですね。
- lumba-lumba
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宗教戦争の起きている中東などのイスラム教や、キリスト教の宗教観と、 日本の宗教とでは、多少違うような気がします。 イスラム教やキリスト教の宗教対立は、洗脳によるものだと思います。 幼少のころから叩きこまれた宗教観に固執するあまりに、 ほかの宗教や、考え方を受け付けなくなってしまっているように感じます。 心の拠り所がぶれないという長所もあるように思いますが、 ほかの考え方を排除しようとなったときに、争いが起こるのだと思います。 それに対して、日本の宗教は完全にお金儲けになっているように思います。 韓国も似たような感じがしますが、日本の宗教はビジネスだと思います。 ビジネスですから、自分のところの商品を悪く言う訳ありませんし、 商品を売って利益を上げるのは当然ではないかと思います。 この場合の商品には「教え」や「説教」などの形のない物も含まれます。 「信者」と言う字を縮めれば、「儲」となります。 日本の宗教の信者はお客様なのだと思います。 ただし、それで信者の方が救われているのであれば、問題ないと思います。 お金を沢山支払う事が「徳」であり、「徳」を積めば幸せになれると信じ込んで、 せっせと信仰にのめり込むのは個人の自由だと思います。 ただ、問題なのは信者が他人も信者にしようとすることだと思います。 ここに「押し付け」が発生します。 純粋に他人のためと思っている人もいるでしょうし、 ビジネスとして、儲けようと考えている人もいると思います。 「あなたのためを思って勧めているのよ」と言って勧誘するのは当然だと思います。 宗教を勧める必然性は、そこにしか見いだせないように思うからです。 でも、「人」と「為」と言う字をくっつけると「偽」となるように、 本当は「あなたのため」てはなく「自分のため」なのだと思います。 日本人は無宗教だとよく言われますが、日本には「神道」があります。 この神道が、いわゆる宗教と呼ばれる仏教やキリスト教などとは、 モデルが違っているので、宗教と認識されにくいために、 日本人は無宗教だとか、信仰心が薄い、などと言われるのだと思います。 でも、僕自身の宗教観から言わせてもらえば、 これほど本来の宗教の形に近いものはないと思っていますし、 日本人の性格とか、日本の風土とかにマッチしていると思っています。 神道には教えだとか、経典などというものが存在しないので、 人々がひとつの考え方に固執する事がないと思います。 ですから、仏教やキリスト教が日本に入ってきた時も、 わりとあっさりと日本人はそれらを受け入れたのだと思います。 ですから、普通の宗教からすると、神道は「生活の一部」という、 位置づけになるのかもしれません。 本来、宗教とは自分の心の安寧を求めるものだと思っています。 ですから、本来はビジネスの要素は入りにくいもののはずです。 神社とお寺に行く時に、お寺の方が行きにくいと思いませんか? 神社は勝手に境内に入って、勝手にお参りして、勝手に帰りますが、 お寺はそういうことをしにくいと思いませんか? おそらく、お寺にはビジネスの匂いがするからだと思うのです。 何だか、質問の答えになっていないように感じますが、 要するに、宗教とは自分の心の問題だと思うのです。 他者はあまり関係ないのではないかと思うのです。 他者が関わった時に、いろんな争いやトラブルが起こるように感じます。 ただし、これもひとつの宗教観ですので、 個人のつたない意見として、読み流してくださいね。
- aoichidama
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信者が増えると「儲」かるとは。 言い得て妙、面白いご回答を読ませて頂きました(笑) まさに 信者さんを増やす理由はこれですよね。 あとは紹介した方の、宗教界での地位が上がるとか…。 お金と権力、これに人は溺れるんですね。 だから争い合う。 個人レベルでも、国家レベルでも 同じ事なんでしょうね。 こうして争い合い、『人心乱れて 天地乱るる』です。 “経験したことのない”天災に見舞われているのも そういったことかと。 それでも まだ偉い人たちほど 気がつかない。 或いは 気がついていても、金と権力の麻薬から抜け出ることなどできないのかも。 同じ宗教、同じ宗派の者同志でさえ、教義の理論を必死で論破しようとなさる方もおられる。 あなたさまの言うとおり、「自分の考えを認めてほしい」っていうエゴですよね。 ちなみに私もエゴのかたまりの尼です。
お礼
あなたは自分がエゴイストだと自覚してるだけ、だいぶマシですよ。 いちばん汚いのは、100%「相手のため」って思い込んでるヤツです。 たしかに、同じ宗教でも「こういう解釈だ」って論議は普通にありますね。 逆に、「こういう考えだよ」「だよな」「だから、オレ等は偉大だ」っていうメェメェ群れる島国根性もありますしね。 どちらもそこらへんのエゴまみれの人間と変わらない心理ですね。
- take-on3
- ベストアンサー率14% (176/1183)
そりゃ洗脳されているからでしょうねえ。 そもそもそういった行為というか盲目的な信仰というのは新興宗教の特徴なんですよ。 古くはアメンホテプの太陽神信仰に仏教・後ユダヤ教・キリスト教・イスラム教、現代の大量生産された各種新興宗教、 本来の宗教というものは他人の宗教を否定しませんし、どれが本物という見方もしません。 彼らの神は彼らの神(例・彼らの部族の神)であり自分たちの神は自分たちの神(例・自分たちの部族の神)なのです。 また新興宗教の中には自分たちの神が本物だが他の宗教の神も本物である。 何故ならそれら全てが自分たちの神の別の姿だからである。 但し自分たちの宗教だけが正しく伝えている というとんちんかんな新興宗教もあります。しかも自分たちの宗教だけが正しく伝えている割りに開祖が亡くなると一番弟子派と子供(但し養子)派と分裂して互いを偽物と罵ってたりします。
お礼
ぼくの宗教でもね。 「他宗教を批判するな」って言われているんです。 「ほかの宗教は、自分の宗教の真実性を補完するものだ」ってね。 なのに、「折伏しろ」と言われる。 言ってることと、やってること、違うやんって感じです。 ちなみにあなたのおっしゃるように、宗教分裂は過去に起きました。 たいはんは、幹部が私利私欲のために裏切るのが原因です。 これ、あらゆる宗教が堕落する原因です。
- toiawasedesuyo
- ベストアンサー率15% (733/4702)
53才 男性 信じる者は報われる 所謂、気持の問題だと思います 入っていても、自分は信じないと言う信念を貫けば良いと思います ただ、その様な場では個人の主張を貫くと浮いてしまう事もありますよね 大人の対応をして下さい
お礼
ぼく、すでに浮いてます。(笑) でも、誰とも議論にならないので、干渉されることもなくなりました。 ぼくは生涯、子どもでいることにします。^^ ご心配感謝します。
- k-josui
- ベストアンサー率24% (3220/13026)
人というのは、教育次第でどのようにでも変わるのです。 ナチ然り、北朝鮮然り、戦前の教育(よい部分もありましたが・・・)然り で、 > 教えられたことを鵜呑みにしてるだけでは? これプラス、「信者を増やせ」という、教祖様のありがたいお言葉・・・ 何故増やしたいか? 信者をいう文字をくっつけてご覧なさい。 「儲」です。 信者が増えれば教祖が儲かる! それ以外のなにものでもありません。
お礼
信者→儲 ハハッ、おもしろい言葉遊びですね。^^ たしかに「信者を増やせ」っていうのを、ものすごーく美化して、ものすごーくやわらかく言いますね。
- Willyt
- ベストアンサー率25% (2858/11131)
貴方は自己矛盾を犯しているのでは? 宗教は無条件に信じることによって心の救いが得られるのであり、その宗教を正しいと思っていないなら、それは貴方がその宗教を信じていないことになるのでは? 無条件に信じて自分が幸せになれれば、それを人に伝えて幸せにしてあげようという衝動に駆られるのは自然の成り行きです。それに功利的な意味でも同じ宗教を信じる人が多くなればその宗教を信じることによって得られる現世的な利得も期待できますから、特に指導者はその傾向が強くなるのが世の常です。 自分の考えを認めて貰いたいというのは決してエゴではありません。それを人押しつけることがエゴなんでしょう? 押しつけになるかならないかを判定するのはなかなか難しいのですが、これはセクハラやパワハラと同じで相手が押しつけだと感じればそれが押しつけになるのです。
お礼
そのとおり。 ぼくは信じていません。 生まれた時から入っていただけです。 信じる理由も、抜ける理由もありません。 ぼくを縛らないなら、入ってるか入っていないかは、どうでもいいのです。 いじめと同じですね。 相手の感じ方がすべてです。 おっしゃる通りだと思います。
お礼
子どもは洗脳しやすいうえに、勧誘する時も、 相手の警戒心をゆるめますからね。 便利ですね。 今後も、ぜひ戦い続けてください。 ご武運を。^^