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梅原猛氏は異端ですか?
こんばんは。 梅原猛氏の本を3冊買いまして、 怨霊と縄文、法隆寺の十字架?、人麻呂の? と言うものでして、 大分前に買って読まずにどこかにしまい込んで、怨霊と縄文が出てきたので 1/3ぐらい読み始めたところです。 もっと前に新聞の日曜版に京都のお寺のことを書いておられましたが、 京都好きの私は飛びつきましたがいざ読んで見ると、難しいと言うか、着眼点が違うと言うか、 週に1回なのに読み続けられませんでした。 怨霊と縄文は今のところ古事記、日本書紀など私の知っている引用が多く、 神話設定の謎など、うんそうか、そのように見るか、そう言う考え方か、なるほど、、、、。 真実かどうか知る術もありませんがこれは最後まで読破できそうです。 (私は50過ぎて集中力が弱くなり本をグイグイ読むことが不得手になってしまいました) 本来哲学者であり45歳くらいから古代史研究に着手されて(この本の中で言ってます) 従来の古代史研究に欠けていた哲学的手法を用い、要するに、 人間なんてそんな簡単なもんじゃない、みたいな観点から通説を全て疑って掛かる、 と言う立場なんだそうです。 記紀の謎について沢山の著作(読み物)がありますが、その中には、 強引なもの、都合が良すぎるもの、どこかに作者の都合を感じてしまうものがあります。 梅原猛さんはどう言う人ですか? その世界の主流なんですか?それとも異端ですか? では宜しくお願い致します。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんばんは。 法隆寺の何と言いましたか 何とか会(え)という催しがあって それに参加したとき 《わたしは 聖徳太子の怨霊を見たのだ》と書き出した文章がありました。 これなどは もうむしろおもしろいと感じますが 《哲学的な日本古代史の探究》が この調子であるとは言わねばならないでしょうね。 人麻呂の研究であれば その左遷のことを焦点として研究成果とともに話をふくらませて行く。 万葉集について その歌うたをよく勉強しよく覚えていると 万葉学者の中西進から褒められていました。だからどうかと言えば まぁ そこそこなんでしょう。 アイヌ語の研究は 捨てた(=読まない)ほうがよいでしょう。 その研究を買ってもいないのに どうして読んだのかと言われれば わたしの場合おやぢが著作集を買って評価を聞かせてくれというので 仕方なく読みました。 どこかで何かヒントとなるようなものが見つかれば もうけもんであるかも知れません。 《異端》とか《主流》とか決める以前だと思います。 記紀神話で 天孫降臨のくだりですが それは何故アマテラスの子ではなく孫なのか? という主題を問うて 実際の持統天皇だかの場合に子が早くに無くなり 孫を天皇のくらいに就かせたかったから 神話の話もそういうかたちに書いたのだという説を 出しています。 これは 哲学者の上山春平も同じ時期に同じ仮説に達したと言われています。ふたりで確認しあったとか。 上山の――それはそれはうんと堅実な筆の運びに定評がありますから――存在とともに 梅原も脚光をあびたかも知れません。いや 有名なのは 梅原のほうなのですが。
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お礼
法隆寺何回も行ってますが私は感じませんでした。 聖徳太子の話まではまだ読んでないですが、太子の死後残った勢力を なだめる為と言っても国家的事業ですからね、そう簡単には? どうもありがとうございました。