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辛くなったら死ねばいいという考えは異端?
15歳の当たりから、辛くなったら死ねば良いと思って今まで過ごしてきました。 今もその気持ちは変わっておらず、気持ちが沈んでしまった時なんかは迷惑のかからない自殺の方法を調べたりしています。 こういった考えを誰かに伝えるのは初めてなのですが、私の考えは異端なのでしょうか。 また、理解を得られる考えでしょうか。 自分としては、理解されずに非難される方が多いかなと感じていますが… 自分は悪い考え方とは思っておらず、 背水の陣みたいなものだと考えています。
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質問者が選んだベストアンサー
背水の陣は、逃げ道を断つことで全力で前を向くための戦法です。 つまり、死ぬ覚悟を決めるというよりも、絶対に死なないという気持ちがあるからこそ活きる戦法です。 でも、迷惑のかからない自殺の方法(そんなものは存在しませんが…)を調べているところをみると、本当に死を選択肢に入れているように思います。 背水の陣とはまた違うようですね。 すみません、情報が少なすぎて質問者さんが何をしたいのかがわかりませんので以下の記述は想像になりますがご了承ください。 本当に死にたいなら既に質問者さんはとっくの昔に自殺していたはずです。 でもまだ生きているのは、死ぬこと以上に何か人生に期待をしているからではないのかなと想像します。 「今は自分の人生に希望を見出せていないけれど、もし将来良い人生を送ることができる可能性もあるから、何も苦しい思いをしていない今死ぬことはないだろう…」って感じですか? そうだとすれば、本当にあなたが求めていることは死ぬことではないってことですよね? 漠然としていても、やり方が分からなくても、質問者さんには何かしら死ぬこと以外の本当に求めているものがあるのかなと思います。 それを踏まえたうえで、死ぬという選択を本当に受け入れる人っているのでしょうか? 仮にあなたの大切な人が、死ぬことを決断したとします。 あなたから見れば生きていればまだやれることなんてたくさんあるのに、苦しいからと言って本当にやりたいことを追い求めもせずに、未練を残して死ぬという選択をすることが納得できますか? 苦しいから死ぬとか、そんなこと考えている時点で前を向き切れていないのでそもそも全力ではないんです。 私ならば少なくともその考え方には納得しないので、その人の説得にあたるでしょう。 質問者さんも納得しないのならば、あなたの考えは異端である可能性が高く、あなた自身も理解せずに避難する人と同じということです。 そして余計なことですが、異端かどうかを気にするその思考。 なぜそんな思考をするのか、奥深く追及してみると、そこにも質問者さんの本当に求めているものがつかめるきっかけがあるかもしれませんね。 自分を受け入れてくれる仲間?自分の人生の可能性?…何かは私は知りようがないですけどね。 以上、かなり想像が入っているので話がずれている可能性もありますが参考にしてみてください。
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- shift-2007
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背水の陣ではないですよ。 自死という逃げ道を設定しているんですから 初めから逃げ道を設定しているのですから 負け犬根性という方が正しいと思いますよ。 だから非難されるのは当たり前ですよね。
お礼
回答ありがとうございます。 負け犬根性ではないと思っています。 逃げ道を考えておくのは、戦うために必要なことだと思っています。 私は初めから逃げるつもりではないですし、 やり遂げられることなら何でも達成したいと思っています。 たとえば、「初めから死を選ぶつもりで誰かに相談する」というのが負け犬根性なのではないしょうか。卑屈なイメージがあります。 ですが、確かに背水の陣は適切ではありませんでした…。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
むしろ無責任というか信頼しにくいという感じがするので嫌がられるのではないかと思います。聞いた人はそれから距離を置いて付き合おうとするのが普通ではないでしょうか。異端というほどの迫力もないと思います。それと現在に至るまでにその標語でやってきたのでしょうか。常につらくないとその格言?は生きないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですよね、聞いたために距離を置いてしまう友達も居るだろうなと思います。 もちろん今も昔も楽しい時間はあります。 等しく辛い時間も存在していると思います。 私にとっては、辛い時間に対しての自己防衛が「死を考えること」なのです。
- inochi_bf
- ベストアンサー率7% (10/127)
自身の楽しみや幸せを人生の目的にしてしまっているから、そのような考え方なのだと思います。
お礼
なるほど、回答ありがとうございます。
ラクしたいし、逃げたい。 死について考えてはいるが、実感がわからない。 こういう人がそう考えますね。 人間はラクしたがる生き物だから、そういうことを考えてしまうのは わかりますが。 背水の陣ではありませんね。 むしろ逆。 絶対潰れない逃げ道を作っています。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね、楽をしたいし、辛いことから逃げてしまいたい。 というのはその通りです。 同じ労力で得るものが同じなら、私は楽な道を通る人間だと思います。 >背水の陣ではありませんね。 むしろ逆。 絶対潰れない逃げ道を作っています。 その通りだと思います。 私にとって、死ぬことを考えてしまうのは逃げ道なんだと思います。
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
背水の陣なら、死ぬほど→努力する はずですが、 努力するほど→死のうとする のは、もっと努力してやる事あるだろう、と思います。
お礼
回答ありがとうございます。 努力するほど死のうとする、というのは少し違います。 努力して努力して努力して、最終的に辛くなったら死ねば良いという考え方を持っているだけです。 それを実行に移すかどうかは、その時が来るまで分かりません。 そうならないようになりたいと、心底思っています。
- bari_saku
- ベストアンサー率17% (1827/10268)
異端というか浅はかでは? 死んで楽になれる保証はどこにもないのに。
お礼
確かにそうです。 ですが、私は同じだけこう思うのです。 「死んで楽になれない保証はどこにもないのに」と…。 結局死んだ人間は何も喋られず、何も伝えられないんです。 死んだあとに待ってるのは天国か地獄かなんて、 今を生きている人間には誰一人分かりません。 結局のところ、水掛け論になってしまうのだと思います。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
変じゃないですよ。 >背水の陣 …そうですね、そういう感じもあるかな?。 つまりこうなんです。 「死というものが絶対的だという「信頼感」があるからこそ、その前に壁を作れるし、踏ん張れる」 …ということです。 だから、背水の陣というのは的を得ていると思います。 ただ、今のあなたがそれを意識しているかどうか、意識して「使って」来たかどうかは疑問です。 だんだんと意識的に使えるようになるものです。 土俵で俵に追い込まれたとき、それを使って態勢を立て直し、逆転に導くというような。 それができるようになるには、まだ経験不足だと思います。 「死中に活」という言葉がありますけど、それですね。 死を見つめることは、即ち生きることなのです。
お礼
回答ありがとうございます。 >「死というものが絶対的だという「信頼感」があるからこそ、その前に壁を作れるし、踏ん張れる」 はい、私もそんなイメージでした。 死を考えることで頑張れているのだと思います。 >ただ、今のあなたがそれを意識しているかどうか、意識して「使って」来たかどうかは疑問です。 だんだんと意識的に使えるようになるものです。 土俵で俵に追い込まれたとき、それを使って態勢を立て直し、逆転に導くというような。 それができるようになるには、まだ経験不足だと思います。 そうですね…自分でもそう思います。 経験不足というのは何事に対しても本当に痛感しています。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
思春期にはよくある考え方だと思います。ちなみに、私はもう少し早い年齢から似たような考え方をしていました。 死を口にすると、確かに周囲は不快になり、怒ったりしました。私にとっては当たり前の考え方だったので、なぜ彼らが不快になるのかすらわかりませんでした。今思えば、聞かされたほうは怖かったのだろうと思います。かわいそうなことをしました。 さて、「似たような考え」と申しましたが、どう違うかと言うと、私の場合は辛くなると単純に「死にたい」と思っていて、「~すればいい」という点に関しては、「辛くなったら引越せばいい」と思っていたのです。なぜなら、我が家はよく引っ越しをしていたからです。 ただ、それはさておき、死にたいものは死にたいわけです。死に方も研究しましたし、死ぬ自分を想像したりもしました。しかし、自殺がよくないとされていることは知っていました。とはいえ、死にたくなると、それは頭でしかわからなくなるのですよね。悪いことだと“実感”することはできず、死が最良の方法としか思えなくなるのです。 でも、ある時、「これはホルモンのせいなのだ」という考え方があるのを知りました。それで、ホルモンの波が過ぎるのを待っていると、なるほど死にたい気持ちは遠のきました。以来、死にたくなると、死を想像してはスカッとしてみたりはしますが、「死にたいという思いは錯覚なんだ」と自分に言い聞かせて、やり過ごすようにしました。 そもそも死後の世界が現世よりも辛くないという保証はありません。確かに辛い時には、これ以上に辛いことはないと考えがちですが、ひょっとしたら死後の世界では、自殺時の辛さが永遠に続くのかもしれませんよね。まあ、そんなこんなと考えながら、やりすごしていた、ということです。 そうこうするうちに、いろいろあって、死にたい気持ちはなくなりました。でも今も辛い時には、心の中で自分をめった刺しにしたりしますよ。妄想するのは自由ですからね。 余談ですが、私は自殺現場を見たことがあります。他人の自殺でも、とても辛く感じるものですよ。質問者さんのことも、私は知りませんが、それでも死なれたら辛いです。どうか生きていてください。未来は計り知れませんので。
お礼
自分はもう20代ですが、未だに考え方を変えられていません…。 それはさておき、ucokさんの考え、気持ち、とても良く分かります。 無性に死にたくなってしまう気持ちも、とても良く分かります。 ですが、今は何ともないようで、私もそうなれたらなと思います。 回答ありがとうございました。
- d194456
- ベストアンサー率27% (423/1524)
『自分は悪い考え方とは思っておらず…』が困った考え方です。 『辛くなったら死ねば良い』では、辛い状態を、楽しい状態にしていく考えが出難いです。 『何とかなるさ』の方が、何とかする方法を考え易くなります。 人は自分の気分が良くなることを選びます。 それなのに、辛いことの中から、少し楽な方法を選ぶのでは、楽しさが違うと思いませんか。 人生運も健康運もあなたの思いで変えて行けます。 楽しい人生を活きて下さい。
お礼
なるほど、そういった考え方もあるのですね。 少しづつそう思えるように、変わっていけたらと思います。 ありがとうございました。
- tsufujifuji
- ベストアンサー率15% (213/1332)
あんまり、人間を綺麗しするのやめなよ。まあ、始めてなのであればいいけどここにくるメンタルヘルスの質問みてます?わたしは、彼方を普通って呼びます。一緒なんだもん。かなりの確率でメンタルヘルスのみんななら彼方を理解できます。所詮おなじ人間だぜ。うつを乗り越えると女がよってくるよ。面白いもんだよ。一時期の悩みだと思いなよ。自分の気持ちがわかると相手の気持ちがわかってしまいます。彼方は、気になった女性の不安がなんとかくわかるようになります。普通じゃそんなもんは、わかりません。 そのうち自信ががつくから、乗り切ってみな。だめならいくらでも手を貸します。
お礼
回答ありがとうございます。 熱心に励まして頂いている?ようで…ありがとうございます。 また、何かあればこちらへ投稿しようと思いました。
お礼
回答ありがとうございます。 私の背水の陣のイメージは、 「逃げることをやめることで、死にもの狂いで目の前の敵を排除する」でした。 自殺の方法を考えるといった行動は自己保身の一部でも有って、 何かあった時にそういう行動に出られる安心感が欲しかったのです。 ですので、今は「背水の陣」は適切ではないなと思います。 >本当に死にたいなら既に質問者さんはとっくの昔に自殺していたはずです。 でもまだ生きているのは、死ぬこと以上に何か人生に期待をしているからではないのかなと想像します。 はい、そうです。 私は人生に期待しています。 これから先、少しずつでも良い方向へ向かっていくのでは無いかと少なからず思っています。 今はやりたいことに向けがむしゃらに頑張っていますが、 それが無為になった時、自分がどうなってしまうのか不安でもあります。 なので、今すぐ死ぬということは全く考えていません。 いつでも死ねるということを逃げ道にして過ごしているのだと思います。 大切な人が死ぬことを決断した時は、もちろん止めると思います。必死になると思います。 でも、私はそういう考えを否定出来ません。 誰しも許容量を超える苦しみはあると思いますし、 人によってはそんな些細なことで!?と思うことも、当人にとってはとても深い苦しみなのかも知れません。 矛盾しているし、エゴだと思いますが、私はそう思えてしまいます。 >そして余計なことですが、異端かどうかを気にするその思考。 なぜそんな思考をするのか、奥深く追及してみると、そこにも質問者さんの本当に求めているものがつかめるきっかけがあるかもしれませんね。 自分を受け入れてくれる仲間?自分の人生の可能性?…何かは私は知りようがないですけどね。 !! ハッとしました。 もしかしたら私は、大切な人、家族、友人に理解してもらいたいのかもしれません…。 回答ありがとうございました。