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物理の物体落下について
こんにちは。 「二つの物体を同時落下させた時、個々の重量に関係なく同時に落下する」 これを発見したのは”ガリレオ・ガリレイ”と教育では教わるのですがなぜですか?? 発見したのはガリレオではないはずですが…おかしいですよね…。
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- htms42
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>「二つの物体を同時落下させた時、個々の重量に関係なく同時に落下する」 これは本当ですか。 小学生に言ってみてください。「そんなのウソだ!」という反応が返ってくるでしょう。 自然界で起こる現象全般に対して言うのであれば成り立ちません。アリストテレスはうそを言っているのではありません。「空気の抵抗が・・・」という言い方は現在の考え方です。地球と物体の2つの間の関係として場面を抜き出して他の物体の影響を考えないという立場が必要です。空気は地球の一部ではなくて他の物体だとして排除するという立場が必要なのです。この立場の獲得に時間がかかっているのです。野外での「落体の実験」はそういうことで言えばは補助的なものでしかありません。 石とか金属の塊とかが落下するときと紙や羽毛が落ちるときに違いがあるというのは古代から知られていたことです。物体には重さと軽さがあるというような認識の仕方が重さしかないという認識に変わる必要があったのです。 ガリレオの時代にそういう考えが確立していたというわけではないだろうと思います。しかし、自然をそのまま考察の対象にするのではなくて、場面を限定して考察する(切り取った自然を対象とする)という立場が徐々に広がっていったのでしょう。野外での「落体実験」というのはそういう中で出てきたものでしょう。多くの人がやっているようです。でもそれだけであればあまり発展性があるようには思えません。運動の法則、力学の体系にはつながらないのです。運動の最初と最後だけを見るということではなくて途中も考察の対象にするということがなければ加速度運動とはどういうものであるかは見えてきません。実験室の中で斜面を作り、時間を測り、距離と時間の関係を調べるという作業が必要になってきます。こういう実験的な考察方法の確立ということでは画期的だったということです。(こういうこともガリレオ一人のことではなかったようです。自由落下において一定時間に通過する距離の比が1,3,5、・・・という奇数の数列になるというのはガリレオ以外の人も発表していたようです。ギリスピーの「科学思想の歴史」の中ではかなり詳しく扱われていたように記憶しています。) ガリレオは大きさが等しくて質量の異なる球を転がして同じ時間で落ちることはやっているようです。でもピサの斜塔での実験はやっていないのではないかと言われています。(私もやっていないのではないかと考えています。ピサの斜塔での実験というのは実験室での実験とは違って一般受けします。絵にもなります。でもガリレオにとってはそれほど重要なことではなかったはずです。「誰それがやった」という情報は参考にしているとは思いますが関心を持っている枠組みが異なっていると思います。「新科学対話」の中には思考実験の形で出てきます。) wiki ガリレオ・ガリレイ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%A4 >ガリレオがピサの斜塔で実験を行ったのは1590年 これはどの本に載っていましたか。もしかしたら、佐藤満彦の本ではありませんか。 1590年にやったというのは助手のヴィヴィアーニが書いた伝記の中にあるだそうです。「助手の・・・」という文章だけを読むと実験も手伝ったのかなと思ってしまいます。でもwikiで見ると >1639年、17歳のときに軟禁状態のガリレオの助手として派遣され、1642年のガリレオの死まで仕えた。1655年から1656年にわたって、ガリレオの最初の伝記を執筆した。 1590年には生まれてもいないのです。 1590年はガリレオが26才の時です。1589年から3年契約でピサ大学に在職しています。教授だったという説もあるそうですが講師だったということのほうが可能性が高いです。駆け出しの契約講師がそんな大がかりな実験をすることができたとは思えません。ピサの斜塔であれば50mになります。 ステヴィンは30フィート(=9m)でやっています。それでもかなり大がかりなものになります。一人ではできません。ステヴィンはこの時(1585年)で47才です。駆け出しではありません。すでにある程度の名声を得ていました。いろんなことをやっています(数学での少数表示は彼によるものだそうです)。でも力学の体系を作るという方向での関心はなかったようです。 英語版のwikiでもちょろっと一行だけ出てきます。 In 1586, he demonstrated that two objects of different weight fall down with exactly the same acceleration.[3][4] (この記述は正しくありません。加速度 acceleration を調べているのではありません。調べたのは同時に落ちたということです。音で確かめています。---音でしか確かめようがないとき、この実験はむつかしいです。exactlyという言葉を使うことはできません。) そこでの参考サイトに飛びます。 “The Falling Bodies Experiment The Work of Galileo (Two New Sciences) and Others Like Simon Stevin” http://www.juliantrubin.com/bigten/galileofallingbodies.html ここに >In 1576, Giuseppe Moletti, Galileo's predecessor in the chair of mathematics at the university of Padua, reported that bodies of the same material but different weight, as well as bodies of the same volume but different material, dropped from a height arrived at the Earth at the same time. 「落体の運動の法則」は >「二つの物体を同時落下させた時、個々の重量に関係なく同時に落下する」 と簡単に一行であらわされるものではないのです。 付随するいろんな条件であるとか、見る立場の変更とかの問題があります。 そういうことでいうと野外での「落下実験」というのは「決定的な実験」ではありません。 しかし「決定的な実験である」と考える人が多いのでガリレオに結び付けないといけないと思ってしまうのでしょう。エピソードとして面白い、一般受けするということもあるようです。「実験室で斜面を作って・・・」なんて言っても誰も興味を示さないというのが現状でしょう。 教科書には 「ガリレオがやったと言われているピサの斜塔の実験」 と書いてあったとしても 「ガリレオはピサの斜塔の実験をやった」 と言ってしまう教師も多いです。 ※私が「ガリレオはピサの斜塔の実験をやっていない」というコイレの説を知ったのは多分、村上陽一郎の本だったと思います。30年ほど前のことです。 ※溝のついた斜面にスタートから10cmごとに印をつけます(私は網戸用のアルミサッシの枠を使ってやりました)。10cm、40cm、90cm、160cmには刻みを入れます。刻みの間隔は1,3,5,7の奇数の数列になります。ビー玉を転がすと刻みのあるところを通過するときに音がします。音は一定の間隔で聞こえますからわかりやすいです。教室でやってもよくわかります。傾きを変えてやると速さが変わります。でも一定のリズムで音が聞こえるという関係は変わりません。等加速度運動であるというようなことを理解するためにはこのような作業が必要になってきます。 ※水、空気は地球の一部であって一体のものというのが昔の人の立場でしょう。地面だけが地球ではないのです。石や金属は地面としての地球の構成物質です。重さを持っているものはその本来の位置に戻ろうとするような運動がおこる、それが石や金属の運動です。軽さを持つ物質の代表が気体です。上に上るのは本来の位置が上に合ったからです。その中間のものもあります。落下させると石のようには落ちないのです。多くは水に浮きます。燃やすと気体が発生します。後には灰が残ります。軽さを持っている物質と重さを持っている物質が組み合わさってできた物質であるという理解に行き着きます。 自然界にある物質がこれだけ大きな性質の違いを示すのですから質量の違う石を落下させて比較してみようなんて発想は出てこないのです。 ※トリチェリーの真空で有名なトリチェリーはガリレオの弟子です。この真空と大気圧の関係を説明したのがパスカル(1623-1662)です。空気を排除して考えるということが確立するためには排除した後の空間の存在、「真空」の概念が必要になってきます。これがまたむつかしいことなのです。だからこそ場面を限定した自然、切り取られた自然を詳しい考察の対象にしていくという立場が重要になってきます。野外での実験をただやってもパーフォーマンスだけに終わってしまうのです。
- 中村 拓男(@tknakamuri)
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落体実験はいろいろな人が古代からやっているようなので、 これをもってステヴィンの業績とするのは無理なんじゃないかな。 扱いが小さいのはそのせいじゃないかと思います。 落体の速度変化を定量的に明らかにし、慣性の法則も 導いたガリレオの方がすごいとおもいます。
- Nebusoku3
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質問の最初の時点でご存知のことを全て展開しておく必要がありますね。 さもないと折角の回答者に恥をかかせることになると思います。 先に情報を出さない場合はそれを狙っていたともとられますので要注意です。 foomufoomuさんの御説の通り、本当の発見者、発明者と歴史に残っているものとは異なっていることがあるというか、多いと言った方が良いかもしれません。 エジソンにしても実際に模型を作っていた弟子が優秀だったとか、レオナルドダビンチが発明したと言われるものにはそのそばにいた人物の発明でレオナルドはそれを絵と数学で表現していた様なことなど、 地動説についてもそうですね。 foomufoomuさんの御説の通りで 後出しじゃんけんは 悔しいものがあるのでねぎらっていただいた方が良いですね。
- foomufoomu
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そういうのを、「後だしジャンケン」というのだけど。。。 それが分かっているなら、こんなところで愚痴ってないで、「ガリレオ説は間違いで、シモン・ステヴィンが正しい」と、はっきり発表するべきでしょう。 ただ、世の中には、1番の人が発見者とされてないことが、まま、あるようなのです。 私が聞いたことがあるのは、「進化論はダーウィンより前に発表した人がいる」です。 これは、当時のキリスト教文化の中、「人や動物は神が作ったものではない」という説を発表するのが難しく、こっそり目立たずに発表していたのに対し、ダーウィンは、熱心にキリスト教活動をして信頼を得たうえで、キリスト教信者の機嫌を損なわないよう、すこしずつ進化論を発表していった結果、ダーウィンのほうが先に認知された。ということらしいです。 シモン・スティブンの事情は知りませんが、似たような話があるのではないでしょうか。
- foomufoomu
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発見したのは、ガリレオで間違いないと思いますよ。 それまで、アリストテレス派の「重いものほど速く落ちる」が信じられていて、だれ一人、それに疑問を抱く人はいなかったのですから。 なお、「重いものほど速く落ちる」は、空気抵抗を考えると、正しくなります。 ガリレオは金属球をピサの斜塔から落としていますが、空気抵抗の影響が大きい木球だったら、重いものが速く落ちる結果になったのです。。。 ・・・どうですか? あなたも「重さに関係なく同時に落ちる」が絶対正しいと思って、疑いもしなかったのではありませんか? 多くの人は、通説を信じて、疑いもしないものなのです。
- 中村 拓男(@tknakamuri)
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何を「発見」というのかは難しいですが、 最初に実験的な証明をした人ということでよろしいのでは? おそらく定性的に気がついていた人はたくさんいたでしょう。 当時は真空装置もないし、高速度撮影もないし、時間の基準も脈拍くらいです。 空気抵抗を排除した落下速度の判定は難しかったでしょう。 ガリレオは斜面を使って落下速度を遅くして測るというアイデアを思いつき 実際に実験を行い、測った実験結果を公表しました。 最初に静止していた落体の移動距離は、落体の重さにかかわらず同じで、 落下距離が時間の2乗に比例することを数字ではっきりと示しました。
お礼
ご回答ありがとうございます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >>発見したのは、ガリレオで間違いないと思いますよ。 いえ、ガリレオの5年前にすでにプリュージュ出身の物理学者シモン・ステヴィンが著書で説明しているのです。 ガリレオがピサの斜塔で実験を行ったのは1590年 シモン・ステヴィンの書物[力学上の著書](1585年) 『重量の異なる鉛玉を30フィートの高さから同時落下させた場合、同時に地面に接する。』 私が思っていますのは、ガリレオの前にすでに世間に証明が広まっているのに なぜ、ガリレオが発見したように教育されているのか? が疑問なのです。 小・中・高と教科書を見てみても名前さえ出てきません。(見落としがなければ…)