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なまじ才能があると不幸になる

老子荘子を読んでいると「なまじ才能があると人に酷使されて不幸になる」というテーマが 繰り返し現れますが、これはなぜなのでしょうか? また現代日本の世情に照らし合わせて、みなさんこのテーマをどう思われますか?

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  • wiz0621
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回答No.10

それを不幸と感じるのであれば、それは道から外れているからです。 どういうときに人が労苦を感じ、不幸となるか。 老荘思想では、一般社会で不幸とされることが多い、才能のあるなしや 人に使われること自体を、そもそも大したことではないと考えます。 老荘思想における不幸とはすなわち、道から外れることであって、 損得を理とし、損を不幸とする考え方とは基準点がそもそも違うのです。 では道とは何か。老荘思想を突き詰めると体系化しちゃいかんことになるので、 あくまで解釈のための入り口として、簡単な言葉にまとめると 「執着しない」ということが大前提になります。 執着しないとどうなるか。幸福の定義が変更されるのです。 気を専らにしても赤子のように柔かである。 様々な事柄に明るく通じていて、その上で無知であることを目指す。 何かを成しても、それを自らのよるべとしない。 才能を隠し、無名であることを旨とする。 為して恃まず、賢を見さんと欲せず。 これらこそが無上のこととなり、 逆に、人の世で幸福とされるようなこと、地位や役割を得て、 あるいはひとつの楽しみに没頭するようなことは 人生を縛るものとなり、それこそが老荘思想における不幸となるのです。 もし、才能がある人間が酷使される(そしてそれを不幸と感じている)のだとしたら、 それは何故でしょうか。 それは地位(あるいは居場所)に執着しているためです。 不幸とは才能によってもたらされることではなく、 その位置に居続けることによっておきているのです。 現代風に言うと、本当に才能が少しでもあるのであれば、 ブラック企業はとっとと辞めて、転職なり起業なりすれば?ということですかねー。

bougainvillea
質問者

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回答ありがとうございます。 老荘の考え方がよくわかりました。この考えがのちに禅宗南宗と混じり合って、 日本にも伝わってきたのが感じられました。

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  • MOG777
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回答No.13

例えば、勇気がその者のアイデンティティになっていれば 臆病と言われるのは辛いでしょう。そこを操作される。 また、美人ほど若返りに興味をもつのは、自慢の武器が美貌だからです。 そこを操作される。 やはり、最も愛し得意なことにより、人間は自滅します。

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自滅しないために、他人に操作されにくいアイデンティティとは何か? もしかしたら「神」や「信仰」という概念がそれなのかと 考えさせられました。

noname#194996
noname#194996
回答No.12

>なまじ才能があると なまじ;中途半端に というほどの意味でしょう。圧倒的な才能でなく、ひそかに自分自身では恃むに足る(当てに出来る)のだがと不満に思っていたら、他人にそこを褒められて有頂天になり、利用されるだけされて枯渇した後捨てられる、というほどのありきたりの転落人生ですね。なぜか?老荘思想は冷徹に人間を見るからでしょう。参考にはなります。 世情、というところまでは思いが及びませんが、余り関係がないのではないでしょうか。

bougainvillea
質問者

お礼

老子荘子が、「中途半端な才能じゃダメだ。頑張って努力して、壁を突き抜けて、圧倒的な才能を得ればよろしい」と言うとはちょっと考えにくいです。 もっと才能自体から距離を置いている感じがします。

noname#181644
noname#181644
回答No.11

私も十番さんに同じですが、稀に才能があると、その才能に固執して、色々の苦悩を受けると思います。上には上のいる世界ですから、キリの無い向上心に基づいて、マグロの様に走り続けなければなりません。 しかし、現代風に言えば、熱い、実りある人生とも言えると思います。 一方、老荘らの生きた時代は王政で民主主義もないですから、能ある鷹は爪を隠すの方で幸せだったのでしょう。例えば力が特別強い人は兵士にされて矢面に配備されるかもしれません。今なら職業選択の自由がありますから、無理やり軍人にされることもないでしょう。そんな感じだと思います。

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 才能に「固執」するのがよくないぽいですね 現代だとロマン主義的に「才能と苦悩」と主観的に美化されるようなところが ありますね。ベートーベンの人生とか、ああいう感じで。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.9

こんばんは。 >「「なまじ才能があると人に酷使されて不幸になる」というテーマが 繰り返し現れますが、これはなぜなのでしょうか?」 「使える!」と思われて・・・成功する場合と、 ただ(使われて)不幸になる場合と、ということでしょうか。 いやいや、「成功する場合」なんて無い。

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

回答No.8

是は生き方の問題として考えた場合では、『必要とされて生きる事』を意味しますので、良い事だと思います。人間に限らず動物だとしても、仕事がある事で一つの生きがいになるという意味からです。 自然の、野生の熊よりも『サーカスで仕事をしている熊のほうが長生きをする。』という話を精神科医のV・E・フフランクル博士の本で読んだ事があります。 必要とされて、自分を肯定されて生きる生き方が、本来の生きる意味に繋がっていると思います。

bougainvillea
質問者

お礼

仕事を通じた社会性の肯定ですね。 老荘だと、田舎に隠居して湖で魚釣りして晴耕雨読が理想なので だいぶ違う感じですね。 西洋と東洋の違いを感じます。

回答No.7

「才能」といっても、物質的繁栄~他人に使役されるための、 歯車としての能力か、精神的豊かさ~自己の認識を深める 能力かによって異なります。 「才能があると使役されて不幸になる」というのは、前者です。

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 老荘だと物質的なものに背をむけて、精神的な道を追求するところがありますね。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.6

”これはなぜなのでしょうか?”    ↑ 老荘思想は、儒教のアンチテーゼとして 出現したものだからです。 出世競争に敗れたり、落ちこぼれた人を 慰めるための思想です。 ”現代日本の世情に照らし合わせて、みなさんこのテーマをどう思われますか?”    ↑ 才能のある人に頑張ってもらわないと国や 社会がもちません。 そういう人が中核となり、そこからこぼれた 人達が、才能のある人を揶揄します。

bougainvillea
質問者

お礼

老荘は失敗者の思想だとはよく言われるところですね。 国家や社会などに対し反文明的な態度なのも、 儒者のほうからだいぶ攻撃されてます。 みんながみんな、人生に成功するわけではないので、こういう思想も必要なのではないでしょうか。 また、成功者のほうでも、成功が意外と虚しい、こんなものだったの?日々忙しくて厳しい などというのは感じることが多々あるかと思います。

noname#184692
noname#184692
回答No.5

単に便利だからでしょう。 使えるけど代わりはいくらでもいるいう人材なのでしょう。 便利だけど、消耗しても惜しくは無い。 そういう立場になってしまったのは本人の責任でもありますがねぇ。

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 その人の替えが効くか、効かないかでも だいぶ違うのかもしれませんね。 存在感というか

  • soodann1
  • ベストアンサー率0% (0/7)
回答No.4

  これは天才以外はアホのほーがえーゆーとるわけである。 ほんとーにそー思うんであれば、アホになればえー。  

bougainvillea
質問者

お礼

老子の肖像なんて、ふつうに見たらアホのおっさんですからね。。 http://sirandou.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/10/15/roushi.jpg

回答No.3

>なまじ才能があると人に酷使されて不幸になる  美しい毛皮が採れる動物は乱獲されるということ。  そうじゃない動物は見向きもされないから生きながらえる。  老壮思想は奥が深いけれど、才能なんかない方が、役に立つ仕事をしない方ことが最高に幸せだと思いたがる怠惰なニート思想に変貌しやすい。  つまるところ、ことばを受ける側がどう料理するかで、幸せにもなり不幸にもなる。

bougainvillea
質問者

お礼

いわゆる老荘の毒というやつですね。 儒教が出世主義や官僚主義に転化しやすいのと、 対を成していると感じます。