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断りという言葉と理コトワリという言葉の関係について

言語的あるいは心理的な関係を知りたいと思いました。理論と拒絶が同じ語源の言葉だったら不思議な感じがします。

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回答No.1

同語源です。語源は言霊信仰から来ているようですね。  ことわり=理に従って区分割りや割り振りを行う(事割・言割) 断り=何かを行う時に入れる理や道理。そこから派生しして断る際に理由付をする事、    近年では断る行為のみに用いられる・・・そうです。  

noname#194289
質問者

お礼

理由づけというところが共通なのでしょうか。ご教示ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • toast5
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回答No.4

>中国語などでも同じようなことがあるのでしょうか 漢語の「貼」に「張」の意味がないように、 「跳」に「飛」の意味がないように、 果汁の汁と味噌汁の汁が共通だからといって、英語の Juice に Soup の意味がないように、 漢語の「理」に「断」の意味はありません(根拠なし。想像です)。

noname#194289
質問者

お礼

字そのものというより心理的なという意味でした。ご教示ありがとうございました。

  • toast5
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回答No.3

考えてみれば「理(おことわり)」と「無理」が同じ意味なんですね。

noname#194289
質問者

お礼

言われてみればまさにそうですね。中国語などでも同じようなことがあるのでしょうか。ご教示ありがとうございました。

  • toast5
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回答No.2

先行する回答が完璧だと思うので蛇足ですが、ことわりは「こと」「わり」ですね。 「こと」が「この世のあれやこれや」を指し 「わり」が「割り付け」だと考えると、 「ことわり」は「RULE(法則、筋道、決まり)」、ということじゃないでしょうか。 それがどうして拒絶の意味になるかというと、日本語には 「有り難き、幸せであります」→「ありがとう」とか 「左様であれば、帰ります」→「さようなら」などのように、 肝心の後半部分を言いよどんで(察してもらうことを期待して)、 前置き(それだけじゃ意味がわからない)のほうだけが成句になる、という パターンがあって、成句ならぬ日常会話でも 「じゃあ僕はそろそろ、帰ります」→「じゃあ僕はそろそろ・・・」 なんてしょっちゅうあるので、それの一種じゃないでしょうか。 「しかじかのことわりで、できません」→「おことわりで・・・」

noname#194289
質問者

お礼

すこしずれますが、「結構です」というような例もありますね。言い淀みの一種でしょうか。二つの意味がありますが、どちらかといえば断るほうですね。ご教示ありがとうございました。

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