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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「トンデモ」は言葉としておかしくないですか?)

「トンデモ」という言葉について

このQ&Aのポイント
  • 「トンデモ」という言葉の使用が広まっていますが、その語源や意味について疑問を抱く人もいます。
  • この言葉は元々「とんでもない」という意味で使われていたが、省略されることで意味が変わってしまっているという指摘があります。
  • 特に「と学会」がこの言葉を広めたことに疑問を持つ人もあり、その背景や受け入れられ方についても考える必要があります。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

まず、「と学会」のいうところの、「トンデモ本」とは、「著者の知識の欠如や妄想により、著者の意図とは異なる楽しみ方ができる」と定義されたものです。 言葉の意味を考えるのなら、まず、本家の定義は尊重すべきだと思います。 さて、「とんでもない」の場合、少し特殊な事情があります。 「とんでもない」から、「ない」を分離した形での「とんでも」という用例が見つからないのです。 このことから、語源は「途でも無い(これも、「とんでもない」ではなくて、「とでもないです)」だったとしても、現在は、「とんでもない」という言葉を単独の単語としてとっている例が多いです。 これから考えると、「とんでもない」という単語の省略としては、別段不思議でもないと思います。 あえて、定義も与えたわけですし。

bbcd
質問者

お礼

「と学会」が定義した「トンデモ」の意味は質問する前に調べましたが、今回の質問には重要ではないと思ったので省略しました。 言葉の意味ではなく表現方法についての質問だからです。 > 「とんでもない」から、「ない」を分離した形での「とんでも」という用例が見つからないのです。 なるほどです。「ない」を省略しても誤解が生じないということですね。

その他の回答 (8)

回答No.9

トンデモ の語源・由来については、ご引用のURLにあります様に、 「途(と)でも」を強調するために「ン」を加えた表現です。 この場合の「途」は、物事の筋道や道理を指しています。 道理に合わない事を、「トンデモない」と強調ることで、相手の言い分を強く否定したり、反論を述べる場合の「枕」に使われています。 「途」を用いた表現は今では使われなくなっていますが、「道理」や「筋道」は今でも使われていますので、「途」に否定語「ない」が続くことで、道理の無さを強調しているわけですが、「トンデモ本」等は、流行化し始めた新語法と解せます。 一面、言葉の乱れとも云えるでしょう。

bbcd
質問者

お礼

丁寧な解説ありがとうございます。 言葉は生き物とはいえ、新語なのか言葉の乱れなのかは判断が難しいところですね。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.8

この省略が許されるのは、「とんでもある」という対義語表現が無いからでしょうね。 つまり、「とんでも」と言ったら「とんでもない」に決まっている、という暗黙の了解があるため成立するのだと思います。 ちょっと他の例で考えてみました。 実際に、こういう言い回しがされているかどうかはわかりませんが、たとえば、「今日は、猫の手状態だったよ」と言えば、「今日は、猫の手も借りたいほど忙しい状態だったよ」という意味になり得ると思います。 これは、「猫の手は要らない」といった慣用句が無いからこそ可能なのでしょう。 もし、あれば、「猫の手状態」だけでは、どちらの意味かわかりませんから、こうした表現はできないはずです。 同様に、『トンデモ本』と言われて「とんでもある本」だと勘違いする人はいないでしょうから、特に問題はないように思います。 『省略したことで意味が変わってしまうなら省略すべきでないと思います』とおっしゃるのはそのとおりと思います。 ただ、今回の例の場合は、 『省略しても意味がひとつしか類推できないため、その意味が変わることはなく省略することに問題はない』ということになるのでしょう。      

bbcd
質問者

お礼

No.4の方と同意見ですね。 確かにそうだろうと思うのですが、否定の「ない」を省略したら意味が反対になるじゃないか、というのが私の感じた違和感の原因です。 反対の言葉が存在しないとしても「反対の言葉を新たに作った」という解釈もできなくはないと思ったわけです。 そこまで考えるのは自分くらいだったようですが。

  • toast5
  • ベストアンサー率37% (239/638)
回答No.7

「そんなふうに後半を省略したら意味がまるで伝わらない筈なのに、何故か伝わってしまう言葉」は、たくさんあります。「ありがとう」は「あり得ないほどの幸せと存じて感謝します」を「あり得ない」と略してるようなものだし、「さようなら」は「そういうことなら帰ります」の、肝心の部分を略しています。「こんにちは」なんかも、どう見ても言いかけの途中なわけで、「だからコンニチが何だってんだよ」と突っ込むべきなのですが、まあ、伝わるからいいんじゃないでしょうか。 >何の違和感もなく世間に受け入れられたのが不思議です。 うーん、絶妙の違和感があるから普及したんじゃないでしょうか。言葉が脱臼してる感じ、というか。

bbcd
質問者

お礼

なるほど。省略はよくあることだということですね。 > 絶妙の違和感 私はそれは感じられませんでした。 言葉の感じ方は人によってかなり変わるようです。 高齢の人が若者言葉に不快感を示すのもわかる気がします。

  • mota_miho
  • ベストアンサー率16% (396/2453)
回答No.6

基本的なことですが、「トンデモ」の概念を理解されていないようです。 》 主に「おかしい」「馬鹿馬鹿しい」「とんでもない」という意味で使われていると思います。 本来の「トンデモ」の意味はそのようなものではありません。「トンデモ」を辞書的に説明してもそのニュアンスを伝えることは困難ですので、「トンデモ本の世界」(そして、その続編)を読まれるのがいいと思います。 その際、その意味合いと面白さが分かるにはユーモアを解するセンスがあったほうがいいかもしれません(あと、多少の教養も)。  

回答No.5

「とんでも」或いは「とんでもある」の用例がない以上とんでもないは「とんでも」+「ない」の合成語ではないので語尾を省略しても意味が変わらないのは肯定できます。 同様な物として「なにげない」→「なにげ(に)」が有りますがこちらははじめの頃は「なにげない」の反対語として「わざとらしい」の意味で使用していたように記憶しています。

bbcd
質問者

お礼

No.4の方と同意見ですね。 「なにげに」は「さりげない」「実は」とかいう意味で使われていたようですが、意味がはっきりしない若者言葉で、今となっては言葉の乱れだったと思います。 http://zokugo-dict.com/21na/nanigeni.htm

noname#201242
noname#201242
回答No.3

「とんでもない」から派生した「トンデモ」という新しい俗語(スラング)だと思ってました。 教科書に載るような真面目な言葉ではありませんから、目くじらを立てる必要はないと思います。 または、デパ地下とかシュウカツみたいな4音節(?)の省略語の一種だと思っています。 日本人はこのリズムが好きらしいです。 作家は言葉遊びもすると思いますよ・・・・しかもSF系の方々なんですね? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E5%AD%A6%E4%BC%9A でしたら、さもありなんです。 こんな人たちですもの。 http://ja.wikipedia.org/wiki/DAICON ※SFを馬鹿にしてるんじゃないですよ。 「と学会」が正式名称とは知りませんでした。 <自分たちはトンデモないものを「と」と総称していると藤倉から聞き、語感が間抜けでいいとして山本が「と学会」と名付けた[5]。> ウィキペディアより。 世の中には変な言葉、馬鹿みたいな事はたくさんあります。 「と学会」は馬鹿みたいなことをあえて追求して楽しんでいるんだろうなと思いますが。

bbcd
質問者

お礼

>日本人はこのリズムが好きらしいです。 なるほど。それは一因かもしれません。 私は気持ち悪く感じるのですが、言葉の感じ方は人それぞれのようです。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.2

 言葉遊びみたいな物ですし、とんでもないというその物でもない場合もあります。と学会はそんな感じです。否定するのではなく、それを楽しむという感じです。本来の意味と異なるという事でカタカナで表現したりします。携帯電話をケータイなどと表現するのと同じ感じでしょう。  言葉は時代によって変化していきますから、絶対にという事は無いと思っています。

bbcd
質問者

お礼

言葉に絶対ということはないでしょうね。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

ゆるキャラはOKなのでしょうか。 ゆるせないキャラメル、と区別つかなくてもいいでしょうか。 ご質問の論理では、このゆるキャラを問題視しない理由がわかりません。

bbcd
質問者

お礼

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