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南京虐殺と731部隊の人体実験に関する世界の認識

ア)南京虐殺と イ)731部隊の人体実験は 1)日本政府(軍の最上層部を含む・以下同じ)主導で行われた 2)日本政府が主導で行ったわけではないが、黙認していた 3)日本政府が主導で行ったわけではなく、むしろ注意を促していた 4)日本政府は当時知らなかった のどれなのか、 A)日本での認識 B)中国での認識 C)アメリカでの認識 D)その他の国での認識(特筆すべきものがあれば) E)回答者さんの認識 を教えてください。 なお、ある程度専門知識のある方に回答を求めます。 回答よろしくお願いします!!

みんなの回答

回答No.3

731部隊は、関東軍の防疫部隊と戦場給水部隊として、編成されました。 石井部隊は関東軍陸軍病院の下で、防疫業務を行い、戦場では、飲料水の浄化及び検査を担当していました。 731部隊があったハルピンの駐屯地は、明治時代に中国でコレラの大発生があったときに防疫拠点として、北里柴三郎等の寄付で建てられた建物を使用していました。 また、関東地方の医療の為の医薬品の製造をも行っていました。 A)日本での認識  戦後馬鹿な小説家によって書かれた小説が事実のようになりましたが、その小説の内容は作り物だと書いた本人が証言しています。  戦後米国も調査しましたが、米国国立公文書館にある資料に依ると、デフェンスの研究はしたがオフェンスの研究成果は見るべき物がなかったと記録されています。 B)中国の認識  中国軍では、終戦まで日本軍の進駐先で、細菌を飲料水に混ぜるという戦法を採ってきました。  之は記録にあります。 C)アメリカの認識  731部隊は単なる衣糧及び給水機関でしかなかったという認識です。  アメリカ公文書館の資料に依る。 d)その他の国での認識   日本軍が細菌兵器を作ったという記録はありません。 E)回答者のみなさんの認識  戦後のプロパガンダに忠実な人は、731部隊は最近部隊だった、と思っているでしょう。  米国の公文書館などの資料を、読んだ人はその様な事実がなかったと認識するでしょう。 以下に、関東軍命令を例示します。 関作命丙第七八号 関東軍命令 昭和14年7月7日十二時新京 陸軍軍医大佐 石井四郎 7月8日ヨリ10日間ノ予定ヲ以テ海拉爾、将軍廟方面ニ到リ防疫給水部隊ノ指導ニ任スヘシ 器材補給ノ為部下将校以下十五名ヲ隨行セシムルコトシ得其ノ人名ヲ報告スヘシ 関東軍司令官 植田大将 下達法、要旨電報後、印刷交付 陸満密受第一三五三号 関後命第八七四号 関東軍命令 9月18日午後八時於新京軍司令部 一、軍ハ防疫施設ヲ強化シ上海香港方面ヨリスル「コレラ」等ノ侵襲ヲ防 セントス 二、関東軍防疫部長ハ別紙人員ヲ大連ニ派遣シ軍軍医部長ノ指揮下ニ入ラシムヘシ 三、関東軍軍医部長ハ大連營口安東山海関壼蘆島其他必要ナル港湾及満洲国特ニ接壤地帯ノ軍防疫施設ヲ強化スルト共ニ現地軍部外衞生機関ト協力シ防疫ニ任スヘシ 四、関東陸軍倉庫長及公主嶺陸軍病院長ハ別紙ノ材料ヲ関東軍防疫部大連派遣員ニ交付スヘシ 関東軍司令官 植田大将 下達法 防疫部ニ要上日ヲ電報、軍医部ニ口達後印刷交付 配布先 次長、次官、方面軍、防疫部、倉庫、各陸軍病院部内(参、副、軍)

回答No.2

質問者様の求める「ある程度」の「専門知識」のレベルと分野が不明なので、私程度が回答してよいものか自信がありません。 また、設問が不完全なので回答不能なものがあります。 回答 B:ア、イ共に1 C:アは1、イは「事実ではない」という選択肢がないので回答不能。(理由は後述) A、D、E:ア、イ共に「事実ではない」という選択肢がないので回答不能。(理由は後述) ア)南京虐殺と イ)731部隊ですが、何故か質問者様は事実という前提で質問をしているようですが、実はそれらは物的証拠がありません。 これに対して「無実だという証拠もない」という意見もあるようですが、 無実の場合は「していない」という証拠自体が存在しないので、それを証明する事は不可能です。 (これを【悪魔の証明】といいます) その為に、裁判では、原告が被告の犯罪の証拠を出す義務があります。 これを【告発側の立証責任】といいます。 ↑の主張(無罪だという証拠がない=有罪)が認められるなら、裁判では常に原告が勝ってしまいます。 証拠がないのは処分されたからだという意見も必ず出ますが、それには↓の証明が必要です。 1:その証拠・資料を隠滅したという証拠。 2:1が事実だとしても、その処分された資料の中に該当するものがあった証拠。 3:2が事実としても、それが証拠能力がある資料であった証拠 資料=証拠能力があるもの ではありませんし、処分した者が証拠になると思っていた資料=本当に証拠能力がある でもありません。) ↑に対して、証拠と称して関係者の証言を出す方がいますが、以下の理由で証拠にはなりません。 1:自称関係者(当事者・被害者・目撃者)が本当に関係者とは限らない。 2:本当に関係者だとしても、証言が全て事実とは限らない。 以上から、検証されない証言に証拠としての能力はありません。 (私は、証拠に基づかない主張は「いいがかり」と呼んでいます) 更に、中国帰還者連絡会(中帰連)のように、中国で捕虜になり洗脳された人達もいるので、証言を鵜呑みにするのは危険です。 【中国帰還者連絡会】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%B8%B0%E9%82%84%E8%80%85%E9%80%A3%E7%B5%A1%E4%BC%9A (中国による洗脳プロセス) http://www.youtube.com/watch?v=RAdq0kAn24o&feature=player_embedded 731部隊については、森村誠一氏の「悪魔の飽食」を資料に出す方がいるようですが、その資料となった証言は、下級隊員(殆どが匿名)の証言だけで、医師の証言が全くありません。 その他の関係者の証言も、下級隊員だったり、記者による伝聞や風評のまとめであって、資料になりません。 著者の森村誠一氏も、後にフィクションだと証言しています。 また、731部隊については、近年アメリカが日本軍から押収した10万ページにもわたる資料を公開しましたが、その中に人体実験の記述はありませんでした。 人体実験については、死刑囚に対しては行っていたかもしれませんが、それも当時は殆んどの国が行っていたことです。 細菌や毒ガス兵器は国際法では使用は違法ですが、所持や研究は認められています。 これは、相手が使ってきた場合の対抗・報復手段(抑止力)や、治療法の研究の為に必要だからです。 日本軍が実戦でそれらを使用したという記録はありませんが、中国軍がそれらによるテロを行ったという記録はあります。 【「細菌・毒ガス戦/中国が最初の違反者だった」信夫淳平博士(昭和史研究會報)】 《支那派遣軍化学戦教育隊がまとめた「敵軍毒瓦斯(細菌を含む)使用調査」(内藤裕史編・解説「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、昭和十二年から昭和十五年にかけて、中国軍による毒ガス戦の事例は十三件、細菌戦の事例は二十件であった。  右の調査は、その年月日、場所、種類、方法、被害、概要を一覧表で記録している。  例えば、昭和十二年九月七日、宝山城付近にて中国軍はコレラ菌を井戸に投入し、このためその井戸水を飲んだ日本軍及び中国人民数十名が罹患している。  また、昭和十三年七月二十六日、九江においても同様の理由で日本軍百二十九名、中国人民五百名の罹患者を出している。  また、重慶を脱出した国民党軍の元軍政部防毒処勤務将校の情報をまとめた「支那軍の化学組織系統の概要」(昭和十六年六月二十六 日付、前掲「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、中国における毒ガスの研究及び製造は、「軍政部兵工署理化研究所」において行われていた。  中国は1926年3月、ソ連から一万発の毒ガス弾を購入し、1937年9月、第二次上海事変で細菌、猛毒兵器を使っている。  日本軍は中国軍から、大量のソ連製毒ガス兵器を押収している。》 いわゆる南京事件についてですが、 被害規模や期間、範囲の問題について↓のように肯定派の中ですら意見がわかれています。 (動画も参照) 97年に虐殺肯定派が主催した「南京大虐殺60周年国際シンポジウム」において、ドイツ人である「ラーベの日記」の評価について議論がされています。 (「ラーベの日記」に関する知識は、この問題では常識なので、知らいなら自分で調べて下さい) その中で日本の肯定派は、 「ラーベは5~6万と言っているが、彼の目の届かない郊外や彼が南京を去ったあとの犠牲者を足すと30万人ぐらいになるはず」 と言っています。(さすがに、南京陥落時の市内限定では無理があると思ったのでしょう) しかし、中国からの参加者である孫宅巍氏が 「30万人は南京城内だけの数次である。地域や時期を勝手に広げてもらっては困る」と言っています。 ということで、肯定派内でも意見が一致していないような有様です。 最近では、否定派の論理に反論できなくなった肯定派が、これに飛びついているようです。 (中国の孫宅巍氏の主張はなかったことになっているようです) 虐殺数30万人という数字についてですが、 肯定派は陥落直後の人口ではなく、その後数ヶ月かけて虐殺したからだとかいう意見もありますが、 日中戦争で戦闘が行われていた期間は、約8年です。 中国はその間に、日本軍は3500万人の中国人を殺したと主張しています。(南京事件30万人の約117回分) これは月平均で、約36.5万人となり、毎月、南京事件レベルの大量殺人が 1.2回 起っている計算になります。 ↑が事実とすると、南京事件の30万人(数ヶ月間の死者数)が、何故ここまで問題になるのかわかりません。 虐殺の有無については、定義が問題になります。 肯定派は単純に死者の数を問題にしますが、戦闘で兵士が戦死するのは、その数がいくら多くても虐殺ではありませんし、殺した方の責任でもありません。そんな戦闘をさせる方に問題があるだけです。 現在、肯定派からは日本軍による民間人の無差別な大量殺人の物的証拠は出されていません。 占領後の戦闘による死者が出た事はありますが、 それはゲリラ(中国では便衣兵)の掃討であり、虐殺にはなりません。 国際法では、作戦中の兵士は軍服の着用が義務付けられています。 それをせず、民間人の服装で、彼等に紛れて作戦行動をすればゲリラと見做されます。 実際、南京陥落後、逃げ遅れた中国人兵士が、降伏勧告に従わず市街に潜伏しゲリラ活動を行いました。 それらを掃討する時に、民間人に犠牲者が出たこともあったかも知れませんが、これはゲリラ側の国の責任です。 中国側は南京以外でも、このようなゲリラ戦を行っており、民間人の犠牲を避けようとする日本兵の方が苦労をしていました。 岡村寧次大将は、著書で南京攻略時のことについて↓のように語っています。 『漢口占領当時支那人及外人は南京攻略時の我軍大暴虐より推察して我軍の暴行を予期せしが案外に軍紀厳粛なりしかは民心大に安定せり。 然るに入城后二、三日にして第六師団其の他に強姦事件二、三発生し謡言次で起り、市中不安を招きたるは遺憾とする所なり。 予は武漢入城に際しては極力兵力を減少し漢口に入れたるは第六師団の二大隊のみ又第六師団も入城前随分厳格に訓諭するありしも一年以来の悪習は容易に将兵全部を改悛せしむるに至らず、燦然たる戦功を樹てたる部隊が遂に一汚点を印するに至りたるは遺憾なり。 被害者の多くは外人宣教師の許に遁れて再難を防きたる為是等外人より我憲兵に告訴し来り事件は世界的に喧伝せらるへし。 予は本日軍の宣撫規定を発布するに臨み改めて是等非行厳戒の旨を訓示せり。』 ということで、強姦事件が2、3件【も】あったようで、岡村大将は 【「一汚点を印するに至りたるは遺憾なり」、「一年以来の悪習は容易に将兵全部を改悛せしむるに至らず」】 と嘆いています。 (中国政府は、日本軍は南京で殺戮の限り(30万人)を尽くしたと主張しています。) しかし、この「二、三件」の強姦事件も、被害者を保護したと自称する外人宣教師の告訴によるもので、事実であるという確証もありません。

回答No.1

A)日本での認識…5)言われるような物は存在しない B)中国での認識…1)日本政府(軍の最上層部を含む・以下同じ)主導で行われた C)アメリカでの認識…5)言われるような物は存在しない D)その他の国(韓国以外)での認識…5)言われるような物は存在しない E)回答者さんの認識…5)言われるような物は存在しない 朝日・毎日新聞のスタンス…1)日本政府(軍の最上層部を含む・以下同じ)主導で行われた 朝日・毎日新聞が知ってる事実…5)言われるような物は存在しない

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