- ベストアンサー
コメントできません。昔は?
- NHKのコメントは差し控えるが、ノンポリか?
- NHKの略はGHQのアメションであり、言葉や思考習慣をアメリカ人に合わせたいのではないか?
- 日本語の使い方やコメントの起源、その時期についても知りたい
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
#6です。 >コメントありますか、は何て言えばいいのでしょう。発言をお願いします、ですか。 このことは単純な言葉の言い換え問題ではなく、その外来語偏愛の根底には、敬語文化の崩壊事情が横たわっているのではないでしょうか。換言すれば、自己本位なタメ口文化への装備手段としての外来語への傾斜が進んでいるのだ、と。 「いかがお考えでしょうか?」「ご感想をお聞かせください。」「ご意見を承りたいのですが。」など、日本語では複雑な人間関係を意識した敬語表現に気を配らなければなりませんが、これが外来語交じりでなら「コメントしてください」といった「デス・マス調」の対話の敬語だけで安易に済ませられる訳ですから、長幼の弁えや他人様への敬愛など薬にもしたくとも持ち合わせのない驕慢人間には実に重宝なのがこの外来語使用なのでしょう。 「慎み深い言葉使いを良しとする意識の乏しい、あるいはその必要のない集団内では、敬語使用が極端に少ない事実からも、このことは確かであろう。」 そして長幼の弁えや他人様への敬愛といった道徳意識や教養品位の度合いこそが、誰にも分かりやすく信頼性の高い日本語表現を心掛ける思いの原動力であり、それがなにより報道人たるの基本的資格であって欲しいものです。 なにしろ国民から強制的に集めた受信料で成立している公共放送事業体だけに、伝統的にして正確な日本語文化の涵養と発揚を心掛けるべき立場にありながら、昨今のような外来語交じりでの軽薄不遜への、或いは意図的な朧化・意味曖昧化への傾斜を見逃してはならないでしょう。 「慎み、品格保持の意識が根柢にあって、そこから聞き手への敬語意識が発達し、更にそこから話題の人物への敬語の世界が展開する。」そのような「立体的分化の姿」としての「受け手尊敬、次いで為手尊敬、その次に聞き手尊敬」の使い分け能力の衰退の今日的実態にこそ、今回の「コメント」問題の背景にあるもののだと感じられる次第です。 文中の引用図書:渡辺実「国語文法論」笠間書院
その他の回答 (6)
- kine-ore
- ベストアンサー率54% (808/1481)
#4です。 >当時のラジオ?でグロムイコの録音を放送? : そうなんです。GHQによる戦前・戦中におけるNHK報道独占体制批判に即してこの51年9月1日から民間のラジオ放送が中部日本放送はじめ開局され、対日講和会議直前のサンフランシスコからの現地レポート「講和通信」が流され、占領下の国民は固唾を飲んで聞き入った──それが何を問われても「ノーコメント」だけのソ連側対応だった、と。 >コメントが日本語に組み込まれてしまったのでしょうね。(コメントする) : その経緯には常に、実はわざと外来語を使うことによる意味の曖昧化・蝋化狙いという、不純な意図が忍んでいたと思われます。 明治期にはコムメントと呼んで時勢・時事問題などに対する専門的注解や批評であったものが、「ノーコメント」以降は、世俗的なレベルでの「a matter of general comment (一般の噂の種)」へと品質劣化していった過程で、サ変動詞「コメントする」などが定着していったのではないでしょうか。 ですから、今さら変に気取って「コンシェルジュに関するコメントは差し控える」などといわれると、これこそ外来語もあやふやなら日本語も不分明で、まさに「ノーコメント」=「何も答える気はない」を地で行った稚拙にして慇懃無礼な表現に思えてならいないのです。 「コンシェルジュに関するコメント」という文脈では、コメントはすなわち注解・説明を指すだろうに、それを「差し控える」という言い方では、徒に意味を混乱させるだけというか、意図的に朧化を図っているとしか思えません。 「差し控える」の用法は、(1)自動詞(傍に控え待つ)、(2)他動詞(為したいと思ったことを止める、一時見合わせる/遠慮して止める)であるので、「コンシェルジュという語義の注解をしたいのだが止める」といった意味以外にあるのでしょうか。 おそらく、あまりに外来語の日本語化に手慣れてしまった結果、「ノーコメントです。」「ここではコメントできません。」「コメントは控えさせていただきます」などという場面で、慇懃な表現だと思い込んで「差し控える」などといった尊大な言い回しに流れてしまったものでしょうか。 ですから、問題は外来語の乱発にあるのではなく、基本となる日本語の表現能力の貧弱化を直視して学習を高めるべく研鑽する報道人としての自覚の欠落にあるように思います。日本語がうまく言えないので、結局外来語を援用して相手を韜晦させる、また事態を日本語で詳らかにするよりも外来語交じりにしてその内容の朧化・空洞化を図っている傾向さえ感じます。
お礼
ご教授ありがとうございます。ラジオ放送の歴史まで教えて頂きました。 なんだかコメントという単語がとても不潔なものに感じられてきました。日本の権力者たちの生臭い唾が人口に膾炙したもののようで。 コメントありますか、は何て言えばいいのでしょう。発言をお願いします、ですか。 外来語問題ですが、外来語使用の動機が不純であると仮定すれば、不純目的の使用者に、自発的な誠実さを求めるのは無理という事になりませんか。悪用したくて悪用している人らでしょう。餓鬼や金の亡者に、回答者kineさんが価値を置く真面目な要求をしてもまるでなのでは。 思うに、そのマスコミに対してそのコメントというやり取りは何だという人がいないからであり……今回、立ち上がった人がいるか。高橋鵬二さん71歳は言ってる事がわからんと怒るだけでなく行動した。 NHKの返答は尊大ですね。コメントを差し控える、は外来語を差し控えるというギャグでは……ギャグの日本語が分からない。洒落かな。 NHK言葉おじさんは出てこないのでしょうか。金髪のかつらで。 笑い話にせず、国民搾取の特殊法人ですから直ぐに潰すべきだと私は思います。経済的にも国語的にも有害ですよね。
- Nebusoku3
- ベストアンサー率38% (1466/3827)
>コメントできません。 のもとは 「言及できません。」 ではないかと思います。 英語でいう 「ノーコメント」 は その事については 「言及しない」 あたりが日本の言葉と思いますが現在も使われています。
お礼
ありがとうございます。 それについて言及いただけますか、は一般的に。
- kine-ore
- ベストアンサー率54% (808/1481)
マスコミの質問攻勢に対して「言うべきことはない」と、事実上質問を拒絶かつ遮断する言葉として「ノーコメント」を連発したのは、1951年のサンフランシクコでの対日講和会議での連のグロムイコ代表でした。 この「ミスターニエット(ノー・コメント)」の常用句がわが国でも大流行したのが発端だったようです。 http://blog.livedoor.jp/keitensaishujin/archives/50639186.html
お礼
なるほど。ありがとうございます。拒絶の文句、ノー コメント(ソ連外相)、昭和26年流行り言葉でしたか。コメントの前にノーがあっての慣用句だったわけだ。 インテリ由来ではなくマスコミ由来で上にも下にも広まった単語なのでしょうね。当時のラジオ?でグロムイコの録音を放送? 逆に近頃は、ノー コメント(科白)を耳にしなくなって来てますよね。 コメントが日本語に組み込まれてしまったのでしょうね。(コメントする) 外来種によって駆逐された日本語はなんだったのでしょうか。差し控えますですか。コメントより理知的な日本語なのにね。やはり和漢の例に屁理屈を後付けしようが動機は百パーセントただの西洋崇拝によるものですね。(因みにインテリやマスコミは小バカにするからカタカナです。) コメントありますかは何と言っていたのでしょうか。
》 今後は教えて頂いた日本語を使うつもりです 貴方は下の左側の日本語をお使いなさい。 (何も)言えません→(何も)コメント出来ません (何も)言いません→(何も)コメントしません (何か)言って下さい→(何か)コメント下さい 》 全体的に宜しくお願いします 「全体的」なコメントは差し控えさせて戴きます。
お礼
ありがとうございます。 言うの置き換え程度だったわけですか。カタカナなら西洋風なら上等という感情論ですかね。 言うは日常語ですがコメントは日常語ではありませんよね。その場合の日本語をお聞きしたいのです。 コメントという外来語の初出というかいつ頃からか知りたいです。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
#1です。補足です。 1。組織に対してコメントを求める場合はどうなりますか。コメントはありませんでしたなんて耳タコの報道はどうなりますか。 どうせ嘘ですから、黙っていればいいと思います。 2。 そもそもなぜ申し上げることはございませんと言わないのですか。そうやってみんながコメントという外来語を共有するから茶番劇化するのではありませんか。 おっしゃる通りです。 3。 いつ頃からコメントちゃんになったのか気になりますね。最初はかなりキザだったはずです。 羽織袴に、山高帽とピカピカの編み上げ靴をはいて、横文字かぶれが始まったころでしょうから、まだ僕が産まれる前で、直接には知りませんが、珍しかったでしょうね。
お礼
いつもご回答ありがとうございます。 西洋かぶれと誤魔化し野郎に過ぎませんよね~。その事実を認めることさえしないアカデミー野郎は現実問題の役には立たないでしょう。 カタカナで黙っちゃう日本人も悪いですよ。でも誰も注意できない教授なんかが使うんだよね。何言ってるか解らない。専門用語はまだいいか。 田吾作顔がエビデンスはゲロだね。EBMという合言葉をアメリカ人と共有したい、してる俺は進んでる。自己批判力の無さにも通じます。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
1。大昔 われ、言挙げせず。 2。中昔 われ、言うことなし。 3。小昔 今、この件について、申し上げることはございません。
補足
なるほど。ありがとうございます。 組織に対してコメントを求める場合はどうなりますか。コメントはありませんでしたなんて耳タコの報道はどうなりますか。 そもそもなぜ申し上げることはございませんと言わないのですか。そうやってみんながコメントという外来語を共有するから茶番劇化するのではありませんか。 いつ頃からコメントちゃんになったのか気になりますね。最初はかなりキザだったはずです。
お礼
ご指導ありがとうございます。 私にとってコメントはとても楽な言葉になっているようです。敬語文化の崩壊事例そのものです。 引き続き勉強していきたいと思います。