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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:夕鶴つうは どうして夫の与ひょうを去ったか)

夕鶴つうは夫の与ひょうを去った理由

このQ&Aのポイント
  • 夕鶴つうは夫の与ひょうを去った理由について、信頼の問題やお金に執着したこと、または夫に尽くすことと自身の生命を犠牲にすることの意味などが考えられる。
  • 与ひょうの家に一人の女性つうが訪ねてきて、夫婦として暮らし始める。つうは素敵な織物を与ひょうに作り、売れると評判になるが、与ひょうがつうを織る姿を見てしまう。その姿は与ひょうが助けた鶴の姿をしており、つうは正体を見られたことで与ひょうの元を去っていく。
  • 与ひょうを助けた鶴の姿を織り込んだ布「鶴の千羽織」が売れ、与ひょうにもお金が入ってくる。しかし、つうは与ひょうが織る姿を見られてしまい、傷ついたまま空に帰っていく。夕鶴つうは夫の与ひょうを去った理由は、信頼の問題やお金への執着、そして自身の生命を犠牲にすることの意味などから考えられる。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.27

こんにちはです。 ☆☆☆☆☆☆ ☆なぜって、恋愛は理性的に考えて始まるものじゃないんでしょうから、無自覚というべきなのでしょう。この無自覚が、惚れ薬とか、エロスの矢に象徴される宿命の罠である可能性もある。そうやって話を大袈裟にすると話を面白く演出できる。ただそれだけのことでは。(NO24) ◇という面はあると思います。エロスの矢、惚れ薬・愛の妙薬は、その不可思議な心の働きを、恋愛心理を象徴しているのかもしれません。 ハタから見ると、何で「○○は何であんな奴を好きになったのだろう」と見える恋愛、ありますよね。 その「何で?」の説明のために、「エロースの矢」が古代ギリシア人によって考案されたのかもしれませんね。 惚れちゃったら、どうしようもない。 無理に両者を引き剥がそうとすると、両者の絆はさらに強固になって、《ロミオとジュリエット》のようになってしまう。 《ロミオとジュリエット効果》!! http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9F%E3%82%AA%E3%81%A8%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88%E5%8A%B9%E6%9E%9C これと似たようなもので、さらに不思議なココロのハタラキの一つに、《ストックホルム・シンドローム》なんてのもあります。 ───────── 1973年8月に発生したストックホルムでの銀行強盗人質立てこもり事件において、人質解放後の捜査で犯人が寝ている間に人質が警察に銃を向けるなど、人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが判明。また、解放後も人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行ったほか、1人の人質が犯人に愛の告白をし結婚する事態になったことなどから名付けられた。 ───────── http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A0%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4 ☆☆☆☆☆☆ なのですが、 悲劇・メデイアに登場する夫のイアソンって奴が、超~最低の野郎なんです。 「わたしの手助けがなければ、あなたは死んでいた」とメデイアが言うと、 イアソンは 「俺はお前に恩なんてものはない。感謝すべきは、(エロースに弓を射させた)愛の神・アフロディーテだ。お前が俺を助けたのは、俺への愛ゆえにだ。だから、おめえに恩なんてものは、まったくない。野蛮で草深い田舎から、文明国のギリシアに連れてきたんだ。お前は、俺に感謝すべきなのだ。俺のおかげで、お前の賢明さはギリシア全土に知れ渡ったのだから」 と言って、自らの裏切りを正当化します。 さらにこんなことまで言い放つ。 「お前をもっと愛しておけばよかった。ベッドの中でたっぷり可愛がってやりゃ~、女は不満・不平を言ったりしないものだから!!」 男として、最低の野郎なんです、イアソンってヤツは。 ───イアソンに限らず、ギリシア神話に出てくる英雄はどれも似たような、超自己中な野郎ばかりです─── 世間・近所の女性たち(コロス・合唱隊)は 「持参金を持って嫁ぐ。なのに、家にはいれば、夫にこき使われる。女なんて。。。」 と嘆き、メデイアに同情を寄せます。 ここに、妻から夫への一方的献身という《搾取と被搾取》の構図がみてとれます。 事実、メデイアをこの図式、マルキシズム的に解釈した映画作品も存在するそうです。 おつうさんとヨヒョウをこの図式で考えることには反対なのですけれど、 なのですが、 夫にひどい仕打ちに耐える妻、にもかかわらず夫に尽くす妻を是とする、前近代的な価値観・夫婦観が夕鶴の背景にあることだけは、事実でしょうね。それを美徳としている。。。 ☆☆☆☆☆☆ なんか、救いのないことばかりを書いてしまいました。 なので、リヒャルト・デールケの《浄(められた)夜》という詩をご紹介します。 ──────────── 浄夜 (リヒャルト・デーメル/訳:新田 誠吾) 冬枯れの森を歩く二人がいる 月がついてきて、二人は顔を見合わせる 月は、高い樫の木の上にあり 月夜をさえぎる雲一つない 夜空に木々の黒い影が突き出ている 女の声がする お腹の子は、あなたの子ではないの あなたにも迷惑をかけようとしている 取り返しのつかない過ちを犯してしてしまった 幸せというものがあるとは思えなかった それでも生きがいを見つけ、母親の喜びや務めを 味わってみたかった 身の程知らずにも、知らない男に自分の性を抱いてもらった 今思うとぞっとする 私は身ごもり、人生の報いを受けた そうしてあなたに、あなたに出会った 女の足取りは重い 見上げると、月がついてくる 女の暗いまなざしは、月明かりに呑まれる 男の声がする できた子どもを 心の重荷にするな ほら、夜空がこんなに輝いている 何もかも包み込む輝きだ 冷たい海を僕とさまよっているが 君の温もりを僕は感じ 君も僕の温もりを感じている その気持ちがお腹の子を浄めてくれる どうか僕の子として産んでほしい 君は僕の心を照らしてくれた 君しか考えられなくなった 男は身重の腰に手を回す 二人の息が空中でキスを交わす 二人は澄みきった月明かりの夜を歩く (訳は、2011/05/16に改訂) http://blog.livedoor.jp/audimax1/archives/50705587.html ──────────── おつうさんは、自分の正体が鶴であることを打ち明けないまでも、 布を織ることを拒否する勇気を持つことが大切だったのではないですかね~。 嘘で塗り固められた、虚飾の幸福は、いずれ破綻するので。 ☆☆☆☆☆☆ ☆そして猫様のやっているのは、あれでしょう。前にぶらじゅろんぬさんのところでも書きましたが、理想的な恋愛というものを想定して、個々の恋愛の卑俗な点を冷笑する態度。これは夢を見過ぎだなあというのが私の感想で、 猫様、失敬な言い方かもしれませんが、恋したことないんじゃないかという疑惑を私は持っています(笑)。 ◇わたし、結構、鈍感です。女性が自分に好意を寄せていても、なかなか気づかない(笑)。 実は、わたし、つい最近まで、ちょっと不倫っぽい恋愛(なのだろうか?)をやっていまして(ポリポリ)。 一線は越していませんよ。 わたし、ネコなのに、《草食性》なので。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ◇ 浄夜 (リヒャルト・デーメル/訳:新田 誠吾)  ☆ これは へたな批評をゆるさないものがありますね。コメントなどというものをつつしませる。  かつての自分つまり前史から後史へという主題であるかも知れません。  そうだとすると 恋愛が 哲学の守備範囲に入って来ます。  ◇ ~~~~~  おつうさんは、自分の正体が鶴であることを打ち明けないまでも、  布を織ることを拒否する勇気を持つことが大切だったのではないですかね~。  嘘で塗り固められた、虚飾の幸福は、いずれ破綻するので。  ~~~~~~~  ☆ このご指摘は 適切であるように思います。  恩義を感じる人に愛情があると取り違えたのではないかというひとつの見方もありますが そのような問題を横ににらみながら でも適切であるように思います。  尽くし過ぎという問題は ふつうに起きる問題であるようにも思います。  つまり 見るなと言うのなら 自分のほうの隠し事もなくさなければならない。  要は 互いにしっかりと話し合うこと。意見があわなければ けんかをすること。  ・・・

bragelonne
質問者

補足

 BA: 《浄夜 (リヒャルト・デーメル)》に一票。

その他の回答 (39)

noname#180633
noname#180633
回答No.30

Dの (相手はこちらを)とにかく嫌いになったのだ のところは 相手の主観内容をこちらが憶断しているから妄想

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ・・・相手の主観内容をこちらが憶断しているから妄想  ☆ ええ。おっしゃるとおりです。  しかもです しかも この《妄想》としてでも ストーリの初めからおしまいまでの筋についてひととおり説明することができれば その主観は ひとつの解説であり批評として成り立つ。こういう見方をしていますが どうでしょう?  つまり つう本人の心や意向がどうであれ 整合性のある見解は それとして成り立つ。こういう捉え方で 考えて来ております。  

noname#180633
noname#180633
回答No.29

回答 わからない 本人に聞くとわかる可能性がでてくる 他者の主観を正確に推測できると思うのは妄想

bragelonne
質問者

お礼

 17かれさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  そうですね。  諾と否と 両方の反応を持ちます。  ★ 他者の主観を正確に推測できると思うのは妄想  ☆ そのとおり。諾です。  けれども では逆に  ★ 本人に聞くとわかる可能性がでてくる  ☆ これについては 然り および 否 なのでしょうね。  分かる場合もあれば 依然として分からない場合もある。  なぜなら 本人でも自分の本心が分からない場合だってあり得ましょう。むしろ他人から見て その本心の探究がかなえられる場合も出て来ます。  それで 要するにですが 《本人の本心》を問い求めるという作業を主体としているのなら おそらく  ★ 回答 わからない  ☆ と成るのも 理解できますが じつは 微妙に違っています。  ここで問い求めることは 夕鶴の作品を基礎として 民話やその他の民俗学や民族学(世界の神話など)をも交え踏まえて 哲学としてどういう批評を与えうるか? これなのですが そこでは じつは 基本は《つうの思いや動機》を尋ねつつも 問題は 《つうをめぐって われわれはどうこれを受け留め理解し そもそもむしろおのれの世界観をどのように描いているか?》 言うなればここにあります。  言いかえると 邪道ではないかと言われかねませんが 問題は われわれそれぞれの考えがいかにあるか? なのです。これについての互いの情報交換です。  つう本人がどうであろうと 作品をめぐって むしろ読み手であるわれわれがどう現代において受け留めて行くものなのか? これです。  言いかえると  ★ 正確に推測できる  ☆ かどうかは問うていません。ただし 見解を示したときにその内容が 整合性を持って現代の思想の中にあって決して遅れてはいないこと これが条件となっていると言えば言えると思います。  そんなにむつかしいことではありません。  D. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。  これでよいわけです。理屈に合います。現代思想に遅れを取りません。あとは 矢で射られていたつうを与ひょうが助けたときから 空へ去って行くときまでの筋に沿っても きちんとした説明ができればもう文句なしです。  といった問い求めをやっています。どうでしょう。

回答No.28

相変わらず、回答に間違いが多いな~。 本当、参ってしまいます。 どこから、《デールケ》という名前が出てきたんだろう?(笑)。

bragelonne
質問者

お礼

 詩を拝借しておきましょう。  Verklaerte Nacht   Richard Dehmel (1863-1920)  Zwei Menschen gehn durch kahlen, kalten Hain; der Mond laeuft mit, sie schaun hinein. Der Mond laeuft ueber hohe Eichen, kein Woelkchen truebt das Himmelslicht, in das die schwarzen Zacken reichen. Die Stimme eines Weibes spricht:  Ich trag ein Kind, und nicht von Dir, ich geh in Suende neben Dir. Ich hab mich schwer an mir vergangen. Ich glaubte nicht mehr an ein Glueck und hatte doch ein schwer Verlangen nach Lebensinhalt, nach Mutterglueck und Pflicht; da hab ich mich erfrecht, da liess ich schaudernd mein Geschlecht von einem fremden Mann umfangen, und hab mich noch dafuer gesegnet, und hat das Leben sich geraecht: nun bin ich Dir, o Dir begegnet.  Sie geht mit ungelenkem Schritt. Sie schaut empor; der Mond laeuft mit. Ihr dunkler Blick ertrinkt in Licht. Die Stimme eines Mannes spricht:  Das Kind, das Du empfangen hast, sei Deiner Seele keine Last, o sieh, wie klar das Weltall schimmert! Es ist ein Glanz um Alles her, Du treibst mit mir auf kaltem Meer, doch eine eigne Waerme flimmert von Dir in mich, von mir in Dich. Die wird das fremde Kind verklaeren, Du wirst es mir, von mir gebaeren; Du hast den Glanz in mich gebracht, Du hast mich selbst zum Kind gemacht.  Er fasst sie um die starken Hueften. Ihr Atem kuesst sich in den Lueften. Zwei Menschen gehn durch hohe, helle Nacht.

noname#180711
noname#180711
回答No.26

>つまり 実験台としてモルモットを使ったわけではなく じっさいの人間を用いたことです。人間は 道具ではないというテーゼです。  しかし私は同じように人間を道具と看做した経験が多くあります。例えば、ヌード写真集とかを眺めたり、ポルノに関心を持つのも、同様に女を道具と看做すことでしょう。問題は程度だと思います。ブラック企業は人の人生を崩壊にまで追い込むのです。前に猫様の質問で書きましたが、ポルノを出版するメーカーにも人の人生を壊滅させるようなものがあります。私はこれは許されないと思いますし、そのように書いて、猫様も認めてくれたように思います。しかしそうではない程度の軽いものもあります。それまで禁じる気にはなりません。  まあつまり、こういうことです。下着で男性の前をふらふらしたくらいはいいのではないか。私はそのように思います。実際、襲われて彼女が悲しい思いをすることはあったでしょう。それにそもそも実験だったかどうか、わからないではないのでしたか。彼女の口から聞いていないのでしょう。単に性の目覚めが遅かっただけなのかもしれない。あるいは、事実無根であったかもしれない。つまり下着に見えても、それが下着でなくて白い服だっただけかもしれない。あれこれ言ってもしょうがないことじゃないのか、と私は思うのです。  哲学か文学かは、うーん。また別で問いを上げてください。もう夕鶴からは逸脱して久しいのですから。私にも話がどこまでどうなっているのか、全容は分かりません。一回の投稿者なもので、ぶらじゅろんぬさんとはおよそ、目線の持ち方が違うのです。後本音を言うと、ちょっと疲れました。ここら辺で小休止させてください。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ しかし私は同じように人間を道具と看做した経験が多くあります。例えば、ヌード写真集とかを眺めたり、ポルノに関心を持つのも、同様に女を道具と看做すことでしょう。  ☆ じつは これには ずるい理屈ですが いちおうの理論があります。   ○ すべて市場で売られているものは 良心の呵責なく 買って食べればよい。  これです。おかしな理屈です。じっさい女を道具とし 男をもそうしているでしょうし その制作にたずさわるみんなはそれぞれ自分自身を 道具として金儲けのために使っています。けれども 買う側は 心が苛まれるまでのことはないのだという理論です。  ★ 問題は程度だと思います。  ☆ もあるでしょうし あるいは問題は 市場の売り買いでなくプライベートで 人間の道具扱いをする場合です。そうしていると そしてそれがクセになると 市場の中での経済行動においても 道具扱いが 程度問題の先端を行ったり 程度問題で済まなくなる暴走を生みやすい。こういうことではないかと考えます。  こういった私的なクセの問題を踏まえた上で お書きの視点は おそらくその通りだと受け留めましたが どうでしょう。  ★ それにそもそも実験だったかどうか、わからないではないのでしたか。彼女の口から聞いていないのでしょう。  ☆ いえいえ。話は 逆戻りです。つまりわたしの推測によるポーラ観は 推測するにあたって好意的に見て《実験》説を採ったわけです。  つまり  ★ 下着で男性の前をふらふらしたくらいはいいのではないか。  ☆ という見方は その男性が身内の者だった場合だとかのことでしょう。そうではなく わざわざ男の同級生を自宅に呼んで そういう事態を平気で演じるということは ないと思うのです。すくおうと思えば 実験説くらいでしょう。 男がいるのを知らずに通り過ぎたということは考えられないでしょうから。  ★ あるいは、事実無根であったかもしれない。つまり下着に見えても、それが下着でなくて白い服だっただけかもしれない。  ☆ ちょっと待ってください。わたしの知る限りでの事実は こうです。つまり 或る日わたしに使いの者がやって来た。それは ポーラのだと言う。そして伝えた話の内容が スリップ一枚でうんぬんということだった。  あぁ 事実無根説というのは その《使いの者》が 何かの陰謀によるものであって そこで伝えた内容も 作り話だったという場合ですね。  その場合は ぢゃあ こういうふうに受け取ってください。つまり かつてわたしは ポーラの人となりをうたがうようなウワサを聞き 信用しなくなっていた。ところ それをくつがえす《目のかがやき》事件が起きた。――これだけのストーリとして受け取ってもらえればよいのだと思います。  スリップ事件は 忘れますし 忘れましょう。  ★ 哲学か文学かは、うーん。・・・ここら辺で小休止させてください。  ☆ 分かりました。

noname#180711
noname#180711
回答No.25

 お礼、拝読しました。恋については三つ巴ですね。それぞれが自分のシェーマを譲らないようです。実際、特にあれこれ議論して統合して行く必要もないのかもしれません。なぜというに、それぞれが違う恋の体験をしており、その体験を第一の例に置いているからです。  ・B/成就しなかった恋→コミュニケーションの問題として無返答を考える。  ・D/結婚こそしなかったが、愛はあった恋→ビター&スイートを抒情として懐かしむ。  ・猫/?(これをご自分で埋めてくれるとありがたいです)  まあ、それぞれの体験を受け入れようとした結果がこれですので、いいのじゃないですか。本当に文学談義になってしまいましたね。 >言いかえると そのようなことを平気でおこなう女を信用し得なかった。【それをくつがえしたのは】 一度だけあった・その一瞬だけ起こった目の輝きです。 >少なくとも一度は 不倫=つまり連れ合いらへの裏切りといった情況が 【なぜか解消されて】 一度は愛としての関係に成るかどうかだと思います。  上の括弧でくくったところは、何かしら類縁性がありそうに思います。となると、トリスタンとイゾルテの方が、ぶらじゅろんぬさんのアクチュアルな疑問に切り込めるテーマとなるのでしょうか。ただ私はここはどんぶり勘定でいいと思っているので、何とも言えません。女性が自分の腕の中にいた時、そんなこと、あまり構わないと思うのですよ。実際私なら、 >言いかえると そのようなことを平気でおこなう女を信用し得なかった。 などとも思いません。しょーがないなー、彼女も性に好奇心があったんだろうな。大胆だなあ。青春だなあ。そういう軽いノリです。そもそも処女でなくても構いません。むしろ処女は全てについて手間がかかり、面倒です。あるいはやっかみで嘘のデマが飛んでいるなあ、と鼻で笑うだけです。どちらに転んでも、大した問題ではないということになります。  いや、これは私ならというだけであって、ぶらじゅろんぬさんにとっては大問題だったのでしょう。うーん、そうかあ。そういうことを気にしちゃうのかあ。まあ瓦礫のように崩壊したと言いましたが、ぶらじゅろんぬさんという方が、前よりも少し分かったことは事実ですので、そのことにお礼申し上げます。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  二点あります。  ★ ~~~~~   >言いかえると そのようなことを平気でおこなう女を信用し得なかった。【それをくつがえしたのは】 一度だけあった・その一瞬だけ起こった目の輝きです。   >少なくとも一度は 不倫=つまり連れ合いらへの裏切りといった情況が 【なぜか解消されて】 一度は愛としての関係に成るかどうかだと思います。  上の括弧でくくったところは、何かしら類縁性がありそうに思います。  ~~~~~~  ☆ このご指摘は そのまま受け取れそうだと思いました。  ★ ~~~~~   >言いかえると そのようなことを平気でおこなう女を信用し得なかった。  などとも思いません。しょーがないなー、彼女も性に好奇心があったんだろうな。大胆だなあ。青春だなあ。そういう軽いノリです。  ~~~~~~~  ☆ これはですね。ブラック企業を批難するでぃくべくさんとしては 見落としなのではないでしょうか。  つまり 好奇心があっていろんなことを想像しちょっと実験をしてみようかと考えてみるまではよいのですが 実行に移す場合には 問題が出ます。  つまり 実験台としてモルモットを使ったわけではなく じっさいの人間を用いたことです。人間は 道具ではないというテーゼです。  おまけとして:  《無くした信用を取り戻すような事件》や《不倫情況までをも好転させるようなやはり事件》 これらは言ってみれば人間のこころの真実(つまり相対的なものではあってもの真実)が 謂わば弁証法的な過程として生起し実現することがある――こう解釈するのなら 総じて異性間の愛も 人間としての愛に準じており それは 哲学の分野である。  こうも考えますけれど。・・・

noname#180711
noname#180711
回答No.24

ぶらじゅろんぬさん、  そうか、やはり創作でしたか。こうなると完全に分かりません。事実関係が分からないと、何にも分析しようがないよー。それこそ、私の方が振り回されてしまう。いや、事実関係は変えていないそうですが、あの書き方では汲み取るのが容易ではありません。下着で男の子の前にいたなど、事実なのですか。この調子で、全部瓦礫のように崩れ落ちてしまい、私には分からないの一言のみです。  結局、ご自分の内奥は明かしたくない。そのようなことに思いました。まあ私は人のあれこれを覗き見て遊んでいるわけですが、そう善意がないわけでもないのです。これなら恋愛カテあたりで、遊んでいた方が良いというものです。私は当分休ませてもらいましょう。夕鶴の方は、猫様がいるので、私は安心です。私の中では、前の回答で既に意見はお伝えできたと考えていますので。 で、猫様、  うーん。トリスタンとイゾルテね。私もその程度のことは知っていますが、ご指摘が大きな問題とは思えません。  ・不倫である。→世間の目を憚る。  ・媚薬を使用している。→自発性がない。  ということなんでしょう。しかし、こうした設定は、最後に提出されるテーマ「愛の憧憬や欲求がとどまるところを知らず、死によってしか解決しないこと」(ウィキ)に比べてみれば、極めて些細な問題だと思うのです。  不倫は大して重要な問題とは思いませんし、あまり論じてもしょうがないでしょう。むしろ問題は後者の方というべきです。実のところ、私は自発性は特に重要な問題とは思わないのです。事実、前の投稿でも特にそれには触れていません。愛は結果が全てと思うからです。私は愛を検証するという態度が、そもそもいかがなものかと思うのです。論文を査読するなら、結論はさておいても、過程を逐一検証することでしょう。しかし愛はそもそも論証なのでしょうか。前提条件とその後の展開が間違っていても、摩訶不思議なことに成就する可能性はあります。だから愛は、結果から見て全体像を捉えるべきものであって、検証するという発想と相容れないような気がするんですよ。どうでしょうか。  そして猫様のやっているのは、あれでしょう。前にぶらじゅろんぬさんのところでも書きましたが、理想的な恋愛というものを想定して、個々の恋愛の卑俗な点を冷笑する態度。これは夢を見過ぎだなあというのが私の感想で、 猫様、失敬な言い方かもしれませんが、恋したことないんじゃないかという疑惑を私は持っています(笑)。  最後に「惚れ薬=エロスの矢」の強制性に注目したというのは分かりますが、裏を返せば、夕鶴とは何の関係もないことが明らかになったと言えるでしょう。夕鶴には強制性がどこにもないのですから。それとも「惚れ薬=エロスの矢=恩義」とやるおつもりでしょうか。まあ、ここまで来ると、風が吹いたら桶屋がナントカ、と思ってしまいますねえ。  冗談はさておき、私の見解は次の通りです。あらゆる愛の前提条件には、何らかの強い動機があるはずで、それを自発的か否かで分類ても意味がないのじゃないかなと思います。なぜって、恋愛は理性的に考えて始まるものじゃないんでしょうから、無自覚というべきなのでしょう。この無自覚が、惚れ薬とか、エロスの矢に象徴される宿命の罠である可能性もある。そうやって話を大袈裟にすると話を面白く演出できる。ただそれだけのことでは。

bragelonne
質問者

お礼

 そうですね。まづは ご回答をありがとうございます。  ★ 下着で男の子の前にいたなど、事実なのですか。  ☆ かのじょが言伝てを託した男がわたしに伝えたこととして 事実です。  そのような内容としてわたしが話を聞いたという事実です。  それ以外には確かめてもいません。その使いの者にも 家に呼ばれて実験台に成った男――つまりその男の名前までも聞いていますし いまでも覚えていますが――にも そして本人にも確認したことはありません。  言いかえると そのようなことを平気でおこなう女を信用し得なかった。それをくつがえしたのは 一度だけあった・その一瞬だけ起こった目の輝きです。  ですから 実験の事件は 好奇心の為すわざであろうと解して 大目に見たというかたちです。  この事実が 話だけではなく実際に起こった事実であるのかどうか これを質さなければ 互いの心が通じ合うようになるのは望み薄だとは思わなかったです。  恋は つねに自発性があると思います。相手から言い寄られた場合にもです。  不倫の恋も  同じくでしょう。  問題は 《成就》型であるかどうか。――少なくとも一度は 不倫=つまり連れ合いらへの裏切りといった情況が なぜか解消されて 一度は愛としての関係に成るかどうかだと思います。  さもなければ 共倒れを覚悟しての前進しかないであろうと。

回答No.23

bragelonneさん、おはようございます。 Diekbecさん、おはようございます。 ☆☆☆☆☆☆ Diekbecさん、 《トリスタンとイゾルデ》はちょっとマズいでしょう♪ 二人の愛は《不倫》ですよ、《ふ・り・ん》!! http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%BE%E3%83%AB%E3%83%87_%28%E6%A5%BD%E5%8A%87%29 二人の道ならぬ恋が始まったのは、 二人が《惚れ薬》を誤飲したこと。 その後、イゾルデは、マルケ王と結婚します。 そして、不倫が始まります。トリスタンとイゾルデは、不倫を重ねます。それがばれて、トリスタンは大怪我を負ってしまいます。そして、トリスタンはその傷がもとで絶命。 その場に、イゾルデが駆けつけ、その亡骸を抱えながら、 《イゾルデ愛の死》といわれる有名なアリアを歌います。 Mild und leise wie er laechelt  おだやかに、静かに笑ってる wie das Auge hold er oeffnet  目が開いた seht ihr's Freunde? Seht ihr's nicht?  みなさん、見てる? うっそ~、見えてないの? と、イゾルデが妙なことを口にしだします。 そして、 さ・ら・に・ その《神がかり》の度合いに拍車がかかっていきます。 All entrinken, versinken, unbewusst  すべての中に溺れ、沈んでゆく。我を忘れて。。。 hochste Lust!  ああ、幸せ! と言って、何故か、イゾルデもこと切れてしまいます。 イゾルデは魔女の血を母親から引き継いでいますので、 おそらく、常人には見えない《何か》が見えたのでしょう、きっと。 そして、神がかり状態のうち死んでしまう。 ☆☆☆☆☆☆ なお、 実は、メデイアとイゾルデには、共通点があります。 メデイアとイゾルデのお母さんは、ともに薬草術に長けた《魔女》!! ───たぶん、イゾルデのお母さんはドルイド。だから、設定の上では異教徒─── しかも、両者ともに王女様。 メデイアはエロースの矢に心臓を射抜かれ、イゾルデは惚れ薬と、 本人の意志とは無関係に、有無を言わせない強い力によって、強制的に異国の男と恋愛させられてしまいます。 そして、その《愛》によってその《男を破滅させてしまう》♪♪ 自然な恋愛じゃないんですよ、二人とも。 運命という不可知の、不可抗力の力に操られていた、ということになるのですかね。 いや、まぁ~、 悲劇というヤツは、そういうところを持っているから、 悲劇になるんですが♪♪♪

bragelonne
質問者

お礼

 ねむりねこさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  ◇ ~~~~  《トリスタンとイゾルデ》はちょっとマズいでしょう♪  二人の愛は《不倫》ですよ、《ふ・り・ん》!!  ~~~~~~  ☆ そうなのでしょうね。条件の違った愛の問題になるかと。  ◇ メデイアとイゾルデのお母さんは、ともに薬草術に長けた《魔女》!!  ☆ この科学につうじた魔性と言いますか これは現代人にもありうるかも分かりません。  ◇ ~~~~~  自然な恋愛じゃないんですよ、二人とも。  運命という不可知の、不可抗力の力に操られていた、ということになるのですかね。  いや、まぁ~、  悲劇というヤツは、そういうところを持っているから、  悲劇になるんですが♪♪♪  ~~~~~~~~  ☆ この種の――つまりは《魔性》のからんでいる場合の――恋愛悲劇 これについても哲学が解明し得たならばとは思います。

noname#180711
noname#180711
回答No.22

 リンクを拝見しました。思いがけずと言ったら失礼かもしれませんが、面白かった。いやー、良い恋ではないですか。そして、ぶらじゅろんぬさんのことが、少し分かった気がします。むしろポーラ物語を自己紹介の欄に掲げていてほしいくらいです。  一つの恋に何十年がかりかあ。私には信じられないところがあります。失ったものも大きいでしょうね。若い頃ならば、女性経験がないということが恥にも思えましょう。中年になれば、家族がないということが引け目にも思えましょう。それに反比例して、俺がやっていることが本当なんだ、という矜持は膨らんで行くだろうなあとお察しします。  ぶらじゅろんぬさんが、少々風変わりである理由が何となく分かった気がしましたよ。世間一般の規格外の恋愛をしていたというのが、一つの要因だったのかもしれないなあ、と思いました。また哲学とおっしゃっている質問の多くは、この恋の謎を解き明かそうという動機があるような気がします(もちろん、他の動機の問いもあることでしょうから一概には言えませんが、コミュニケーションに関する問いは該当する気がします)。 ぶらじゅろんぬ氏の謎、ついに解けた。万歳、というのが、私の今の率直な感想です。  しかしポーラの手記は、ちょっと盛っていませんか。「狭き門」の影響を感じます。とは言え、ここまで直接的に相手が言ってくれたのだとしたら、私は満足しますが。私の管見の限りで判断すれば、相手はぶらじゅろんぬさんが思うほどに、清廉潔白でも、聡明ではないのでしょう。格好つけたがりではあるようです。例えば、以下の一節。 >たとえば まず ほんとうに男が 女に興味があるのか。  冷静に人間観察をしているように装っているけれども、言わんとすることは、彼女は男が欲しかったということでしょう。それは性欲というわけでもないのかもしれません。おそらく寂しがりやで、自己評価が低いのかなあ。どうせ自分のことを受け止めてくれる人なんていないだろう。しかし同性と違って、男ならば女への関心から自分を求めてくれるかもしれない。それが彼女に救いに思えたんでしょう。  強く愛されることを感じたいあまり、狼を求めていたのかもしれません。だから彼女の願望は、(もちろんぶらじゅろんぬさんのディスクールがそう誘導しているのかもしれませんが)、有無も言わさず、体を求められることだったのでしょうね。とはいえ、その気持ちを直接言うほどのプライドはなかった。そんなことを言ったら、男に嘲笑されてしまうかもしれない。だから遠回しに言っていたんだろうし、恋の駆け引きについても一通り、思案を巡らしてみた。これらが、下着だけの格好でいるとか、車で来るように言うとか、くすくす笑っているとか、だったのだなあと私は思います。  また英語で会話するようにしたのも、言葉よりもまた別の何かを求めるためだったのかなという気がします。母国語だったら、あの手この手で議論も出来ましょう。しかし外国語なら、必要最低限以上のことは伝えられないし、また受け取れないでしょう。言葉より、何か別のものを求めてるが故だったのだなあと思います。  ただそうなると、相手の人生も悲しいものだったのかもなあ。ボタンの掛け違いが何十年越しか。私からすると、小説でも読んでいるような気になり、呆然とするような話です。しかしロマンチックではありますね。素晴らしいの一言です。  質問文をより恋愛のことに引き寄せて、是非ともリメイク版をやってほしいところですが、まあ、いろんな方が熱心に回答した問題であるようなので、今新しいメンツでそれをやっても意味がないのかもしれません。それに、どうやら昔に比べて今は、カテの住人が減ってしまったようですね。昔はもっと傑物がいたらしいのですから、比べたら貧相なことになるかもしれません。  一言だけ。 >>少なくとも貴方との関係の継続を、貴方が望むようには!貴方が望むほどには!彼女は求めなかった、という事実。  これは間違いでしょう。ポーラには、ポールしかいなかったんですよ。ポールはそれが分かっているから、離れられなかったのだろうと、私には思えます。  手記がぶらじゅろんぬさんの創作ではなくて、本当だとしたら、もう愛はなっていると思いますよ。信頼できる相手に以外、言えないでしょうから。清水の舞台から飛び降りるような気持ちで見せたのでしょう。私なら、そういう手紙なりをもらっただけで、もう十分です。問題はポールが抜け作でありすぎることか・・・ぼーっとしているにも程がある!(笑)。

bragelonne
質問者

お礼

 でぃくべくさん お早うございます。お手数をおかけしました。ご回答をありがとうございます。  二点つけ添えます。   ★ 手記がぶらじゅろんぬさんの創作ではなくて、本当だとしたら  ☆ 残念ながら わたしの創作です。事実は変えていませんが あとはみな推測によります。  もう一点:次の記述にある事件のとき わたしは 相手の目に光り輝くものを見ました。  《輝くもの必ずしも金ならず》とか《でも驚くにあたいしません。アクマも光の天使をよそおうのです》とか言いますが そのときの輝きはあせなかった。――いまは それほど感覚としての記憶は残っていませんが あぁ ウソだったかというふうにはまだヒラメキが現われません。  ○ (【Q:男と女】No.26お礼欄) ~~~~~  (ポーラの手記)  §6 高校性のとき    同じ高校へ進んでから 進展があった。朝 登校のとき ポールのいる教室の窓から 生徒たちの登校の様子が見えている。その行列のなかにいたわたしにも その窓から人が見ていることがわかる。ポールだと認識できたとき わたしは 信号を送った。中学の同窓生で いっしょにスピーチ・コンテストに出た仲ですよねといったかんたんな内容を 気持ちとして送った。  ~~~~~~~~~~~~~~  こういったところでしょうか。  つうと与ひょうのほうは どうしますかね。

noname#180711
noname#180711
回答No.21

>わざとではないんです。  ぶらじゅろんぬさん、 もう随分前から、文学談義になっていますが、承知致しました。そういわれると、弱いところです。二つの問題がこんがらがってしまいましたね。一つは抒情の問題。もう一つは、ぶらじゅろんぬさんの恋の話。私はぶらじゅろんぬさんのお話は、断片でしか知らないので、ようわかりません。それにそれが抒情だと決めつける必要性もないのです。違いますと言われると、ああそうでしたか、すみません、と言って終わりなんです。でも少し書いておきましょう。  まず抒情について。 >つまり《ゆとり》をもって 失敗に終わったものをも含めて いろんな愛の軌跡をたたえている。と言えますか?  それは「ゆとり」の捉え方、次第でしょう。私には、「さくらんぼの実る頃」の語り手は、もう老人で、若い頃の失恋を噛み締めながら、孫あたりに言って聞かせているようなイメージがあるんですがね。「美女は避けろ」と説教臭い一節があるのですから。それでも恋をするのなら、覚悟おしよ、とニヤッと笑いながら言っているように思いますね。何しろフランスの歌です。フランス人は、やるなと言われたことほどやりたがる傾向があると聞きますので・・・あとは言わないでもいいでしょう(笑)。  しかしこれは老人というよりもまだ壮年期の男性で、心に傷を負っていながらも、勇気凛々、新しい恋を探そうマゾヒスティックな決意を表明している可能性だってあるでしょうねえ。何ともそこら辺は、想像力のめぐらせ次第でしょう。いろいろ解釈できる歌ほど、面白いものもない。まあ、抒情の話は一先ず置いておきませんか。  ぶらじゅろんぬさんの体験は、もうちょっと説明してもらわないと分かんないよー。というところですが、分かる範囲でだけ。 >《 I don't know. 》と言い続けたひとは わたしが《 No ! 》を期待していても それをも言わなかった。Yes とも No とも答えなかったのです。意志も心も脱ぎ捨てた状態で相い接していたのです。ですから Yes か No かの意志疎通だけでも完成させて欲しい。こういう総括なのです。  なるほど。意思の表明がぶらじゅろんぬさんにとっては大切なのですね。「愛の喜び」でも、そういう一節に注目していましたね。私なら、返事がないのはもう振られたものと思って、そう理解致しますが、そうではないと。わからないなあ。  まあ白状すると、私はこの点でとてもひどい男だそうです。返事を待たないで、さっさと先に行ってしまうので、私を殺したいくらいに思っている女性はいるでしょう。むかーし、ある女性に会うたびに睨まれ続けて、本当に刺されるのじゃないかと思っていましたが、それが理由だったんだな、と後で分かりました。「それ」というのは、付き合うのを待ってほしいと言われた後、すぐに私が新しい恋人を作ったことです。しかし待ったところで、答えは否だっただろうなと私は思うのですよ。付き合いたくはないが、心だけは欲しいって、女は何考えているんだろうと思ったものです。  さて、話は脱線しました。ぶらじゅろんぬさんは、無言が否を意味すると納得し難いということですよね。ここが肝だと思うのですが。なぜなんですか。そしてこの話は、私とだけやり取りするより、新しい問いを上げた方が、猫様など、いろいろな方が参入してきてよいように思いますが、どうでしょうか。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 私なら、返事がないのはもう振られたものと思って、そう理解致しますが、そうではないと。わからないなあ。  ☆ 断片語りをつづけることになりますが イエスともノーとも返事が無いので 話し合いが出来ないのなら ノーだと思って あとは確かめのために電話をするわけです。  遠距離でしたので 連絡をするのは 年に何回というふうに限られていましたが 電話するとなると デートの誘いなわけです。誘うと じつに イエスなのです。一度だけ ノーがあったので・ただしていねいな断わりだったので もう一度だけ確かめることをした。そのときにも デートの約束にはイエスだったのです。  つかず離れず。しかも 話し合いは じつは成り立っておらず。  これが永久につづいたというお話です。  ★ なるほど。意思の表明がぶらじゅろんぬさんにとっては大切なのですね。  ☆ ええ。そうなります。  でも  ★ ぶらじゅろんぬさんは、無言が否を意味すると納得し難いということですよね。  ☆ ではないんです。そうではないんです。  出会いの場は イエスで成立するのです。あとは イエスでもノーでもなく 《 I don't know. 》なのです。ほんとうに英語で言ったのです。  ★ そしてこの話は、私とだけやり取りするより、新しい問いを上げた方が、・・・   ☆ どうしましょう。  次のようにだいぶ詳しく説明したのは あるんですが。  【Q:男と女】( noname#80116 は わたし=ぶらじゅろんぬです)   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3689191.html  ここに途中から 個人的なことも書き込むようになって 残っています。  そうですね。少し読んでいただいて 取るに足りぬと判断できたところで そう伝えてくださるようにお願いしましょうか。

noname#180592
noname#180592
回答No.20

こんばんは。 >与ひょうは、ある日罠にかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けた。 >「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。 >素敵な織物を与ひょうに作って見せる。 >約束を破り惣どと運ず、更には与ひょうは、織っている姿を見てしまう。 >もしつうが去って行ったのなら…おとなげないとわたしには思われますが 助けてもらった際に、つうは与ひょうに一目惚れをしてしまった。 だがその《初恋》は脆くも破れ去ってしまった。 何故なら、本来であれば求愛の舞を通じて愛を交わし育む鶴にとって 押しかけた相手与ひょうの言動は、つうが抱く純粋な恋心をもってしても理解し難く、 また与ひょうにとっても、立ち去る言動も含めて、つうの事を愛しく思えども不可解に映った。 こたえ:E-2 初恋&異文化理解の難しさ(国際離婚) 浅い夢だから 胸をはなれない www.youtube.com/watch?v=GFjLUJUL9xY             

bragelonne
質問者

お礼

 わたしが見たときにはすでにのなめ#・・・となっていたさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~  こたえ:E-2. いやいや与ひょうへの愛は それとは別に芽生えたのだ。だから結婚は成立している。つまりそういう問題ではなく・・・・初恋&異文化理解の難しさ(国際離婚)  ~~~~~~~~  ☆ というよりも:  ★ 初恋:助けてもらった際に、つうは与ひょうに一目惚れをしてしまった。  ☆ なのですね。  そうして  ★ だがその《初恋》は脆くも破れ去ってしまった。  ☆ と。  ★ ~~~~~  押しかけた相手与ひょうの言動は、つうが抱く純粋な恋心をもってしても理解し難く、  また与ひょうにとっても、立ち去る言動も含めて、つうの事を愛しく思えども不可解に映った。  ~~~~~~~~  ☆ なかなか互いに相手のこと 相手がどう考えているのかを 理解するのに苦労してしまったのでしょうか。  《国際結婚の持続のむつかしさ》としても挙げておられますね。  まぁわたしも どこかに分かり合えなさがあってこれがつづくのなら 《おとなげない》とも言っていられないのではありますが。  しかも  ★ 初恋は 浅い夢だから 胸をはなれない  ☆ といったところもあるということですね。  別れてそれぞれの道をゆくのがよいのなら 仕方がないかなと思います。  こんなところでしょうか。

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