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夕鶴つうは夫の与ひょうを去った理由
- 夕鶴つうは夫の与ひょうを去った理由について、信頼の問題やお金に執着したこと、または夫に尽くすことと自身の生命を犠牲にすることの意味などが考えられる。
- 与ひょうの家に一人の女性つうが訪ねてきて、夫婦として暮らし始める。つうは素敵な織物を与ひょうに作り、売れると評判になるが、与ひょうがつうを織る姿を見てしまう。その姿は与ひょうが助けた鶴の姿をしており、つうは正体を見られたことで与ひょうの元を去っていく。
- 与ひょうを助けた鶴の姿を織り込んだ布「鶴の千羽織」が売れ、与ひょうにもお金が入ってくる。しかし、つうは与ひょうが織る姿を見られてしまい、傷ついたまま空に帰っていく。夕鶴つうは夫の与ひょうを去った理由は、信頼の問題やお金への執着、そして自身の生命を犠牲にすることの意味などから考えられる。
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こんにちはです。 ☆☆☆☆☆☆ ☆なぜって、恋愛は理性的に考えて始まるものじゃないんでしょうから、無自覚というべきなのでしょう。この無自覚が、惚れ薬とか、エロスの矢に象徴される宿命の罠である可能性もある。そうやって話を大袈裟にすると話を面白く演出できる。ただそれだけのことでは。(NO24) ◇という面はあると思います。エロスの矢、惚れ薬・愛の妙薬は、その不可思議な心の働きを、恋愛心理を象徴しているのかもしれません。 ハタから見ると、何で「○○は何であんな奴を好きになったのだろう」と見える恋愛、ありますよね。 その「何で?」の説明のために、「エロースの矢」が古代ギリシア人によって考案されたのかもしれませんね。 惚れちゃったら、どうしようもない。 無理に両者を引き剥がそうとすると、両者の絆はさらに強固になって、《ロミオとジュリエット》のようになってしまう。 《ロミオとジュリエット効果》!! http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9F%E3%82%AA%E3%81%A8%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88%E5%8A%B9%E6%9E%9C これと似たようなもので、さらに不思議なココロのハタラキの一つに、《ストックホルム・シンドローム》なんてのもあります。 ───────── 1973年8月に発生したストックホルムでの銀行強盗人質立てこもり事件において、人質解放後の捜査で犯人が寝ている間に人質が警察に銃を向けるなど、人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが判明。また、解放後も人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行ったほか、1人の人質が犯人に愛の告白をし結婚する事態になったことなどから名付けられた。 ───────── http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A0%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4 ☆☆☆☆☆☆ なのですが、 悲劇・メデイアに登場する夫のイアソンって奴が、超~最低の野郎なんです。 「わたしの手助けがなければ、あなたは死んでいた」とメデイアが言うと、 イアソンは 「俺はお前に恩なんてものはない。感謝すべきは、(エロースに弓を射させた)愛の神・アフロディーテだ。お前が俺を助けたのは、俺への愛ゆえにだ。だから、おめえに恩なんてものは、まったくない。野蛮で草深い田舎から、文明国のギリシアに連れてきたんだ。お前は、俺に感謝すべきなのだ。俺のおかげで、お前の賢明さはギリシア全土に知れ渡ったのだから」 と言って、自らの裏切りを正当化します。 さらにこんなことまで言い放つ。 「お前をもっと愛しておけばよかった。ベッドの中でたっぷり可愛がってやりゃ~、女は不満・不平を言ったりしないものだから!!」 男として、最低の野郎なんです、イアソンってヤツは。 ───イアソンに限らず、ギリシア神話に出てくる英雄はどれも似たような、超自己中な野郎ばかりです─── 世間・近所の女性たち(コロス・合唱隊)は 「持参金を持って嫁ぐ。なのに、家にはいれば、夫にこき使われる。女なんて。。。」 と嘆き、メデイアに同情を寄せます。 ここに、妻から夫への一方的献身という《搾取と被搾取》の構図がみてとれます。 事実、メデイアをこの図式、マルキシズム的に解釈した映画作品も存在するそうです。 おつうさんとヨヒョウをこの図式で考えることには反対なのですけれど、 なのですが、 夫にひどい仕打ちに耐える妻、にもかかわらず夫に尽くす妻を是とする、前近代的な価値観・夫婦観が夕鶴の背景にあることだけは、事実でしょうね。それを美徳としている。。。 ☆☆☆☆☆☆ なんか、救いのないことばかりを書いてしまいました。 なので、リヒャルト・デールケの《浄(められた)夜》という詩をご紹介します。 ──────────── 浄夜 (リヒャルト・デーメル/訳:新田 誠吾) 冬枯れの森を歩く二人がいる 月がついてきて、二人は顔を見合わせる 月は、高い樫の木の上にあり 月夜をさえぎる雲一つない 夜空に木々の黒い影が突き出ている 女の声がする お腹の子は、あなたの子ではないの あなたにも迷惑をかけようとしている 取り返しのつかない過ちを犯してしてしまった 幸せというものがあるとは思えなかった それでも生きがいを見つけ、母親の喜びや務めを 味わってみたかった 身の程知らずにも、知らない男に自分の性を抱いてもらった 今思うとぞっとする 私は身ごもり、人生の報いを受けた そうしてあなたに、あなたに出会った 女の足取りは重い 見上げると、月がついてくる 女の暗いまなざしは、月明かりに呑まれる 男の声がする できた子どもを 心の重荷にするな ほら、夜空がこんなに輝いている 何もかも包み込む輝きだ 冷たい海を僕とさまよっているが 君の温もりを僕は感じ 君も僕の温もりを感じている その気持ちがお腹の子を浄めてくれる どうか僕の子として産んでほしい 君は僕の心を照らしてくれた 君しか考えられなくなった 男は身重の腰に手を回す 二人の息が空中でキスを交わす 二人は澄みきった月明かりの夜を歩く (訳は、2011/05/16に改訂) http://blog.livedoor.jp/audimax1/archives/50705587.html ──────────── おつうさんは、自分の正体が鶴であることを打ち明けないまでも、 布を織ることを拒否する勇気を持つことが大切だったのではないですかね~。 嘘で塗り固められた、虚飾の幸福は、いずれ破綻するので。 ☆☆☆☆☆☆ ☆そして猫様のやっているのは、あれでしょう。前にぶらじゅろんぬさんのところでも書きましたが、理想的な恋愛というものを想定して、個々の恋愛の卑俗な点を冷笑する態度。これは夢を見過ぎだなあというのが私の感想で、 猫様、失敬な言い方かもしれませんが、恋したことないんじゃないかという疑惑を私は持っています(笑)。 ◇わたし、結構、鈍感です。女性が自分に好意を寄せていても、なかなか気づかない(笑)。 実は、わたし、つい最近まで、ちょっと不倫っぽい恋愛(なのだろうか?)をやっていまして(ポリポリ)。 一線は越していませんよ。 わたし、ネコなのに、《草食性》なので。
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テレパシー妄想というのは ポールポーラ物語のほうに出てくる妄想で コピペ引用が手間なので書くと 学校で朝、窓辺にいたポールが 登校してくるポーラの目を見ると 彼女の目が光ってるように見え ポールは彼女から慕われていると感じた その時さらにポールは 彼女の目つきから、彼女の主観内容(思考)まで読み取った こんなふうに思ってますよ、という感じの彼女の内的な言葉を ポールは彼女の眼差しから読み取った その読み取ったという確信が ポールのテレパシー妄想かなと思った 昨日の関心がはや薄い
お礼
説明とご回答をありがとうございます。 こちらの見方についてもしるします。 まづその前に全般的に見て言っておきたいことがあります。 あの《ポーラの手記》は ポーラの側からポーラの立ち場に〔わたしが〕立ったと仮定して 相手のポールや世界を捉えたものです。 推測の部分は わたしの気持ちや思いや心のあり方とまったく同じではありせん。対応していない場合もあります。 なぜ対応しないように推測したかと言うと 基本的にまた一般に わたしは――その手記を一方的に《代筆》するわけですから――あいまいなことがらについては 相手(=ポーラ)に有利に解釈してしるすこととしたわけです。なるべく品を落とさないようにとも注意しつつ。 《事実》にしても 表現の仕方がちがっているかも分かりません。起こったコトは同じひとつのことしかありませんが それについての見方が入ると ポールとポーラとで表現の言葉が違って来るかも分かりません。 それには 二段階で書けばよかったのでしょう。つまり 事実の記述という第一段階と それをどう見て表わすかの第二段階とです。第一は おおむね一つの記述による。第二は 双方の言い分やら表現やらがそれぞれある。 あるいは そもそもそのひとつの事実を取りあげるかどうかでさえふたりの間ではその価値評価が違っているかも分かりません。そのくらいのチガイは 出て来ると思います 第二段階ではです。 もうくどくなるので 《凡例》はここまでとします。 さて ★ ~~~~ 登校してくるポーラの目を見ると 彼女の目が光ってるように見え ~~~~~~ ☆ わたしの側からこれを表現すれば 次のようになります。 登校生は 列を成して大勢であるいて来ます。 その一列縦隊を窓から見ていると男性と女性との見分けが はっきりついたくらいに見えたとき 何らかのかがやきが わたしの目に飛び込んで来たのです。 その発信元もわかって 見ると ポーラだったと知った。 かがやきは 目のそれだと思って そう表現した。 ★ ポールは彼女から慕われていると感じた ☆ いえ。言ってみればその光〔とわたしが感じたもの〕に載せてポーラは 言わば自己紹介のようなことをしているのだなと感じた。のです。クラスが違っていたからなどの事由ではないかと思った。 ★ ~~~~ その時さらにポールは 彼女の目つきから、彼女の主観内容(思考)まで読み取った こんなふうに思ってますよ、という感じの彼女の内的な言葉を ポールは彼女の眼差しから読み取った ~~~~~~ ☆ そうですね。わたしが読み取ったのは 《好意的なまなざしだった》ということです。 そのあと何かとウワサが立ったのは その窓からわたしと同じように外をながめていた二三人の同級生が 煽り立てて広まったのです。 なぜ煽り立てたかというと 分からなかったのですが・つまり同級生と言ってもその新学期に同じクラスに成って初対面どうしなのですから なぜポーラとそしてこのポールにこだわるのかは分からなかったのです。何のことはない 同級生たちは ポーラと同じ小学校だったのです。ポーラは 中学一年生のときにわたしの学校およびクラスに転校して来たのでした。 ★ 主観内容(思考)まで読み取った / 彼女の内的な言葉を・・・読み取った ☆ というような大げさなことはありませんでした。《かのじょの内的な言葉》があったというのは 《手記》でのわたしの推測です。作り話です。あとのウワサやそれからの成り行きを捉え合わせてそういうふうに推測しました。《妄想》です。 ですから ★ ~~~~ その読み取ったという確信が ポールのテレパシー妄想かなと思った ~~~~~~ ☆ ということは 残念ながら ありません。たとえ妄想があったとしても その後―― 一年かそこら経って――互いに近づきには成ったのですから妄想が妄想ではなかったことになります。 いちおう辻褄は合っているはずです。
昔話の鶴の気持ちをあれこれ空想するより テレパシー妄想の方がだんぜん気になった 悲恋物語への整合性ある解釈を人々に乞う質問者の動機が気になった 民話より実際に近いポール物語に興味をひかれた 鶴の去った理由を人々に問うことは ボーラが去った理由を人々に問うことと重なると思った 切なさを感じた 相手がしぶとく独りでも大丈夫だと思ったから、かのじょらはなれて行ったのかも 帷に守られているのは安心 とくに疲弊したとき、他人から領域侵犯されると思うと、とても不安になる つる自分の弱さに怯えてたのかも あんまり向いてなかったのかも機おり 価値観の差や知能の差やにおいや奇形の問題とか 知らないけど
お礼
jflat だったかという名前のひと? まづはご回答をありがとうございます。 まづ 回答になっている箇所で残念ながら微妙にずれていると感じるのは 質問の仕方があいまいだったからでしょうか。 ★ あんまり向いてなかったのかも機おり ☆ これはですね。質問者が作品を受け留めているその内容としては 微妙に違うのです。 たとえ機織りが においや音や何やかやのことで自分に向いていないと思っても ひととおり恩返しとしてやり遂げるということ。これが 前提となっていると考えます。 あとは それを・つまり恩返しと言えども機織りの仕事をつうじて夫に尽くし過ぎた。重労働をし過ぎた。のではないかという問題があるのだと考えます。 ★ 相手がしぶとく独りでも大丈夫だと思ったから、かのじょら〔* =は〕はなれて行ったのかも ☆ これとしての内容は何もわるくはないはずですが つうが去った理由を訊く問いに対しては微妙に違うと思います。 おそらく《相手の与ひょうがしぶとく独りでも大丈夫だと思ったから》という理由は すでにつうが 与ひょうを去ると決心していたところへ 何かと心配になっていまいちど考えてみたというとき やはり大丈夫だ判断するということではないかと思うのです。 ではなぜ去ろうと決めたのか? なのだと。 ★ ~~~~~~ 帷に守られているのは安心 とくに疲弊したとき、他人から領域侵犯されると思うと、とても不安になる つる自分の弱さに怯えてたのかも ~~~~~~~ ☆ まづ《帷:イ・とばり》は 垂れ幕であり つうが機織りをしている部屋を見えないようにしているという意味なのですね。部屋が別だったかも知れませんが いまそのように捉えてみます。 機織りの場をとばりがほかの部屋とをへだてているので《安心》だが 《とくに疲弊したとき》には そうでもない。のですね? ただし《隔てがある》けれども 《無理なく誰か人が入ってくることはありうる》。この《人》は 《他人》なのですね? あるいはつまり もしそれがたとえ与ひょうだったとしても ときには《領域侵犯される》という思いがつうには起きるというのですね? これは 鶴という正体を見られる・知られる心配とは少し違うようですね。 ★ つる〔は〕自分の弱さに怯えてたのかも ☆ これだと しばらく休息を取るという問題になるかとも思います。そのあとで 与ひょうを去るかどうかの問題が現われるのだと。 もし同時に一度に《休息の必要》と《与ひょうを去ること》とが重なって やはり去ったとするのならば けっきょく与ひょうに対する態度は 具体的にどうだったのか? という問いはまだ残っていると思われるのです。 あとは もう少し答えの中身を説明してください。 ★ ~~~~ 昔話の鶴の気持ちをあれこれ空想するより テレパシー妄想の方がだんぜん気になった ~~~~~~ ☆ 《テレパシー妄想》とは どのくだりで具体的に現われているのか? どういう内容なのか? どう分析しどう評価するのか? ★ ~~~~~ 悲恋物語への整合性ある解釈を人々に乞う質問者の動機が気になった 民話より実際に近いポール物語に興味をひかれた 鶴の去った理由を人々に問うことは ボーラが去った理由を人々に問うことと重なると思った 切なさを感じた ~~~~~~~~ ☆ 絵日記みたいに感じますので ああそうですかとお応えするようなかたちになってしまいますが。・・・
流星もひとつの運命であり 刹那の運命を内在している 刹那は、一瞬の輝きしかない けれども、生を超える死(没落)を望む ~哲学が妄想に堕落しないための提言~ 質問者の特性=哲学の仮面をつけたサディズム、妄想的な思考 【質問全般にみられる議論展開の特徴】 質問者の方法論(1)=部分否定による全人格否定 質問者の方法論(2)=自己都合で話を飛躍させる 質問者の方法論(3)=自分ルールしか認めない (1)~(3)の結果、長いだけで不毛な議論に終結する (1)~(3)の結果、真面目な回答者は寄りつかなくなる 誰もいなくなって、取り巻き連中と、中傷の残骸。 ここの規約目的とマナーを、読み直せば? 受けとめるかどうかは、あなたの自由。 孤独な者たちには、たまり場が必要かもしれないが 法律(規約)は守りましょう(苦笑) お元気で
お礼
ごきげんよう。
私の世界観は自他の主観が互いに孤絶しているから他人の心は分からない。鶴のも ・相手はこちらをともかく嫌いになったのだ ・あの目つきはきっとこちらを好いている目つきだ という解釈が歪んでいる理由↓ ・推測なのになぜか確信になっている ・他者の主観を把握する力がこちらにあるという変な前提がある(テレパシー妄想? 恋は理屈が通ってなくて良いのか知らない 妄想で世界観を築くことの是非 世界観の材料が認知の歪みによる妄想でも 全体のつじつまが合っていれば良い世界観か? →あまり良くないと思う。世界観が現実と乖離して更に孤独になるから 世界=妄想=主観的事実=現実とみなし 妄想を許容し、歪んだ認知も採用して世界観を築くと、全体に整合性があっても、より正確な認知に基づく世界観よりは不正確になる カエルを見ながら正確にウサギを描くような変さがある (辛い)客観的事実や事実自体から遠ざかれるというメリットはある→妄想への退却 他者自体をみず妄想他者をのみ採用すると 本当には誰とも出会えなくなる こちらの都合で作り出す他者像とはコミュニケーションをとれるけれど 現実の他者自体とコミュニケーションをとりにくくなる
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 私の世界観は自他の主観が互いに孤絶しているから他人の心は分からない。鶴のも ☆ 微妙ですね。 つまり 一般に細かく大事なことがらについて言わゆる他者の心は 誰も分からないとわたしも考えます。 ただし説明を聞けば だいたいのことは理解できると思います。 ○ 他者どうしのあいだで 主観は孤絶していますか? ○ 隔絶があることと 孤立することとは別だと思います。隔絶があっても ひとは――孤独ではありますが・そして孤独は じつに孤独関係であると見ますが―― 孤立するかどうかは 決まらないのではないでしょうか? それは そのつどの情況に応じて変化しつつ 人びとから離れている状態にあることも起きるのだと思います。 ○ 人と人とのあいだは へだたりがある。ゆえに いわゆる自然本性としての内容においては 共通性を持つと考えられます。(身と心。心は 精神。精神は 記憶と知解と意志。などなど)。 ○ 仮りに他人の主観や心が分からないとしても 推測を持つことはあります。そして そのことを尋ねればよいでしょうし 尋ねる相手が 実在の者ではないならば その推測をみなで検討すればよいとも考えられます。 ★ ~~~~~~~~ ・相手はこちらをともかく嫌いになったのだ ・あの目つきはきっとこちらを好いている目つきだ という解釈が歪んでいる理由↓ ・推測なのになぜか確信になっている ・他者の主観を把握する力がこちらにあるという変な前提がある(テレパシー妄想? 恋は理屈が通ってなくて良いのか知らない ~~~~~~~~~ ☆ これは すでに質問者として説明したことについて誤解があります。 《解釈》がたとえ《確信になっている》としても それはやはり主観です。つまり どこまで普遍的なものか決まっていません。ゆえに――ゆえにです ゆえに―― その主観としてここでは 回答を寄せていただく。これでじゅうぶんだと考えています。 ★ ・・・全体のつじつまが合っていれば良い世界観か? ☆ この《良い》というのは 主題ないし課題にとってよき回答となっているかどうかの問題です。一般に良いとかあるいは世界観として良いとかという問題は 必ずしも扱っていません。そうであるに越したことはありませんが。 ★ 世界観が現実と乖離して更に孤独になるから ☆ ですから 問いに対する回答として《良い》主観は 《現実と乖離して》いないと見なされたものです。
ポーラに目の輝きを感じたのは、あなたの投影。 実は、輝きではなかった。 物語の解釈は、あなたがみる自分の願望 >本人でも自分の本心が分からない場合だってあり得るから そうかもしれないな。 あなたの精神状態を解析してみると 質問者の精神=依存心が強い母乳への愛着 質問者の精神=聖なるもの(聖女)への憧憬と卑しめたい倒錯 質問者の状態=相手にされないひがみ根性 質問者の現状=勃起した精神が、行き場を失い悶々地獄 まずは、自分の精神状態を知ってから、哲学したほうがいい。 瘡蓋内の膿が疼く間は、怨恨の哲学に陥るのみ あなたの知識は膨大かもしれない。 でも、その知識は、詭弁に使われる粕になり下がっている。 あなただけの責任ではないのかもしれないが
お礼
そうですか。
あなたの恋愛観はリアルでないのですね。 苦しみも、涙することも現実でなく、疑似な世界に陶酔するのみ? 妄想と疑似恋愛創作につきあえと(笑) 「夕鶴」は、自己犠牲的鬱陶しさが好きでないな。 真実の太陽が 輝き続けるなら 燃え尽きる流星でもいいと 最初から 捨石であってもいいと 刹那の運命は 考えていた 真実の高みのためには 没落することを望むから
お礼
★ 「夕鶴」は、自己犠牲的鬱陶しさが好きでないな。 ☆ という回答を得ました。 ★ 刹那の運命は 考えていた ☆ これが 現実的ではないように思います。けっきょく考えていなかったのでは?
物語の解釈は、自分を鏡に映すようなもの あなたの恋愛観(経験)そのものだろう。 あなた自身の投影でもある。
お礼
問い:夕鶴つうは どうして夫の与ひょうを去ったか 答えとして: A. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。 B. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。 C. いや 去っていない。去ったというのは 身を犠牲にして死んだという意味だ。つまり最後まで夫に尽くした。 D. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。 E. いやいや じつはこうだ。・・・ E-1. 初めの《恩返し》という動機を――それはそれでとうといのだが―― 結婚ということに結びつけるのには無理がある。 E-2. いやいや与ひょうへの愛は それとは別に芽生えたのだ。だから結婚は成立している。つまりそういう問題ではなく・・・(あなたのお考え)・・・ をどうぞ。
質問者は、恋愛も結婚も経験なく、妄想でしか疑似恋愛できない人では?
お礼
もしそうであったとして 回答に関係しますか。
妄想は歪んだ世界観 なるべく妄想を排する方が健全かつ哲学的
お礼
ご回答をありがとうございます。 この場合は 具体的にたとえば D. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。 がどういう理由で世界観としてゆがんでいるか? これを証明すればよいわけです。 《妄想》だからダメだという代わりにです。 《健全かつ哲学的》に成り得るかも知れませんから。 それにそもそも《主観》が《妄想》でないという保証は どこにもありません。 そういう問題もあるでしょうね。 要するに 結論としての回答内容ですべて勝負というかたちでよいと考えます。
人の目つきから その人の主観内容を確かに推測できたと思うことも妄想
お礼
つづいてです。 ★ 妄想 ☆ もひとつの主観であり もしその見解で 物語の大筋がきちんと説明できれば それがひとつの解である。こういう見方に立っています。 邪道ですか? ★ 人の目つきから その人の主観内容を・・・推測 ☆ することも けっきょくその成果としての最終の結論いかんに成否はかかっています。結論内容がいかに説得力があるか これで勝負になります。 変な判定基準ですか?
お礼
ご回答をありがとうございます。 ◇ 浄夜 (リヒャルト・デーメル/訳:新田 誠吾) ☆ これは へたな批評をゆるさないものがありますね。コメントなどというものをつつしませる。 かつての自分つまり前史から後史へという主題であるかも知れません。 そうだとすると 恋愛が 哲学の守備範囲に入って来ます。 ◇ ~~~~~ おつうさんは、自分の正体が鶴であることを打ち明けないまでも、 布を織ることを拒否する勇気を持つことが大切だったのではないですかね~。 嘘で塗り固められた、虚飾の幸福は、いずれ破綻するので。 ~~~~~~~ ☆ このご指摘は 適切であるように思います。 恩義を感じる人に愛情があると取り違えたのではないかというひとつの見方もありますが そのような問題を横ににらみながら でも適切であるように思います。 尽くし過ぎという問題は ふつうに起きる問題であるようにも思います。 つまり 見るなと言うのなら 自分のほうの隠し事もなくさなければならない。 要は 互いにしっかりと話し合うこと。意見があわなければ けんかをすること。 ・・・
補足
BA: 《浄夜 (リヒャルト・デーメル)》に一票。