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魔法使いにさせてくださいは誤りか
- 「魔法使いにさせてください」と「魔法使いにしてください」では意味が微妙に異なり、それぞれどちらも正しい表現だと思う。
- 「魔法使いにしてください」は、純粋に願い事をしているニュアンスであり、「魔法使いにさせてください」は自分で魔法使いになりたいと思っているニュアンスである。
- 「魔法使いにさせてください」とは、自分で自分を変えさせてほしいという意味であり、自力を使って魔法使いになりたいというニュアンスが含まれている。
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一読すると間違いのように感じ、ゆえに原文はわざと間違った文をそのまま引用する事で子供っぽさを出そうとしているように考えられました。しかし一方ではこれは何か見慣れた表現だなという直感もわいてくるのです。 「魔法使いにしてください」の「する」は「~にする」で、「ある職業、身分に就かせる」という意味ですね。 「魔法使いにさせる」という文章がありかどうかですが 口語 スル の未然形 サ に使役の助動詞 セル が付いたとするならば 「魔法使いにスル」に使役の助動詞 セル をつけて「魔法使いにサセル」 で間違いではないですね。 この使役がおかしくないかという意見はあると思いますが、相手が神様なので尊敬語としての サス サセル は古文ではおなじみ、現代でも神様などでは使う事がある表現で、「神よ私の望みをかなえさせたまえ」「ねがわくは御名(みな)をあがめさせたまえ。み国を来らせたまえ。(キリスト教礼拝)」などという形で今でも時々見かけます。 使役の サス が尊敬語として使われる説明が岩波の古語辞典にありましたので引用します。 〈 「す」「さす」は「たまふ」「おはします」などと複合して、神・天皇・皇族などの行為に対する厚い尊敬を表わす事があった。これは「たまふ」「おはします」などという尊敬語に、さらに使役の形による尊敬を加えて「(誰かに)おさせになる動作をくださる」の意を表わす物である。つまり最高の敬意を受けるに価する人は「給ふ」動作を自らはせずに、従者にさせるのが例であるから「(動作を)おさせくださる」と表現する事によって、単なる「給ふ」より一段と厚い尊敬の表現としたものである。〉 というわけで、「古文的な表現なので今では違和感を覚える」表現ということではないでしょうか。 古文的に書くならば 「神様、私を魔法使いにせさせ(させ)たまへ」であって、これなら間違いとは思わないのでは。 「せさせ」について 広辞苑に 動詞[下二段]として 〈サ変動詞スの未然形セに使役の助動詞サスのついたセサスが約まってサスとなったもの。助動詞サスと同様に、下二段活用から時代を降るにつれて四段・下一段活用に転ずる傾向を示す。〉 というのをみつけました。 で、使役の意として 「御前の朽ち木に生ひたるくさびらども羹(あつもの)にさせ」という例文が載っています。 「主の祈り」の現代語訳について http://www.seigakuin-univ.ac.jp/scr/lib/lib_ronso/contents/doc5_3/18.pdf
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- CC_T
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No.7遅レスです。 > 目に見えないものが使役するのはおかしいと決め付けてしまうと 決めつけているのではなく、そう扱うのが妥当であるということです。 > そうしたものや雰囲気に重点を置きつつ、それらによって自らの気持ちが高揚していく > 様を表わすには、「踊りたくさせる」と表現せざるを得ないと思うのですが。 …いや、思いませんね(--? 周囲の雰囲気によって自らの気持ちが高揚していくから「踊り」を「したくなる」のであって、そこは自発表現が妥当です。「その音楽は、皆を踊ろうという気にさせてくれる」とか、「皆を踊ろうという気にさせる音楽」などの言い替えは通りますが、「踊り」を「したく(自発)」「させる(使役)」というのは言葉に矛盾を感じます。 「水を沢山飲んだからトイレに行かされる」なんて聞くとどう思いますか? 普通は親にトイレに行けと言われた子どもの話かな、なんて感じますよね。それを「尿意という目に見えないものが私の社会的立場を台無しにしてやろうという強迫的感覚を持って襲ってきて、「トイレに行くぞ」という自らの気持ちが昂ぶってきた」ことを表しているなんて文学的解釈は、普通しないと思います。 >「わたしを大統領にさせてください」は、~中略~ 「させる」には、 >「自ら望むがゆえに自ら努力する」という要素が前提として含まれていると思います。 …思いません。「わたしに大統領をさせてください」なら「希望と共に自分も努力する気持ちが内包されている」との思いも認めていいでしょうが、「わたしを大統領にさせてください」や「頼むから僕を医者にさせて下さい」は先の回答通り、誤用であろうと感じます。 > 「(人などを)~にする」という用法が辞書にある以上、その使役形が成立するのはむしろ自然ではないかと思うのですが・・・。 もちろん使役形が成立するのは自然なことです。 ただし、「(僕を)魔法使いにさせてください」の場合、「(僕を)魔法使いにしてください」「(僕を)魔法使いにならせてください」という言い方と比べて意味合いを誤って解釈される可能性が極めて高いのが問題で、やはり妥当な表現とは言えないと思います。 「魔法使いにさせてください」の場合、 1)『魔法使い』という第三者に何かを「させる」 という解釈が普通です。私が願いを聞き届ける側の『魔』だかなんだかだとすると、「彼に何をさせたいのか?」と聞き返しますね。 >「望みをかなえさせたまえ」 古語では、那須与一の台詞で「南無八万大菩薩…扇の真ん中射させて給え」なんてのがありますね。原文では「射させてたばせたまへ」、つまり「射させて賜ばせ給え」、もうちょっと砕くと「射させて下さり給え」。 だから原文を現代語に訳すと「神よ願いを聞き遂げてくれるなら(この矢にor与一に)扇の真ん中を射させてください」といったところ。 「おみおつけ」じゃないですが、まだ語尾の活用が乏しかった頃は尊敬表現に尊敬表現を重ねた「二重尊敬」を神など地位の高い人への言葉を表現するものとして使っていたそうです。現代では使う必要が無く廃れた表現ですね。 いずれにしても動詞の「叶える」や「射る」に「請う」表現がくっついたものでしょう。 これに対して「魔法使いにさせて」では、「魔法使いに」という主語にあたる文に「させる」という動詞の使役表現がくっついた表現。 両者は違いませんかね? 「魔法使い」という動詞があれば「魔法使いさせてください」は成り立つでしょうが。 ~~~~ =>no.16 >> もし小学生の、自らの貞操を中年期まで守るぞという決意・悲願の表れなら その発想は無かった(^^; 『ボクを魔法使いにさせてほしい』なんてタイトルのラノベが出てきそう(笑) その時はまた質問に上がるのか、対象年齢層は違和感なく受け入れてしまうものか、ちょっと興味がありますね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「その音楽は、皆を踊ろうという気にさせてくれる」とか、「皆を踊ろうという気にさせる音楽」などの言い替えは通りますが、「踊り」を「したく(自発)」「させる(使役)」というのは言葉に矛盾を感じます。 : わかりました。 「毎日海水浴でよく飽きないね」 「この青さが僕を泳ぎたくさせるんだ」 なんてのもダメなのでしょうね。 回りくどさゆえの味なり、効果なりがあると思うのですが、ここはさておきます。 >「水を沢山飲んだからトイレに行かされる」なんて聞くとどう思いますか? 普通は親にトイレに行けと言われた子どもの話かな、なんて感じますよね。それを「尿意という目に見えないものが私の社会的立場を台無しにしてやろうという強迫的感覚を持って襲ってきて、「トイレに行くぞ」という自らの気持ちが昂ぶってきた」ことを表しているなんて文学的解釈は、普通しないと思います。 : そうですね。この例文の場合は同意できます。 ただ、「昨日、あの有名店で蟹を食べたら、当たっちゃってさ。せっかくのデートだったのに、10分おきにトイレに行かされちゃって、もう最悪」てなことは言いそうでしょう。 >「魔法使いにさせてください」の場合、 1)『魔法使い』という第三者に何かを「させる」 という解釈が普通です。私が願いを聞き届ける側の『魔』だかなんだかだとすると、「彼に何をさせたいのか?」と聞き返しますね。 : よくわかります。 「する」は do の意味で使われることが殆んどですからね。 しかし、お認めになっておられるように、 「(人などを)~にする」という用法にも、使役形が成立するのは自然なことです。 わたしもうまく説明できずにみなさんにご迷惑おかけしていますが、おそらく次のような表現だと言いたいことを理解していただけるような気がします。 他の方への返信のコピペ(といっても数分しか経ていませんので、質問者さん宛の内容でもあると捉えていただければ幸いです)で恐縮ですが、ご一読いただければと思います。 記事の文面では「一度だけ魔法が使えるとしたら何をしたいか」という設問です。 わたしの推測ですが、これは単なる願望のアンケートというよりは、「一度だけ魔法が使えるとしたら、何をすれば、もっとも最高の魔法を使ったことになるか」というクイズ、あるいは頓知に近い雰囲気が強かったのではないか、という気がします。 「お金を印刷する機械を手に入れる」「透明人間になる」などなどが出る中での、この答えだったのでしょう。 この流れでいくと、この子の意図は「自分を魔法使いにする」にならざるを得ません。 魔法を何か他の対象に向けて使うのではなく、「自分自身に対して魔法を使う」というニュアンスが必須だからです。 「魔法使いになる」では、このニュアンスは出ないでしょう。 これを若干脚色して記事にすると、「魔法使いにさせて下さいといって魔法使いになる」となるのだと思います。 「自分自身を魔法使いにする自分」と「魔法使いにされる自分」、二人の自分を想定するには、こうした意味があります。 今回は、実際に彼がどう言ったのか、新聞は言ったとおりに記事にしたのか、といった状況についてはあまり重点を置いていません。 小学生であれば、このような意図で会話が展開される可能性が高いと思っただけです。 実際に、その記事の子が、このような意図で言っていなくても構いませんが、「自分で自分を(~にする)」という意味での、「わたしを~にさせてください」という表現は極めて自然であり、文法的にも誤りではない、と思うわけです。
魔法の使い方が、いちいち魔などから力を借り、力の使い道を魔に打ちあけて許可をとるしくみなら、呪文は魔に対するお願いの言葉になります。 『魔』や、魔法を一回だけ使えるというルールを定めた上位者に向かって小学生が 「(あなた様から借りました一度きりの魔法の力で私めが私自身を)魔法使いに(属性変換)させ(ることをどうか許し)て下さい」とか、 「(私が自分自身を)魔法使いに(変化)させ(るために、あなた様の魔力を貸し)て下さい」とか頼む場合 「魔法使いにさせて下さい」の意味は通っています。言葉の表現として合っています。 また「石にさせて下さい」でも表現や願望として可能です 石好きで石に高い価値をみている人や、石のごとく放置されていたいとか、生きるのが辛くて無感動なものになりたいと強く望む人なら、依頼や願望の言葉として自然ですし可能です。 魔に向かい「(あなた様から借りた一度きりの魔法の力を用い、このつまらぬ恥ずかしい私めがこのつまらない私自身を)石(…宝石とかあるいは石ころとか)に(変形)させて(しまうなどという大それたみじめな欲望を叶えますこと、どうかお許し)下さい」とかなら可能です あと「魔法使いにさせて下さい」がもし小学生の、自らの貞操を中年期まで守るぞという決意・悲願の表れなら、表現としても実現性においても可能です。 童貞を守り通すことに多少の自助努力は要ります、その努力と達成を誰かと、また自分自身と、そして世界と約束する言葉です。 「魔法使いにして下さい」も充分可能です。小学生がそう言うと一気に童貞のまま中年に変身するとすごいです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 概ねご同意いただいたようで恐悦至極です。
- kine-ore
- ベストアンサー率54% (808/1481)
この記事の「それがかなえば魔法は使い放題」の言い方からすれば、「一度だけ使える魔法」なるものの<取り扱い方>についてまでは、話題にしている「小学生同士」では決まっていないようです。 何しろ設定がいい加減なままでの、この辺をめぐる認識のズレやブレ──1)当人自身のズレ、2)他の子とのズレ、3)「声」欄筆者でのズレ、4)「天声人語」筆者のズレ、5)その記事の読者ごとでのズレといった形で、そもそも多重のブレが生じやすい事態を招いていますから、このような曖昧多重義の表現を新聞記者は避けるのが常識でしょう。このような、とても論理的にはありえない設定上での子供のセリフの是非は論じようがないのですから。 筆者としてはそれでもなお、今回については後段の趣意への愉快なイントロとしてまた「声」欄との連携性において是非とも使いたかったものでしょうね。 そこで、この発言者=「ある子」は、「魔法使いにさせて下さいといって…」という言い方からして、全知全能の誰かに望みが叶うようお願いをするやり方=お祈りを以て、一度だけの魔法を<取り扱った>ということで見れば、特に問題にするほどではないと思います。 ここを、単に「魔法使いにして下さい。」としては、祈りの口調の可愛らしさが消えて実務的な要求提示の冷めたトーンが増してしまう気もします。 このような場合、次の辞書の記載が参考になりませんか。 「せる[助動詞](イ)…「いたす」で済むところに「させていただく」を使うことが多くなり、一種の敬語かに思われているが、本来は浄土真宗を信仰する者が仏のお恵みにすがりお許しをいただきたいという言い回しが広がったもの。その気持ちもなく乱用するのは(相手の了解を取ったことを前提とする表現になるから)押しつけがましい。」(「岩波国語辞典」) ただ、個人的には、いっそ「魔法使いになりたい」という自動詞を使った単純希望表現が一番素直で分かり易いと思うのですが、いやはや確かに今日びのお子様たるや、実に純粋なお祈りの表現上手なのか、もしくは無知ゆえの濫用どころか「押しつけがましい」という表現など重々承知の上なのかもとか…。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >ここを、単に「魔法使いにして下さい。」としては、祈りの口調の可愛らしさが消えて実務的な要求提示の冷めたトーンが増してしまう気もします。 : たしかに、そうした面もありそうです。 >いっそ「魔法使いになりたい」という自動詞を使った単純希望表現が一番素直で分かり易いと思うのですが : そのほうがすっきりしますよね。 記事の文面では「一度だけ魔法が使えるとしたら何をしたいか」という設問です。 わたしの推測ですが、これは単なる願望のアンケートというよりは、「一度だけ魔法が使えるとしたら何をすれば、もっとも最高の魔法を使うことが可能になるか」というクイズ、あるいは頓知に近い雰囲気が強かったのではないか、という気がします。 「お金を印刷する機械を手に入れる」「透明人間になる」などなどが出る中での、この答えだったのでしょう。 この流れでいくと、この子の意図は「自分を魔法使いにする」にならざるを得ません。 魔法を何か他の対象に向けて使うのではなく、「自分自身に対して魔法を使う」というニュアンスが必須だからです。 「魔法使いになる」では、このニュアンスは出ないでしょう。 これを若干脚色して記事にすると、「魔法使いにさせて下さいといって魔法使いになる」となるのだと思います。 「自分自身を魔法使いにする自分」と「魔法使いにされる自分」、二人の自分を想定するには、こうした意味があります。 今回は、実際に彼がどう言ったのか、新聞は言ったとおりに記事にしたのか、といった状況についてはあまり重点を置いていません。 小学生であれば、このような意図で会話が展開される可能性が高いと思っただけです。 実際に、その記事の子が、このような意図で言っていなくても構いませんが、「自分で自分を(~にする)」という意味での、「わたしを~にさせてください」という表現は極めて自然であり、文法的にも誤りではない、と思うわけです。 「せる」の大元が「恵みにすがりお許しをいただく」である由、興味深く拝見しました。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
9です。たびたびすみません。 9で引用した岩波古語辞典の解説文で「おさせくださる」とそのまま「給う」の無い、「くださる(い)」に置き換えた。同じ表現を使っています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 わかりました。参考にさせていただきます。
>。「魔法使いにさせて下さいといって魔法使いになる」 どうも違和感があります。 「努力して、精進します。自力でなりますから、ですから魔法使いコースへの入門を許可してください」ですか? でも実際、彼女は一度だけの呪文でなりたいようですもんね。 誰か(本物の魔法使い)に頼むのであれば、「私を魔法使いにして!」が自然な気がします。 「私にも魔法使いをさせて下さいといって魔法使いになる」 これも自然に出るような気がします。 まあ、努力などせず他力本願で、本物の呪文であっという間に変身するというニュアンスですね。 >、「魔法使いにさせてください」という表現は可能だと思うのですが、みなさんはどう思われますか。 はこぶる様のおっしゃることで、朝日新聞もいうことですから、そうなのかもしれません。可能といえばそうかもしれませんが、私にはどうもいじり過ぎのような気がします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >私にはどうもいじり過ぎのような気がします。 : あえて否定はしません。 たしかに、素直じゃない小学生にしてしまいますので。 違和感があるとのことでしたが、 例えば……医学部を受験したい息子が、反対している父親をさんざ説得したあげく、 「父さん、頼むから僕を医者にさせて下さい」(#5さん提示の例文) この表現はいかがですか。 「僕、一生懸命勉強するから医学部受験する許可出してよ」というニュアンスになると思うのですが。 これに対して、 「父さん、頼むから僕を医者にしてください」は、「(勉強する気はないし、仮にしても自力では無理だと思うから一方的に頼るけど、)裏口入学のお金出してよ」というニュアンスになりませんかね。 この「させて」と「して」を試しに入れ替えてみてください。 違和感を覚えられるのではないでしょうか。 わたしたちは無意識のうちに使い分けていると思うわけです。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
9ですが 「かなえたまえ」でも「かなえさせたまえ」でも同じなのですが、神様・天皇・皇族の場合は最も重複的で馬鹿丁寧な「させたまえ」をわざわざ使う“習慣”なのです。そうやって通常の敬語と差別化をするわけです。文学中などではそれによって相手の身分の高さを表わしています。 丁寧語・尊敬語の用法と単純に考えた方が適切だと思います。 丁寧語・尊敬語はより丁寧にしようとしてだんだんと重複して行く傾向があります。 たまえを伴わない例もあると思いますので古文・現代文をお調べになってみてください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 丁寧語・尊敬語と特に関係あるようには思えないのですが・・・。 頼みごとをするのは一応下手に出ていることにはなりますが、敬意がなくともで可能ですよね。
結構面白い質問なので回答になっているか否かわかりませんが・・・ >わたしとしては、「魔法使いにさせてください」と「魔法使いにしてください」では意味が微妙に異なり、それぞれどちらも正しい表現だと思うのですが、間違っているでしょうか。> まず間違いとか正しいとかではないように思います。それは話して聞き手によりますから、身障者の発言が分からなくても当人は何を言おうとしているのか分かっているのと同じで話して受けての聞きとり方によっての違いだと思います。 それから個人的にはそこそこ近いですが『努力』が要るのかな?という疑問があります。別に努力がなくても良いように思います。まあそれ以外を省いた上では全く同意見で>「魔法使いにさせてください」と「魔法使いにしてください」では意味が微妙に異なり>その通りだと僕も思います。 なにか勘違いしてるようなので否その前文が今一よく分からないのでなんとも言えませんが 「一度だけ魔法が使えるとしたら何をしたいか」という議題な訳でしょ? これはつまり自分が今魔法が一度だけ使える状態なわけですよね?つまり『自分は今一回魔法を使える事が出来る魔法使いだ』と置き換える事ができそうな気がする。そうなると普通に考えると「私よ魔法使いにな~れ!えい!」みたいなのが的確かなと・・・「テクマクマヤコンテクマクマヤコン」という赤塚不二夫のひみつのアッコちゃん見たいに唱えるのが的確だと思うw 「魔法使いにしてください」や「魔法使いにさせてください」だとその魔法の原理そのものに言ってますね?その上で答えるなら「魔法使いにしてください」は魔法が一回使える存在から魔法使いそのものにして下さいと言っている様に聞こえる「魔法使いにさせてください」は強調的に魔法使いにさせてくれませんか?という願望を強く頼んでいる感じがする。ただそれだけの違いにしか個人的には感じないですね、、、そうなると友人が間違いだと言ったのは一回は必ず魔法が叶うのだから頼む様な言い方は間違いだと?その友人が思ったというだけの話じゃないかな~と思いますけど? 個人的にはそんなに違いはないと思うけど・・・・ 「してください」なら原理そのものにとりあえず丁寧に訴えたという感じだから的確だと思ったのかな・・・?原理に訴える事で魔法使いになれるのなら普通「自分を魔法使いに!」とか「私を魔法使いにさせたまえ!」とかの方がよほど的確のような気がす 「してください」だとやっぱり頼んでる感じになるので一回魔法を使えるのに頼むってのも変な話であって・・ 多分ですがその友人からすると一回魔法使えるのに「させてください」はないだろう~「してください」が的確だろう位じゃないの? どうでもいいけどルパン3世の原本でコンピューターが「私は瞬時に的確な答えを出す事ができる」とか言ってルパンに手錠を嵌めて「一回だけ質問をしてそれを答える間に暗号を言わないと死ぬ」とかいう場面でルパンが「10÷3だ!さあ答えろ!」みたいなシーンを思い出したwそれに正確に答える訳だから「3.3333333・・・・」と永久にコンピューターが答え続けなければならない場面が
お礼
ご回答ありがとうございます。 >それは話して聞き手によりますから、身障者の発言が分からなくても当人は何を言おうとしているのか分かっているのと同じで話して受けての聞きとり方によっての違いだと思います。 : 話し手受け手のあいだでルールが確立していないと正しいコミニュケーションはとれなくなります。 健常者であっても、自分の話している意図を常に理解しているわけではないと思いますが、それは無意識的だからなのだと思います。 そこを掘り下げてみることで、同じ意図を共有していたことに気づくことができれば、コミニュケーションは復活できるでしょう。 >「私よ魔法使いにな~れ!えい!」みたいなのが的確かなと・・・「テクマクマヤコンテクマクマヤコン」という赤塚不二夫のひみつのアッコちゃん見たいに唱えるのが的確だと思うw : それは全くおっしゃるとおりだと思います。 >「魔法使いにしてください」は魔法が一回使える存在から魔法使いそのものにして下さいと言っている様に聞こえる「魔法使いにさせてください」は強調的に魔法使いにさせてくれませんか?という願望を強く頼んでいる感じがする。 : そのとおりと思います。 なぜ強く望んでいるニュアンスになるのか、といえば、自分の力で自分を魔法使いにしたい(=させたい)という意図になるからではないか、と思います。 > どうでもいいけどルパン3世の原本でコンピューターが「私は瞬時に的確な答えを出す事ができる」とか言ってルパンに手錠を嵌めて「一回だけ質問をしてそれを答える間に暗号を言わないと死ぬ」とかいう場面でルパンが「10÷3だ!さあ答えろ!」みたいなシーンを思い出したwそれに正確に答える訳だから「3.3333333・・・・」と永久にコンピューターが答え続けなければならない場面が : 非常に面白いお話しですね。 大渋滞の道路で財布を拾った気分です。
- trgovec
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大変詳しいお返事をありがとうございます。よろしかったらなおいくつかの点についておつきあいいただければ幸いです。 >「自分で自分を~にさせてください」という思考法が不自然だとお感じになっているのだと思います。 いいえ、思考法のことを言っているのではなく、書かれている通り簡潔な表現が見つからないと言っているだけです。どうしてそうお考えになったか説明をお願いします。 >「山で遭難したが、自分で自分を励ましつつ1週間を乗り切った」という表現は自然にお感じになるはずです。 >「自分に言い聞かせる」は「自分が自分に言い聞かせる」という意味でしょう。「誰が自分に言い聞かせたのか?」などという突っ込みを入れる人は居ないはずです。 至極自然な表現であり、当たり前のことですね。 ただ、たびたび言及される「二人/二つの自分」という発想はよく分かりません。上記の例で言えば励ます対象が他人ではなく自分、人に言い聞かせるのではなく対象が自分ということでありあくまで一人。漫画的表現でそういう描き方をすることがありますがあくまでそれは絵としての表現です。「金持ち」や「医者」の例にしても、他力本願的に「してください」と言っても、自分側の努力があることを含ませた「させてください」も最終的な結果は同じ、今の自分がなりたい自分に変わるだけではないでしょうか。 >丁寧語とは無関係ですし、それと混同しているわけではありません。 もちろん質問者様が混同しているとは思っていませんし、ここで丁寧さに言及したのはたとえば、「魔法使いにさせてください」は意図した意味で伝わりやすいが「魔法使いにさせろ」では使役の意味としか捉えられない。しかし同じような本来は誤用に起源がある「一人にさせてください」は「一人にさせろ」でも意図した意味で伝わる(Leave me alone!)。これは「~に」の語の違いによるもので、「一人」を何かをさせる対象ととらえられる可能性が非常に低いからです。ということは「~にさせる」をいつも「~にする」に近い意味で使えるとは現状では言えず、「させてください」と丁寧に言わなければならない場合があるということです。言葉は日々変わっていきますからいつかは同じように使える時が来るかもしれません。そのときは新たに使役と区別する方法が生み出されるかもしれません。 >>現に違和感を覚える人がいるということはそういう表現を広めるべきではない、紙面に載せていいのか検証する必要があると思います。 >違和感を覚えるというのは、おそらく、理屈で考えてしまうからではないか、と思います。 そう、理屈で考えておかしいと言う人がいるかもしれないから記事にする前に充分検討しなければいけないということです。線引きは難しいですが「なぜか踊りたくさせる阿波踊り」におかしいと言う人は少ないでしょう、というより「~したくさせる」は突っ込みを言えるのが野暮なほど浸透してきていると言えます。しかし「魔法使いにさせてください」は同じテーマの別質問で間違っているのではと質問が立ち、このスレッドでも間違いであると言い切る人がいるように、充分に浸透しているとは言えません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >>「自分で自分を~にさせてください」という思考法が不自然だとお感じになっているのだと思います。 いいえ、思考法のことを言っているのではなく、書かれている通り簡潔な表現が見つからないと言っているだけです。どうしてそうお考えになったか説明をお願いします。 : 「自分で自分を~にさせてください」を不自然に感じなければ、「思いつかない」ことはないように思ったからです。 今は、意味がわかりました。 >「金持ち」や「医者」の例にしても、他力本願的に「してください」と言っても、自分側の努力があることを含ませた「させてください」も最終的な結果は同じ、今の自分がなりたい自分に変わるだけではないでしょうか。 : そのとおりですね。 ただ、っ実際問題として、わたしたちは結構、回りくどい思考法をとっているように思いますけどね。 >しかし「魔法使いにさせてください」は同じテーマの別質問で間違っているのではと質問が立ち、このスレッドでも間違いであると言い切る人がいるように、充分に浸透しているとは言えません。 : そうかもしれません。 ただ、わたしたちは自分の発している言葉が、どのような意図で発せられているのか、ということを感覚的には理解していても、いざ言葉にして説明するとなると難しい(さらに、それが原因で意図にも気づかない)、ということも案外多いような気もします。
- f272
- ベストアンサー率46% (8468/18130)
すでにいろいろと回答がついているので,どうしてこの表現が間違っているのかという説明は省いて,質問者に考えてほしいことだけ書きます。 書かれているようなニュアンスがあってそのニュアンスの違いを表現していると主張されていますが,これまでの回答に書かれている通りそれは共通の了解事項にはなっておらず,そんなニュアンスが通じない可能性があることは納得していただけるでしょう。だとすれば,そのような表現を多数の人に対しての表現手段として使うべきではなく,別の手段で違いを表現すべきでしょう。 もし,使いたいのであっても,それがそのような意味で通用する人の範囲だけにとどめておいてください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >そのような表現を多数の人に対しての表現手段として使うべきではなく,別の手段で違いを表現すべきでしょう。 : たとえば、どのような手段がありますかね。 もし、ご存知のようなら、ご自分の言葉で教えてくれるとありがたいのですが。
- CC_T
- ベストアンサー率47% (1038/2202)
先日も同様の質問がありましたが、私はこの「させてください」は誤用と感じています。 「私に魔法使いをさせてください」なら、役の割り当て希望の場合などで言いますね。「する」の使役+謙譲表現ですね。 ちょっと探してみると、参考URLのベストアンサー回答が見つかりました。 それによると、「ならせる」から変化した間違い表現のようですね。 「誰かを〇〇にならせる」は旧来の日本語表現ですが、「ならせる」が時代の変化で「する」という変化に置き換わり、つまり「誰かを〇〇にする」と変わってきた。 さらにそこで、自発的「する」の丁寧表現としての「させる」と混同が起きたため、「誰かを〇〇にさせる」といった似非丁寧語という誤用が生じた、という流れのようです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「誰かを〇〇にならせる」は旧来の日本語表現ですが、「ならせる」が時代の変化で「する」という変化に置き換わり、つまり「誰かを〇〇にする」と変わってきた。 : そうでしたか。大変参考になります。 >さらにそこで、自発的「する」の丁寧表現としての「させる」と混同が起きたため、「誰かを〇〇にさせる」といった似非丁寧語という誤用が生じた : ここはちょっと合点がいきませんね。 たとえば、「なぜか踊りたくさせる阿波踊り」という文の場合、踊りたくさせるのは、歌のリズム、あるいは囃子や鉦の音、果ては熱気、といった目に見えないものであり、それらによる使役表現だと思います。 目に見えないものが使役するのはおかしいと決め付けてしまうと、「なぜか踊りたくなる阿波踊り」という表現にすべきだということになってしまうわけです。 そうしたものや雰囲気に重点を置きつつ、それらよって自らの気持ちが高揚していく様を表わすには、「踊りたくさせる」と表現せざるを得ないと思うのですが。 「目に見えない」ということに関連して申し上げれば、「魔法使いにさせてください」は目に見えないもう一人の自分を想定していることになると思います。 「自分を励ましつつ山道を登った」「そんなことをしてはいけないと自分自身に言い聞かせる」などと同様、行為者としての自分と行為の影響を受ける自分が、そこにはいます。 「わたしを大統領にしてください」は、「みなさんがたくさん投票してくれれば、その結果として自動的にわたしは大統領になれます。みなさんの投票によって、わたしを大統領にしてください」といったニュアンスでしょう。 「わたしを大統領にさせてください」は、「わたしは、どうしても大統領になりたいし、その努力もします。しかし、みなさんが一生懸命応援してくれないと、その努力も無駄になりますので、どうかわたしを応援して、わたしが大統領になるための環境を整えてください」というニュアンスになると思います。 前者は、「相手の力に一方的に頼る」というイメージで、後者は、「わたしは自分の願望を叶えるためですから、むろん、必死で努力しますが、そのためにはみなさんに環境を整えてもらうことがぜひ必要です」といったイメージ。 「させる」には、「自ら望むがゆえに自ら努力する」という要素が前提として含まれていると思います。 ですから、たとえば、自分が石になることを希望して、しかもそのために自ら努力する、というシチュエーションは考えにくいため、「わたしを石にさせてください」という表現は不自然になります。 自分が石になることで誰かが助かるなどの条件で、やむなくそうせざるを得ないような場合に、「わたしを石にしてください」のように表現することになるでしょう。 「魔法使いにさせてください」の場合、自分が「魔法使いになりたい」と願えば自分を魔法使いにすることができる、そのような状況にしてください、といったニュアンスになると思います。 最初から「魔法使いにしてください」と言うほうが手っ取り早いだろう、という考え方もあるわけですが、「自分が願う」という行為に着目するほうが自然なシチュエーションではないでしょうか。 なぜかというと、もし叶ったとすれば、「魔法使いになりたい」と願った行為自体がすでに魔法使いの行為そのものである、ということになるからです。 魔法使いになりたい、と自分で願って、自分自身を魔法使いにする。 願えばそのようになるように環境を整えて欲しい、という願い事が「魔法使いにさせてください」というわけです。 いずれしても、「(人などを)~にする」という用法が辞書にある以上、その使役形が成立するのはむしろ自然ではないかと思うのですが・・・。 「自分で自分を奮い立たせる」は慣用句ですので二人の自分が素直に受け入れられると思いますが、「自分で自分を~にする」という構図が見落とされがちなだけなのでしょう。 「自分で自分を~にするための環境を整えてほしい」が「させてください」ということになると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >口語 スル の未然形 サ に使役の助動詞 セル が付いたとするならば 「魔法使いにスル」に使役の助動詞 セル をつけて「魔法使いにサセル」 で間違いではないですね。 : 「(人などを)~にする」という用法が辞書にはあるわけですから、その使役形も可能なのはたしかでしょう。 #5さんなども質問者さんと同様のご指摘をされていますが、「させる」という言葉をひとつの使役の単語としか捉えない方が誤解なさるのだと思います。 おっしゃるような「せる」という使役の言葉があることを失念しているために、「魔法使いにさせる」という使役形は間違いだ、ということになってしまうのでしょう。 >「神よ私の望みをかなえさせたまえ」 : これもわかりやすい例を挙げていただいたと思います。 「かなえたまえ」でも結果は同じはずですが、これでは一方的な神頼み、ということになってしまいます。 「かなえさせたまえ」とすることで、「わたしは一生懸命努力して祈りますが、祈ることによって望みが叶うような状況を整えてください」といった意味が可能になるわけですよね。 あくまで望みを叶えるのは「わたし」である点が違いでしょう。 尊敬語という解釈が、わたしにはよくわかりませんでしたが、 >つまり最高の敬意を受けるに価する人は「給ふ」動作を自らはせずに、従者にさせるのが例であるから「(動作を)おさせくださる」と表現する事によって、単なる「給ふ」より一段と厚い尊敬の表現としたものである。〉 : という引用文をお示しいただき、興味深く拝見しました。 この論理は非常に面白いですね。筋が通っています。 「せさす→さす(させ)」の変化についても詳しく教えていただき、大変参考になりました。 ただ、「給う」などの尊敬語と併用しないと(直接的な)尊敬の意を表するには無理があるような気もします。 よくわかりませんが、この点に関しては、今回は保留にしたいと思います。 とはいえ、「~にさせてください」と頼むのは、相当の力を持っていると認定している相手である必要がありますから、その意味ではある意味の、言ってみれば暗黙の敬意とでもいったものが背景にあるということは言えるのかもしれません。 いずれにしても、「古文的な表現なので今では違和感を覚える」ということではないような気がします。 #5さんの例を借用しますと、 ・医学部を受験したい息子が、反対している父親をさんざ説得したあげく、 「父さん、頼むから僕を医者にさせて下さい」 というシチュエーションは、よくあると思うのです。 「お父さんは経済学部に行けと言いますが、僕は一生懸命勉強して医学部に受かりたいと思っています。そして医者になりたいのです。しかし、お父さんが反対したままでは医学部に行って(自分の力で)医者になることができません。どうか、それができる環境を整えて(=反対しないで)ください」 というニュアンスです。 ここは「医者にしてください」で置き換えることはできないでしょう。 「裏口入学のお金を出してよ(=自分の努力無しに、一方的に相手に頼って望みを叶えたいという意図)」というシチュエーションで使われる表現になってしまうと思います。
補足
お礼欄の表現が一部不適切でしたので次のように訂正いたします。 × 「(人などを)~にする」という用法が辞書にはあるわけですから、その使役形も可能なのはたしかでしょう。 ○ 「(人などを)~にする」という用法が辞書にはあるわけですから、その使役形も可能なのはたしかだと思っていましたが、明確にお示しいただき、大変参考になりました。