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魔法使いにさせてくださいは誤りか
- 「魔法使いにさせてください」と「魔法使いにしてください」では意味が微妙に異なり、それぞれどちらも正しい表現だと思う。
- 「魔法使いにしてください」は、純粋に願い事をしているニュアンスであり、「魔法使いにさせてください」は自分で魔法使いになりたいと思っているニュアンスである。
- 「魔法使いにさせてください」とは、自分で自分を変えさせてほしいという意味であり、自力を使って魔法使いになりたいというニュアンスが含まれている。
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一読すると間違いのように感じ、ゆえに原文はわざと間違った文をそのまま引用する事で子供っぽさを出そうとしているように考えられました。しかし一方ではこれは何か見慣れた表現だなという直感もわいてくるのです。 「魔法使いにしてください」の「する」は「~にする」で、「ある職業、身分に就かせる」という意味ですね。 「魔法使いにさせる」という文章がありかどうかですが 口語 スル の未然形 サ に使役の助動詞 セル が付いたとするならば 「魔法使いにスル」に使役の助動詞 セル をつけて「魔法使いにサセル」 で間違いではないですね。 この使役がおかしくないかという意見はあると思いますが、相手が神様なので尊敬語としての サス サセル は古文ではおなじみ、現代でも神様などでは使う事がある表現で、「神よ私の望みをかなえさせたまえ」「ねがわくは御名(みな)をあがめさせたまえ。み国を来らせたまえ。(キリスト教礼拝)」などという形で今でも時々見かけます。 使役の サス が尊敬語として使われる説明が岩波の古語辞典にありましたので引用します。 〈 「す」「さす」は「たまふ」「おはします」などと複合して、神・天皇・皇族などの行為に対する厚い尊敬を表わす事があった。これは「たまふ」「おはします」などという尊敬語に、さらに使役の形による尊敬を加えて「(誰かに)おさせになる動作をくださる」の意を表わす物である。つまり最高の敬意を受けるに価する人は「給ふ」動作を自らはせずに、従者にさせるのが例であるから「(動作を)おさせくださる」と表現する事によって、単なる「給ふ」より一段と厚い尊敬の表現としたものである。〉 というわけで、「古文的な表現なので今では違和感を覚える」表現ということではないでしょうか。 古文的に書くならば 「神様、私を魔法使いにせさせ(させ)たまへ」であって、これなら間違いとは思わないのでは。 「せさせ」について 広辞苑に 動詞[下二段]として 〈サ変動詞スの未然形セに使役の助動詞サスのついたセサスが約まってサスとなったもの。助動詞サスと同様に、下二段活用から時代を降るにつれて四段・下一段活用に転ずる傾向を示す。〉 というのをみつけました。 で、使役の意として 「御前の朽ち木に生ひたるくさびらども羹(あつもの)にさせ」という例文が載っています。 「主の祈り」の現代語訳について http://www.seigakuin-univ.ac.jp/scr/lib/lib_ronso/contents/doc5_3/18.pdf
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- trgovec
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使役や(今回は関係ありませんが)受け身は間違えやすいものです。子どもだけでなく大人でもうっかり間違ってしまうことがあり、それでも前後の流れから内容は伝わり誤解に至らないことが多くあります。 この場合、子どもの発言をそのまま載せた可能性が高いと考えます。文法的な誤りは訂正されることも多いのですがそれに気づかなかったのか、それとも「原文」として尊重したのか(「原文ママ」と入れるようなケース)は分かりません。 >「魔法使いにしてください」は、文面どおり「わたしを魔法使いという身分にしてください」という意味で・・・(1) >「魔法使いにさせてください」は、「わたしは自分で魔法使いになりたいと思っています。わたしが何か呪文でも唱えると、自分自身を魔法使いという身分に変身させることができる、そういうことができる状態にしてください」というニュアンスで・・・(2) 便宜上番号を打たせていただきます。 (1)の「してください」は「しろ/せよ」を丁寧に言ったもので、もとは「する」。AをBにする(変える)ということなので「あなた(=願いを叶えてくれる存在)が僕を魔法使いに変える」を丁寧な命令文にしたものであり、おっしゃる通りのことと思います。 (2)確かに話の流れの中では通じるし、“指摘したくなるような誤り” とは言えないようです。ではこれはどうしてかを考えていくと説明のしにくいことが現れます。 「させてください」は「させろ」を丁寧に言ったものでもとは「させる」です。「させる」は使役で「人にさせる」であり、「人に」は文脈から明らかであれば、他者でも自分でも省略可能。願い事という以上、「魔法使いに」が他者であるはずがなく「僕に」が省略されているとか考えられない。 そこで、「わたしは自分で魔法使いになりたいと思っています。わたしが何か呪文でも唱えると、自分自身を魔法使いという身分に変身させることができる」を一言で言うにはどうするかと考えると、それが思いつきません。「魔法使いになる」は単純過ぎ、また自分の能力というニュアンスが強く出るように感じます(この場合「ならせてください」となるでしょう)。セオリー通りに考えると「(僕が)魔法使いにする」がそういう意味を持ってしまうことになりますがそんなことはありません。「僕が僕(自身)を魔法使いにする」の目的語「僕(自身)を」を省略したもの「(僕に僕自身を)魔法使いにさせてください」と考えるのもこじつけのようです。 また、この願いから丁寧さを取り除いたらどうなるか。「魔法使いにしろ」は通じますが、「魔法使いにさせろ」が果たして意図した意味に通じるかは非常に疑問です。自分以外の他者である魔法使いにさせる Let/Make the wizard do it! の意味にしかならないと思います。 つまり、(この手のお願いは多少なりとも他力本願であるものですが)「魔法使いにしてください」はあまりに他力本願な響きがあり、「ならせてください」は何となく使いにくい(考えてみればあまり聞いたこと、見たことがありません)、「なりたいのですが、どうかお願いします/許可してください」を簡潔に言おうとして発生した表現ではないかと思われます。「(になるためにすべきことを)させてください」とも、また「させていただく」の丁寧なニュアンスが影響を与えたとも考えられます。丁寧さが要求されるので「させろ」はなじみません。 結局のところ、適当な簡潔な言い方がないためそこを埋めるべく発生したもので、分析すると誤りとしか言いようがないが、しかし現実には通用するものと言えるでしょう。 初めに戻りますが、件の小学生がこういうニュアンスの差を考えてこの表現を選んだとは考えにくく、単なる間違いか、あるとしても何となく丁寧にしようとして「させて」が入ってしまったくらいに考えます。 新聞の記事としてはやはり何らかの訂正を施すか、原文を尊重した旨を付け加えるべきであったと思います。メディアというものはそれがどんなに批判すべきところがあっても文字や音声になって広まるとそれが「お手本」になってしまう可能性があります(主張や内容に対する批判は起きてもそこで使われた言葉自体は受け入れるつもりはなくても広まってしまうものです)。現に違和感を覚える人がいるということはそういう表現を広めるべきではない、紙面に載せていいのか検証する必要があると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >そこで、「わたしは自分で魔法使いになりたいと思っています。わたしが何か呪文でも唱えると、自分自身を魔法使いという身分に変身させることができる」を一言で言うにはどうするかと考えると、それが思いつきません。 : 率直なご意見をありがとうございます。 「自分で自分を~にさせてください」という思考法が不自然だとお感じになっているのだと思います。 しかし、たとえば、「山で遭難したが、自分で自分を励ましつつ1週間を乗り切った」という表現は自然にお感じになるはずです。 若干異なりますが、「励ます自分」と「励まされる自分」、二人の自分がここでは想定されていることになります。 他では、「自分に言い聞かせる」は「自分が自分に言い聞かせる」という意味でしょう。「誰が自分に言い聞かせたのか?」などという突っ込みを入れる人は居ないはずです。 「魔法使いにさせてください」も、これと似ています。 「あなた(=神様など)の力で、わたしがわたしを魔法使いにすることができるようにさせてください」 といったニュアンス。 この小学生は、「わたしは魔法使いになりたい」と自ら願っている場面を想像しながら願い事を(実際にどうかは別にして)した、と考えると理解しやすくなるように思います。 >丁寧さが要求されるので「させろ」はなじみません。 : 他にも、同じようなご指摘がありましたが、丁寧語とは無関係ですし、それと混同しているわけではありません。 >現に違和感を覚える人がいるということはそういう表現を広めるべきではない、紙面に載せていいのか検証する必要があると思います。 : わたしは新聞をとってませんし、朝日の肩をもつわけじゃないんですが、違和感を覚えるというのは、おそらく、理屈で考えてしまうからではないか、と思います。 理屈で考えると、たとえば、「なぜか踊りたくさせる阿波踊り」という表現はおかしいと言う人が出てきたりします。 自分が踊りたくなっただけで、誰か他の人に踊りたくさせられたわけじゃないだろう、という理屈です。 ただ、阿波踊りの音楽や、笛や太鼓の音などによって、踊りたいような気持ちにさせられる、というだけのことなのですが、それが目に見えないために、「なぜか踊りたくなる阿波踊り」という表現じゃないとイカン、ということになってしまうわけです。 ちょっと脱線してしまいましたが、要するに、「魔法使いになりたいと唱える自分」をこの小学生は夢見たのでしょう。 結果的に、その(自分自身の)願いごとによって「魔法使いにさせられる(現時点ではまだ目に見えていない、もう一人の)自分」も同時に想定されているわけです。 そうした一連の流れを思い浮かべつつした表現が「魔法使いにさせてください」だと思います。 子供の想像力という点で、こちらのほうがむしろ自然な表現になるように思います。
- phobos
- ベストアンサー率49% (515/1032)
『天声人語』の例で言えば確かに「魔法使いにして下さい」の表現が簡潔だとは思いますが、「魔法使いにさせてください」も実際にもよく使われる表現であり、どちらも正しい、と私も考えます。 質問者さんが挙げられた「魔法使いにさせてください」と「魔法使いにしてください」のニュアンスの違いについても、全く同感です。 質問者さんが挙げた「お金持ちにさせて下さい」と同じような例を私も考えて見ました。 例えば……医学部を受験したい息子が、反対している父親をさんざ説得したあげく、 ・「父さん、頼むから僕を医者にさせて下さい」 ……これなどは全く違和感がないと思います。これが ・「父さん、頼むから僕を医者にして下さい」 では、ドラ息子が親に泣きついているようで、意味合いがかなり違ってしまいます。 「魔法使いにさせてください」の表現に違和感を覚える方は、「~する」「~させる」の使い方として「仕事をする」「仕事をさせる」などの用法だけにこだわっているのではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 医者の例はわかりやすいです。 「父さん、頼むから僕を医者にして下さい」の場合、「裏口入学の金を払ってよ」といったニュアンスでしょうね。 #4さんへのお礼欄でも述べたのですが、「してください」が一方的に相手に頼るというニュアンスになるのに対して、「させてください」は、自分の願望を叶えるための努力はあくまで自分でするが、そのための環境を整えてほしい、という願いごとだというニュアンスになるということを、改めて検証していただいたと思います。
- Nebusoku3
- ベストアンサー率38% (1464/3823)
魔法使い。。。。 と お金持ちに。。。 のご説明で微妙な意味の違いが よく分かりました。 正確には 願い事であれば 「して下さい。」 が直接的で正しいようですが、 現在はかなり混同がすすんでいる様ですね。 「説明します」 も 「説明させて頂きます」 が普通に聞こえてしまうし、「説明いたします」 でいいのではと思ったりもします。 社会での使用が混同している状態でも学校では可能な限り、原則となる言葉を教えていった方が良いと思います。 現実的にはどちらも通じますね。 蛇足ですが 魔法使いにしてください(させて下さい) のくだりから テーブルタップの差し込みを自分のコンセントに入れてエネルギーを得ようという試みを想像します。 以上、蛇足でした。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >正確には 願い事であれば 「して下さい。」 が直接的で正しいようですが、 : そうですかね・・・。 「お金持ちになるために、色々な努力をする覚悟はあります。しかし、そちらの認可がおりないと、わたしの計画は前に進みません。どうか、わたしをお金持ちにさせてください」というシチュエーションは結構あると思いますし、やはり、ここは「お金持ちにさせてください」でなくてはならないと思うのですが、この場合でも、「お金持ちにしてください」のほうが適切だと思われますか。 「~になる」ということに関する願い事なわけですが、相手の力に一方的に頼って叶えようとしているのか、自分の力で叶えるつもりだが、そのための環境を整えてくださいという願いごとなのか、という違いは現実的な局面として普通に生じているように思います。 わたしたちは無意識的にそれを使い分けているはずなのですが、何しろ無意識のことなのでなかなか気づきにくい面がある、ということではないでしょうか。 >テーブルタップの差し込みを自分のコンセントに入れてエネルギーを得ようという試み : 回りくどいことをしている、という意味だと思うのですが、実際問題としてわたしたちの心理は、そのように動くことがあると思います。 たとえば、「自分自身を勇気付ける」「自分自身に言い聞かせる」などという表現があるでしょう。 このように、行為者としての自分と行為を受ける側の自分という二人の自分を想定した考え方は、むしろ自然だと思いますがいかがでしょうか。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
こんばんはhakobulu様。たびたびお世話になっております。 少しばかり、ご質問の趣旨とは異なるかと存じますが、それをお含み置きのうえで、お気に召さねば削除を依頼してください。 さて、結論からいえば「魔法使いにさせてください」との表現を僕は自然だと解釈しております。この言葉が「物語の文章」中にあったとするなら、そこにはこの話し手の叶わぬ願い(英語ならば仮定法の表現)とも受け止めることも可能だからです。 普通の人間が、自らの能力とはかけ離れた望みを願う時、私たちはどうするでしょう。たとえ少しでも1パーセントでも可能性が残されていると信じたい、その一方で冷静に考えてみるならば、それはどうにも不合理である。そして自分自身もそれに気付いていながら、でもその理不尽な願いを叶えてはもらえないだろうか、誰かに聞き届けてもらえないだろうかとのそれこそ一縷の望みを託す。そのためのチャンスを一度だけ与えてはもらえぬだろうか、とのまことに切ない言葉ではなかろうか、と感じています。 見果てぬ夢を叶えるなら、他の全てを失っても構わない、それほどの覚悟がなければこうした言葉が輝きを放つことはないでしょう。 冷静なロジックも必要ですが、言葉に魂を吹き込むのはやはり読み手と話し手、あるいは聴き手の感性に最後は頼らざるを得ない。もしロジックだけで読み解くなら、それは言葉をパターン分類するだけの記号論的な処理になってしまいかねないとの危惧を持っています。そしてその感性を支えるには文法というより論理といった歩法が適切かもしれませんが、何らかの形で担保することにより、それを揺らぎないものとするだけの根拠にもなる。 仏造って魂入れず、との言葉もあります。仏の姿を燃した木像や金銅性の塊を持仏道堂安置しても、果たしてそれが仏といえるだろうかとの疑問もあります。たとえそれが柊の枝や鰯の頭であっても、何かしらの願い事を一心不乱に願う人にとっては有り難い存在ともいえましょう。仏像の本質が仏の慈悲を求め、仏の徳を讃えるためのものであるなら、僕はそうした手近なものを仏の姿に擬えるとの考え方も強ち間違いであるとはいえないと理解して居ます。 文脈の中で言葉を読まねば、その言葉も生命を失ってしまう。それでは言葉に対し非礼を働いているのではなかろうかとも考えます。 取り留めのない話になって申し訳ありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 興味深く拝見いたしました。 参考にさせていただきます。
- cxe28284
- ベストアンサー率21% (932/4336)
こんばんは。まだこだわっていらっしゃいますね。 私には、させてくださいが、不自然には聞こえません。、 魔法使いが単なる名称ではなく、魔法が使えるという中身があるからだと思います。 そうすると、私が魔法を使えるようにさせてください。という ヘリくだっって願う云い方だとおもえるからです。 でも人の感じ方ってさまざまですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >そうすると、私が魔法を使えるようにさせてください。という ヘリくだっって願う云い方だとおもえるからです。 : それほど思い入れの深い場合に使う、ということですね。 参考にさせていただきます。
- chie65536(@chie65535)
- ベストアンサー率44% (8740/19838)
「~~にさせてください」と言う表現は、誰かに何らかの行為を行わせたい時に使用する表現です。 例: 「この魔法は、西の森の魔法使いなら解けるので、魔法を解くのは、西の森の魔法使いにさせてください」 この文例では「誰かが西の森の魔法使いになってしまう」なんて事は起きません。西の森の魔法使いは「すでに居る」のです。 なので、新聞の表現、貴方の表現は、使い方が間違っています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「~~にさせてください」と言う表現は、誰かに何らかの行為を行わせたい時に使用する表現です。 : その用法もありますね。 この場合は「させる(する)」は、「何らかの行為をさせる(する)」という用法になると思います。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%99%E3%82%8B&dtype=0&dname=0na&stype=1&pagenum=1&index=10062800 の2-(1)、または2-(2)に該当するでしょう。 今回の場合、同辞書の2-(3)にある『(多く「…を…にする」「…を…とする」の形で)人や物事を今とはちがった状態のものにならせる。』 という用法になります。 「息子を先生にする」「彼を会長にする」などという例が挙がっているようです。 ご投稿の例文になぞらえれば、 「この難問は、森の魔法使いになれば解けるので、わたしを森の魔法使いにさせてください」といったところでしょうか。 「すでに居る」人が何かを「する」というのではなく、「人を何かにする」という用法の「する」についてお伺いできれば幸いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >口語 スル の未然形 サ に使役の助動詞 セル が付いたとするならば 「魔法使いにスル」に使役の助動詞 セル をつけて「魔法使いにサセル」 で間違いではないですね。 : 「(人などを)~にする」という用法が辞書にはあるわけですから、その使役形も可能なのはたしかでしょう。 #5さんなども質問者さんと同様のご指摘をされていますが、「させる」という言葉をひとつの使役の単語としか捉えない方が誤解なさるのだと思います。 おっしゃるような「せる」という使役の言葉があることを失念しているために、「魔法使いにさせる」という使役形は間違いだ、ということになってしまうのでしょう。 >「神よ私の望みをかなえさせたまえ」 : これもわかりやすい例を挙げていただいたと思います。 「かなえたまえ」でも結果は同じはずですが、これでは一方的な神頼み、ということになってしまいます。 「かなえさせたまえ」とすることで、「わたしは一生懸命努力して祈りますが、祈ることによって望みが叶うような状況を整えてください」といった意味が可能になるわけですよね。 あくまで望みを叶えるのは「わたし」である点が違いでしょう。 尊敬語という解釈が、わたしにはよくわかりませんでしたが、 >つまり最高の敬意を受けるに価する人は「給ふ」動作を自らはせずに、従者にさせるのが例であるから「(動作を)おさせくださる」と表現する事によって、単なる「給ふ」より一段と厚い尊敬の表現としたものである。〉 : という引用文をお示しいただき、興味深く拝見しました。 この論理は非常に面白いですね。筋が通っています。 「せさす→さす(させ)」の変化についても詳しく教えていただき、大変参考になりました。 ただ、「給う」などの尊敬語と併用しないと(直接的な)尊敬の意を表するには無理があるような気もします。 よくわかりませんが、この点に関しては、今回は保留にしたいと思います。 とはいえ、「~にさせてください」と頼むのは、相当の力を持っていると認定している相手である必要がありますから、その意味ではある意味の、言ってみれば暗黙の敬意とでもいったものが背景にあるということは言えるのかもしれません。 いずれにしても、「古文的な表現なので今では違和感を覚える」ということではないような気がします。 #5さんの例を借用しますと、 ・医学部を受験したい息子が、反対している父親をさんざ説得したあげく、 「父さん、頼むから僕を医者にさせて下さい」 というシチュエーションは、よくあると思うのです。 「お父さんは経済学部に行けと言いますが、僕は一生懸命勉強して医学部に受かりたいと思っています。そして医者になりたいのです。しかし、お父さんが反対したままでは医学部に行って(自分の力で)医者になることができません。どうか、それができる環境を整えて(=反対しないで)ください」 というニュアンスです。 ここは「医者にしてください」で置き換えることはできないでしょう。 「裏口入学のお金を出してよ(=自分の努力無しに、一方的に相手に頼って望みを叶えたいという意図)」というシチュエーションで使われる表現になってしまうと思います。
補足
お礼欄の表現が一部不適切でしたので次のように訂正いたします。 × 「(人などを)~にする」という用法が辞書にはあるわけですから、その使役形も可能なのはたしかでしょう。 ○ 「(人などを)~にする」という用法が辞書にはあるわけですから、その使役形も可能なのはたしかだと思っていましたが、明確にお示しいただき、大変参考になりました。