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詩
おもいおもいに、一つ詩を吟じていただけないでしょうか。 哲学思索に精の出る皆さんから、どのような言葉が紡ぎ出されるのか。 良ければおつきあい下さい。
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誰もいない 駐車場の片隅の草むらに そっと咲いている 姫女苑の花 膝ほどの高さにも 風は来て揺れている はにかんだ乙女のように すこしだけ見ていてね ・ ・ と立っている 幾つかは ほんのりとした紅も混じえて 小さな白い重なりが揺れている 庭の紫苑には およばず なれず 活けられる事もない 刈られても またいつか咲く白い花 このままでも と思うのに 分け入らず見ていた 草むらの 招かれて聞いた 花のつぶやき 見ていてね ・ ・ と ちょっと笑って ちょっと淋しい 乙女の言葉 きっと 話したかったんだろう 小さな笑顔を 誰かに見せたかったんだろう 刈られる前に 一度は そうしたかったんだろう また 来るよ いつか ここへ
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- 阿加井 凛悟(@neutral)
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こんばんわ、雨音語らいさん。 おいらも今 詩を吟じる気力がないのんで、 お気に入りの詩を3つほど。 ___________ ◇奈々子に 赤い林檎の頬をして 眠っている奈々子。 お前のお母さんの頬の赤さは そっくり 奈々子の頬にいってしまって ひところのお母さんの つややかな頬は少し青ざめた。 お父さんにもちょっと酸っぱい思いがふえた。 唐突だが 奈々子 お父さんはお前に 多くを期待しないだろう。 ひとが ほかからの期待に応えようとして どんなに 自分を駄目にしてしまうか。 お父さんははっきり 知ってしまったから。 お父さんが お前にあげたいものは 健康と 自分を愛する心だ。 ひとが ひとでなくなるのは 自分を愛することをやめるときだ。 自分を愛することをやめるとき ひとは 他人を愛することをやめ 世界を見失ってしまう。 自分があるとき 他人があり 世界がある。 お父さんにも お母さんにも 酸っぱい苦労がふえた。 苦労は 今は お前にあげられない。 お前にあげたいものは 香りのよい健康と かちとるにむづかしく はぐくむにむづかしい 自分を愛する心だ。 ___________ ◇わたしを束ねないで わたしを束ねないで あらせいとうの花のように 白い葱のように 束ねないでください わたしは稲穂 秋 大地が胸を焦がす 見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂 わたしを止めないで 標本箱の昆虫のように 高原からきた絵葉書のように 止めないでください わたしは羽撃(はばた)き こやみなく空のひろさをかいさぐっている 目には見えないつばさの音 わたしを注(つ)がないで 日常性に薄められた牛乳のように ぬるい酒のように 注がないでください わたしは海 夜 とほうもなく満ちてくる 苦い潮(うしお) ふちのない水 わたしを名付けないで 娘という名 妻という名 重々しい母という名でしつらえた座に 座りきりにさせないでください わたしは風 りんごの木と 泉のありかを知っている風 わたしを区切らないで ,(コンマ)や .(ピリオド) いくつかの段落 そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章 川と同じに はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩 ___________ ◇自分の感受性くらい ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志しにすぎなかった 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
お礼
素晴らしい詩をありがとうございます。 特に二つ目は多いに共感もしました。 ゆっくり読みたいとおもいます。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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このご質問と回答者のみなさんに対してイチャモンをつけるようにして叩いているのは 次の投稿内容から分かるように それはわたしへの文句があるということだと思います。そしてそれは もう数年来のことです。 【Q:《信じる》を哲学として定義せよ】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8081389.html その回答No.3 その叩きの場となっている質問へはわたしはブロックされていて 投稿できませんので この場をお借りするかたちでひとこと述べたいと思いました。 いわゆるアラシをその人が わたしからほかの皆さんにも広げて行ったとすれば 問題は別の局面にすすんだことになりますが そうでなければ・そしてやはりそうであっても 矛先はわたし・ぶらじゅろんぬの方に向けてくれたまえと その人に言っておきたいと思います。 次のうたのように わたしが自己自身の内にとどまっておれば――もう外へ向けての情熱を取り戻すこともなかったならば―― アラシは来なかったのでしょうけれど それ(みづからの内におけるとどまり)はかないませんでしたので アラシを引き受けたい・つまりこれまでも そうして来たように 引き受けて行きたい。こう思います。 花びらのように よろしい きみの言葉を信用しよう その個性を注目したわけではない きみという身元のわからないひと 少し前から ずっと前からそこにいた いま見つけたのだ 言葉たちが 広大の内なる海を語っているからではなく かすかなさざ波に託して かのじょたちが 外なる亜大陸に信書を寄せているから 和親でなくとも 何の布告を発していなくとも その海をきみが受け入れたとき 新しい世紀が始まったのだ きみについて語ろう きみの海が閉じており いまだ芽吹かずとも その無秩序の水源が 遠い岸を 幻影のうちに取り巻いている きみについて語ろう * きみは泳ぐことをやめたようだ いま ひとつの大きな毬となって 浸りきっていた横町の構造に 花びらのように接しているのだ きみのなかの 沈黙も喧噪も きみの言葉が たとえ海の豊かさを奏でなくとも 原初の日常のさなかの 語らなくてもよいもの 嵐のような貧しさだけを 発見の種族を語っていさえすれば ぼくはきみの位置について語ろう きみの魅惑的な貧窮について語ろう
お礼
ご回答ありがとうございます。 詩人に成り切っていますね^_^ ゆっくり読ましていただきます。 いま起こっている事態についてはいずれまた静かになると思いますので、静観しております。ご迷惑おかけいたしました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
あえて・わざと・出しゃばって センチメンタルなものをひとつ。 〈STRANIERI〉 目の鮮やかなサルタンバンコ 三角帽子のサルタンバンコ トビリシはどうだった? 次はトラブゾンかい? サルタンバンコの口紅が舞って サルタンバンコの微笑みが揺れる 馬車の家のサルタンバンコ 車輪が軋むよ サルタンバンコ 弟が泣いているよ サルタンバンコ 継母が怒っているよ サルタンバンコ 顎が綺麗だ サルタンバンコ ミニが素敵だ サルタンバンコ 悉曇文字のお通りだ 雨は嫌いだ サルタンバンコ 踊る幌の中で 明日の心を占っておくれ サルタンバンコ おまえの耳輪が傾いて おまえの黒髪が回るよ ごらん あれがロードスだ 海の向こうに 年が明ければ いるよ さあ 馬車を降りて サルタンバンコ ごはんにしよう 鼻の大きなサルタンバンコ サルタンバンコのマントは小さい ベルガモの城は 懐かしいだろ 明日はウシュクダラまで走るか サルタンバンコの頬が染まる 真赤な夕陽に サルタンバンコ 明日の心はもう出たかい?
お礼
サルタンバンコとは踊り子のことでしょうか。何処と無く哀愁の漂う、しかし大きな風景を想起させるような詩でした。ありがとうございます。
補足
この欄をお借りして、みなさんにお伝えしたいことがあります。 とある質問者によって、この質問が叩きにされてしまったようです。 せっかくご回答いただいた皆様に不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。 私が当の当事者になるのですが、例の質問者にはブロックされておりまして、直接の釈明はできかねる状況でございます。申し訳ありません。 私はその質問者とは特に関わり合いはないのですが、どういうわけか癇に障ってしまったようです。皆様も、ほどほどの関わり合いにして、あまり疲弊しないでください。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
苦しみも悲しさも 喜びも楽しさも すべては我が成長する糧なり すべてが必要 すべて善きこと
お礼
肯定的ですね、とびきり。 全てを糧にできるような生き方が、善く生きることなのかもしれませんね。
みなさん、素晴らしい。詩人なのですね・・ 言葉が湧いてこないので、好きな詩(?)を紹介します。 「民主主義」という言葉が、政治家のまやかし(嘘)や現実遊離した知識人にねじまげられてしまったと感じる、この頃・・戦後の白いキャンパスに描かれた「原点」に新鮮さを感じます。 (長文なので、抜粋を紹介) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 美しい夜であった もう二度と 誰も あんな夜に 会うことは ないのではないか 空は よくみがいたガラスのように 透きとおっていた 空気は なにかが焼けているような 香ばしいにおいがしていた どの家も どの建物も つけられるだけの電灯をつけていた それが 焼け跡をとおして 一面にちりばめられていた 昭和20年8月15日 あの夜 もう空襲はなかった 確実に夜が明け 確実に日が沈んだ じぶんの生涯のなかで いつか 戦争が終るかもしれない などとは 夢にも考えなかった 戦争がないということは それは ほんのちょっとしたことだった たとえば 夜になると 電灯のスイッチをひねるということだった たとえば ねるときには ねまきに着かえて眠るということだった 生きるということは 生きて暮すということは そんなことだったのだ 戦争には敗けた しかし 戦争のないことは すばらしかった 軍隊というところは ものごとを おそろしく はっきりさせるところだ そのころ 葉書は 一銭五厘だった 兵隊は 一銭五厘の葉書で いくらでも召集できる という意味だった そうか ぼくらは一銭五厘か そうだったのか 〈草莽(そうもう)の臣〉〈陛下の赤子(せきし)〉〈醜の御楯(みたて)〉 つまりは 〈一銭五厘〉 ということだったのか そういえば どなっている軍曹も 一銭五厘なのだ 一銭五厘が 一銭五厘を どなったり なぐったりしている 貴様らの代りは 一銭五厘で来るぞ とどなられながら 一銭五厘は戦場をくたくたになって歩いた へとへとになって眠った 一銭五厘は 死んだ 一銭五厘は けがをした 片わになった 一銭五厘を べつの名で言ってみようか <庶民> ぼくらだ 君らだ いま 日本中いたるところの 倉庫や物置きや ロッカーや 土蔵や 押入れや トランクや 金庫や 行李の隅っこのほうに ねじまがって すりへり 凹み欠け おしつぶされ ひびが入り 錆びついた 〈主権在民〉とか 〈民主々義〉といった 言葉のかけらが 割れたフラフープや 手のとれた だっこちゃんなどといっしょに つっこまれたきりになっているはずだ おやじも おふくろも じいさんも ばあさんも ひいじいさんも ひいばあさんも そのまたじいさんも ばあさんも 先祖代々 きさまら土ン百姓といわれ きさまら町人の分際でといわれ きさまら おなごは黙っておれといわれ きさまら虫けら同然だといわれ きさまらの代りは一銭五厘で来るといわれて はいつくばって暮してきた それが 戦争でひどい目に合ったからといって 戦争にまけたからといって そう変わるわけはなかったのだ さて ぼくらは もう一度 倉庫や物置きや机の引出しの隅から おしまげられたり ねじれたりして 錆びついている〈民主々義〉を 探しだしてきて 錆びをおとし 部品を集め しっかり組みたてる 民主々義の〈民〉は 庶民の民だ ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ 人間が 集まって暮すための ぎりぎりの限界というものがある ぼくらは 最近それを越えてしまった それは テレビができた頃からか 新幹線が できた頃からか 電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか とにかく 限界をこえてしまった ひとまず その限界まで戻ろう 戻らなければ 人間全体が おしまいだ 企業よ そんなにゼニをもうけて どうしようというのだ なんのために 生きているのだ 今度こそ ぼくらは言う 困まることを 困まるとはっきり言う 葉書だ 七円だ ぼくらの代りは 一銭五厘のハガキで 来るのだそうだ よろしい 一銭五厘が今は七円だ 七円のハガキに 困まることをはっきり書いて出す 何通でも じぶんの言葉で はっきり書く お仕着せの言葉を口うつしにくり返して ゾロゾロ歩くのはもうけっこう ぼくらは 下手でも まずい字でも じぶんの言葉で 困まります やめて下さい とはっきり書く 七円のハガキに 何通でも書く ぽくらは ぼくらの旗を立てる ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない ぼくらの旗のいろは 赤ではない 黒ではない もちろん 白ではない 黄でも緑でも青でもない ぼくらの旗は こじき旗だ ぼろ布端布(はぎれ)をつなぎ合せた 暮しの旗だ ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し台や屋根に立てる 見よ 世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 見よぼくら一銭五厘の旗 (花森安治) 全文: http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/publication/hanamoriyasuji.html 現代の「一銭五厘」は、使い捨て労働者とも言えるかな。 ところで、ここは哲学カテですか? 劇場化&ゲーム化に陥り、話題が劣化したような・・。 共感があったとしても、他人を支配せず、自分も支配されない態度が大切なのかもしれませんね。幻想が独り歩きして、多数に共有されると、本人から離れてしまった影は、共同幻想になってしまうのかも。
お礼
こんにちは。 強い詩ですね。私などはその迫力に圧倒されてしまいます。しかし読んでいると、怒りを共有するような気持ちになって来ました。御回答有り難うございます。 >ところで、ここは哲学カテですか? 劇場化&ゲーム化に陥り、話題が劣化したような・・。 すいません。。私などはズブの素人なので、少し息抜きに、詩でも、、と思った次第です。大目に見てやってくださいm(_)m
「年収100万円世代の歌 ーユニクロの社長に捧ぐ」 http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130411/246495/?rt=nocnt 私の人生で無意味なこと、 それは音楽を聴くこと、 おいしいものを食べたいと思うこと、 本を読み、ものを考え、 家庭を持ち、子供を育てたいと思うこと。 私の人生で有意義なこと、 それは機械のようにルーティン化した暮らしを送り、 ただ栄養剤をちゃんと飲んで保険の審査に合格し、 老衰が起きる前に死亡し、 保険金を老いた両親に残してやること。 私たちに、あらゆる宗教が教えるべきこと。 生きているのは無意味である。 しかし死ぬのも無意味である。 だから生きても死んでも、どちらでも構わない。 なら、生きていようではないか! 私たちの世代は「眠りの世代」だ。 睡眠時間を削って働く者は、ゆっくり眠ることを夢にみて、 低所得者は、カロリーが足りなくて虚脱感のあまり眠り込み、 解雇されたものは憂鬱のあまり一日を眠る。 誰が目覚めていられよう? おお、心臓はむしり取ってしまえ、 知性は放棄し、よく見える目は潰せ、 生殖器はむしり取ってしまえ、 子を残してはならない、 不幸の種をまくことになるからだ。 おお、私たちを家畜にするがよい、 その覚悟はできている。恋もせず、与えられた餌のみを食べよう。 管理者がくれば、喜んで身を差し出し、売春もすれば、臓器も売ろう。 だが家畜にだって、相応の配慮をするものではないのか。 残しておいてもらいたいものだ、 一つの夢を。それは自分たちが生まれてきた意味があるということ、 食べられたとしても感謝されて食べられるのだということ、 仕事をして他人のために役に立てたという満足があるということ。 だがそれさえも、今は許されていないのだ。 あるのはただ、廃棄処分場で見上げる錆びた空と、何者かの高笑いのみ!
お礼
おもしろかったです^_^ どこか劇画チックで、悲壮感を演じるような、そんなユーモアを感じました。こういう詩もありですね。
補足
補足ではないですが、この欄に少しお返しの詩を書こうと思います。 この世は所詮 椅子取りゲーム あらかじめ少ない座席しか用意せず 競わせることで 喧しく世間を掻き立てる 静かに暮らしたいだけの者の究極は ゲームをやめてしまった ゲームをやめてしまった うるさい生活を離れたいと望む者達は ゲームを降りてしまった ゲームを降りてしまった ほら、椅子の数はちょうど良くなっただろう? どこか興ざめしたゲームのポスト争いは さぞ後ろめたいことだろう さぞ後ろめたいことだろう
下を向いた紫陽花の 折れた茎を そっと持てば 花の重さが分かる 悪い風が吹いたんだろう まだ咲きつづける紫陽花の色は 折れても変わらない すこしだけ地面にふれた 葉っぱと花は 薄く汚れている どこかで見た顔のように 汚れている 折れた枝を 上にある枝に絡めて これでどうだ と言ってみても 汚れた花は黙っている 泥を払って見上げれば 大きな花の毬が微笑んでいる 七変化の微笑みのつづきを また見に来よう 折れた花に また挨拶をしよう 雨が降ったら 何て言うだろう ・ ・
お礼
とてもいいです。こういう詩を聴けて嬉しいです。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
#1の者です。 先の書き込みは、僕としては精一杯詩的に表現した つもりですが、「いつもと同じ」でしたか? それでは、僕より詩才のある知人(ただし一方的)の ケンちゃんの詩の一節をおわびに; 【宮沢賢治/農民芸術概論綱要・序論より】 おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった 近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない 自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか 新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある 正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である (全体は下記に) http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html
お礼
ケンちゃんですか、ふふ^_^ 最後の、求道すでに道であると言う一説、力強く感じると同時に、宮沢賢治の人生を思うと、どこか、無い力を振り絞るような迫力も感じました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
華のにほひの 最もわたくしなるもの が語るもの ふたたび レアリテをくどくもの 書物を生きるのも わたくしが 書信をささやくのも おおいなる 物語りよいかれ おおやけなる 組み込まれる 和歌よ しかも匂え 歪みを彩る 最もわたくしなる 華のにほひの
お礼
いいですね。付き合ってくださりありがとうございます。 じっくり鑑賞しますね。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
好きな詩でも良いんですか? 私には詩才などありませんので。 ♪ まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき たのしき恋の盃を 君が情に酌みしかな 林檎畑の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ
お礼
こういう詩は私も大好きです。 詩を読むと、いつも返す言葉を失います。言葉の節が静かにまとめられていますので、これ以上付け足す必要がないからです。ゆっくり味わいたいと思います。
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お礼
美しい詩ですね。姫女苑のつぶやきが、私にも聞こえたようでした。 話は変わるのですが、最近はツイッターで、誰かさんのつぶやきを目にすることがよくあります。この詩にあるようなつぶやきを目にできることを願って、タイムラインをスクロールしています。