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N.ルーマンの「意味」概念の意味についての質問です
N.ルーマンの「意味」概念の意味が、よく分かりません。 ルーマンは「複雑性の縮減」という概念を、「意味の連関による、縮減である」と説明しましたが、 その際の「意味」の意味、すなわち「意味」の役割がよく分かりませんでした。 私の持っているテキストの解説では、 「さまざまな選択可能性(複雑性)に開かれた人々の相互行為は、『意味』の連関によってより確かな状態に近づく。」と説明されており、 「意味」は、「適切orありえない」を区別する基準の役割を果たすとされていました。 この具体例として、 夫婦二者間の朝の挨拶のやりとりがあげられていました。 夫が朝起きてきてから、妻に「おはよう。」と言った後、 妻の答えが「おはよう」、「朝ごはんよ」、無視などの場合は、「ありうる(適切な)」了解可能の答えとされ、 一方で、「両生類」と答えた場合は、「ありえない」了解不可能な答えとされるそうですが、 なぜ「両生類」と答えることが、「ありえない」了解不可能な答えとされるのかが分かりません。 確かに常識的に考えれば、朝の挨拶に「両生類」という言葉が出てくるなど、 余りにもバカバカしくて考えられないことではありますが、 もし、この夫婦が「両生類」という言葉に朝の挨拶代わりとなる何らかの別の意味を付与していた場合、 妻の「両生類」という返答は、「ありうる」了解可能な答えとなるのではないかと考えられます。 このように考えるうちに、「意味」のもつ「適切orありえない」の選別機能の意味がよく分からなくなりました。 相互行為のうちで、ある行為に対する応答の行為の選択肢が縮減される際の基準とされる「意味」の役割とは、 一体どのようなものなのでしょうか? すなわち、「意味」が選択肢を縮減するときの「適切orありえない」を選別する基準とは一体何なのでしょうか? 客観的・普遍的・論理的なご説明が可能な方が、ございましたら お教え下さいますよう、宜しくお願い致します。
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