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死って何? (By orientalplanet)
「人間の死」が意味するものとは、なんだと思いますか?「自分らしい答え」を募集します! 死は全ての終わり、という意見から、死とは芸術だ!なんて答えまで、なんでも自由にご回答下さい。 「死とは~(文または語句)~である」という一文を含むと、わかり易くて助かるかもしれません。 ■orientalplanet「自分らしい答えを」アンケートシリーズです。常連さんは挨拶あると嬉しいです。 以前のアンケートは例えばこれ→http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1393274 ■□■良回答の選考基準は以下の通り■□■ 1、独創性があること(自分らしい答えという趣旨なので)えっ?と驚くような意見を歓迎しています。 2、ひとりよがりにならず、説得力があること(自分らしさとひとりよがりは別の物です)。 3、主観的に好感を持てること(結局選ぶのは私なのでどうしてもしかたのないことです) 「あなたらしい意見」をお待ちしています!
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こんにちは8942です。私にポイントを出していただきありがとうございます。 つたない文章ですが、また参加します。 死とはパソコンがクラッシュしてインターネットが見れなくなった状態によく似ていると思う。あるいは テレビが壊れて受信ができなくなった状態。 たとえばテレビを肉体、心をテレビタレントに例えると 「笑っていいとも」を放映中のテレビを分解してもタモリは出てこない。タモリは フジテレビのスタジオにいるんです。 心も肉体と別の次元に存在しているのではないかと・・肉体は 情報の入力と出力するためのキーボードとディスプレイでしかないのではないかと思ったりする。 肉体って端末だと思うんですよ。・・で生きているとはその端末からログオンして自分のサイトへアクセスしている状態。 死とは肉体がログオフした状態。 だからきっと・・輪廻とか生まれ変わりとかあるんじゃないかと・・思っています。 端末が壊れたら、新しい端末から自分のサイトへアクセスすれば良いだけじゃないですか。よくね死んだら今までの記憶が無くなってしまうんじゃないかって人が要るけど・・・ひょっとしたら 記憶って残っているんじゃないかって思うんですよね。だって端末がクラッシュしたってサイトを運営してるところやサーバは別ですから。端末の記録がなくなったって、サーバに記録が残っていれば問題無しと 思いませんか?
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はじめまして、orientalplanet様の質問に初めて回答します。 死とは「(その人の名前がついた)家の完成」です。 人生を家の建築にたとえるなら、誕生してから家を建てるための土台をつくり、柱を建てていき、屋根を作り、部屋の中には少しずつ体験したことなどを詰め込んでいくものと思いました。そして死のときには、その人の家の完成(建築の終了)。 その家は色や部屋数、階数等人それぞれで、その人の性格や今までに歩んできた道のりを表している。 どうでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 「生きる」ことが家を建てる過程であるならば、最後に死すことで、ついにその家が完成する。そうやって、自分の家を完成させて死ぬことが出来たら、幸福なのだと思いました。 でも中には、その家を完成させる前に死んでしまう人もいるのだと思います。例え若くして亡くなったとしても、家を建てることはできるでしょう。しかし、人生の長い、短いに関わりなく、突然に死んでしまうこともあるからです。
- code1134
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もしかしたら?何処かですれ違っているかも知れませんが、「質問者は本当に高校生なんでしょうか?疑って申し訳ない」のは自覚していますけども・・・) 通常の高校生が殆ど考えぬ概念の一つと捉えますし、私は別の方の質問(NO1394160)で「所詮生まれる前と同じ云々」とカキコんで置きました。 その他に「死」とは・・・ 1)生物(医)学的には(脳死もありますが)「心臓の停止」後の状態一般の事。 2a)医者(or宗教関係者or保険(製薬)会社等)にとっては仮に存在しなくなったら、廃業に追い込まれる「なくてはならぬ概念(⇒)不謹慎だけど飯の種とも言えます。」 2b)逆に鉄道(or航空)会社から見たら、「もし無くなれば有難く、頭を悩ますて済む状況の事(逆に、JR西日本が2005-4-25以後置かれている状況を例示すれば自明でしょう。)」 3)「体験した後、そうすべきでない云々」と人間は往々にして、他人へアドバイスする訳ですが、「絶対前もって体験出来ないのに、(社会通念上では)しないに越した事はない」と捉える概念。 4)逆の言い方をするなら、それ(特に自殺死)を避けて、生き続ける為には「騙し騙し・・・」が手法の一つとなりうる訳です。 ・・・と言ったところでしょうか?
お礼
やだなぁ、高校生ですよー笑 もうすぐ免許が取れる歳になります。 死については、若者はむしろなにかロマンチックなものであるかのように思っている人も少なくないと思います。それについて考える人も多いのではないかと思いますよ。恋愛の終着点が死だと思っている人も中にはいたりして。 おいといて。 リアリストな意見だなァと思います、特に2ですね。なるほど、そういう考え方もあるよなぁと思いました。 私としては3の意見がもっとも馴染み易いですね。であるからこそ、死は恐怖の対象、縁起の悪い物として忌み嫌われるのでしょうから。でも仮に死することがなくなったのなら、生きている事の価値も地に堕ちるのだと思います。
- goonee
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no7です 4段落目の(1)は一概に言えませんね。 失礼しました。 5段落目ですが、 ここでいう芸術作品は死の事です。 質問を見てパッと思いついたことなので・・・ 深夜で頭が細部まで働きませんでした。すみません。 他分からなかったら聞いてください。
お礼
色々と考えて下さってありがとうございました。 書いてくださった内容から、出来るだけ沢山の事を読み取ろうと思います。
- goonee
- ベストアンサー率26% (21/79)
前の愛と恋の違いのところで参加したかったですね。 個人的には恋は「葛藤」愛は「解放」と思っています。 では本題に。 『死とは芸術作品』 芸術作品とは、当たり前ですが人間が創りだした作品。 作品自体には何の意思も思想もありません。 つまり作者の人生や思想と作品を照らし合わせて他人が勝手に思うだけです。 (人生は有名とか無名とか) もちろん照らし合わせない場合もありますがね。 (感情的に考えれば絵自体にも意思などがありそうですが、 科学的根拠が存在しないので意思がないと判断して先を進めます) そう考えたらもう分かりますよね。 死んだら肉体だけになるから、意思や思想などの精神活動はなくなるので作品になる。 他人が作者の人生や思想をその作品に照らし合わせ勝手に悲しんだり、喜んだりする。 でも他の芸術作品と死で違う点は2点(思いついてないだけかもしれない) (1)最初の感情から違う感情になっていく事 悲しい⇒(もちろん悲しいけど)この人の分まで頑張ろうなどの感情。 (2)その人の人生と必ず照らし合わして考える。 (ニュースなどの死については大して何も思わない。なぜなら死んだ人の人生を知らないから) この芸術作品の価値の高さは主観的には語れません。 でもあえて客観的に考えるのなら・・・ 以下の2つの条件のいずれかあるいは両方で、 価値の高さはある程度語れるかもしれませんね。(あくまで主観) 「感情を持つ人間がどれだけいるか」 「作品を見た時の感情レベルがどれだけ高いか」 突き詰めて考えると前提条件である「人間の死」を満たさない場合も出てくるのですがお許しください。 『ペットの死』もそうだし・・・・というか貴方の言う「人間」とはどういう意味での「人間」ですか? それによってこの俺の答えは全くの論外の可能性もありますね・・・・。 先に謝っておきます。ごめんなさい。
お礼
死は、それまでのその人の人生や思想が反映され、それを他人が考える事が出来るものなのですね。勿論、作者(死者)の思想をイコールで受け取るのではなく、遺された人がそれぞれ自分の思うように受け止め、考えるもの。では死は、他人のため遺すものであるといえるのでしょうか。 「人間の死」と書いた意図について 生物である以上、いつか死が訪れることは、人間であろうとそれ以外の動物であろうと同じですが、自分がいつか死ぬ事を自覚し、その意味を考えることが出来るのは、人間だけであるといえるのではないでしょうか。人間以外の動物の死が無「意味」であると言うわけではありません。その「意味」を考えることが出来るのが、人間だけだと思うという意味です。人間以外の動物は、「思想」というものを持ち得ないと言えるからです。 ですから、動物の死は、単に個体が滅びることですが、人間の死には、それ以上の意味を持たせることが可能だと思います。そういう意味で敢えて「人間の死」とし、死について深く考え易いアンケートにしました。
『生きる』という事の価値を見直す機会を与えてくれるもの。 他の人の死から考える機会をもらうことが多い為です。 >■orientalplanet「自分らしい答えを」アンケートシリーズです。 なんだか、面白そうですね! 時間的余裕があったら、こちらのアンケートにも参加してもらえたら嬉しいです。
お礼
特に身近な人が亡くなった時には、生きることの価値や意味を考えてしまいますよね。それだけでなく、自分の死に直面した時、または自分にもいつか死が訪れる事をはっきりと自覚した時(それが、他人の死というタイミングであることが多いからこういう結論になるのかもしれませんが)自分の今までの生というものを見つめなおし、死ぬまでの時間をいかに生きるかを考える事が出来ると思います。
死とはバトンタッチ。 無駄な死は存在しないと思いたい。
お礼
命は新たな命へと、受け継がれていくわけですからね。それはただ単純に、「子孫を残す」ということではなく、「今この世を生きること」を、次々とバトンタッチすることで、「今この世」が存在しているのかもしれませんね。 >無駄な死は存在しないと思いたい。 「思いたい」という言葉に、小さな哀愁を感じ、感動しました。
補足
「無駄な死は存在しないと思いたい。」 という気持ちからくる結論が、短い言葉の中でとても説得力を持っていたと思います。 バトンタッチ、の意味は人それぞれ感じるものがあるでしょうが、本当にそうありたいなと思います。 僕は誰かに、バトンを受け取って貰えるのでしょうかね。 次点をつけさせていただきます。ご回答ありがとうございました。
- myeyesonly
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こんにちは。 生物学的には、個体としての生命活動の終了、とでもなるのでしょうかね。 なお、私の田舎では、神様になる前段階です。 死ぬと、とある儀式を経て神様になるそうです。 ゆえに死はオメデタイ事らしく、弔問の挨拶も「おめでとうございます」となります。(笑) ついでに、私自身の感覚では、人体に拘束された時間の終了と言えるかもしれません。
お礼
死がおめでたいことである、とまではいかずとも、死は神の国へいくことであるから、決して悲しいだけの物ではない、という考えは、多くの宗教や、文化としてありますよね。弔問の挨拶が「おめでとうございます」であるというのは、それにしても驚きでした。 人体に拘束された時間の終了、ですか。 なんだか意味深で、謎かけのようですね。ちょっと頭を悩ませてしまいます。 魂といったようなものが、身体というものに縛り付けられていて、死が訪れると共に、その魂が開放されるのだ、ということでしょうか。
- T0MoKo
- ベストアンサー率24% (16/66)
全然独創性も説得力もありませんが… 死は怖いです。 人の死は二回来ると思います。 一回目は体の死。 そして二回目は私がこの世を去った後、皆が私の事を忘れてしまったとき。つまり私という人間の本当の死。 死って怖いから今でも時々考えると涙が出そうになっちゃいます。 怖い、って思う自分さえもなくなっちゃうんだぁ…って怖いです。 皆さんの意見を見て、少し死を前向きに考えられたらいいなぁ…。
お礼
素直で、生物として、人間として、当たり前に感じることだと思います。私も死はとても怖いです。でも同時に、死があるからこそ生があるのだということも感じます。死ぬことがなかったら、生きるということを大切に出来るでしょうか。 確かに、死んでしまって、みんなに忘れ去られて、または自分が生きていた事を知っている人もまた死んでいく、そういう中で、いつしか自分の存在と言う物は、この世から完全に消え去ってしまうかもしれません。(ではあの世、というものがあるのかどうかは、また別の話ですね) でも、死は自分のもので、生もまた自分のものですよね。勿論、誰かのために生きたいと思うことも大切なことだと思いますが、それも結局、自分の納得できるように生き、そして死ぬことだと思います。 自分の生と死に、納得しながら生きる事が出来るなら、例えこの世にいる誰かが自分の生や死を覚えてくれていなかったとしても、自分という存在がなかったことにはならないし、自分の生に意味がなくなってしまうわけでもないと思います。 率直で飾らない、貴重な意見をありがとうございました。
補足
ご意見ありがとうございました。 回答くださった皆様の意見に、なにか感じられたことはありましたでしょうか。 私以外の誰かにも、有益となるアンケートとなれたのなら、回答者の方々に感謝すると同時に、嬉しく思います。
お礼
うぉー、またも意味不明と言おうか突拍子もないといおうか、よくそんなアイディアが出てくるもんだと感心しています。(思いっきり褒め言葉ですよ?) なるほど、機械的でシステマチックな考えなのに、哲学的でロマンチックだから不思議なんですよねー、8942さんの意見。 >心も肉体と別の次元に存在しているのではないか >肉体は情報の入力と出力するための・・・ 魂が肉体と別の物、と考えるところまではいいとして、魂が肉体に宿る、などではなく、魂と肉体が別次元にあるというのは、なんとも新鮮な考えですね。 でもそれじゃあ同じ世界に、二つ以上の肉体が同時にアクセスしている魂が存在し得ちゃうのか?いや、それこそが世に言うドッペゲンガーなのか?なんて、疑問が残ったりして。そしてそのサーバーにあたる部分が天国なのか?とか思ったりして。面白いですね。
補足
なんでこんなにも8942さんの意見には納得させられてしまうのでしょうかね。突拍子もない例えをされるのに、最後までその例の説明を怠らず、矛盾が感じられないんですよね。 本当に感心します。 というわけで あんたが大将!