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なぜ泥棒をボコボコにしてはいけないかから
自力救済を認めると、どさくさにまぎれて自己中心的な理由で殺人を犯す者、殺人を都合よく正当化する者が頻出し社会がカオス状態になるからです。 難しく言えば、裁きの基準を一元化するために自力救済を放棄するということです。 では逆に言えば、皆が共通した裁きの基準に従えば自力救済は可能でしょうか?
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”自力救済を認めると” ↑ 自力救済は、正当防衛や緊急避難と違って、 明文の規定がありませんが、理論的には認められます。 その要件については諸説ありますが、いずれも非常に 厳しくなっております。 その要件をクリアーすれば、違法性が阻却され、 犯罪にはなりません。 だから、一定の条件下で認められている、というのが 正しいです。 ”自力救済を認めると、どさくさにまぎれて自己中心的な理由で殺人を犯す者、 殺人を都合よく正当化する者が頻出し社会がカオス状態になるからです。” ↑ これは、主観面のみに着目していますね。 それはともかく、社会の秩序が保てなくなるからだ というのはその通りです。 ”逆に言えば、皆が共通した裁きの基準に従えば自力救済は可能でしょうか” ↑ 可能です。要は、それで秩序が維持出来るかどうかが ポイントな訳です。 それで秩序が維持できれば問題ありません。 ただ、それが不可能なだけです。
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最も近い例で言うと、強盗に遇った時にその強盗をボコボコにしても無罪と言う場合が有ります(窃盗と強盗の違いにご注意下さい。窃盗の場合緊急避難には当たらないと言うのが定説です。あくまで『強盗』です) 仰る趣旨の物としては『正当防衛』『緊急避難』がそれに当たると思われます。 全ての自力救済(自助努力と言い換えてもいいかも知れませんが)が認められていない訳では無いと思います。 泥棒に遇ってその泥棒を捕まえる事は適法です。現行犯は警察官でなくても逮捕できます。ただし、身柄を確保する事と、ボコボコにする事が違う事はご承知の通りです。
お礼
回答ありがとうございます。
>皆が共通した裁きの基準に従えば ひとそれぞれで、何よりも当事者は感情的になることが多く、とかくゆきすぎになるから、これは「不可能」だということでしょう。江戸時代のあだ討ちとか、決闘容認とか、皆問題ありでした。 死刑に被害者の係累が立ち会うなどの折衷案はありえると思います。
補足
回答ありがとうございます。 もう少し強調すべきだったのですが あくまで現実に可能かどうかは離れて思考実験としての質問ですので、その点を留意して 再回答していただければ有難いです。
お礼
論理的回答ありがとうございます。 >これは、主観面のみに着目していますね。 そうなんですか!その他の面があればご教授願います。