• 締切済み

自傷行為の映画についてお訊ねします。

「イン・マイ・スキン」マリナ・ドゥ・ヴァン監督の2002年フランス映画 過去の事故がきっかけで過激な自傷行為が癖になってしまった女性の物語です。  自らの皮膚だけを切り取り、傷口舐めたり食べたりと、かなりキツイ描写が続き、次第に恍惚となるようです。劇場では嘔吐で医務室運ばれた人もかなり居たとか、。 http://www6.plala.or.jp/ni-na/inmyskin.htm この方のレヴューでの疑問を私も共有します。 ◆質(1)こんな症候は現実にあるのでしょうか? ほんとなら目を背けずに考える気にもなりますが。  現実の切実さを確認する自傷でもなく、カンニバリズムでも無く、統合失調時の離人症でも無い。 バタイユのエロチシズムと言う本に、アヘン中毒の中国人の写真が載ってるそうで、アヘンで痛み麻痺させて全身の皮剥いで性器と同じ半粘膜状態にして恍惚となるそうですが、そのエロスとも違う、。単に一緒くたにしただけのアイデア先行の映画?◆本当に現存する複合嗜好なのでしょうか? 監督も、自傷行為とは関係無いらしくて<自らの身体と心の違和感を確かめたいという一つの欲求>だと言っていて、リストカット等の自傷行為の本は読んでないそうです。 心理・精神分析・哲学などの専門知識以外でも、症例等ご存知でしたら、お教え願います。

みんなの回答

  • toganoyua
  • ベストアンサー率30% (48/155)
回答No.2

心理学的(精神病理は専門外)からお答えしましょう。 見える位置に此処までやるのは珍しいですが、ないわけじゃないでしょう。 現状、デッドリンクになってますが、そういう症例や自分の自傷行為を見せるサイトもありましたので、見える位置にやるのはともかく、ないわけじゃないですが。 この映画に関しては監督のアイディア先行でポシャってる印象ですね。 普通は、服装の趣味にもよりますが、ありがちとしては半袖ホットパンツなどの服のラインで隠せる範囲でやるか、腕の利き腕じゃない方のみを傷つける、という方が九割です。 せいぜい、太い腕時計ベルトの範囲で手首をやっちゃうぐらいで。 卒論関係で写真が見つかる範囲で統計を取った感じでは。 もちろん、中には、耳裏に痒い皮膚荒れができたら、軟骨が見えるまでかきむしっちゃったり、心配が欲しくて見えるところにやっちゃう人も。 そもそも、自傷行為と言うのは、どこで読んだかは忘れましたが「自傷行為は、精神的なエイズである。」という言葉がしっくり来る行為です。 原因は数在り、それそのものでは死ねず、それ以外で死んでいくという意味合いで。 原因はいじめだったり、親の虐待だったり。 自傷行為は、手首切ったり身体切ったり。 死因と言う意味合いでは、慢性化すると貧血になったり、皮膚が壊死したり。 もちろん原因は「自らの身体と心の違和感を確かめたいという一つの欲求」もあるのでしょうが。 何人かに聞き取りできたのを総括すると、バンギャ的なファッション的なそれを抜けば、すごく真面目な人・・・もう少し社交的だったら或いは融通が利けば委員長タイプとでもいうような人が、『自分は生きていていいのか』『自分が許せない』的な、希薄な現実と自分を繋げるタイプ。 もしくは、生きていたくないけど『生きたい』人が選ぶ手段だと思うのです。 よくミステリなんかで(金田一でも某事件の犯人の大切な人がやってましたけど)、手首切って身体切ってもそう簡単には死ねません。 ぬるま湯に手首をざっくり切って30分ほどつけても生き残ったアメリカで麻薬密売の冤罪をかけられた女性もいますし。 そりゃ、首をかっ切ったりすりゃ死ねますけど、それはちゃんと動脈を切れればの話で。 正直な話、自殺したけりゃ、車に飛び込むなり、10階以上のビルから頭から飛び降りれば、よっぽど楽です。 話を戻しまして。 死にたいけど死にたくない、だけど、生きていたくない、といった人が選んでしまう道ですね。 「自らの身体と心の違和感を確かめたいという一つの欲求」も無くはないと思うんですけど、正直言って、哲学映画だと思うんですけど、画面のインパクトとシナリオの勢いを殺さない為にああなって、人によってはホラー認定されている映画だと思うのです。 演劇をかじっていた見地から言うと、よくできてんなぁとは思うけど、見る人選ぶなぁと思う一作。 自傷行為を部分的に認め、傍らの友人としてみる私としては、殴っていいかな、この監督?と思う一作。 物語的に極端に誇張された・・・春画で滑稽なほどに誇張された男性のアレと同じく、非現実的だと思うのです、物語、お話としては。 繰り返しますが、行為としてはあり得ないわけでは在りません(一応、友人にもいます(いました、含め)ので)が、映画は映画です。 それ表現するなら、自傷行為系本を読んで然るべきでしょう。 見たのはずいぶん前ですが、今でもそう思ってしまう、私です。 乱文長文失礼しました。 ご参考までに。

marc2bolanti
質問者

お礼

 当事者周辺の方のご回答、感謝致します。 私も何冊か自傷行為の本呼んだ印象ではやはり >生きていたくないけど『生きたい』人>の必死の手段。もやもやして現実感の無い感じよりは痛みの方がマシ、自分を現実に引き戻す方法と捉えてました。まあ手首だと痛覚も弱いのかも知れません。 でもこの映画では痛みは快感として表現されてる気がします。やはり、 >監督のアイディア先行でポシャってる印象です>よね?! 確かに残酷描写はよく出来てるかもしれないけど<極端に誇張された・非現実>に見えます。 >殴っていいかな、この監督?>よくぞ仰ってくれました(^<^)。 >行為としてはあり得ないわけでは、、>無論その可能性も考えたんですが、。  Wikiアドレナリン;「興奮すると分泌されるため、例えば喧嘩になった時に分泌され、血まみれや骨折の状態になっても全く痛みを感じないケースも、」。捕食される動物は絶命までβエンドルフィン出まくるとも聞きます。これなら自傷が主でなく快楽目的になってるとも考えられますが、。  又別の「ブラウン・セカール症候群」Wiki)では半身だけに痛覚麻痺が顕れるともあります。痛覚麻痺ではこれしか分かりませんでした、ヘロインなどの薬物無しで全身痛覚麻痺があるかどうか?  読んで研究してる感じも無く、そんな所も一寸いかがわしい映画と思いましたね。 グロ・ホラーとして認定した方がよさそうです。劇場で見たので金返せとは思っとります。  ほぼ同印象の方いらして心強くなりました。有難う御座いました。

marc2bolanti
質問者

補足

 お二方、どうも有難うございました。 納得致しましたので、そろそろ締め切らせて頂きます。 哲学、心理学方面からの御回答、心強く思います。 やはり極端に走った、やや非現実的映像との印象のようですね。 参考になりました、感謝致します。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.1

人は極端に乖離すると、どんな行動に出るかは分かりませんからね。 たとえば、人から攻められるのを極端に嫌い、誰にでも噛み付く行為をする人がいます。 しかし、自分自身に対して責める行為を常に強くやってたりします。 いわゆる真面目でいようとする人に多いのですが。 そうやって自分を追い詰めていくならば、乖離は激しくなっていき それからの行動だというような話ではないでしょうかね。 監督の発言などから推測するには、乖離からの違和感を確認する行為だと思います。 問題定義としては自分の乖離に気がつかないと、人はどんな行動に走るか分からない。ですかね。 しかし、この表現方法でいいのか?って疑問が残ります。 そういう意味では、監督か脚本の問題がある作品でしょうね。 日本でも事件が起きると、なぜその行動を選択する?と疑問が起きたりします。 その真意は本人の中に眠っている訳ですが、自己の乖離と切り離せない関係ではあります。 憤りを自分の体にぶつける自傷行為として考えるなら(髪を抜いたり、皮膚を剥いたりは症例があります) 延長線上としての考えでしょうが、極端すぎると作品としてもねぇ・・・。

marc2bolanti
質問者

お礼

 ご回答ありがとう御座います。 確かに何かしらの乖離状態にあれば極端な行動は有り得ますね。 多重人格性が出たり、と。しかしそれも、アメリカ精神医学会主導の疾病分類が、結構短期間に変わるので複合症状はよく解からんです。ちょっと前の境界例とか直近ではアスペルガーの名が無くなる?とか。 リスカなどの自傷では‘痛み’で自己確認するのだと考えてましたが、。この映画では快楽として描いてると取るしか無いですよね? それが本当なのかが疑問です。 自傷行為の画像などでは、その切実さが伝わってきて、決して不快では無いですが、この映画はBGMも使用してないせいかやたらニチャネチャと言う音も不快で、 >憤りを自分の体にぶつける自傷行為として>の切実さが感じられず、なんか不真面目な感じがします。 単に映像としてエスカレートさせただけのような、。もちろんほんとの事なら監督さんは必死なんでしょうけど、。草食動物が肉食獣に喉噛まれ絶命する時にはアドレナリンかドーパミン大量に出て、痛み感じず恍惚となってるとの推測もあるようだけど、ほんとなら関係あるかも知れない。 でも痛覚麻痺は通常は半身だけに出る症状みたいですよ。その辺の掘り下げも無い作品だと思います。

関連するQ&A