• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ワーキングメモリについて初歩の問)

ワーキングメモリについて初歩の問

このQ&Aのポイント
  • 私は、過去に交通事故をして、長期間言葉が話せなくなった時期がありました。
  • 最近自己分析してみたところ、ワーキングメモリなるものが私には殆ど無いことに気がつきました。
  • 物語と結び付けて意味の無い単語や数字を覚える記憶術を試した結果、覚えることができるようになりましたが、会話で役に立つか心配です。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • vzb04330
  • ベストアンサー率74% (577/778)
回答No.2

心理士で、元は大学の教員をしていました。 心理アセスメントや、認知神経心理学の分野が専門です。 まず、結論から申し上げますと、現在、工夫してお使いになっている「記憶術」は、記憶に支障をもたれた方として、それに適応したよい方法を見つけられたと思います。 記憶の過程については、 1.感覚情報保存 2.短期記憶/ワーキングメモリー 3.長期記憶 という3つの段階が考えられています。 これらのうち、1.感覚情報保存は、資格や聴覚などの感覚の種類に応じて、きわめて短時間、入力した情報をそのまま(何も処理しないで、という意味です)保存しておき、その情報の中から、注意を向けられた情報が、まずは、短期記憶に送られます。 短期記憶に送られた情報は、復唱する(リハーサルといいますが、何度も繰り返し口ずさんだり、紙に書いてみたりすること)ことによって、長期記憶に送られます。 この情報が長期記憶に送られる段階で、情報を効率よく圧縮する方法が、いわゆる「記憶術」に相当すると考えられます。 たとえば、歴史の年号を語呂合わせで覚えるとか、言葉を映像イメージ化する、あるいは、質問者様がやっていらっしゃるように物語に置き換えるというのがそれに当たります。 そして、長期記憶には、ほぼ無限の情報が、意味の近さなどでネットワーク化された状態で保存されていると考えられています(これは、主に学校で学んだり、仕事の上で得たような知識についてよく当てはまる説明です.このほか、昨日、駅で久しぶりに高校時代の友人に会って、楽しかったというような「エピソード」に関する記憶もありますが、煩雑になりますので、割愛します)。 交通事故に遭うなど頭部に外傷を負ったり、脳卒中など病気で障害が発生したりしますと、これらの記憶システムのどこかに不具合が起き、その結果、「記憶障害」の状態に陥ることがあります。 記憶障害の現れ方によって、その種類が区別され、それぞれに名称がつけられています(これも、煩雑になりますので、省略します)。 質問者様の場合、拝読する限りでは、短期記憶/ワーキングメモリーのところに支障が生じてしまって、日常生活における困難が起きているように考えられます。 まず、短期記憶には、保存しておける情報の量と、保存しておける時間の2つの面で制約があります。 上に欠いたような復唱(リハーサル)をしない場合、大人では、保存可能な情報量は、7チャンク(チャンクは、ちょっと分かりにくい考え方ですが、情報の塊、まとまりとお考えください。数字をそのまま(語呂合わせなどをしないで、ということです)記憶すれば、7桁となります。個人差がありますので、7±2桁が、普通の範囲とされます。この1チャンクに、語呂合わせをするなど、記憶術を応用すれば、かなりの情報量を詰め込むことができます)。 また、保存可能時間は、数秒~数10秒とされています。 以上が、短期記憶の基本的な働き(機能)です。 ところが、短期記憶には、単に情報を保存しておくだけの働きしかない訳ではなく、情報を保存しつつ、計算をする、電話をする(最近は、この働きは、ケータイ・スマホで代用されてしまっています)、ストーリーを理解するといった、いろいろな心理的作業を行うという働きがあります。 これらの、情報を短時間保存しておくという働きと(情報の保存と、何をするのかという目標といったものも保存されます)、その保存された情報を元に心理的作業を行うという2つの働きがあるという面を含んだ、記憶のとらえ方をしたものが、「ワーキングメモリー」というものです。 質問者様の場合、数字の記憶が3桁程度と書いていらっしゃいますので、交通事故の影響で、保存可能な情報量が、少なくなってしまわれた、というのが、最も重要な点だと考えられます。 というのも、保存可能な情報量より多くの情報が、次々と短期記憶に転送されてきますと、古い情報から順に、短期記憶から押し出されてしまい、忘れてしまう(消去されてしまう)と考えられます。 「会話の方は、話している最中に、話しが横道にそれたり、行動が目標に向かって真っ直ぐ進むことが出来ません」というのは、ここに上げた短期記憶の特徴から起きていると理解できます。 「言葉としての記憶では、随分と情報が欠損して」いるというのも、同じでしょう。 「これが、今まで何度も経験した極度の話の食い違いや勘違いからのトラブルを引き起こしている原因ではないか?とも思えてきます」と書いていらっしゃるのも、妥当な推測だと考えられます。 それから、おそらく、情報の長期記憶への転送や、長期記憶に保存された情報を検索して、何かの作業をするためにそれを短期記憶/ワーキングメモリーに転送する働きには、質問文を拝読する限り、あまり障害は起きていないように思われます。 以上が、質問者様の記憶に起こっている障害の説明です。 最初に欠きましたように、記憶術を使って、このような、いわば弱点となってしまった部分を補って、日常生活を送るのは、試験勉強的なイメージが強いかも知れませんが、私としてはご自身でよく見つけれたと驚くとともに、質問者様の工夫に感動した次第です。 最近では、ケータイ、スマホ、タブレットPCなどのIT機器を利用して、これらの支障を補って、日常生活や、仕事をスムーズに使用という試みも発展してきています。 私自身が発達障害の子どもたちの支援に関わることが多いので、これらに関して把握している情報や、スキルもその分野に限られてしまいますが、たとえば、次のような本をご覧になると、IT機器の利用について知ることができます: 中邑賢龍・近藤武夫(2012):発達障害の子を育てる本 ケータイ・パソコン活用編.講談社(健康ライブラリーイラスト版).ISBN978-4-06-259766-1 \1,200+税 また、日本心理学会という専門学会の次のページに、「心理学ワールド」という雑誌の60号に掲載された「小特集 タブレットPCと心理学」が載っています。 この中の「iPadを使うと鈍なことができるのか」などは、お役に立つかも知れません(他の記事もご覧になることをお勧めします)。 http://www.psych.or.jp/publication/world060.html 以上、ずいぶん長くなってしまいましたが、お役に立てば幸いです。

akaginoyama
質問者

お礼

詳しく丁寧で解り易い説明恐れ入ります。 事故以来人と接する機会も減り、読書にふける毎日で、社会に接する機会の少ない私の場合は、心理学の実社会への応用適応範囲が狭いと勝手に決め付けて心理学関係の本を敬遠しておりました。 回答者様のお陰ですっかり今の自分にぴったりの学問であることが解りました。 ちなみに、 記憶術に興味を持った切欠は、以前読んだ本に書かれていた同時通訳者は長文などの翻訳の際、手の指などの体の一部を動かしたりして外部メモリとして使うようなことが出来ることを知ったからです。まさか敬遠していた心理学に繫がるなんて、、。 もしかすると、何をどうトレーニングしていけばハンデを克服できるのかのヒントに繫がるのではないかと希望が持てました。 大変感謝です。

その他の回答 (3)

noname#194289
noname#194289
回答No.4

ひょっとして貴方は、二つのものを比べる時に類似点よりも相違点のほうに関心が強くありませんか。おそらく本代を忘れないためには類似点のほうへ関心をむけている必要があるように思います。案外ワーキングメモリーそのものが類似性をたどって行われているのかもしれないと勝手に想像してみました。

akaginoyama
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほどこれは盲点です類似点で物事を比べると言う発想すらありませんでした。 試してみます。

noname#194289
noname#194289
回答No.3

私は、あなたの書かれた文章はとても知的であるという印象を持ちます。事故にあわれる前から知的であったのではないかと想像いたします。私の思いつきによる想像にすぎませんが、普段使っている単語のなかにも、物心ついて以来数え切れないほどの回数で用いているものもあれば、逆にまれにしか使ったことがない単語もあると思います。前者のほうは具体的にどういう場面で用いたか記憶がないはずですが、的確に使えるというのは何かの記憶作用によるものだと思います。後者のほうは具体的な場面を覚えているものもあると思います。後者は前者の助けを借りないと意味や感情がしっかりと把握できないというようなことはないでしょうか。私にはこのような前者と後者の関係は比喩能力があって初めて成立するように思えます。

akaginoyama
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに、まだ言葉を覚えたての当初は、比喩の処理能力は意識的に必要でした。 比喩そのものは、解りやすく理解できるようにするための表現であるため、理解はしやすいのだと思います。 ですが、比喩を言われると、本題から比喩に処理が移り、本題が思い出せないと言うことが多々有りました。 つまり、私の中では比喩が本題となってしまう訳です。 このあたりも、やはりワーキングメモリの少なさと言うを疑う原因となっております。

noname#194289
noname#194289
回答No.1

私はこの分野に関しては全くの素人なのですが、ちょっと質問させてください。たとえ話とかたとえとかについてはなにも問題ははないでしょうか。たとえ話を聞いていると、たとえ話そのものは理解できても本題のほうには注意が回らないというようなことはないでしょうか。私は思考そのものが比喩ではないかと常々思っています。

akaginoyama
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 例え話を聞いたとたんに主題のキーワードすら忘れてしまいます。 こうやって文章ならば、確認しながら書けるのですが、主語が近くに無い話しをされるとなんのことを言っているのか?さえも解らなくなる次第です。 >私は思考そのものが比喩ではないかと常々思っています。 この一文は、 記憶以前の思考自体が正常に解釈できていなくて、何かに例えて置換えながら話しを聞いているのでは?と言うことでしょうか? もし、そうならば、耳から聞く情報は、イメージや感情に置換えていると言う部分は少なからずあります。 否定的な意味のある言葉はネガティブな印象を受けたりして単語と組み合わせたりしているのかもしれません。 例えば、否定的な言葉の否定など使われると処理できなくなります。 『間違わないように』間違う?無い? → 正しくするためには と言う風に置換えていました。この置換えに処理を取られてしまうことも最近までありました。 今は慣れで、問題なく処理できますので、これらの処理はワーキングメモリとは直接関係無いかもしれません。 意味記憶になるのでしょうか? それにしても文章ならば意味はすんなり頭に入ってくるので、意味記憶が弱いと言う訳でもないと思います。 そのようなことから、簡単なテストでも散々たる結果だった、ワーキングメモリの少なさを疑っている訳です。テストは正式な物ではありませんネット上のゲーム的なものです。 ちなみに、余談ですが 言葉が話せなくなっていた間は、速読が得意でした。 音読できないことと言葉に変換する習慣がなくなったからです。