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源氏物語の翻訳について
- A.Waleyの『TALE OF GENJI 』(帚木 The Broom-Tree)からわからないところと訳の間違っているところを教えていただければと思います。
- if I would promise to live more quietly she would take me back again.・・・・ここの条件節の「would」と帰結節の「would」は【過去における】主語の強い意志を表すために使われているのでしょうか?
- Seeing that she・・・「Seeing」は分詞構文の「理由」ですか?
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今晩は。4月ももう半分過ぎました。時の経つのは速いですね。 いつも大変丁寧なお礼をありがとうございます。いつも、ああしようかこうしようかと迷われながら訳されている由、それが英語力を一番伸ばすと思います。「練る」というプロセスが大切ですね。 1)『 At last she told me that if I went on as before, she could never forgive me; but if I would promise to live more quietly she would take me back again. Seeing that she still hankered after me I determined to school her a little further yet, and said that I could make no conditions and must be free to live as I chose. 』 >最後に彼女は、もし私(馬頭)が以前のように続けるなら、彼女は私を決して許すことができないであろうということを私に話しました。しかしもし私がより 平穏に暮らすことを約束したならば、彼女は再び私を連れ戻したでしょう。彼女がまだ私に焦がれるのを見たので、私はさらにいっそうもう少し彼女を教育する ことを決めました。そして私は地位を築こうにも築けず、私が望んだように生きるために自由でなければならないということを言いました。・・・? ●(I) said that I could make no conditionsのところですが、「直接話法」だと、I said, “I can make no conditions.” ですね。すると訳は、「条件をつけることはできない、と私は言いました」です。「落ち着いて暮してくれるのなら」という彼女の和解条件を認めないということです。 >if I would promise to live more quietly she would take me back again.・・・・ここの条件節の「would」と帰結節の「would」は【過去における】主語の強い意志を表すために使われているのでしょうか? ●「間接話法」になっていますので、「直接話法」に直してみますと、彼女はこう言ったということですね。“But if you will promise to live more quietly I will take you back again.” すると if節の中の will ですので、敬語表現ということです。「しかしもしあなたがもっと落ち着いた暮らしをしてくだされば、また元のようにあなたをお迎えいたしましょう」です。 “” >Seeing that she・・・「Seeing」は分詞構文の「理由」ですか? ●その通りです。 >a little further yet・・・さらにいっそうもう少し?? ●その通りです。yet の解釈が難しいですが、見事正解です。 >must be free to live as I chose・・・・「must」は(主張・固執)の「・・・せずにはおれない」「気がすまない」、の意味にもとれそうなのですが。 ●譲れない、という意思表明ですので、「・・・せずにはおれない」は少し言い過ぎの感もあります。お訳しになったもので、十分その意が伝わってきます。 2)『 So the tug of war went on; but it seems that it hurt her far more than I knew, for in a little while she fell into a decline and died, leaving me aghast at the upshot of my wanton game. And now I felt that, whatever faults she might have had, her devotion alone would have made her a fit wife for me. 』 >そのような有様で、綱引きは続きました。しかしそれは私が理解していたよりはるかにより多く彼女を傷つけたように思われます。というのは間もなく彼女は 衰えて亡くなってしまったからです。私を、私の勝手気ままな遊びの結末にあっけにとられたままの状態にしておきながら。そして今や私は、どんな過ちを彼女が持っていたかもしれなかったとしても、ただ彼女の献身だけは彼女を私にとってふさわしい妻にしたであろうということを感じたのでした。・・・・? ●込み入った文ですが、完璧です。(黒帯級です。←つぶやきです。) >leaving me ~は、「私を~の状態にしておきながら」?(ここの訳がすっきりしませんでした) >leavingは分詞構文の付帯状況ですか? ●分詞構文は間違いないのですが、単純接続でいいと思います。and it left me aghast at the upshot of my wanton game という感じで、「というのは、間もなく彼女は 衰えて亡くなってしまったからです。私は、私の勝手気ままな遊びのこの結末に、あっけにとられた状態で取り残されました」が直訳、「私は、自分の勝手気ままな遊びのこの結末に、茫然とするばかりでした」くらいが意訳になります。 >遊び続けていて彼女が亡くなってしまったことにあっけにとられた、ということですか? ●彼女が生きている時はいい気に遊び暮していたが、死んでみると、彼女がどれだけ苦しんでいたかが初めて分かった、ということだと思います。 3)『 I remembered how both in trivial talk and in consideration of important matters she had never once shown herself at a loss, how in the dyeing of brocades she rivaled the Goddess of Tatsuta who tints the autumn leaves, and how in needlework and the like she was not less skilful than Tanabata, the Weaving-lady of the sky.” Here he stopped, greatly distressed at the recollection of the lady's many talents and virtues.』 >私は思い出しました。些細な話の中のみならずまた重要な事柄の考慮の中において、どんなに彼女がただの一度も途方に暮れて自分自身を示さなかったか、錦の染めている中で、どんなに彼女が秋の葉に薄い色合いをつける竜田の女神に匹敵したか、そして針仕事などの中で、どんなに彼女が七夕、空の織姫に劣らない ほど技術があったかということを。」 ここで彼(馬頭)は止めて、その女性のたくさんの才能と美点についての思い出に、はなはだ精神的な痛みを引き起こしました。・・・・・? ●完璧です。show herself at a lossは、途方に暮れたところを見せない → 途方に暮れたことがない、くらいがいいでしょう。 >Here・・・ここで?(「この時」と迷ったのですが) ●「ここまで話してきたところで」という意味でよく用いられる here です。ですので、「ここで」のほうがこなれた訳だと思います。 >亡くなってしまった彼女のことはいいことばかりが思い出されるようですね。 ●そうですね。それとともに、相手に死なれると、いかに生きている時、自分が相手の身になって考えていなかったかが分かるということですね。死なれると、それがパッと見えてくるという人生の機微ですね。 もう一点は、彼女が必死の思いで出した和解条件を、「あ、やっぱり俺に惚れているんだ、ならば、いい機会だから、調教してやろう」と「無条件降伏」をつきつけたわけですが、それが悲劇を招いてしまうという皮肉。patheticですね。 ********************* 《余談》『ユリシーズ』はさすがにさっと読むわけにはいかないでしょうね。でも読みはじめられたとのことですので、ぜひ読み通されますように。 考えてみますと、1903年には人間は空を飛び、1905年にはニュートン物理学から飛び出し、また同じ頃、無線やラジオや録音機等の情報機器が続々と生まれ、19世紀とは根本的に違う世紀に入っていっているという感じが社会に満ちていたことでしょう。文学も、その他の芸術も、19世紀とは違う、何か根本的に新しいものを模索していたのだと思います。(つづく) この週末出かけますので、閉じずにおいてくだされば、火曜日に回答いたします。
お礼
今晩は。ついこの前まで春が来るのが待ち遠しかったのに、本当に早いですね。新緑の季節になりましたね。 いつも大変丁寧に回答をしてくださってありがとうございます。 投稿する直前になってもやっぱりここは。。。と直しています。 「練る」というプロセスは大切にしていきたいです。 (I) said that I could make no conditionsのところは「could」に注目してしまいましたが、 「直接話法」に直すと考えて、“I can make no conditions.” (canですね)を訳して 「条件をつけることはできない」という訳になるのですね。(「conditions」は「条件」ですね) 彼女が「落ち着いて暮してくれるのなら」という条件を出したので、それには応じられないということですね。 1)に関して「直接話法」に直すという発想がありませんでした。 (仮定法についてあれこれと考えてしまいました) 「if節」の中の 「will」 は「敬語表現」になるのですね。 「must be」は以前二通りの訳し方を教えていただいたので、その一つの「~しなければならない」で 訳しました。 馬頭が強く主張した意味をこめて「・・・せずにはおれない」という訳もあるのかなと思いましたが、確かに言い過ぎの感が出てしまいますね。 2)は「leaving me aghast at the upshot of my wanton game.」の部分があれこれとまとまらなかったのですが、 (私は)「あっけにとられた状態で取り残されました」、 「私は、自分の勝手気ままな遊びのこの結末に、茫然とするばかりでした」となるのですね。 leavingを「付帯状況」で訳すべきかなと思ったのですが、「単純接続」ということで 「取り残されました」(茫然とするばかりでした)と訳せばいいのですね。 (つぶやき、ですね。笑) 「aghast」は直訳で「あっけにとられた」と訳しましたが、 「死んでみると、彼女がどれだけ苦しんでいたかが初めて分かった」ということですね。 「she had never once shown at a loss」は「途方に暮れたことがない」という訳が通りがいいですね。 「Here」は辞書の中で「この時(に)」の場所に以前アンダーラインを引いていたので その意味の方も視野に入れた方がいいのか考えたのですが、 「ここまで話してきたところで」という意味でよく用いられるのですね。 (彼女のことをここまで話してきた、ということですね) 失った時こそ、その大切さがわかりますね。 皮肉でもありますね。 (pathetic・・・哀れを誘う、悲しい) 一方「失う」ということは、その「気づき」を与えてくれる機会でもありますね。 失わなければ気づけないのは人間の愚かさの一端のようにも思えますが 得てして自分のことばかり考えていると、失うまではその大切さに思い至らないものですね。 ****************************** 『ユリシーズ』を最初から読み直しているところです。 注釈と照らし合わせてじっくり読んでいるのですが、とにかくすごい本です。 20世紀に入るとそれまでの世界とは明らかに違う世界になったのですね。 ジョイスやT.S.エリオットなどは見事にその新しさにおいて成功を収めましたね。 読んでも読んでもその謎かけや暗示に満ちていて奥が深いです。 『ユリシーズ』、『荒地』は不滅の作品ですね。 その他の芸術(美術)においても色彩、形態の分野で新しいものを模索しましたね。 (月曜日にまた投稿します。良い週末をお過ごしください。)