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歴史趣味者と観光産業、大河ドラマに対応すべき方法
- 歴史趣味者や歴史学者が観光産業や大河ドラマと対応する方法を考える
- 藤木久志先生の意見から、忍者の信憑性についての考え方を紹介
- 小和田哲男先生の例を通じて、歴史学者の実用性と社会性を示す
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補足ありがとうございました。 >確か、教科書や参考書では昔から歴史学者が「兵農分離は豊臣政権から」と書いてきたはずなのですが。 これなんですよ、問題点は。「昔から歴史学者が」と仰っていますが、その歴史学者の見解がそのまま教科書に記載されているわけではありません。学校教科書には検定制度があるとのこともご存知でしょう。 教科書の発行会社が文科省(以前の文部省)に白表紙の教科書を提出し、教科書調査官が「その内容」にチェックを入れ、この部分は削れ、この部分はこう書けなどと指示を出し、版元の担当者と執筆者が持ち帰り、後日の再検定に臨みます。以前ほどよりは検定の基準が緩和されてきていますが、それでも歴史学者に対する圧力は今日でも変わりません。検定の本来の意味は「誤字や誤解を招きかねない記述」を適切な表記に書き換えることにありますが、こと「歴史教科書」に関しては、ダブルスタンダードが設けられていました。もっとらしい説明を付けた検定意見ではあっても実質は検定命令にも等しく都合の悪いことは書くな、との学問に対する露骨な介入そのものです。歴史学の成果ではあってもそれをそのまま教科書に記すことができないのはそうした「検定制度」に象徴的に現れてもいます。 問題の「兵農分離」ですが、それは質問者様が多分に誤解されている面もあります。豊臣平和令で示されたのは、農民層に対する武装解除指令であり同時に身分秩序の再編を意図したものです。それが即兵農分離となることはありません。信長や戦国大名が支配下に位置付けた農民層も軍隊組織の一員であるが、常備軍の構成員ではないとの意味です。井沢元彦や堺屋太一などが勝手にツマミ食いをしていて、歴史学の研究成果を横取りしているだけの話です。つまらないものを相手にする必要などありません。 教科書の話に戻りますと、永原先生ご自身も教科書の執筆に携わっていらっしゃいました。実際に歴史学研究と歴史教育に携わることの双方に携わる方でしたので、歴史研究にとっての歴史教育の必要と大切さに関して、講義や演習の場で幾度となくお話になっていたことを僕自身も実際に目の当たりにしています。 それほど「政治的圧力の強い学問分野」であり、それは20世紀日本の歴史学が新たな国家像の構築とその正統的な根拠となる位置付けを負わされてきたことの証左でもあります。 藤木先生や永原先生が兵農分離を説明していたからといっても、その内容と論理性が堺屋や伊沢などと同じであることにはなりません。 なお僕が実際に見聞している「検定」の問題でおもしろいエピソードをご紹介させていただきます。80年代初頭の調査官の一人に宮崎道生という人物がいました。この人物の専門は新井白石でしたが、文部省の調査官に従事していた時の担当科目が、何と中学校の歴史でそれも世界史分野だったとのことです。テレビのニュース画面でこの人物の名前を目にした時、僕はイスからずり落ちました。その教員の講義内容を友人から聞いて知っておりましたので。
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- TANUHACHI
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こんばんは、結論からいえば「歴史学と歴史趣味の違い」になります。簡単にいえば「それを発表する舞台と相手が異なる」との一言です。 藤木久志先生は僕も面識がありますが堅い話ばかりする方でもありません。逆に小和田先生も歴史趣味に走るほどへつらったりもしていません。 ただ、現在の状況に鑑みて歴史学に携わる者が一般向けに話す場合の心構えとして「言葉を選ぶ」との傾向がいつにも増して強く観られることも確かです。 昨年の『平清盛』での「王家論争」もご存知でしょう。日本中世史研究のレベルからすれば、使って不自然ではないことが、歴史趣味の領域になりますと「それはオカシイ」として根拠にも乏しい反撃にもならない反撃を受けます。テレビで軍事評論家を相手にする小和田先生の話の背景にあるのは「相手の論議をひっくり返すことは簡単だが、それを公共の電波を使って晒し者のような形にしてしまうのは気が引ける」との気遣いです。 「日本の歴史」というタイトル名の本が2冊あったとして、その本を購入する時にレジではバーコードで読み取りを行いますが、発行されたレシートには「一般書」や「専門」などの識別も記され、その本と本の著者が対象とする内容の違いも表示されます。専門書は一般的に高額です。他方は安価で体裁も簡易製本の形が殆どです。 観光地の土産物はあくまでも客寄せのための方策のひとつですから、安直に商取引行為とでも考えていて、それが示す意味などには無頓着です。 飛鳥の石舞台古墳の近くは「古代史マニア」を想定しての「冨本銭」をかたどった携帯のストラップなども売られていますが、そうした場所に忍者グッズは売られていません。芭蕉が俳諧を志す以前に居を定めた伊賀に行っても芭蕉が忍者であるなどとの俗説に基づくグッズを購入する程の酔狂な人もいません。芭蕉が俳人であるとの認識が既に定着しているからこそ、こうした珍妙なグッズなどを作っても客が見向きもしないのは当然でしょう。 僕もたまに時代劇を観たりすることもありますが、その時には監修者や歴史考証を誰が手掛けているかを必ずチェックしてからです。荒唐無稽なものほどいい加減であることも質問者様はご存知でしょう。 誠実な制作者ほど真摯かつ慎重に制作の手順を踏んでいき、単なる視聴率稼ぎに零落する制作者は「言葉遣い」にすら無頓着です。そうした低レベルなモノを好んでみている視聴者などに冷ややかな目線で対応すれば問題はありませんが、そうした俗物が増殖することと増殖させている責任を感じないことは確かに問題があります。歴史マニアから如何に歴史学へと脱却させるかも、歴史研究と歴史教育に携わる者の責任ですから 爆!
補足
内幕モノありがとうございます。 内容が飛んで申し訳ないですが、 井沢元彦氏や堺屋太一氏のお好きな 「農民兵は農繁期に出兵できない。兵農分離した信長の常備軍だけが戦えた。」 なんですが、小和田先生はしばし、同じ事を書いています。 私は、てっきり、武功夜話弁護とともに、「大人の事情」で仕方なく書いていたんだと思ってましたが、本気だったのでしょうか? 驚いたのは、70年代の永原慶二?先生の著作にも書いてありましたが。 確か、教科書や参考書では昔から歴史学者が「兵農分離は豊臣政権から」と書いてきたはずなのですが。
史実に過度にこだわるのは野暮と言うもの。 ロンドンのベーガー街にはシャーロック・ホームズの住んでいた家が実在して、連日多くの観光客で賑わっているではないですか。 あれは完全な小説で、訪れる人は史実でないことを知って楽しんでいるのだから別、と言うことであれば。。 カトリックの「聖地」などどうでしょうか。ファティマとかルルドとかいろいろな「奇跡」の起こった聖地があり、多くの観光客が訪れますが、キリスト教を信じる人もそうでない人も、皆大人の対応で、その場で、奇跡など本当にあったのかなどと言う議論はしません。 日本の神社やお寺もそうですよね。伊勢神宮の中で、天照大神が実在したかどうかの議論をするなんて、野暮の極致だと思いませんか?伊賀の忍術博物館の中で、忍者の実在を議論するのもそれと同じことだと思います。
補足
どこから野暮であるか判断しないといけませんね。 ありがとうございました。
- tanuki4u
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歴史の愉しみ方 - 忍者・合戦・幕末史に学ぶ (中公新書) [新書] 磯田 道史 (著) というような忍者はいたものかと思われる。 観光産業や大河ドラマレベルマスコミにどのように対応すべきなのでしょうか? ↓ フィクションはフィクション。 ※ 磯田氏によれば、池田家の忍者情報の秘密保持はヌルいとのことだ。 ナマの古文書からあたっているから、大きな間違いはないかと ※ 実は忍者をちゃんと研究した人は殆どいないというようなことも書いてあった
補足
確か、藤木先生の論は「戦国時代は」だったと思います。 現代日本でも、創作傭兵小説にはまって、本当に傭兵になる人もいるようですが、それと同じく、江戸の忍者も新職業だったのだと思います。
- onbase koubou(@onbase)
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「観光」「フィクション(ドラマ・小説)」と「史実」は別物、と割り切るしかありません。 そうでなければ伝説-浦島太郎や桃太郎、羽衣など-もすべて否定して排除しなければならなくなります。 そうでなければ「一言一句が残っているわけではない」のでドラマなどは成立しなくなります。
補足
そうですねえ。ありがとうございました。
お礼
>農民層も軍隊組織の一員であるが、常備軍の構成員ではないとの意味です。 近代風に言えば、軍属は軍人にあらず、ですよね。 ありがとうございました。
補足
検地よりも平和令から入るとは、やはり最近の研究者さんなんですね。書き込み、ありがとうございます。 中学校では、 「太閤検地+刀狩り=兵農分離 兵農分離の目的は身分秩序づくり。」 この辺の理解が90点の分かれ目です。 しかし、もっと後に、小説など店先の本を読むようになって、 「武田や上杉などの農民兵は農繁期に出兵できない。兵農分離の目的は農繁期の出兵のため。織田信長は兵農分離してたのだ。」 これは衝撃。教科書とは全然違うわけです。 井沢元彦氏や堺屋太一の得意技。いや、小和田哲男先生も2008年以前の本には、ほぼ同じ事を書いていました。2008年の本では「織田信長の兵農分離は一部」と書いてますが。 私は、小和田先生のテレビ局や出版社へのサービスだと思いました。しかし、最近、70年代の永原慶二先生も「農民兵は農繁期に出兵できない。」と書いてあるのを見て驚き。 これは、そういう説が定説だった時期があるのではないでしょうか?在地領主論のように。 教科書検定は関係ないと思います。 兵農分離が信長であろうが秀吉であろうが、現代の自民党には関係ないからです。農民兵が農繁期に出兵できようができまいが、自民党の得票は変わりませんから。 ☆戦国の出兵期間が、田植え時期や収穫時期を特に外してはいないですし。桶狭間は田植え。川中島は収穫期にかかってますし。